2006年3月8日より3月12日まで岡崎市美術館殿橋分館 殿橋ギャラリーにおいて,「回想の鈴木政夫展」が開催された. 日本の風土に合う彫刻を求め続けた石彫家鈴木政夫は2002年3月19日に逝った. 4回忌を記念して内田氏が回顧展の声を挙げ,柴田・嶋田・加藤・河合・黒野・山本氏・梅本などが賛同し,鈴木政夫と関わりのあった多くの人達の協力により開催できた.
 初日には妹御夫妻や弟御夫妻が来場になったし,「高村光太郎訪問記」とそれ以後の出版の校正などを手伝われた加納氏や,古くから交流を続けてこられた河合氏などが来場になった. 皆様と鈴木政夫の思い出話をする中で,新たな貴重な話を聞くことができた.(06.3.12記)
 鈴木先生のことを話始めると, まず「しかられた話」がでてくるし,「誰某はあの時苦労した」という話になる. 梅本も「自分は出入り禁止になった」と公表している.誰もが,鈴木先生に喜んで貰おうと尽くすし,要望を受け入れる. しかし誰ひとり 鈴木政夫に尽くしたからと,本人に喜んでもらったり感謝してもらった者はいない. 皆が「切られた」. (鈴木先生の芳名録には「切られた者」や「復活した者」の記録がある. 誰かが,「私だけはそんなことはないわ」と思っていたら,それは事実を直視していないからだ.)
 
 しかし, 出入り禁止の速達が来ても,「お前を切った」と言われた人も, 鈴木政夫への尊敬は消えない. 偉大な人物だとの思いは決して揺るぐことが無い. だから 関係者が集まると,悪口を言いながら,想い出話はつきることがない.