ニコライ堂青年会のQ&A:タイトル画像

※ 当ページを作成するにあたっては、多くの神品教役者(聖職者)・信徒兄弟姉妹の協力を頂いております。 この場をお借りしてお礼を申し上げます。

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目次
(青い項目名をクリックするとそれぞれの回答にジャンプします)
正教会はどんな教会?
・1世紀から続く伝統的な教会、その概要と簡単な歴史
ニコライ堂はロシア正教なんですよね?
・ニコライ堂は正教会の教会です
『ギリシャ正教』『東方正教会』等の別称について教えて下さい
・混乱しやすい正教会の呼び名について
ニコライ堂(東京復活大聖堂)はどんな教会?
・日本正教会の府主教座教会としての大聖堂と、建築面での概説
日本には、ニコライ堂以外に正教会の教会はあるのですか?
・全国に60あまりの教会・集会があります
信徒でなくとも拝観に行ったり、礼拝に参加したりして良いのですか?
・参祷と拝観について・聖堂は祈りの家です
祈りの最中に座ってはいけないのですか?(祈りの姿勢について)
・立って祈るのは復活を表します
「アミン」「ハリストス」「聖神゜」「生神女」の意味は?(正教会の語彙)
・原語であるギリシャ語・教会スラヴ語を反映した転写、翻訳です
「ミサ」ではなく「聖体礼儀」?(「奉神礼」等の正教会の語彙II&誤訳例)
・市販物品に誤訳が多いので注意が必要です
「イスポラ~エティ…」はどういう意味でしょう?
・主教の祝福に対する答礼としてのギリシャ語です
正教会で用いられる聖書は何ですか?
・日本正教会訳は聖ニコライによって翻訳された格調高い文体です
どうしてニコライ堂には参祷者向けの祈祷書が置かれてないのでしょう?
・残念ながら物理的に不可能なのです
十字架の形:八端十字架(はったんじゅうじか)の意味を教えて下さい
・八ヶ所の先端部があることから「八端十字架」と呼ばれます
正教会の聖職者は神父?牧師?結婚はできるのですか?
・主教、司祭、輔祭がいて、司祭が「神父」と呼ばれます。司祭・輔祭は妻帯できます。
クリスマスは12月25日?ロシアでは1月7日に祝うと聞いたのですが
・日本各地の正教会では12月25日に祝う事が多いですね
正教会の最高指導者は誰ですか?
・正教会には、絶対的な権威・権限を持つ唯一人の指導者というのは存在しません。
食べてはいけない食品はありますか?お酒は飲めますか?
・食べてはいけない食品はありませんしお酒も飲めますが、斎(ものいみ)という精進の期間はあります。


以下、各項目に対する回答です

質問正教会とはどんな教会ですか?


お答え

正教会は1世紀に起源を持つ伝統的なキリスト教の教会です。正教会の「正」は、「正しく神を讃美する」事を意味するギリシャ語の"ορθοδοξία"(オルソドクシア)に由来するものです。英語の"Orthodox Church"(オーソドックス・チャーチ)にみられるように、各国語でこのギリシャ語由来の教会名が表現されています。

至聖三者(三位一体)
アンドレイ・ルブリョフによるイコン「至聖三者」。正教会では三位一体の神を至聖三者(しせいさんしゃ)と呼びます。至聖三者そのものを画くことは出来ませんが、至聖三者を象徴する三天使を画いたものです。

旧約(旧約聖書)に預言された通り、イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)は眞の神・眞の人としてこの世にお生まれになり(降誕)、この世に福音を宣べ伝えられ(宣教)、この世で苦しみを受けられ十字架につけられ(受難)、死を滅ぼして人類に生命を賜わりました(復活)。その後、聖神゜(せいしん…西方教会では聖霊と呼ばれます)が弟子達に降りました(聖神゜降臨)。

正教会とその信者はハリストスが下さった、朽ちることの無い復活の生命に与り続けています。そして正教会は、過去から受け継がれたその復活の生命への与りの系譜を聖伝として信仰生活に守り、今も大切にその「正しく神を讃美する」伝統を育んでいます。

