
図書館セミナー2006
[静岡市から図書館の未来を語る!]
平成18年7月16日(日) 於静岡県立図書館
増田信行 記録
第二部 トーク&トーク(今、全国で注目の3人が語ります!) 「図書館って本当に必要ですか?」
阿曾千代子氏(図書館友の会全国連絡会)常世田良氏(日本図書館協会常務理事、前千葉県浦安市立図書館長)
平野雅彦氏(静岡市立図書館協議会会長、情報意匠研究所主宰、静岡大学非常勤講師)
平野 (第一部での)私の話が長くなってしまいまして、今日はお二人(常世田、阿曾両氏)のお話を楽しみにきた、という方には大変申し訳なく思っているんですよ。常世田さんを写したくて、デジカメを新しく買ってきたという方もいらっしゃるようです。
常世田 壊れないといいですね。(笑)
平野 私がいま、すごく興味があることがあります。それは、常世田さんと阿曾さん、お二人の子どもの頃って、どんな子ども時代を過ごされて、どんなご性格だったんでしょう、ということです。
常世田 そうですね。よくある話ですが、私は、父親が仕事以外は顔もあわせないという典型的な仕事人間でしたが、母親は寝る前に読み聞かせをしてくれたり、やはり原点にはそれがあるかな、と。だから本は好きでしたが、図書館員になろうと思ったのは、すごくあとのほうで、純正栽培の図書館員じゃない。かなり回り道をして、子どもの頃を考えると、ちょっと変わった子どもで、シャイで、おとなしい子どもでした。静かな子どもっていうか、何もしゃべらない人というのは一般的に、「何も考えてない」と思われがちなんですよ。しかし頭のなかはものすごく高速に回転して、自分の世界でものすごくいろんなことを考えているんですよ。だから外に発信する暇がないので、やはり、平野さんと同じで今だったら、LDという感じで、若干その傾向はあったかもしれないですね。ひとつことにのめりこんでしまう。絵を描くことが好きで、一日中絵を描いていて、食事っていわれると、食事がいやでいやで・・・。普通、子どもって食事って飛びつくと思うんですが、私はごはんがきらいで、ごはん食べるんだったら絵を描いていたいっていうようなところがありました。やはりちょっと変な、平野さん図書館のこと一所懸命やっていただいて、大変有難いんですが、あっ、やっぱり平野さんも変なひとなんだな、って(笑)。ちょっと失礼かも(笑)。図書館好きな人で、もうちょっとまともな人いないのかなって(笑)。
平野 そういう常世田さんが、職業人として図書館に出会うというのは、どういうきっかけですか?
常世田 私は、とても不純な動機でして、世の中に司書という楽な商売があるよ、好きな本に囲まれ、休み時間に珈琲など入れたりして、珈琲飲みながら、本読みながら、それで仕事になる、そういう仕事があるらしいよ」と。そうか、世の中にそんないい仕事があるのか、それなら是非、なってみよう、といって、(司書に)なったのが発端です。
平野 その前は、何か、おやりだったのですか?
常世田 心理学で食べていこうとした時期もあったんですが、頭が悪くて、それは中断したんです。
平野 阿曾さんの少女時代と現在の図書館との関わりは、地続きですか。
阿曾 私の少女時代とか学生時代というのはあまり、皆さんの関心を引かないと思います。ちょこっと言うならばお二人と違って、ごくごく普通の少女時代を過ごしました。商家の末っ子でしたので、放任主義のなかで、育って、ただ本はあったので何冊か繰り返し読んだ、学校図書館が充実していたので、ナンシーの冒険とかルパン、とかホームズとか、そういうところからはいって、こっそり書棚の後ろに借りる本を隠したとか、そんな感じで過ごしました。そして高校時代に決まっていく場所は、図書館の閉架書庫。そこだと見つからずに古典の授業をサボれる。図書館が生活の一部というか、居場所でしたね。
平野 それが今の活動にずっとつながっていらっしゃるんですか?
阿曾 いま振り返って見ますと、図書館の職員の方との出会いが大きかったと思うんです。私も動物のことが好きなほうで、同じようにアラスカとか、野生動物のことなどが好きな職員の方がいて、カウンターで私がそういう本を沢山借りたりすると、レファレンスというほどのことではないんですが、最近このような本が出ています、というような本の紹介から個人的な会話がはずんで、いい本が入ると、「はいりましたよ」、といっていただいて、そしてその職員の方から「実は図書館でこういう集まりがあるんですけ参加してみませんか」と声を掛けていただいた。私も集会そのものには余り興味がなかったんですけど、その方が言ってくださったものですから参加して、そこで初めて図書館の本質的な存在意義ってものに目覚めちゃったんですね。
平野 それで全国をネットワークするようになっちゃたんですね。
阿曾 そこにいきつくまで数年のことですが、紆余曲折があったんですけど。
平野 お二人が活躍する図書館という場ですけれど、私も図書館協議会という場に参加させていただいているんですが、そのなかでいろんな地域の図書館に行くんですね、視察に。そうすると同じ図書館といっても、地域によって、大きな違いがあるんですね、格差というか。それで同じ行政が関わってきて、なぜ、ここまで格差があるのか、格差を生む、その原因というか理由について、教えていただきたいんですが。
常世田 日本のお役所というのは、世界に冠たる中央集権的な仕組みをもっていて、国が「こうしろ」といったら、北海道から沖縄までピシッとそろってしまう、世界的にもめずらしい仕組みをもった国だったろうと思うんですね。
平野 ということは、「レベルが揃っている」というイメージで見れると思うんですが。
常世田 そういうことです。ところがなぜ、図書館がというと、図書館分野だけが徹底して地方分権だったんです。
平野 良く言えば。(笑)
常世田 良く言えば。(笑)もう50年昔から、各自治体におまかせしますよ、という具合いで図書館に関する法とか規制だとかは、なかったんですね。よく言えば地方分権、悪く言えば、放って置かれた分野、といっていいんですね。だから、中央集権的にやらなくていいや、とならなかったのではないか、とぼくは思います。
平野 最近私も指定管理者制度の問題に、図書館協議会で深く関わっているので、街なかで知り合いにあったりすると「最近テレビや新聞によくでているね。図書館の大事さっていうものは平野のコメントで何となくわかってきた。でも自分のように図書館をまったく使ってない人間にとってみれば、図書館が本当に必要なのかどうか、それすら良くわからないんだ」と言うんですね。いま実際に、図書館がなくなっても、私なんか困らないかもしれない、あるいは民間委託で民間の業者に(運営が)振られても、いまの暮らしは変わらないかもしれない」と女性なんですけれど、同級生が言うんですね。そういう人たちに何とか自分なりの言葉で説明をしているつもりですけれど、うまく伝えきれません。本当に図書館が必要かどうなのか、その何故必要なのか、という点について、お二方にコメントをいただきたいんですが。
常世田 いろんなことをお話しながら自然とわかってもらう、という形で進んでいくのかな、と思っていたら、いきなりなので。(笑)いまの平野さんの質問は、非常に本質的かつ重要な問題ですけれど、簡単に答えられるようであれば、いまの日本の状況のような図書館にはなっていない。何故かというと、普通の市民の方が「アッそうか。それで図書館必要なんだね」とすぐ納得できるような答えが用意できるんだったら、(さきほどの)平野さんのお友だちの方も、なぜ必要なんだ?というようなことは、お考えにならない。つまり図書館の必要性ということを一口、二口で言うことはなかなか難しい、ということがこの問題の本質だと思うんですね。少なくとも、教育ということについては、そんなに簡単に答えが出るものではなくて、やはりお金を掛けて、時間を掛けないと効果が出てこない、ということにも関わると思うんです。ぼくは日本の社会というものを、個人という立場で考えたときに、あまり情報とか知識がなくとも生きていける、という仕組みを日本人が作ってしまったからだ、という気がするんです。それは、日本人は、お一人お一人は結構、民度が高いんですよ。文盲の方もいらっしゃらないし、世界的に見ればレベルの高い国民だと思いますよ。であるのになぜ、情報があまり進んでいないか、というと、先ほど話した「社会との成り立ち」との関係があるんですが、だいたい日本人というのは、どこかの大きな組織に所属する、民間もそうだし、行政も、地域社会も、上から順番に命令や指示がおりてきて、それに従って仕事をしている限りは食いはぐれがない、という社会を日本人は作っちゃったんですね。