blebul1a.gif (1048 バイト) 栗駒山へのみちしるべ

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 栗駒山」について、『栗駒町誌』には以下のように紹介している。「栗駒山の名は封内風土記にあるように・盛夏にもなお雪を宿し、残雪の形があたかも斑馬に似ている。東から見れば南に首、北に尾、西から見れば北に首、南に尾、斑馬が雪表を奔走している形である・というので、駒ヶ岳の名が生まれた。そして駒ヶ岳の山名は所々にあるので、他と区別するため、栗原郡の北方に聳える山なので、栗駒山と呼ぶようになったという」。

 また『更級日記』(作者:菅原孝標の女・すがわらたかすえのむすめ)には、今の奈良県に「盗賊の住む栗駒山」の名が見える。栗駒山の古歌は数種あるようだが、どちらの栗駒山を指しているかはわからない。

 

  写真は平成11年6月撮影・山腹左に見事な駒姿の残雪が見えている。

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  leabul1e.gif (224 バイト)栗駒山とお駒様

 「安永風土記御用書上」には「大日嶽」「駒ケ嶽」の二つの名をあげている。ただし「御林」三十九銘の一番最後に、「嶽山御林」と言う名があり、「南北東西丁数不明」、境が「西は羽州仙北領雄勝郡小安村、北は西岩井五串村御境南は二迫文字村御境」とある。地元では「里山」、「イリ山」と使い分けて、栗駒山の山懐一帯を「イリ山」と呼んでいる。これを指すものと思われる。また、三迫川沿いは往古「高鞍(倉)荘」とも呼ばれていた。また沼倉村は往古「吾勝郷」と呼ばれていた。岩手県一関市芦の口に、「自鏡山・吾勝神社」がある。ここは低地のぶな林が現存する聖域でもある。沼倉村に伝えられている源義経の墳墓と共に、平泉藤原氏全盛の頃の名残が感じられる。

 栗駒山の祭神について

 お駒様は駒形根神社と称号し、駒形根大明神を祀る。栗駒山の山頂に奥宮があり、沼倉一ノ宮に里宮をまつる。祭神は、以下の六柱である。

(一)大日霊尊(オオヒルメノミコト)。

(二)天常立尊(アマトコダツノミコト)は「古事記上巻」には最初に宇宙に現れた五柱の神々の中の一柱で天神(アマツカミ)で地上になった神とは別格としている。配偶のない単独の神で永遠無窮の天そのものを神格化した神である。

(三)国常立尊(クニトコダツノミコト)は「古事記上巻」には「神世七代」と紹介している。生まれるべき地を神格化した神である。

(四)五勝々速日尊(アカツカツハヤヒノミコト)=正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤビアメノオシホミミノミコト)はイザナギの命とイザナミの命の子、天照大神と素戔嗚尊のウケイの勝負により生まれた神様であるという。この神は戦いに勝って勝ちすさびたことを現すという。イザナギの命とイザナミノ命が最後から二番目に生んだ子にツクヨミの命がいる。素戔嗚尊は一番下に当たる。「日本書紀」にはツクヨミとスサノオの間にヒルコを入れている。

 (五)天津彦穂邇尊(アマツヒコホニノミコト)=天津日子番能邇邇藝命(アマツヒコホノニニギノミコト)はアカツカツハヤヒノミコトの子である。サルタビコの案内で天より地上に下った最初の神である。

(六)日本磐余彦火出見尊(ヤマトイワレヒコヒデミノミコト)=神日本磐余彦尊(カムヤマトイハレビコノミコト)これは「日本書紀」の人皇の部に見えるものである。神日本磐余彦天皇(カムヤマトイハレビコノスメラミコト)、即ち「神武天皇」である。(説明文は「古事記・日本書紀」・福永武彦訳・平成四年九月十日発・河出書房新社行より)

 この六柱の神々を奉る駒形根神社は延喜式神名帳に記載され、奥羽一百座、栗原郡七座の一であり、景行天皇の日本武尊のご勧請と伝えているものもある。

 お駒様

  『栗駒町誌』『風土記御用書上』には駒形根神社について古来東奥の一の宮、または日ノ宮と称して・・・云々。「安永風土記」に一、駒形根神社・小名・駒ケ嶽。一、日宮・大日嶽絶頂に相建居申候事。一、日宮駒形根神社里宮・小名・一ノ宮云々。「陸前国栗原郡駒形根由来記」・には「勅宣日宮」・出羽の国をかけて百八十六ヶ村の鎮守なるが・中略・天祖天照大神皇孫五勝々天忍穂耳尊を祭り、又日本武尊をも副へてまつりきしかば、云々とある。

 また、『栗駒物語』にはお駒様は駒形根神社と称号し、駒形根大明神をまつる。栗駒山の山頂に奥宮があり、沼倉一ノ宮に里宮をまつる。祭神は大日霊尊(オオヒルメノミコト)、天常立尊(アマトコダツノミコト)、国常立尊(クニトコダツノミコト)、五勝々速日尊(アカツカツハヤヒノミコト)、天津彦穂邇尊(アマツヒコホニノミコト)、日本磐余彦火出見尊(ヤマトイワレヒコヒデミノミコト)の六柱である。

延喜式神名帳に記載され、奥羽一百座、栗原郡七座の一であり景行天皇の日本武尊のご勧請と伝えられている。中略・駒形根神社は嘉祥三年慈覚大師が下向して駒形山大尽寺と称し大日如来を祀ってから神仏混淆となり祭式は仏式になっていた。元文四年二月の頃・中略・神式でお祭りしたいと藩に出願していたが・中略・鈴鹿豊前を通じ神道管領吉田三位兼雄卿に願出て許可された。寛保三年六月一日人皇百五十代桜町天皇より、日宮の神号を賜り天皇の御宣命をも賜って以後神式によって祭祀された。云々とある。

  写真は駒形根神社鳥居と本殿 

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