正教会は第七回までの全地公会(聖神゜に導かれ、主教に導かれた教会の会議)の決定事項を守り、今に至るまでその教義を変える事無く、教会生活を続けてきました。教会生活の中心には、聖体機密(聖体礼儀)があります。古くからの形を守って聖歌に楽器を用いないことにもみられる通り、正教会は外面的にも内面的にも伝統的な教会であると言えます。

全世界のキリスト教徒の約1割を占め、東欧・東地中海地域で有力なキリスト教です。

簡単な歴史

正教会は、中東・ギリシャ・東欧を中心に、脈々と初代教会から伝統を受け継いできた教会です。ギリシャ、アナトリア、パレスチナ、シリア、エジプトをはじめとした東地中海地域を支配していた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が正教会の主な庇護者となりましたが、これらの地域から聖大アファナシイ、聖大ワシリイ、聖金口イオアン、ダマスコの聖イオアン、聖グリゴリイ・パラマといった多くの聖人が輩出され、アギア・ソフィア大聖堂などの壮大な聖堂が建設され、数々の修道院が存在する正教修道の一大中心地であるアトス山が形成されるなど、多くの実りが生みだされました。

正教会と、ローマ教会とは、ローマ教皇の権限に対する見解や祈祷文などを巡って数世紀の間に差異を深めました。「1054年の相互破門」だけが両教会分裂のきっかけではありません。「元は一つの合議体だった教会が、時間が経つにつれて分裂していった」という表現が、両教会の分裂を理解する上では妥当です。1204年、西方からの第4回十字軍が正教会の中心地であるコンスタンディヌーポリを攻略した事件を以て、東西両教会の分裂は決定的となりました。

東ローマ帝国がオスマン帝国によって1453年に滅亡して以降も、その伝統の成長はギリシャ、キプロス、ブルガリア、ロシアをはじめとした東欧・東地中海地域で継続しました。オスマン帝国滅亡後のギリシャなどのバルカン半島諸国でも、多くの聖人が出ています。ロシア正教会の有名な修道院・聖堂としては至聖三者聖セルギイ大修道院、聖ワシリイ大聖堂、救世主ハリストス大聖堂などがあり、著名な聖人としてはラドネジの聖セルギイ、サロフの聖セラフィムなどがいます。

各地域の正教会は、現代のロシア正教会・ブルガリア正教会・ギリシャ正教会・ルーマニア正教会など、各国ごとの正教会に成長してこんにちに至っています。20世紀、共産主義政権からの激しい弾圧を耐え抜いて生き残った東欧の正教会は、今、各地で復興の途上にあります。また現代ではアメリカ正教会にもみられるように、正教会は東地中海地域・東欧にとどまらない教会として拡大を続けています。

これらの各国・各地域ごとに独立した諸正教会は、コンスタンティノポリ総主教(「コンスタンディヌーポリ総主教」もしくは「コンスタンティノープル総主教」とも表記されます)を名誉上の第一人者としつつ、緩やかな連帯と交流を保っています。

日本には19世紀後半にロシアから来日した、亜使徒・聖ニコライによって正教がもたらされました。1970年には母教会であるロシア正教会から自治権を認められ、自治教会としての「日本ハリストス正教会」となり今日に至っています。

イコン

正教会はイコン(聖像)を崇敬しています。730年には「聖像禁止令」が東ローマ帝国皇帝レオン3世から出され、聖像画家の修道士が迫害を受け、致命者まで出すなどして正教会は受難を受けましたが、イコンの使用は787年の第七全地公会(第2ニケア公会議)で認められ、現代に至るまで正教会はイコンを大切にしています。

イコンはただ模写された絵画ではありません。信徒を導く祈りの道具です。それゆえイコン画家は正教会の信徒のうち、特に教会から祝福された者にのみ許される、大事な職分となります。




質問ニコライ堂はロシア正教なんですよね?