これは世界に冠たることであって、通常他の地域というのは、ひとりで情報を集めないと地雷を踏んじゃったり、爆弾が頭から降ってきたりする地域が多くて、毎日の生活をするにしても、毎日自分で苦労して情報を集めないと、食べて生活していけない、という地域のほうが多いんです。ところが日本は、命令を聞いて、命令どおり仕事をすれば何とか食べられる、という仕組み、私たちはこれを不思議とも思わないんですが、私たちがそういう社会を作ってしまったので、家に帰ってビール飲んで野球見ていても、普通の生活をするのであればそれでやっていける。そうなると、情報の必要性ってあまりない、結果、それを提供する図書館はあまり必要ない、というようなことがあったのではないかな、と思う。一般的に図書館が未発達だとか、必要性を感じないケースでは、図書館側に問題があるかのように、今まで言われてきたんですけれど、需要と供給という非常に重要なテーゼがありますよね、それで考えますと供給がなかったことは、需要がおきなかったんじゃないかな、というのが私の考えで、だから図書館についての必要性も感じないんですよ。なぜかというと、自分の情報を集める必要性がないから。ところが、今の日本の社会というのは徐々に自己判断、自己責任という社会に変わってきているので、これからは違うよ、というふうに思うんですね。
阿曾 「迷路で迷ったら入り口に戻りなさい」、っていいますね。いま「図書館は無くてもいいんじゃないか」、という発想がでてきたときに、実際なくとも困らないという状況ですよね。じゃなぜ、「図書館ができたのかな?」という入り口にもどって考えてみる必要があるのではないか、と思うんです。ラオスとかカンボジア、アフガニスタンなど、徹底的に国が壊れてしまったところでまず、何をするかというと教育であると。そして子どもたちの教育に本とか図書館が必要なんだ、ということでシャンティとかNGOとか、一所懸命本を運んでますよね。だから一から始めるときに「図書館は本当は必要なんだ」ということが、そういう意味からもわかるんじゃないかな、と。
平野 逆に、もしも、いま、図書館がなくなったら、どうなるかっていう視点では、どうですかね。
阿曾 今すぐには目に見える形で問題は起きないと思うんです。教育って10年、50年、100年の世界ですよね。問題がでてくるのはきっと50年先、もっと早いのかもしれませんし、図書館がなくなったとき、そういう問題がでてくるのかもしれません。
平野 常世田さん、いかがですか?
常世田 いま日本全国で5億冊くらいの本が借りられているんです。ですから一億2千万人の人が五億冊の本を読んでいる。ちょっと考えてみると、5億冊の本が全部役に立たないということは考えられないので、そのなかのたとえ1%、10%でも役に立っているとすれば、すべて無くなってしまったら大変なんだな、ということは数字的に考えてもわかるのではないか。それから一見役にたたない本でも毎日食べてる食事のなかで、毎食時ごとに何か一品なくなっていったと考えると、それで死ぬことはないけれども生活の質というのは明らかにダウンしてしまうということがありますよね。無いから、命にかかわりはないけれど、それでは、無ければいいのか、ということも確実にあるんじゃないか、という気がしますよ。
平野 たしかに情報というのは、その場に役立たなくても10年、20年先に、あらかじめ持っていた知識が突然、スイッチがオンになったりする場合が結構ありますね。
常世田 私は今日、平野さんが前段でお話をしたことを思い出していただくといいと思うんですけれど、平野さんは企画を仕事にしている方ですよね。今日動物園のことでずっと本の紹介をされましたが、あれは動物園の話ですが、実は平野さんが話してるのは、人間のものの考え方だとか、人間と物の接し方だとか、発想の仕方だとか、そういうことに興味を覚えておられるわけで、当に企画をされてる方にとって、あの読書は仕事をするための、材料、ものの考え方、それを手に入れていらっしゃるんです。私からすれば今、図書館で評判になっている、ビジネス支援なんだ、と私には見えてしまうんですね。平野さん今日、お話になったあの内容は、ひとつひとつ面白いんですけど、すぐに平野さんの仕事に役立つわけではないけれども、企画やってる平野さんのお立場からすると、一年後五年後、十年後って考えると、ああいう読書の仕方って、確実に役に立っている、情報や知識というものは、そういう役立ち方をするのではないでしょうか。
平野 何か、ストーリーのない話をしてしまったのですが、理由付けをきっちりしていただいて、「あっ、そういうことを自分はしていたんだ」と。(笑い)ビジネス支援というのは、今おっしゃっていただいたように、私が動物園と関わる方法は、企画発想的なんです。だから、レファレンスの受け方、それに対する図書館側の回答も、ビジネス支援型のものになってくる、と思います。時間がなくて紹介できなかったなかに、動物からこういうマーケティングが発想できる、というような本があったんです。それも司書が紹介してくれたんですが、司書と長く付き合うことによって、司書が「この利用者は、ビジネス情報を求めているんだな」、ということを察してくれるんです。
平野 阿曾さんいかがですか。ビジネス支援で図書館とお付き合いすることはあるんですか? またビジネス支援ということについて、どういうふうにお考えになっているか、伺いたいんですが。
阿曾 私の場合仕事をしていないので、自分から(ビジネス支援を)、ということはありません。ただ息子や娘がおりまして、いまニートとか増えていますし、なかなか仕事に就けない友人、子どももいます。そいう子どもたちにとって図書館が癒しの場であったり、そしてそこで自分の仕事を見つける取っ掛かりの場であったり、ということも実際、目にしています。それはビジネス支援と謳っているからそこにブラブラいくわけではなくて、行き場がないのでちょっと図書館にでも行ってみるか、という暇つぶしで行っていて、そして信頼できる司書に出会って声を掛けてもらって、それが取っ掛かりになった、というようなパターンですね。やはり現場のカウンターでの人との出会い、というものが基本中の基本だと思いますので、図書館の機能のなかで、そこは本当にはずせないな、と。図書館の一番大事な部分です。私自身、先ほど申しましたように、図書館の職員の一言で図書館の世界に入っていったということも考えると。
平野 私からも、また阿曾さんからもお話のあったように「司書の存在」というものが、常にその図書館を語るときに出てきます。司書というのは図書館にとって大事な存在であるけれども、図書館側も努力して(司書の重要性を)訴えてこなかった面もあると思います。そのために司書の価値というものが知られていない。そういう現状で、司書というのは今、どんな問題、課題を抱えているのでしょうか。
常世田 まず、ひとつの基本的な問題は、日本の社会全体が専門職、スペシャリストについて、あまりこだわらない社会、いわゆるゼネラリストが幅をきかせてマネジメントをやり、スペシャリストはその一部のところだけを担う。企業においてもゼネラリストがマネジメントをやる。欧米の場合は、スペシャリストがマネジメントをやるんですよ。ここに決定的な文化の違いがあって、このやり方で日本はずっとやっていって、問題はないのか、といった点に、まず大きな問題がひとつあると思うんですね。もうひとつ、日本のお役所の問題、いま公務員をどんどん減らしていますよね。少ない人数でどんどん回転させていますから、スペシャリストが一箇所に固まってしまうと、人事異動の邪魔になってしまうので、司書だけでなく、専門職と名のつくものをいま、どんどん減らしているんですよ。つまり、市役所全体をゼネラリストで回そうという大きなコンセプトで動いていて、司書もどんどん減ってしまっているという現状で、司書の絶対数自体が減ってしまっているということです。それから、スペシャリストの側にも問題があって、本当に部分的な仕事だけで満足してしまう司書、「本の選定」とか「おはなし会」とか、そういうことだけで満足してしまう司書、(すなわち)図書館のマネジメントまでやっていく意欲を持たない司書がかなり多くいるので、図書館として本当に力を発揮する、あるいは司書として本当に力を発揮するような体制づくができない、という問題もあるのではないか、と思います。
平野 司書というのは一度免許をとってしまうと、そのあとはもう(資格検定など)無いわけですね。運転免許と同じ考え方でよろしいですか?
