石彫家鈴木政夫に出会う
 四十才になる頃,気楽に茶をいただけるようになりたいとの思いで,茶道裏千家の先生から茶の湯を習うようになった198 7年秋のことだった.三年経ったころ茶道は少しも上達しなかったが,知人たちに家に寄ってお茶を飲んでいただこうと,茶室を建てることにした. 1991年4月1日に茶室が完成した. 蓬生町に建てた茶室だからと, 庵号は紫式部「源氏物語」より名を借りて,「蓬生源氏庵」とした. (源氏に蓬生あり,蓬生に「源氏庵」あり.)

 茶室に置く風呂先屏風を求めたいと,知人に頼んでおいたところ,石彫家鈴木政夫氏が渋谷道玄坂のゆーじん画廊での個展に出展した屏風を持っておられると教えてもらった. その知人と共に鈴木政夫氏を訪ね,屏風を譲ってもらうことにした. 鈴木政夫氏にはそれまで会ったこともなかった.
 初対面の鈴木政夫氏は,社会批評・芸術批評批判を熱烈に語られた. 梅本はその強い語り口に感動し,惹きつけられてしまった. 数週間後,恐る恐る工房を訪ね,仕事場を見せてもらうと共に氏の芸術への熱き思いなどを聞かせてもらった.以後,夜勤明けや休日に氏を訪ね,話を聞くようになった.
梅本 石彫を始める
 1991年夏,鈴木政夫氏と知り合った後,週に一度ほど工房を訪ね,岡崎で氏の作品の設置をする時には着いて行き,東京広島などで氏が個展をされる時にはいつも個展会場を訪れた. 鈴木政夫氏の仕事の様子を常に見,氏の芸術についての熱き思いをなんども聞いていたが,自分が制作活動をするとは少しも思っていなかった.

 1992年11月,飼っていたやぎの「みみ」が死んだ.
哀しくてやりきれなかった. 死は取り戻せない. 「みみ」の墓を作って供養しようと思い立った. 鈴木政夫師の捨てた鑿を貰い石も貰い,師の作品をまねて祈りの像を彫り始めた. 師の作品には及びもないが,一つの形が完成した.
 自分では良い作品が出来たとうれしくなった. 梅本の石彫に取組んだ最初である. 自分にもなにか出来るかなと,鈴木政夫師の後で石彫をするようになった. 1992年12月である.
 石彫のテーマは決めないで,石を叩いていた. 1993年1月に,師が燈篭の玉の替わりにフクロウを乗せたり,水鉢とフクロウを組み合わせたり,単体でフクロウを作っているのを見て,自分もフクロウを彫ってみることにした. 手本は鈴木政夫師のフクロウとしてみたが,石彫の経験の無い自分には手本のようには作れないと分かった. 直ぐに自分のフクロウを模索することにした.
やぎ鎮魂の像
(最初の石彫作品)
フクロウ
(最初のフクロウ作品)
フクロウ(鈴木政夫作)
テラコッタ(初期)
フクロウ(鈴木政夫作)
    1996年作
 上右 最初の石彫作品である.鈴木政夫の祈りの像を手本に彫刻した. 上左 最初の石彫りフクロウである. これも鈴木政夫の石彫フクロウを手本とした. 左の写真のテラコッタ作品は鈴木政夫の初期の作品である. 石屋がフクロウを作るときには,誰も皆 京都曼殊院の手水鉢に浮き彫りされたふくろうを手本としているが,師の作もそうである.

 鈴木政夫の師とする彫刻家木内克もフクロウを彫刻し,自刻像の上に乗せている. 鈴木政夫は木内克のフクロウを手本にして石彫フクロウを制作したことがある. 猪名川町の羅漢像の上に乗っているフクロウである. この石のフクロウも盗まれて今は無い.
猪名川町 彫刻の道
    鈴木政夫 作
猪名川町 彫刻の道
    鈴木政夫 作
京都 曼殊院 手水鉢
木内 克 作