お答え

世界各地の正教会の諸例:ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、ロシア正教会等

ニコライ堂は正教会の教会です。

正教会は、「東方正教会」もしくは「ギリシャ正教」とも呼ばれます。

右図に挙げています諸例の通り、各国に一組織を作るのが正教会での原則ですが、それぞれ信仰している内容は全く同じです。正教会は特定の民族・国のための教会ではありません。全ての人が神様による救いに招かれています。

日本にも日本正教会(日本ハリストス正教会)があり、日本全国に約60ヶ所、正教会の教会があります。ニコライ堂は日本正教会の中心となる教会(首座主教座大聖堂)であり、ロシア正教会の教会ではありません。

ただし、ロシア正教会の主教(のち大主教)でいらした、亜使徒聖ニコライによって正教が日本に伝えられましたので、娘が母に似るように、日本正教会は母教会であるロシア正教会に似た建物の形や聖歌などを受け継いでいます。

1970年に日本正教会は母教会であるロシア正教会から自治正教会と認められました。日本正教会は自立して運営される共同体として、正教の信仰に基づいた生活を送っています。

聖ニコライによって翻訳された祈祷文を使い、日本正教会では奉神礼(礼拝)を日本語で行っています。




質問『ギリシャ正教』『東方正教会』等の別称について教えて下さい


お答え

『ギリシャ正教』『東方正教会』のいずれも、正教会を指す別称です。正教会自身も対外的にこれらの名を頻繁に使います。但し、これらの名は誤解を生みやすいものでもあり、正教会自身は自らを単に「正教会」「正教」と呼ぶことが圧倒的に多く、日本正教会においても、聖体礼儀中の説教や伝道会などでの神父様のお話や対内的な刊行物では、単に「正教会」「正教」と呼ぶのが普通です。

ギリシャ正教

正教会はギリシャを中心に発展してきた教会であることから、高校の世界史教科書などでよく用いられる「ギリシャ正教」(稀に「ギリシア正教」とも表記されます)の別称があります。この別称は、7つの全地公会を認めコンスタンディヌーポリ総主教(コンスタンチノープル総主教)を名誉上のトップとして結び付いている正教会とは別に、第四全地公会(カルケドン公会議)で分かれた「シリア正教会」「コプト正教会」「アルメニア正教会」「エチオピア正教会」といった「正教会」を称する非カルケドン派諸教会が存在することを踏まえ、これらと明らかに区別したい際などにも多く用いられます。

しかしながら正教会はギリシャに伝統の多くを負うものの、上の質問項目でも触れました通り「グルジア正教会」「ロシア正教会」「ルーマニア正教会」「ブルガリア正教会」「セルビア正教会」「日本正教会」等の各国・各地域ごとの教会組織が整えられていることにもみられるように、ギリシャおよびその周辺地域に限定されるものではありません。「ギリシャ正教」はこのような各地域に存在する正教会全体を指す別称としての用法のほか、ギリシャ一国を管掌する教会組織としての「ギリシャ正教会」を指している場合もあり、大変誤解を呼びやすい別称です。「ギリシャ正教」を全体の教会名として使っている場合と、「ギリシャのギリシャ正教会」という組織名を意味している場合とがありますから、文脈でいずれの意味を取っているのかをその都度、判断する必要があります。

東方正教会

ローマカトリック教会、聖公会、プロテスタント教会を含む西方教会と対置する語として、「東方教会」があります。「東方正教会」は古くからある呼称であり、この語を正教会は忌避するものではありません。対外的には広く用いられます。

しかしながら先述の通り、近現代以降、西欧・米国にも広がりをみせていることからも判る通り、正教会は東方のみに限定された教会ではありません。やはり日常の自称としては「正教会」「正教」が圧倒的に用いられています。

単に「正教」「正教徒」「正教信者」と書いた方が簡単・無難でありかつ正確です

「ギリシャ正教」以外の「ロシア正教(会)」「ルーマニア正教(会)」等は、専ら組織名として使われます。それぞれに固有の教えがあるわけではなく全て正教会の一員です。時々「正教会(ギリシャ正教とロシア正教)」といった形で並び称している文章を見ますが、教えに違いは全く無い上に、両正教会以外の諸教会(グルジア正教会、ブルガリア正教会など、既に上に挙げました諸教会)を無視する誤解を生じかねないため、適切な表現ではありません。