常世田 日本のスペシャリストって全般的にそうですよね。お医者さんも学校の先生も同じで一度、免許をとってしまえば、チェックされることはない、ということです。だから今、図書館界では司書の資格についてランクをつけて定期的にチェックを受けないと上位の資格を失う、という動きは出てきています。
平野 私はその視点って大事だと思うんです。比較はできませんが、例えば骨董についても、免許を取ってしまえば、それでいろいろなやり取りができるんですね。古物商は、あとはもう経験だけなんです。だから現場で目を磨いていくしかないのですが、それに対する評価というものがなかなか得られない。古物行商というのは売り歩くほうで、それは更新があるんですが。だから評価基準というものの仕組みをつくる。それによって司書も切磋琢磨する。その点について、阿曾さん、どういう風に考えていらっしゃいますか?
阿曾 やはり必要だと思うんですね。いろんな人に図書館というものを理解してもらうために、自己評価、外部評価を含めて評価をしていくという手続きは必要だと思うんですね。だから、その評価を職員だけでやっても意味が無いし、コンサルタントみたいな方に委ねてしまうのでもなく、市民も入って図書館のどういう評価基準を作るか、ということを、やっていくことがいいのではないかな、と思います。文部科学省から、常世田さんも関わられた「これからの図書館像」というのが出ましたね。あれは文部科学省の手引きみたいなものだと思うのですが、わたしはそこに市民の委員が入っていなかったと思うので、市民的な見地というものが、盛り込まれていなかったと思うんですね。ですからもっと膨らませて、市民の声が反映されるような、そして数値のようなものは、そんなにこだわらなくていいと思うので、もう少し、評価できるものはするというようなものが作れたらいいな、と思っています。千葉治さんが図書館評論の45項でしたか、公共図書館照合表という、ご自分の持論を書かれたものを載せておられて「図書館員があいさつをしますか?」というような項目から始まって25項目くらい、そんな素朴な質問からでいいと思うんです。市民は市民なりの評価軸をつくっていく努力をしたいと思います。
平野 わたしは、仕事柄、いろんな地域に行きますが、ホテルに泊まって夜をどうやって過ごすか、とか、次の日のいろいろ資料を作らなければいけない、とか、その場で、司書のレファレンスが受けられたらすごくいいな、と思うことが、図書館をるる使っているだけあってすごく思うんです。もちろんネットが繋がって、ネットに頼ることもあるんですが。で、これ企画発想的な考え方なんですけれども、普段からわからないところ、直接仕事には関係ないけれど、いろいろ考えていたこととか、疑問に思っていたこととかを、ノートの端などに書き出してあって、スクラップブックに貼ってあるんですけれど、そういうものを旅先でパッとみつけたときに、アッこの瞬間、いま司書にレファレンスしたい、でもいま夜中だしな、無理だよね、とあきらめて、ネットで検索して、うまくヒットしたり、はずれたりしてるんですが、そういうとき、例えばホテルと図書館がネットワークをしていて、そこで司書が答えると、そのホテルから司書にポイントが出る。(笑い)そしてポイントが一万点貯まるとホテルとかレストランで割引きできる等、そういうのがあると何かすごくリアルで、「私もうこんなに貯まっちゃったからサービス受けに行こう」なんて、すごく具体的に、やる気が出るんじゃないかな、なんて、思ったことがあったんですけどね。何か突拍子もないことを考えて、「それが可能かどうか」と考えるのが私の企画発想なことなんですね。つまりこの間をどうやって埋めるか、そうしないといつも同じところで悩みがぐるぐるしていて、結局なにもできない、ってことになってしまうので、新しい知恵を、別の業界のひとが入ってきて、それを頭から「無理だよ」って言わないで、ちょっと耳を傾けて発想してみる、というのが結構大事か、と思うんですよ。
阿曾 とってもいいと思います。そういう発想の持ち主がどんどん市民のなかから出てきてくだされば、常世田さんも助かるのではないかと思うんですね。それを実現するために、みんなで知恵を寄せ合って、できることをどんどんやっていきたいな、と思います。さっき動物のことをお話されましたが、たちどころにあんな楽しい「目からうろこの動物園」とか、いろんな本がでてきますよね。でも図書館はそんな楽しい本は出てこないんです。まあ絵本で何冊かありますし、草谷さんが書いておられますけれども。ビジネス書架から、そういう絵本から、岩波ブックレットから、そういういろんな出版社から「図書館がいま面白い」とか、そういう本がどんどん出てくるようにならなければ、図書館は広まっていかないだろうと、そして、そういう仕掛けをしていくのも本当は司書の仕事の一部であろうと、わたしは思っています。で、そのアイデアを出す、それが図書館の友の会の出来ることかな、と思っています。
平野 (基調講演の)先ほどの話に戻りますが、やはり、あの種のフォーマットをつくって「こういうものを欲しい」と言わないと、なかなかその欲しいものが出てこないんですね。でもあのように書き出して、いろんな視点をビジュアル化することによって自分も発想が広がるし、司書も「ああそうか、こういうものを欲しがっているのか」というように、すごくリアルでわかるので、ご紹介したようなフォーマットを使って情報交換をする、という新しいやり方で、お互いに鍛えられるというか、レファレンスをする側も、(レファレンスを)される側も力がついていくんじゃないかと。そいうときにポイント制のようなものがはいってくると、もっとリアルになるのではないか、と思ったのです。
