民族名をとりもどす会とは何か?



〜民族名をとりもどす会、10年の闘い〜鄭 良二(チョンヤンイ)



1、「会」結成前(1985年以前)

 民族名をとりもどす会(以下「会」とする)を結成したのは1985年12月。そ れから9年を経た1994年、「会」を解散した。私に与えられたテーマは、「 会」の結成から解散までの闘いをレポートし、日本籍朝鮮人の現状と課題を明ら かにすることだ。

 「会」を結成したのは1985年だが、実はかなり以前から日本籍者同士お互い を知っていた。民闘連や全国在日朝鮮人教育研究集会などで顔を合わせては、日 本籍者の課題と悩みを話すようになっていた。この中で互いの共通した生き方が あった。それは「民族名」を名乗って生きることだった。「帰化」或いは朝・日 国際結婚などによって日本国籍をも法的名称は日本名であるのに民族名を名乗っ ていたのである。したがって、民族名を名乗って生きていた事実の追認で法的名 称として民族名をとりもどす必要があった。日本国籍のまま元の民族名をとりも どそうとすれば、これは戸籍法107条1項の「やむえない事由」により家庭裁判 所に氏変更申立てを行う他ない。私自身も氏変更申立てを希望していたが、日本 国籍を持つ者が法的に民族名で生きることは、現行の「帰化」制度を容認するこ とになりはしないかという点で悩んでいた。

 1983年川崎在住のユン・チョヂャ氏は、先陣を切って申立てを行った。10ヶ 月を要したが、結果は敗北。続いて1984年京都在住のパ・シ氏が申立てを行った が、半年後敗北。続いて満を持して臨んだ私は1985年3月申立てを行ったが、同 年6月却下。納得できず高裁民事部に即時抗告(2審)をしたが、これも同年10 月棄却された。それぞれの却下理由は何点かあるが、その主なものは「呼称秩 序の安定性を阻害する」「民族意識、感情は戸籍法107条にいう『やむを得ない 事由』に該当するとは到底解せられない」というものであった。

 2、「会」の結成(1985年)

 まさか負けるとは、思わなかった私は個人的に闘うことの限界を味わさせら れた。この年日本の国籍法が父母両系主義に改正され、同時に戸籍法部分的改正 で外国姓が認められるようになったにもかかわらず民族姓奪還を認めなかった裁 判所。もう許さんという気持ちで私、他数名の日本籍者が「会」を結成すること を決意した。もちろん初めての取り組みで「会」の名前、機関紙名、「会」の趣 旨等ゼロからの出発で悩むことは多かった。が、今から思うとその悩みこそ「会 」の産みの苦しみだったといえよう。

 まず、我々日本籍者を規定する言葉から考えなければならなかった。日系ア メリカ人という言い方にならえば、「朝鮮系日本人」ということになろう。しか し、我々のメンバーは誰一人として「日本人」と思う者はいなかった。とするな らもっとも的確な言い方は、「日本籍朝鮮人」ではないかという結論に達した。 この結論は、田中宏(現一橋大学教員)や当初から関わっていただいた加島宏弁 護士らと多くの議論を経て出たものだった。次に会名、会則について決めなけれ ばならなかった。これらも同様に悩んだ挙げ句次のように決定した。

 「民族名をとりもどす会」会則(1)目的 本会は「帰化」や「混血」など による日本籍朝鮮人をとりまく問題を在日朝鮮人問題の今日の問題ととらえ、ま ず、各自の名前を法的に「民族名」にする取り組みを行う。以下省略。
 
 3、「会」の活動

(1)民族名奪還
 「会」を結成し、多くの人に呼びかけると予想外に「会」に結集していただ いた。特にマスコミ報道、ウリ・イルム(会報)などを通じ、その存在が徐々に 知られるようになったことは、運動に大きなプラスであった。この「会」結成の 勢いで、まずは1987年パ・シ氏を皮切りに氏変更の申立てを行い、結果は連戦連 勝に輝いた。これには支援していただいた弁護士や会員のみなさんの地道な活動 があったことはいうまでもない。日本籍朝鮮人や中国人が氏変更の申立てを

すれば、多少の困難点があっても認められ、いわゆる判例になったといえよう 。会結成当初から関わってきたメンバーで申立てを予定していた者は、昨年のヤ ン・ヂョンミョン氏の申立て受理で全員が認められた。これは誰も予想しえなか った嬉しい誤算だった。 日本籍者が法的に民族名を名乗ることの意味の重さは 、多くのインパクトを与えた。日本籍者の生き方の展望だけでなく、韓国・朝鮮 籍者を含めて在日の将来を考える大きな素材を提供したといえよう。

(2)「帰化」行政の解体に向けて
 「会」では結成当初から「帰化」行政上の問題点を指摘してきた。日本国籍 法上の条文には現れない「帰化」行政の許しがたい実態。
 @日本的氏名の強制
 A10指指紋の強制(1993 年廃止)
 Bプライバシーの侵害
 C「帰化」許可までの無国籍状態
 D法務大臣の自由裁量

 「会」では「帰化」行政の解体に向けて1991年5月京都地裁に「帰化」許可 申請時に申請者から強制採取した10指押捺原紙の返還と破棄のため提訴した。そ の結果、被告=国側は裁判の中で1988年から申請者の10指強制を1指に代えたこ とを明らかにし、1993年から1指も廃止したことを決定。その上、今年4月には 「会」の主張を全面的に認め、原告3名を含む「帰化」許可者全員の指紋原紙を 廃棄することを約束した。また、これらの原紙を「帰化」業務目的以外には一切 使用しないことも約束した。これによって「会」は全面勝利の形でこの訴訟を終 えることができた。
 裁判では全面勝利になったが、「帰化」制度そのものの解体にはまだまだ至 っていないし、「帰化」制度問題の全面的暴露にはならなかった。今後の課題は 残る。4、「会」の発展的解消 「会」の名前どおり日本籍者の名前を法的に民 族名にすることについては100点の答えが出た。しかし、それもまだまだ一部の 者に限られていることも事実だ。韓国・朝鮮籍者の本名使用者が二割も満たない 現実では日本籍者の民族名使用者少ないのも納得できる。やはり、日本社会の差 別的なありようそのものを変えていく必要があろう。
 昨年「帰化」許可者が20年ぶりに1万人を越えた。内訳は相変わらず旧植民 地出身者が多い。これからもますます「帰化」者は増え続けるだろう。また、朝 ・日ダブルの数も限りなく増え続けることだろう。日本籍者の問題が、在日朝鮮 人問題の一部ではなく全部になる日もそう遠くはない。
「会」では当初の目的は、達せられたと判断し発展的解消を決定した。日本籍 2世が新たな運動を展開してくれることを期待しながら…。


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