「帰化者」へのインタビュー(1)   楊  正夫(仮名)「在日中国人3世」


この広場の読者である楊さん(仮名)「在日中国人3世」のご好意で取材できました。この場を借りてお礼申し上げます。
 「帰化」の実態は当局がほとんど情報公開しないため「帰化者」の話をもとにイメージせざるを得ないところが多く、今後もインタビューができれば掲載したいと思います。
 インタビュー日時  98年9月7日(月)


鄭:わざわざお越し頂いてありがとうございます。「帰化」の実態というものがなかなか見えてこない中、このような聞き取りができることを嬉しく思っています。さっそくですが  自己紹介をお願いします。

楊:初めまして。時々、このホームページを見ています。というのは「帰化」についてはほとんど情報がなく、困っていたからです。大きな本屋に行っても「帰化」に関する本が  なくなかなか、たいへんです。
  私は1963年生まれで今年、35歳になりました。中国籍を持ち、日本人女性と結婚しています。子どもが一人います。

鄭:「帰化」しようという動機は何ですか。

楊:私は仕事の関係上、海外へ行くことが多く、中国籍を持っていると不便だからです。例えばアメリカへ行くと入国管理官からいろいろと聞かれるし、ビザを1回ずつ取らな  いとだめだったり。台湾へ行けません。ホンコンに行くにもビザ要りますし。それで、「帰化」しようと思いました。

鄭:「帰化」の手続きはいつ頃から。

楊:97年8月に法務局へ行き、相談しました。いろいろと個人的なことを聞かれました。正直なところこのホームページを読んでいましたので、緊張していきました。ただ、み  くびられるのが嫌だったので毅然とした態度をとりました。しかし、服装は夏だったので短パンとシャツという軽装で行きました。周りの相談者を見るとネクタイをしめた人   ばかりでしたが。〔笑い)

鄭:担当官はどんな態度でした。

楊:以外と淡々とした感じで、ビジネスライクにやってましたね。まず、「帰化」許可の手引きを買うことを促され、購入しました。この後、一通りの説明をうけ、この日は帰りま  した。

鄭:その後は。

楊:一ヶ月位後にわざわざ担当官から電話があり、「どうぞ、帰化手続きを進めて下さい」と言われました。向こうから電話があったのはビックリしました。
  その後、11月初めに書類をそろえて持っていきました。私の場合、在日中国人3世でサラリーマンなので思っていたよりも必要書類は簡単に集まりました。ただ、このよ  うな事務的なことが不得意な人はたいへんだろうと思います。
  中国の国籍証明とその翻訳についても華僑総会のほうでお金を払えば簡単に出来ましたし。

鄭:ええ(驚き)、華僑総会のほうで「帰化」の書類をそろえてくれるんですか。

楊:はい、いたってビジネスライクに。別に不思議なことではないですよ中国人社会では。

鄭:朝鮮人側で言いますとそんなことは考えられないですね。

楊:華僑は住居地の国籍を取ることは別に気にしません。
  それで、11月末にすべての書類をそろえて持っていき、申請が受理されました。

鄭:申請時に「帰化」後の名前を書かせられるのですが、どうされました。

楊:申請書の名前については相談の段階では書かないで、最後の受理時に記入しました。

鄭:日本名の強制はありませんでしたか。

楊:それがなかったんです。通名はあるかと聞かれ、ないと答えましたが。ただ、許可後の名前は人名漢字にないとダメだといわれました。私の楊は人名漢字になかったの  で困りましたが。しかし、妻が結婚時に私の名前に氏変更していましたので、妻の戸籍に載せるならOKということでした。

鄭:ちょうどソフトバンクの孫(ソン)さんのケースと似ていますね。ソンさんは91年の11月に日本籍を取得されたのですが、その時当局は日本に「孫」という姓がないことを   理由に日本姓に変えなければいけないと指示したそうです。それで日本人の妻が先に裁判所で氏変更の手続きをして、孫姓を認めてもらいそれを根拠に「孫」を認めさ   せたそうです。さすがソンさんですね。
  日本人だって人名漢字にない姓の人がたくさんいるのに「帰化」申請者に人名漢字の強制は許されないですね。