常世田 歴史を振り返ると突拍子もないところから常に新しいものがでてくるので、それはとても重要だと思うんです。これから言うことは、「お金があれば何でもできる」という発言と混同されてしまうとちょっと困るんですけど、いま例えば、皆さんがおっしゃったようなサービスをやるときに、「コストはどのくらい必要なんだ」という議論は、やはり必要です。一方で日本の図書館もこういうサービスやったらどうだ、と市民の方が言ったときに、行政側がすぐに「お金がないからできません」といういい訳をするので、それと一緒にされると困るのですが、適正なコストというものがあるので、その辺がどうなんだ、という議論が必要で、例えばアメリカの場合には日本と比べると、人口は2億六千万、だいたい日本の二倍ですね。ところが図書館に使っているコストは、八倍から九倍を掛けているわけです。図書館の数も10倍あるんですよ。だからそういう基本的な数字というものを、国民全体の課題として考える必要があるんじゃないかと思います。つまり、わけのわからない社団法人のようなところにお金が流れていって、天下りの公務員の人が、文部科学省の管轄の公益法人の理事になり、その月給が120万円で、四年間理事をやると退職金が2千万なんて、文部科学省なんてお金のないほうの省庁でさえも、そういう滅茶苦茶な公益法人が、一つや二つじゃないですよ、それが国土交通省なんかの公益法人だったら、どのくらいのお金が流れているか分からないですね。日本の科学振興だけでこの十年間くらいの間で、40兆円くらいのお金をかけてるわけですよ。昨日の、ある図書館関係のシンポジウムで、医学関係の出版関係の方が言ってましたけど、40兆円かけて大した成果があがってないと。そのうちのほんの0.1%でも図書館関係、出版関係にでもまわせば、どのくらい発展したか分からないですよね、ということを言っておられた方がいましたけれど、お金の使い方を、ちょっと皆さんに考えていただく必要があると思うんですけど。
平野 司書のレベルアップをしていくために計画もされていると伺いましたけれども、何か具体的なお話をしていただくことはできますか?
常世田 まず最初に考えているのは、大学の司書課程のカリキュラムを変えるということです。新しい時代に入っていて、(現行では)それに対応するカリキュラムじゃないんですよ。だからもっと対応するカリキュラムに変えなきゃいけない。
平野 なるほど。でも(いままでも)ある一定の期間の中で、プログラムの見直しというのは、行われているのではないですか?
常世田 もう十数年前に一度、改訂があったきりなんですね。
平野 かなりいろんなネット環境が変わってきたり・・・。
常世田 そうですね。授業数自体が少ないので、大抵の大学は独自に授業数を増やしているんですよ。だったらもう、授業数を増やしたカリキュラムにすべきではないか、等々。もうひとつは、年間一万人位の司書が毎年生産されているんですけど、正式の司書として採用されているのは多くて30人、少ない年は10人くらいしかいないんじゃないでしょうか。無茶苦茶な話ですよ。だからほとんどの自治体の図書館というのは、昨日まで水道課にいたような公務員の方が、一般論ですよ、交代で一、二年図書館に居て本庁にもどる、というように繰り返している。東京の23区なんかもっとひどいですよ。正式な司書がいないというような図書館が二十数館あるんですよ。どうやって図書館運営しているのか?と。不思議ですよね。そのくらいの状況に今、なってしまっている。先進国でこういう状況は日本だけなんですよ。
平野 日本平均の司書率というのは、どのくらいなんでしょうか?
常世田 平均をするとそれでも四十数パーセントなんですが、その内訳は異動してきた公務員の人に二ヶ月くらい短期間の講習を受けさせると、資格は取れるので、その人に資格を取らせて、「司書がいます。」というようにしている自治体がかなりある、ということで、この人は2,3年すると本庁に戻っちゃうわけですから、非常に無駄をしているんです。
平野 静岡市の場合、例えば10年間で三つの部署をまわって、そういう風にして出世していく。そういう現実的な状況のようですけど、もっと長期的に見て、司書というのは育っていかないとまずい、ということなんです。そのためにはやはり、カリキュラムそのものを見直す、ということですね。
常世田 それと司書が安心して10年、20年仕事をするということを保障する、ということが大事なんですね。
平野 10年、20年と言われましたが、その期間の政策をもっている図書館は、一体どのくらいあるのでしょうか?
常世田 図書館長さんというのは日本の場合99%普通の行政マンですから、大体館長さんが館長でいる期間というのが、一年、二年、三年くらいですね。これでは図書館政策をつくるのはまず、無理だと思うんですよ。抽象的なものは、もちろん各自治体で作っていらっしゃいますけどね。その自治体に合った具体的な図書館政策、たとえば10年後どのくらいのレベルまで引き上げるのかといった具体的な図書館政策をもっている自治体というのは、ほとんどないんですよ。これはもちろん、図書館だけじゃなくて生涯学習全般に云えることで、公民館も博物館も似たような状況にあるんですけど。
平野 阿曾さん、いかがでしょうか、ご経験のなかから。ビジョンが見えないというあたり・・・。
阿曾 私は鎌倉市の住民ですけど、鎌倉市は、開館当初から専門職制度を敷いていて、司書が教育委員会採用ですね、司書だけですが。暗黒の時代というんでしょうか、数年前まであって。まあはっきり言えば、やめて欲しい上のほうの方が5人くらいいるとかね、その方の退職を実は待っている、今、そういう状況があるんです。ですから司書であればそれでいいという訳でもない。やはり、熱意のある、切磋琢磨して司書たらんとする、そういうミッションをもった方に司書になっていただきたい。そういう司書に自ら育っていこうと思えるような、それこそ安定性だとか、そういうことも含んでシステムを作っていくことが大事なんじゃないか、と思います。
平野 システムの具体的な案というのは、ございますか?