「ロシア正教徒」「ルーマニア正教に改宗」といった表現も誤りであり、単に「正教徒(になる)」「正教信者(になる)」で大丈夫です。日本正教会の信者だからといって「日本正教徒」とは呼ばれません(もちろん日本人信者について「ロシア正教徒」と書くのも誤りです)。

また(これは主に外部の記者・作家さん向けになりますが)、例えば「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ブルガリア人、ルーマニア人であるが日本正教会に所属する正教徒」「ロシア人であるがアメリカ正教会に所属する正教徒」といった方もいらっしゃいまして、その組織上の帰属を知るのは難しい割にあまり意義のある事ではありませんので、この点でもやはり単に「正教徒」「正教信者」と書いた方が簡単・無難でありかつ正確です。




質問ニコライ堂(東京復活大聖堂)はどんな教会?


お答え

ニコライ堂の愛称で親しまれる東京復活大聖堂は、その名の通り主イイスス・ハリストスの復活を記憶する聖堂であり、ここに日本正教会(日本ハリストス正教会)の東京復活大聖堂教会があります。JR御茶ノ水駅、地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅の間近に位置しています。

月夜のニコライ堂
ニコライ堂・東京復活大聖堂

東京復活大聖堂教会は、日本正教会の首座主教でいらっしゃいますダニイル主代府主教座下の座所としての府主教座教会であり、日本の正教会の中心としての役割を担っています。大聖堂は単なる記念碑的建造物ではありません。今も、神田・駿河台にあって、洗礼、領聖(ハリストスの体と血を頂くこと)、結婚・感謝祈祷・種々の祈願・埋葬式といった首都圏の信徒の生活に欠かせない正教会の祈りの場として、大聖堂は活きているのです。

簡単な年表

名称について

正教会の聖堂・会堂は、教会の祭、聖人などを記憶して建てられます。例えば函館ハリストス正教会の聖堂は「主の復活」を記憶していますので「復活聖堂」、宇都宮ハリストス正教会の会堂は「聖大帝亜使徒コンスタンチンと太后エレナ」を記憶しています。

ニコライ堂は建てられた頃から「ニコライ堂」「ニコライの鐘」と呼ばれ親しまれてきましたが、これは正式名称ではありません。聖ニコライを記憶した聖堂ではなく、「主の復活」を記憶した聖堂ですので、「復活大聖堂」が正式な名です。

ただ、この聖堂建立にあたって大きな功績のある日本の亜使徒聖ニコライは建立当初、存命中から既に有名人であり、早い時期から大聖堂はニコライの名で親しまれていました。こうしたことを踏まえ、歴史的に聖人にちなんだ愛称を尊重しつつも、正式な名も広く知って頂きたいという思いから、両方の名をトップページなどで併記しております。

「モスクに似ている」という感想について

ニコライ堂の姿を見て、「イスラームのモスクに似ている」という感想を持たれる方がいらっしゃいます。

東北沢にある東京モスクなどを見ると、確かにニコライ堂に似たところがあります。これはトルコ式モスクと呼ばれているもので、ビザンティン文化の影響を受けたモスクの姿です。正教会の建築様式も、多くがビザンティン文化のなかで発達してきたもので、東京復活大聖堂:ニコライ堂もその延長線上にあります。したがって両者が建築的に近い関係にあるのは確かです。

また、キリスト教もイスラームも、共に古代地中海世界の文化を継承しており、そこには都市の集会所(ギリシャのアゴラやローマのフォーラム)という伝統がありました。 聖堂もモスクも、お祈りのための集会施設として、そうした共通の文化的土台の上に作られているのです。

ただ、イスラームは世界の非常に広い範囲で多くの人に信仰されている宗教です。土地の気候に合わせ、土地の材料を使って建てられるモスクの様式は多肢に渡ります。例えば、アフリカや東南アジアでは丸屋根のないモスクは珍しくありません。それらはニコライ堂に似ていないのはもちろん、トルコ式モスクとも(少なくとも見かけ上は)全く似ていません。