楊:そうですね。

鄭:もし、日本名でないと「帰化」許可しないということでしたら申請されてましたか。

楊:いいえ、申請してないですね。私は3世で感覚的には「日本人」と変わらないですが、せめて名前だけでも民族性を保持したいですね。4世5世になっても名前は残る。   大切なことだと思います。

鄭:「帰化」申請書、受理後どうなりました。

楊:98年5月に私と妻の面接がありました。私への質問は提出した書類の確認ばかりでしたね。その時、最近の交通違反のことを話したのですが少しとがめられただけで  した。本当は交通違反も違反後すぐに申し出ないとダメなんですが。
  反省しているかと聞かれ、反省していると答えました。

鄭:かなり以前の話では、交通違反が申請中にあれば許可されなかったと聞いていますが、緩和されたようですね。

楊:そのようですね。

鄭:その他、「帰化」申請の中で気になることがありましたらお話下さい。

楊:面接の中で政治活動のことや民族運動のことについて聞かれました。それと、私の母に担当官が電話で息子の「帰化」について質問されました。母は本人に任せると   答えたそうですが。

鄭:楊さんの会社や周りでの聞き込み調査等ありましたか。

楊:私の知る範囲ではありません。自宅に来ることもありませんでした。

鄭:ところで、いつ「帰化」許可されるんですか。

楊:9月*日に担当官より電話があり、9月**日に許可書を取りに来るよう指示されました。

鄭:相談されてから1年1ヶ月。最近の例ではそんなもんですか。

楊:サッカーのロペス選手の場合はもっと早く、新聞でものりましたが3ヶ月ぐらいの期間でしたね。

鄭:そうですね。日本籍をとらせて試合に出すために無理をさせたんです。(笑い)
  今日は、どうもありがとうございました。


インタビューを終えての感想         チョン・ヤンイ

 このホームページの読者である楊さん(仮名)の申し出により今回のインタビューは実現しました。
 「帰化」の実態が法務省の情報公開がないため、わからない中貴重なお話を伺いました。気を付けていただきたいのは、今回の話がすべてではなく一部であること。今後 も「帰化」者の話を聞き、実態を調査する必要があること。など。
 楊さんのお話を伺った印象は、少しは法務局の担当官の態度が良くなったかな、ということです。以前ならワザと嫌がらせをし、必要な書類を一度に言わずに小出しにしたり、申請時の「許可後の名前」についても日本式氏名の強制などがあったりと威圧的な態度は当たり前でした。それも、この間の法務省の「帰化」行政に対する監視があったからこそと考えています。
 「帰化」許可者が毎年、1万人前後に増え、条件が本当に緩和されているのかはわからないが、以前に比較すると緩やかになったという印象をもちました。
 もし、読者の中で「帰化」者、申請者などのお話が伺えるのでした、連絡でも下さい。


追記。楊さんから9/22、Eメールでその後の報告がありました。以下、掲載します。


 帰化の最後の報告をいたします。

本日1998年9月  日
午前9:30 **法務局にて
”帰化者の身分証明書”の交付に行ってまいりました。

約30数名の帰化許可者が来ていました。
(多分,月に一回その月の帰化許可者にまとめて交付するのだと
 思います,また参加者30数名ですが家族単位の申請ですと
 代表者1名でよいみたいですので奥さんがたくさんこられていました。)

私以外の方は全員,韓国もしくは朝鮮籍のかたでした。
私以外の方は全員,帰化後の氏名は日本名でした。

内容は
今後の事務処理の案内
帰化者の身分証明書の交付
最後に法務局長の挨拶(名実ともに日本人となりおめでとうございます,うんぬん
           というお話でした。)
以上で約1時間でした。

そのまま私は区役所に行ってまいりました。
帰化者の身分証明書をもって戸籍課でいろいろ用紙に書きました,区役所
の方は親切で手取り足取り何でも代わりにやってくれました。
約1時間でした。
(でも名前が変わらないので,はじめはちょっと面食らっていたとこも
 ありましたが,そうかそうか言って,親切でしたよ???)

戸籍の整理書き込み等に3、4日かかるとのこと
しかし住民票はその場ででるとのことです。


以上です。
                               
これで私の帰化が終わりました,だからといって私個人(人間)がどう変わる
というわけでもなくなにも変化はありません今までどうり胸をはって生きていこう
と思っています。



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