阿曾 鎌倉は比較的恵まれた状況にあると思うんです。でも行政改革の波のなかで、一番若手が30代後半、ということで全然職員が補充されていないんですね。ですから静岡県のように私たちも要望として、単に「職員の補充をしてください」という言い方では、反対する市民も多いので、妥協ということでもないですけれど、「職員の年齢別構成の是正をお願いします」という、遠まわしの言い方で要望書を出したんですね。それだと多分、与党の議員の方も「そりゃそうだ」ということで、実際予算化されるかどうか注視しているところですけど、新しい司書の採用のために市民が尽力し、「あなたはそういうふうに望まれて入ってきたんだから」と、一緒に職員も市民とともに育つような、評価とか言う前に気持ち的な意味で職員とタッグが組めればいいな、と思います。
平野 現実を考えたときに、いまのお話すごく良くわかるんですが、では、自分が、先ほどの話の友達が、もう少し積極的に司書に関わったり、図書館に関わったりする仕組みが、もうちょっと欲しいんですね。「それが何か」を考えるのが大事ですが、そこのところが何となくモヤモヤしていて、うまくつかめない?でも何とかしたい・・・・。
常世田 一番最初にお話しましたとおり、日本社会全体がジェネラリスト中心の社会になっていて、スペシャリストをどう使うか、ということがはっきりしない。そのへんの集中的な議論が日本の社会全体で沸き起こってこないと駄目なんじゃないかと。全国市長会という、市長さんたちが集まってやる会合があります。私が浦安にいたとき市長が「市長会の議論のなかで、これだけ社会が複雑になってくると、市役所のなかでも、もっとスペシャリストがいないと市役所の仕事がまわっていかないな、という市長さんがだいぶ増えてきた。だから今までどおりジェネラリスト中心ではやっていけない、ということを市長さんのなかでも考える人が出てきている」と言っていましたが、その辺の議論がないとまず進まない、と思うんですね。もっと具体的に言うと、例えば市立病院つくるときにまず、何がポイントかといったら先生じゃないですか。優秀な先生をどうやって集めるか、を皆さん必死になって、いろんな人脈を使って有名な病院の大先生に頼んで優秀な弟子の人をまわしてもらうとか、そういうことをやるわけじゃないですか。なぜ図書館つくるときに、それをやらないのか、ということです。優秀な司書を集める。さっき阿曾さんが言われたように「司書だったらいい」というわけじゃないんですね。お医者さんにも「ヤブ医者」がいるように、「ヤブ司書」が、そこまで言うと「お前どうなんだ」って、ヤブヘビになっちゃうんですけど。優秀な司書を集めてきて、その優秀な司書がさらに力を磨いていくにはどうすればいいだろう、と。ヒントになるのは、アメリカなどの場合、ひとつの自治体でひとつの図書館やっている、という例は少ないんですよ。カウンティ、(すなわち)郡が、いくつかの自治体が作っているような、そこが全体でいくつかの図書館システムが動いているようなところがあるんですね。そういう意味で言ったら、例えばいくつかの自治体でひとつの図書館システムにして、職員をその間で人事交流させていくとか、やれば・・・。
平野 動物園動物みたいな・・・。
常世田 そうです。(笑い)そうすれば同じメンバーだけでやっていて煮詰まっちゃう、ということも避けることができるし、もしちょっと問題がある職員がいても、グルグル回るわけですから(笑い)。そういうことが私は本当の行革だと思うんですよ。コストも掛けずに人事的停滞も起きずに、専門職を実現できるわけで、そういう知恵を出す時期に来てるんじゃないかと、わたしは思うんです。
平野 さきほど病院の先生の話がありましたが、冒頭の、情報の価値みたいなものに関わってくると思うんですけど、病院の先生って、生死に関わったりしますね、(そこで)何か図書館の情報というのは日本の場合、直接、生死に関わってこなかったりするじゃないですか。ですから何となく、そこが生ぬるくなってしまうというか。国によっては、情報の価値というか重みが違うんですね。そんなことを感ずるんですが。
常世田 あの、命に関わらないとおっしゃいますけど・・・。
平野 あの、関わるんですね。今、うっかり言いながら、気づくこと一杯あるな、と思いながら。(笑い)
常世田 例えば、子どもたちが生きてく社会がどういう社会かというと、バーチャルになると文字文章が関係なくなると錯覚している方がいるんですが、コンピューターが発達すると何が増えるかというと、おそらく文字情報なんですね。大量の文章をコンピューターでやり取とりするということになると、これからの子どもたちって、今より以上の言語能力を身につけなきゃいけない。ということは一歳未満位くらいの時に、脳の中にある言語中枢を刺激して活性化させなければならない。もうそれ位の年齢のときに大量の言葉をまわりの大人が話しかけなきゃいけないと言われていて、これがカセットだとかビデオとかじゃ駄目なんですね。有名な実験があって、生身の人間が話しかけると赤ちゃんの脳波はずっと活性化していますが、ビデオやカセットだと、すぐに活性化の状態が低くなってしまう。なぜかわからないんですよ。そういう意味では図書館の読み聞かせなどは、ものすごく重要な意味があって、それは単なる読書振興じゃないんですよ。本好きの子どもを育てるのでもなく、本好きの子どもを育てて、その子が閉じこもりになっちゃたらしょうがないわけで。(笑い)もっと積極的に生きてくために、情報リテラシーとして、あの非常に論理的に高度な文章を読みこなす能力とかを身につけていかなければならないんですね。医療情報についてもアメリカの図書館はやってますが、まさに生死の問題になりますよね。だから、そういう意味では、病院ほど切羽詰っていないけれども、おおきな意味で言えば、例えば、目の見えない方にとって、読書をする権利というのは、生存権だと言われてるんです。そういう意味からすれば、読書をする、図書館を使う、というのは、生死に関わる問題だ、と私は思うんです。
阿曾 以前の交流会のときにも、私は言ったんですけど、山本宣親さんですね、「ヒトが人になる」、片仮名の「ヒト」が漢字の「人」になるところが図書館だとおっしゃってましたね。ですから「人になる」ということは本当に生死に関わる、そうですね、大切なところですね。だからこそ、これから人づくり、国づくりをしようと、荒廃した国土のなかで考えた人たちが、移動図書館からでもいいから始めよう、という発想になるんだろうと思いますね。(山本宣親さん;前富士市立西図書館長、現大学講師 「図書館づくり奮戦機」等 著書多数)
平野 不謹慎な話ですが、いま、ドーンとテポドンかなんかが落ちて、国が破壊されたとしたら、図書館から作り直しますか。(笑い)
常世田 そういう意味では、ヨーロッパというのは、血で血を洗う戦争を繰り広げた地域ですね。戦争になると相手の国の図書館を攻撃すると言われてますよね。つまり文化を壊しちゃうと民族としてのアイデンティティーがなくなってしまう。つまり民族としてのアイデンティティーがなくなるということは、ほかの民族に吸収されてしまうということですから、根本的な負けになるんですよ。だから、一生懸命文化を守るために図書館を大切にするという、もうまさに民族としての生存権に関わっていると思うんです。アメリカに行って、ある図書館で、自殺をしようとしている絵が描いてあるポスターが貼ってある。図書館で自殺の絵ですよ!その端に何と書いてあるか、というと「その前に図書館へ」と。
平野 阿曾 ほほう、なるほど・・・。
常世田 つまり世の中には自殺を止める方法がある。その方法を私たちは探し出すのに自信がある。自殺をしようとしている人たちに、その方法を提示して「我々は(それを)止めるんだ」と。そのぐらい強烈なアピールをアメリカの図書館員はやってる、ということなんですね。そういうことってわかりやすいじゃないですか。
