yorokaji 長崎市内


●唐人屋敷跡(現館内町)

 「異国情緒溢れる」という言葉で形容される長崎の街。長崎を訪れた観光客の多くは「出島」を訪れ近世オランダとの交流を肌で感じる。そして、「新地中華街」を訪れ中華料理を食べ、お土産を買い中国文化を感じて長崎を後にする。
 しかし、現在は中華料理店・中国雑貨のお土産品店が立ち並ぶ新地中華街は、もともと新地蔵所と呼ばれ、中国船(唐船)が荷物を荷揚げする倉庫群だった。江戸時代の中国人は17世紀後半に造られた唐人屋敷(現在の館内町)に囲い込まれ、外部との接触も制限付きであった。
 現在、館内町には唐人屋敷時代を彷彿とさせる建物あとなどが残っている。長崎市内に住んでいても、行ったことがない人も多い場所だが、長崎で中国文化を感じるのならば、是非行ってみて欲しい場所である


今後、唐人屋敷跡(館内町)は「都市計画道路新地町稲田町線」の整備に伴って、町の状況が変化する。是非、町が変わる前にも訪れて欲しい場所である。
唐人屋敷大門付近に建てられ
た石碑。
大門は長さ50m程度の門で
唐人屋敷の入り口役割を果た
した。
唐人屋敷入り口に設置された
案内板。


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土人堂
土人神を祀った建物。
水路跡
唐人屋敷の周囲は掘が掘られ、
堀の内側は土壁が外側には竹
垣が建てられ、外の世界と遮断
されていた。
天后堂
航海安全の神様である、天后
菩薩(ま祖)を祀ったお堂。
天后堂内部 観音堂入り口の、石造アーチ型
の門。当時のものが残っている
と言われている。
観音堂
観世音菩薩と関帝が安置され
ている。
福建会館入り口
明治元年福建省泉州出身者
により創建された。現在の建物
は明治30年頃の建物で華麗な
木彫りがある。
福建会館
孫文が来崎した際には、ここで
歓迎の会が催された。
唐人屋敷のすり鉢状に、真ん中
がへこんで、周囲が高くなった
地形がよく分かる。
現在、調査によって、唐人屋敷
の四隅のおおよその位置が決
められている。そして、このよう
な石碑が建てられている。
唐人屋敷 1689年(元禄二)設置
       面積約36,400u(出島の約2倍)
           南北約250m、東西約140〜150mの長方形の形状
           当初は、二階建て瓦葺き長屋20棟、2000〜3000人が収容可能


       設置目的 @密貿易の禁止
              Aキリシタン禁教の徹底
              B国際婚・混血児の防止

       構造侵入地、下段、中段、上段の4段構造 標高3m〜20m
           周囲との遮断施設
             北側は大門(幅約50m)、西側は水路、南側東側は水路につながる空堀
           ※唐人屋敷への出入りは唐人屋敷乙名が発行する門鑑(通行証)を持つ指定商人と
             遊女のみ。