同じことは正教会の聖堂についても言えます。たとえばセルビア正教会の人たちが理想とする聖堂の様式は、どちらかというと北イタリアのロマネスク様式に似ています。コソボ地方とピサ地方で採れる石材の色が似ているためです。

日本正教会の聖堂にも、豊かなヴァラエティが見られます。ニコライ堂のように一見してビザンティン式と判断される聖堂はむしろ稀で、ロシアの聖堂のようなクーポルと呼ばれる玉葱型の塔を屋根に持つ聖堂もあれば、各種の聖堂様式を折衷したようなものもあり、様々です。

小田原ハリストス正教会の「聖神降臨聖堂」は、正教徒である日本人の現代建築家が設計した聖堂であり、大変ユニークな形をしていて興味深いものがあります。




質問日本には、ニコライ堂以外に正教会の教会はあるのですか?


お答え

全国に聖堂・会堂を持たない教会も含めて、60あまりの教会・集会があります。

日本に正教が伝道された最初の頃に仙台の信徒達が中心に活躍したことを反映し、東北地方に多くの教会がありますが、北は北海道から、南は鹿児島に至るまで、全国的に正教の教会が分布しています。

公式サイト:日本各地の正教会の紹介ページ→東京大主教々区東日本主教々区西日本主教々区




質問信徒でなくとも拝観に行ったり、礼拝に参加したりして良いのですか?


お答え

正教徒で無い方の拝観について

「信者でなくとも聖堂の中に入っていいのでしょうか?」という質問をよく受けますが、特に立ち入りを御遠慮頂く様な掲示(「清掃中」など)が無く、扉が開いていて係りの者が居る時は、全く構いません。是非ご覧にいらして下さい。その際のマナーにつきましては下記を御覧下さい。

特にお祈りが行われている時間帯にいらっしゃることを正教会は勧めています。聖堂はホールでもなければ美術館でもありません。祈りが行われている時に見てこそ、「祈りの家」としての聖堂が初めて捉えることができるでしょう。建築やイコンといった視覚的な面だけでなく、聖歌という聴覚、香という嗅覚…様々な感覚にうったえてくる姿こそ、聖堂の真骨頂です。

詳しくは「聖堂拝観と洗礼のご案内」のページもご覧下さい。

<聖堂内のマナー>

上記に挙げました諸項目の他にも、立ち位置の移動や、聖堂への入場を一時的に制限している時に入り口でお待ち頂く、といった、各種のお願いをする場合が御座います。聖職者(教職者)や、大聖堂入り口付近におります聖堂奉仕会のメンバーの指示にその都度従って頂きますよう、御協力をなにとぞ宜しくお願い申し上げます。

リュックや手袋、帽子について。博物館ではリュックを背負っていてもマナー違反ではありませんが、どなたかのお宅にお邪魔するときにはリュックを背負ったままお話する人はいません。手袋は外しますし、男性は帽子をとります。聖堂でもこれは同じです。聖堂は博物館でもなければモニュメントでもありません。「祈りの家」であることがここに表れています。

これらのマナーは信徒達も守る事が求められているものです。皆様の御協力をお願い致します。

聖堂は祈りの家です

「そうは言われても聖堂にはやっぱり入りづらいのですが…」と仰る方も多いです。しかし、ある意味これは自然なことです。なぜなら聖堂は先ほども申しましたように、ホールでも美術館でもないからです。

聖堂は祈りの家です。例えば誰かのお宅に初めてお邪魔するときは、やはり緊張します。これに対し、博物館などに入るときには、そのようなことは無い筈です。

聖堂に入りづらい、そして入ると緊張してしまう…これは無意識のうちに神様に招かれていることを感じた上での、ごく自然な感覚だと思います。しかも招いていらっしゃる方は私たちの目に見えないのですから(「ハリストスは見えずして立ち」という言葉があります)尚更緊張します。

しかしこれは一時的なものです。正教会に通い続けられたい方は、どうかそのまま続けて下さい。その内、聖堂が我が家のように居心地がよくなるときがきます。そうした意味でもやはり聖堂は「祈りの家」なのです。