阿曾 あと北欧の図書館が進んでいるんですが、北欧でもやはり、アイデンティティーといいますか、フインランドにおけるフインランド語というのは4百万人くらいしかいないわけですね。でも自分の文化というものを大事にしなければ、ということで自国の出版物や自国の図書館をすごく重用しているんです。それで、先ほど、平野さんがおっしゃったことで、どうやって図書館をアピールするか、ということですが、アイディアとして、私たち貧乏症になってしまってる、というか貧しい図書館で育って、貧しい図書館に慣れてしまっているから、「(図書館は)こんなもんだ」としていて、これ以上のものは見えていないんですね。だから、もう少し理解を深めるために、いま図書館づくりを進めているカンボジアの図書館、移動図書館を見るとか、すごく進んでいる北欧やアメリカなどの図書館を見ること、まず見聞きすることをどんどん企画して下されば、と思うんです。
平野 図書館というのはこんなもんだ、と思い込んでいますね。皆さん、それぞれのレベルのなかで(図書館観を)持っている。それは、平均したら高くないような気がします。
常世田 そういう意味では、日本の図書館はライト兄弟の飛行機じゃないか、と思うんですね。ライト兄弟の飛行機が飛んだとき、それを見ている人のなかに、あれに人や物を積んで飛んだら便利だよな、と言った人がいたとしても、周りの人はなんて言ったかというと、「馬鹿言うんじゃない。十メートルしか飛べないものに、そんなもの乗せられるわけないじゃないか」と言ったというんですね。それは半分は真実で半分は間違っている訳です。つまり、飛行機というコンセプトの可能性に気づいていない。目の前のライト兄弟の飛行機はたしかに物は積めない。でも飛行機というコンセプト自体は、物や人を積んで飛べる。実際にジャンボが物や人を積んで飛んでいるわけですよね。それで日本の図書館について皆さんが見ているのは、ライト兄弟の飛行機で「こんなレベルじゃとても役に立たないよ」と。(平野さんの)お友だちもそのように言われる。でも図書館がもってる可能性とコンセプトはもっと大きい。そういうふうに考えていただくと、わかりやすいんのではないかな、と思うんです。先ほどの、フインランドの話ですが、OECDの学力到達テストでフインランドは、読解力1位を2回連続獲得しているわけですね。ところがフインランドという(国)は、授業時間数はOECD諸国のなかで一番短いんです。ゆとり教育ですね。で、どうしたんですかっていう質問に、教育副大臣は「図書館を充実させたんです」とはっきり言ってるんですね。(ところで)読解力2位の国は、どこか、おわかりですか?韓国なんですよ。韓国もいま、図書館に力を入れ始めているんです。
阿曾 先ほど県立の新着図書を眺めていたら、フインランドの教育についての本、しっかり入っていて、自殺関係の本だとか、「アー読みたい」っていう本がちゃんと並んでいたので、さすがだな、と思いました。
平野 やはり、先進的なところを直接見るということは、すごく大事ですね。
常世田 熊本市が熊本駅まで新幹線が伸びることに伴って、駅前の再開発を考えたんです。その再開発の中心の目玉が図書館なんですね。その図書館は市民に対するサービスもやりますが、熊本にきた観光客を相手にしたサービスもやろうということで、図書館で観光情報の提供をするんです。私は旅行へ行ったときに、旅行先で図書館をさがして、地元で出版されたガイドブックを読むんです。そうすると美味しいお店とか載っていたりして、図書館に直接聞くこともありますけど、そういう使い方もあるかな、と。
阿曾 ニュージーランドへ行ったとき、そこの図書館では、夏休みに「全国図書館カード」というカードを作っていて、それを発行してもらって旅行先にいくんです。それで旅行先の図書館で、美味しいお店だとか、見所だとか郷土資料などを活用する。帰ってきて、使った本の返却は自分のところの図書館でOKと。夏休み限定の全国(共通)カードができている、と伺いました。そういうのも、発想として楽しいですね。
平野 少しずつでも、次のステップのための企画のようなものが実際に動いているんですね。更に、それに付加価値をつける。「企画」というのは、何か型があって、そこから型だけを取り出して、まったく違うものを、こう服を着せてあげる。すると違う企画として動き出したり、ネーミングを変えてあげるだけで、また違う動きになったり、そういうことが結構あるので、型をキッチリ見てみる、それで、何かに読み替えてみる。それぞれの地域で、何か新しい可能性も出てくるのではないかと今、お聞きしてそう思いました。ところで、指定管理者制度の問題もお話を伺いたいと思います。図書館協議会についてですが、今日もこの会場に、私を含め何人かきてくださっておりまして、「図書館協議会」の存在の価値と可能性のようなものをコメントいただき、それから指定管理者制度を含めて、我々がどんなスタンスで図書館というものと関わっていけばいいのか、アドバイスをいただきたいと思います。
常世田 あのー、平野さん矢継ぎ早にむつかしい質問を・・・。(笑い)私も、一応公務員という立場を離れましたので、すこし本音を言わせていただくと、ですね。図書館協議会だけではなくて、お役所にある諮問機関というのがこれまで、えー、ここまで言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、かなりの部分が追認期間、つまり行政が作った計画を、いろいろ議論はするかもしれませんが、最後は「お墨付き」を与える、という役割がほとんどだといっていいと思いますね。「いや、違うぞ」と言われれば、「じゃ、(そうではない)証拠を示してください」と私は言いたいんです。では、ここにきて地方自治、地方主権、自治体が責任をもって住民サービスをやっていかなきゃいけない、という時代になってきたんです。国や県の言うことを聞いているだけだと、住民訴訟も起きかねない、という時代になってきているんです。
平野 実際に(訴訟が)起きてますね。
常世田 それから自治体間競争といって、自治体同士の競争が激しくなってきた。本当に住民の意見を反映して行政サービスやってかなければならない、と考えている首長さんや行政当局が出てきていることも事実で、今までのように行政指導じゃなくて、行政がメニューを出すと、それを選ぶのは市民の方々ですよ、というような政策や方針に切り換えている。それから隠すのではなく、情報公開してしまうほうが楽だ、ということに気づき始めている自治体もある。そうなってくると協議会のような諮問機関の役割が大きくなってきます。それから公務員をどんどん増やしている自治体もありますよね。私は、公務員の立場を経験した立場で言わせていただくと、それはすごいこわいことで、どんな人がくるかわからないんですね。今までは、市長の息の掛かった人たちを委員にしておけばよかったようなところが、そうはいかなくなって、住民の意見を反映させる可能性がでてきているのではないでしょうか。それがちょうど今、そうした過渡期で、慣れてない公務員と慣れてない市民の方が、一緒にやるということで、ごつごつゴツゴツしてますけど、やっぱりゴツゴツしているなかで新しい可能性がでてくる、それが今度の、静岡のまさに、平野さんたちがおやりになってる、この動きが、ひとつの現れではないか、と私は思っているんです。
阿曾 図書館協議会をつくるために20年も30年も苦労している友の会があるわけで、協議会という正式な諮問機関というものは、システムとして重要だと思うんです。いくら形骸化しても、つぶすよりは生かすという方向で残すべきだと、私は思うんですね。協議会は友の会の一番の友人であるべきで、図書館であれ、公民館であれ、協議会とか運営審議会というのは、お互いに友人の気持ちで向かい合う。だから辛口のことも時には言わなくちゃいけないし、励ますことも必要、というように思っています。友の会派図書館の要望など、協議会ではないので、一般市民の要望書というかたちでまとめて出すわけですけれども、私は、究極的には友の会、わたしもそのメンバーの一人ですけれども、(会が)なくなることが、個人的には目的なんですね、最終的に。アメリカは友の会がいろいろ活躍していますけれども、そういう組織運営のものは北欧にはないですね。私は、北欧型の図書館を個人的には望んでいるので、友の会は、いつかはなくなってほしい、発展的に解消したい、と思っているんです。あと常世田さんがおっしゃった自己責任社会ということも、これからは片方でちゃんと見つめながら、ですが、つまり自治体の税金は何のために払っているか、というと、やはり一人じゃ生きていけない人だっているわけだから、そういう人と共生していきたいという思いがあるから税金を納めているというように思っているんです。だから一番社会的に弱者の人がちゃんと図書館が利用できるようになるために、それはお金を度外視したサービスであろうし、本当に公共性が問われると思うんです。で、資料をちゃんと残していくという継続性であるとか、そういうものはやはり自治体でなければ(できない)。そのために私たちは税金を、百年後の市民のために、私たちはいま、動いているという思いでいるので、常世田さんがおっしゃった視点とは別個に、もうひとつ欠かしてはならない視点として、申し上げたいんです。
平野 今回、指定管理という問題に深く関わって思ったのは、静岡市の市長さんは、ニューヨークに視察に行かれるほど図書館に熱心なんです。で、議員の方もすごく勉強されています。でも図書館が市民に、どう関わっているのか、どのようなサービスをしているのか、ということになるとまだちょっと実現かが薄いような気がするんです。で、この機会を絶好のチャンスととらえて、何かその間をうまくつなげていけるような役割というものがあるような感じがするんです。ちょっと目線が変わるんですが、私が、もし市長だったら、司書のひとりは秘書にしますね。
阿曾 あ、「秘書の一人を司書に」ではなくて・・・ね。(笑い)
平野 司書のひとりを秘書に、あるいは図書館に常に配属、あるいは常に何か、情報を図書館という入り口として捉えて上手に取るようにしていく。では、それは、どうすれば実現できるのか、というと、民間では継続的に、市を何か新しい考え方でつくっていくとか、これからもやっぱり政令市をどうやって作っていくかと考えたときには、3年や5年じゃできません。ですから、市が責任をもって、そういうことをしていく。市長自ら、いま実際にしていただいてるんですけど、さらにそういう姿勢を強調していただいて、図書館というものを、市の情報の中心に位置づけてうまく使っていく。そんなことが必要になると思うんです。
阿曾 平野さんが市長になっていただければいいんじゃない!?って思いましたけど。(笑い)市長さんが4年とか8年とか、任期がくればおやめになるわけで、一方で、市民はそこでいつまでも生きていくわけです。ですからどんな方が市長さんがこようとも、変わらない、ビクともしない図書館というものをつくっていくために、市民の自治力を磨いていかなきゃいけないな、って思うんです。
平野 図書館のビジョン、政策は、市民もしっかりと関わって作っていかないと、あなた任せでは、市長が変わるたびにコロコロ変わっていくとか、長期的に図書館が育たない、当然司書が育たないといったことになっていくんですね。そういった悪循環がまだまだあるという気はします。メディアがこれほど多様化してきてしまうと、そのメディアに対応しきれない図書館があったりとか、DVDの基準がまた変わったとか、それに対応しなさいとか、っていうわけじゃなくて、発想的にまだまだ追いついていけない、サービスがついていけない図書館もあると。ですから、そういうものに対応する視点というものを小さなことでもいい、日々やっぱり積み上げていく。細かいアイディアというのは、いっぱいあるんですね。例えば、静岡市では、5冊本を借りられます。スーパーとかコンビニだとレジの近くに必ず、お菓子とか置いてあって、それと同じように、レジのところに常に何かお薦め本が一冊飾ってあるんですよ。私は、それを「別腹貸し出し」とか、勝手に言ってるんですけど。(笑い)例えば、何か系統立てて5冊借りたんですけど、そこに行ったら、別の美味しいものがあったから、もう一冊借りられる、という、「プラスワン貸出」と格好よく言ってもいるんですけど。(笑い)それをただ「6冊借りられます」、と最初にやっては駄目なんですね。(笑い)そこで「もう一冊貸し出してもいいよ」みたいなことを、ちょっと切り口を変えるだけで、面白い動きになっていく可能性もあるんじゃないかな、と思うんですね。例えば洋服の青山が「2着スーツが2万円で」とやるよりも、(笑い)「1着スーツ2万円なんだけどもう1着おまけします」、となると、だいぶ違いますよね、同じ2着2万円なのに。(笑い)そういうふうに、もっとうまく本に触れ合っていただく方法ができないかな、と。図書館で行った講座があって、その中でも出たんですけど、もう少し館内放送を有効に使って、朝昼2回ぐらいは「こんな新着が届きましたよ」といったPRがあっていいかもしれない、とか。細かいことを変えていき、積み重ねていくことによって、新しい図書館の可能性も出てくるのではないか、現場でもそういう対応をしていかなくては、ならないのではないか、マクロとミクロを同時に見ることが重要です。
常世田 人間とは、自分でイメージできたものについては、いずれは実現してしまう動物だと思うんですよ。イメージできないものは絶対、実現できないですね。そういう意味では、行政マンの方も、市民の方も、自分のまちの図書館というものについて、現状ではなくて、今日も会場でお話させていただいたような、本当に役に立つ、市民の一人ひとりが豊かに暮らしていく、2007年問題なんかも目前に来ているわけですけど、リタイアした人が第二の人生をどうやって豊かに暮らしていくか、行政的に見ればその人たちの経験、知識を使えば、地域社会の活性化に繋がる、そういう「一石三鳥」みたいなことをですね、図書館使って実現できるんじゃないか、そういう具体的なイメージを持っていただく。今日も前段で平野さんがお話になった、あの本を通じて、いろんな発想をされるという、あれを例えば、市長さんが行政を進めるときに、あのような発想で物を考えてもらえるように、あるいは、静岡市の市役所のお役人の人たちが仕事をするときに、先ほどのお話にあったような発想が行政マンの頭のなかでできるように、図書館が資料的にサポートするというように考えていただくと、皆さんが、図書館の役割というものを、かなり明確にイメージできるんじゃないかと思うんですね。もうひとつ、図書館機能をすごく表している話があるんです。暴力団の抗争で、流れ弾が当たって娘さんを亡くしたお母さんが、どうしても敵を取りたい、ということで、どうしたか、というと図書館へ行って勉強を始めたんですね。それを知った司法試験を勉強している若者たちが、「じゃ、おばさん手伝うよ、裁判に訴えたらどうか」、という話をしたら、その輪が広がって、手伝う弁護士が出てきたり、県警の警察が身辺警護をはじめたり、で、ついに暴力団の組長から4千万円の和解金をとったという話です。これなどは、本当に図書館のあるべき姿として聞いていただくと皆さんわかっていただける。図書館がこういう役立ち方をしたら、税金ちょっと払ってもいいよ、とお思いになると思うんです。だからそういう意味では、アメリカの図書館は、いろいろな役立ち方をしている。例えばビル・ゲイツというマイクロソフトの会長さんがいらっしゃいますよね、評判悪いですけど。あの方は寄付金、社会にいろんな意味で寄付をしているという点では、アップル社のジョムズよりは貢献してると思うんですよね。あの方は貧乏学生で、シアトルで学生時代を過ごして、シアトルの図書館で世話になった、そのお返しに20億円を10年間、合計200億円をシアトルの図書館に寄付している。だからその位役に立つ図書館で、寄付金も集まる、というような形になっていけばいいな、と思っています。