女性が頭をスカーフなどで覆う習慣について

ロシア正教会などの習慣を御存知の方から「私は女性ですが、何か頭を覆うスカーフか帽子かをかぶって伺った方が良いのでしょうか」と時々質問される事があります。

確かに海外正教会では、そういう習慣を守っている正教会も存在していますが、そうした習慣があまりない正教会もあります。日本正教会は後者に属します。頭を覆っている日本人信徒も稀に見受けられますが、そうした習慣はそれほど普及していません。日本の正教会を訪れられる際に頭を覆うかどうかという事で、特に配慮なさる必要は無いでしょう。




質問祈りの最中に座ってはいけないのですか?(祈りの姿勢について)


お答え

正教会において「祈り」とは言葉に限定されません。十字を描くこと、姿勢を保つこともまた祈りに数えられます。

立つという姿勢は我々の復活の姿を象るものであり、これが祈りの時の基本的な姿勢です。復活祭には聖詠から取られた句「神は起き、その仇は散るべし」が歌われ、復活祭から聖神゜降臨祭までは正教信徒は跪いて祈ることをしません。これも、主イイススの復活を記憶する習慣です。

ちなみに「座る」という姿勢は、「君臨」や「教授」を表す姿勢とされます。イコンで主イイスス=ハリストスが座って描かれている場合、それは君臨といった意味を表しています。「休め」の姿勢ではありません。

足の不自由な方々・御年輩の方々はお座りになっています

正教会にも、参祷者向けの椅子が無いわけではありません。足を悪くされている方はもちろん、年輩の方も椅子に座っていらっしゃいます。

ただ、東京復活大聖堂教会は、椅子の数は参祷者の数に比して少なめです。足の不自由な方にはどなたか席を譲って下さると思いますが、やはりニコライ堂では健康な方が座るのは難しい環境にあると思います。

当教会の奉事は長く、聖体礼儀は大体2時間半以上に及びます。東京復活大聖堂教会の奉事にお越しの際は、履き慣れた、底の厚い靴を履いていらっしゃることをお奨めします。




質問「アミン」「ハリストス」「聖神゜」「生神女」の意味は?(正教会の語彙)


お答え

それぞれ、西方教会で謂う「アーメン」「キリスト」「聖霊」「聖母」に相当します。前二者は音写の問題から生じた違いであり、後二者は原語の意味についての正教会の考え方を反映した翻訳です。

「アミン」「ハリストス」

正教会では「アーメン」ではなく「アミン」と言います(一部西欧・米国地域の正教会では「アーメン」と発音しているところもあります)。ヘブライ語の「本当に」「まことにそうです」「然り」といった意味の言葉がギリシャ語Αμήν(アミン・現代ギリシャ語読み)に転写されたものです。

「ハリストス」は「キリスト」のギリシャ語"Χριστός"(フリストース)、教会スラヴ語"Христос"(フリストース)を音写した読みです。古典ギリシャ語の読み方ではクリストスだったものが西方に伝わり、クリストスが各国語に変化、その後日本語では「キリスト」と変化し、これが一般的となって今日に至っていますが、正教会はギリシャなどの東方の生きた伝統のうちにありますので、中世以降のギリシャ語の発音とそれを取り入れたスラヴ語に倣い、ハリストスと発音しています。従って「イエス=キリスト」は「イイスス=ハリストス」となります。

ちなみに「ハリストス(キリスト)」を苗字と誤解される方によくお会いしますが、「ハリストス」は「油注がれた者=救世主」という意味の称号です。

また、イイスス・ハリストス以外にも、様々な特殊な人名の読み方が日本正教会では習慣となっています。多くのわが国の西方教会が西欧の人名表記を踏襲しているのに対して、日本正教会はロシアか、ギリシャの表記に従っています。例えば「イオアン」=「ヨハネ」、「マトフェイ」=「マタイ」、「フォマ」=「トマス」、「パウェル」=「パウロ」となります。

発音の歴史的経緯から生まれた「アミン」「ハリストス」「イオアン」

古代地中海世界で活発に行われていた東西交易が衰退して東西の文化的交流も比例して衰退する中、東方と西方では著しい発音の差が生まれてしまいました。西方教会はギリシャ語を読むときに古典ギリシャ語(アッティカ方言など)に準拠して発音することが多いのに対し、東方ではギリシャ語を生きたまま保持した(ギリシャ人の帝国が東ローマ帝国として続いていたのですから当然のことでした)結果、中世、近現代のギリシャ語発音が正教会世界では使われることになったのです。