阿曾 先日埼玉県の浦和市で10年ぶりに図書館員と市民が語る会というのが行われて、そこに民間委託を引き受けている大手の会長さんも出席されて、いろいろな意見が交わされたんですが、「いま何に困っていますか?」という質問に「いやホームレスに困ってますよ」と。「それについては行政の方に、これは図書館の仕事じゃないから行政のほうで何とか対応してくれと、もう何回も言っているんですよ、これは全国津々浦々同じですよ」というような言い方をされたんです。ですから「あーこの人はやっぱりこういう感覚なのか」と私は思ったんですけども、私は納税者として職員(行政)に求めるのは、(服装、身体が)臭うのであれば福祉施設などと提携して、お風呂に入ってから図書館にいく、といったシステムをつくるとか、なんか工夫ができるだろうということです。そういう発想を私たちは自治体に求めているのであって、ホームレス除外をしてほしい、というようなことを自治体に求めるような、そういうサービスのもとでいいサービスが市民として受けられるわけはないな、というように思っているんです。そういうことを一つひとつ挙げていったときに、進んだサービスなら、いくらでも提供できると思う、データベースもいまの図書館よりも資金力があるからやれると思う、とおっしゃいましたけれども、採算があわなきゃ駄目だから、と言うので、じゃあ無料の原則、図書館法第17条を崩せばいいじゃないですか、ということに対して、まさに意を得たりと「そうですね。いつかはそれも問題になるでしょう」という言い方をされたんです。で、先日の図書館問題研究会全国大会でも無料原則ということが非常に職員を中心に市民もなかにはいって議論を戦わせて、いま、県内の相互貸借(神奈川県の場合)は無料です。でもいま返す返却分だけは(利用者負担)、という話も出ているらしくて、わたしたちもすごくヤキモキしているんですけど、全国ではもう、それが崩されているところもあるということを聞きます。そうすると、図書館のほうも借りるのに○○円掛かるというような世界が出てくる可能性もありますね。そういうことも含めて、もう一度、「図書館って何なのか?」ということを、一人ひとりの市民が考えていくことが大事なんじゃないかな、と思うんです。
(相互貸借:自分の地域の図書館にない本を他市町村の図書館から借り受けて利用者に提供するサービス。利用者が読み終えた後に借り受け館に返却する際の送料負担を利用者に求めることの是非論がある。従来、原則として利用者負担なしできているが、負担を求める自治体も出てきている)
常世田 指定管理者制度のことについて、図書館協会の理事としての立場で、一言云わせていただきますが、指定管理者制度そのものが悪法だと協会自体は思っているわけではなく、指定管理者制度が合う分野も当然あるわけです。ただ図書館に関しては、今阿層さんがおっしゃったように無料の原則があって収入がないわけですから、そもそも合理化のしようがない、収入がないから市役所からの委託料だけでやっていかなければならない、ということがあって、例えばPFIの場合には建物も込みですから、ゼネコンの企画などが絡んでいるわけですね。そういう人たちが困ったっていうふうにいってるのはどういうことかというと、その人たちは、その人たちなりにいい図書館をつくろうとしている。ところが入札になるわけですね。PFIとか指定管理者っていうのは、建前としていいサービスをすることを前提に選べ、ということを総務省も言ってるんですけども、結果的に現状を見る限りでは、一番安いところに決まっているところがほとんどなんです。常にコストの競争になっちゃうんです。そうすると人件費を圧縮するしかないんです。そういうゼネコンや委託会社の人たちと何人も会って話しをしたところでは、都市部で時間給7〜8百円、地方にいくと時間給4〜5百円という位のアルバイトを雇わない限り、指定管理の受託は無理だと、これは異口同音に聞こえてくることなんです。そうしますと時間給7〜8百円、4〜5百円という収入で、今日ここでずっとお話したような高度な、市民が必要とするようなサービスをやり続ける奇特な人が、いるでしょうか? ですから現に委託されている図書館で、定着率が悪くて職員が全部、入れ替わってしまった、という図書館がすでに出てきているんです。
平野 大変なことですね。長いスパンでみなくちゃいけない、ということなのに。
常世田 ですから医療情報だとか、ビジネス情報だとか、法律情報だとか、ほんとに子どもたちにとってのいいサービスをやるようなスキルの高い図書館員が10年、20年働き続ける、そういうことが果たして可能なのかどうか、大体、指定管理者というのは3年か5年でまた入札になるんですよ。同じ企業が入札取れるとは限らないんです。むしろ難しいだろうと言われてるんです。なぜかというと現に取っている企業のやり方をずっと研究していますから、ほかの企業は。次にもっといい提案をして取ろうとしているわけですよ。となれば3年毎、5年ごとに企業が変わっていったら、そういう高度なサービスが提供できるだろうか、要するに非常に現実的な話なんですよ。これはぜひ知っていただきたいことなんですね。だったら直営でアルバイト雇ったほうが安いんですよ。逆に正職員を減らして少数精鋭のライブラリアンと直営の、直接雇ったアルバイトの人たちの組み合わせでやるのがコスト的にも安いです。そこをぜひ考えていただきたい。
平野 少数精鋭というのはすごく大事な視点になってくるんですね。
常世田 アメリカでいいますとね、本当の正規のライブラリアンは30%前後しかいないんですよ。で、その30%がマネジメントをやって、70%の人を使って、図書館サービスをやってるんです。もちろん絶対数の職員数は多いですよ。わが永田町の国会図書館で働いている図書館員数よりもサンフランシスコという一自治体で働いている図書館員数の方が多いんですから。国会図書館訳900人、サンフランシシコ1200人です。ですからそれを考えていただくと、いかにお金をかけているかということがお分かりいただけると思います。
平野 ということは静岡市でもいい意味で少数精鋭ということを、まず直営の中できっちりと考えてみる。そうして、少数精鋭の可能性もさぐりたいと思います。だいぶ時間も経過してしまいましたけれども、大変貴重な意見を伺えたことと思います。それぞれの方がそれぞれのお立場で、課題をもっていただけたと思います。今回は、ここで一旦締めくくらせていただきますけれども、次は、基調講演なしで、(笑い)貴重なご意見を伺ってみたいな、と思います。本日は、どうもありがとうございました。(拍手)
以 上
(終りに、日本図書館協会常任理事 常世田良様から次のようなお言葉をいただいておりますので、 ご報告します。)
「当日は、大勢の、しかも年齢的にもいろいろな方々が参加されて、大盛況でした。全国の図書館関係者を代表して、御礼いたします。市民運動にありがちな、堅苦しい、小難しい雰囲気ではなく、平野さんの、本の話でありながら、人と情報、人と図書館の在り方が自然と伝わるお話がよかったですね。運動が、指定管理者阻止のその向こうの、静岡の図書館が良くなることへ発展してゆくことを願っております。」 常世田 良