例えばギリシャ語の"και" (ラテン文字転写では"kai") は、古典のアッティカ方言に準拠した再建音では「カイ」と発音しますが、現代ギリシャ語では「ケ」と発音します。

ギリシャ語においても時代によって発音が違うのですから、これが西欧を経由して日本に伝えられるのと、中世の発音の変化を経た上でスラヴを経由してわが国に伝えられるのとでは、相違が大きくなるのは自然なことです。時代と地域によって人名表記が違うという、様々な分野で起きる相違と混乱が東西教会双方にも存在していて、それがわが国にもそのまま輸入されているというわけです。

生神女

東京復活大聖堂内の生神女のイコン
東京復活大聖堂のイコノスタスに嵌め込まれている生神女のイコン

生神女(しょうしんじょ)はギリシャ語のセオトコス(Θεοτόκος)、教会スラヴ語のボゴロージツァ(Богородица)の直訳的な翻訳で、「神を生みし女」という意味です。一般に言われる聖母マリアのことです。イイスス=ハリストス(イエス=キリスト)は神でもあり人でもあったので、私たち正教徒は聖母と言われるマリヤ(マリアのスラヴ語読み)を生神女と呼んでいます。

聖神゜

聖神゜とは、西方教会で聖霊に相当する語です。日本正教会訳:聖ニコライ訳では「神゜」(しん)と「霊」(たましい)との訳語の使い分けが行われています。

「神゜」(しん)は、「神」(かみ)と区別する為に右上の部分に小さな丸がつけられて区別される事があります(当ページでは半濁点で代用しています)。"Πνεύμα"(プネヴマ)に「神゜」、ψυχή(プシヒー)に「霊」(たましい)の訳語をあてる訳し分けが聖ニコライ訳・日本正教会訳では行われており、「聖霊」と西方教会で訳される"Άγιο Πνεύμα"(アギオ・プネヴマ)にもこの訳し分けが適用されて「聖神゜」(せいしん)と訳されました。漢和辞典を見てもお分かりの通り、元々「神」の字には「精神」といった意味合いがあり、漢字の意味を熟知した人々による翻訳であることが分かります。

至聖三者(三位一体の神)たる、神・父、神・子と同じく神そのものである聖神゜に関わる翻訳に、先人達が細やかに神経を使ったことが示されている訳語であるといえます。

以下に実例を挙げます。

実例1「天の王」

「天の王」。正教会で、祈りの冒頭・会合の始まりに歌われるか唱えられるかする、非常に頻繁に用いられる祈祷文です。聖神゜の恩寵が降るように祈るものです。

「天の王」(日本語)

天の王、慰むる者や、真実の神゜(しん)、在らざる所なき者、満たざる所なき者や、萬善の宝蔵なる者、生命を賜うの主や、来たりて我等の中に居り、我等を諸の穢より潔くせよ、至善者や、我等の(たましい)を救い給え。

「天の王」(ギリシャ語)

Βασιλεύ ουράνιε, Παράκλητε, το Πνεύμα της αληθείας ο πανταχού παρών και τα πάντα πληρών ο θησαυρός των αγαθών και ζωής χορηγός, ελθέ και σκήνωσον εν ημίν και καθάρισον ημάς από πάσης κηλίδος και σώσον αγαθέ, τας ψυχάς ημών.

実例2「光栄」

祈りの区切りに用いられる言葉です。

「光栄」(日本語)

光栄は父と子と聖神゜(せいしん)に帰す、今も何時も世々にアミン。

「光栄」(ギリシャ語)

Δόξα Πατρί και Υιώ και Αγίω Πνεύματι.Και νυν και αεί και εις τους αιώνας των αιώνων αμήν.




質問よく正教会以外の西方教会の話題で「ミサ」という言葉を聞きます。儀式の事のようですが、正教会でも「ミサ」をしているのですか?(「聖体礼儀」「奉神礼」等の正教会の語彙II&誤訳例))


お答え

日本正教会では、西方教会で通例「ミサ」と呼ばれる儀礼に相当するお祈りの事を「聖体礼儀」と呼び、「ミサ」と呼ぶ事はありません。以下にみられる通りギリシャ語・ロシア語でも「ミサ」と呼ばれることは皆無ですし、英語圏では「ミサ」と表記される事は無い訳ではないものの、あまりみられません。

聖体礼儀の外国語表記

聖体礼儀は毎週日曜日と、各種の正教会の祭日に行われます(残念ながら、兼任して司祭が管轄している地方教会では、毎週聖体礼儀にあずかれる教会は少ないのが現実です)。その名の通り、ハリストス(キリスト)の聖体を領食する事が中心になる儀礼です。

聖体礼儀のことを「ミサ」と呼ぶことは間違い

我が国でもCDやサイトなどで「正教会のミサ」といった表現がされていることがありますが、こうした表現は間違いと申して宜しいかと思います。主にローマカトリック教会で用いられる表現ですし、日本正教会では「ミサ」とは呼びません。漢字で「聖体礼儀」と表記した方が、日本語話者ならば大体意味を「ハリストス(キリスト)の聖体を中心とした儀礼なのだな」と捉えるでしょうから、カタカナの「ミサ」をわざわざ使うよりは寧ろ分かりやすく、合理的なのではないでしょうか。

さらに、ギリシャ・東欧などの正教徒が多い国や、英米を初めとした西欧各国でも、正教会の聖体礼儀に対して「ミサ」という語は殆ど用いませんから、海外の雰囲気を醸し出そうとする際に片仮名表記に頼り「ミサ」を用いる事はかえって逆効果です。

本場を志向されるのであれば、尚更「ミサ」という表現は避けられた方が宜しいでしょう。

折角このページをご覧になっていらっしゃる方には、日本正教会で実際に正教徒が用いていて、さらに漢字で分かりやすくもある表現である「聖体礼儀」を使って頂きたいですね。

奉神礼(ほうしんれい)

正教会では西方教会で「礼拝」「典礼」と呼ばれるものを、それぞれ「公祈祷」「奉神礼」等と呼びます。「奉神礼」で「礼拝」を表すこともあります。

正教会にあっては「奉神礼」の語は頻繁に多義的に用いられます。奉神礼は「リトルギヤ」の訳語で、これは神の民の仕事を表します。そしてリトルギヤは、公祈祷たる礼拝に限定されるものではなく、私祈祷(自室で行う祈りなど)、そして日々の生活に至るまでを含む概念です。それゆえ、狭義の奉神礼である公祈祷は、正教徒にとっての広義の奉神礼である全ての生活の雛形となるものです。日々の生活にあって神の民の仕事を記憶することが正教会では求められています。

晩の祈り

晩に行われております「徹夜祷」の事を「ミサ」と表記している文章が時々みられますが、徹夜祷は聖体礼儀ではなく、聖体礼儀の準備の為のお祈りです。正教会の徹夜祷を「正教会のミサ」などと表記することは、仮の説明としてさえも当たりません。「晩祷」といった表現をなさる事をお奨めします。

なお、正教会の晩の祈りは「徹夜祷」だけではありませんので、晩の祈りを全て「徹夜祷」と表記してしまいますと別の間違いが起こり得ます。より名称記述に正確を期されたい方は、最寄の正教会にお問い合わせ下さい。

関連:よくある誤訳

「神聖な典礼」ではなく「聖体礼儀」

最近ではギリシャのビザンチン聖歌や、ノヴォスパスキー修道院をはじめとしたロシアの修道院で収録された聖歌集や、チャイコフスキー、ラフマニノフ、リムスキー=コルサコフなどによって作曲された聖歌録音が広く販売されるようになりましたが、正教会聖歌が収録されているCDなどで"Divine Liturgy of St. John Chrysostom"を「聖ヨハネス・クリソストムスの神聖な典礼」などと訳している市販物品が時たま見られます。これは誤訳です。"Divine Liturgy of St. John Chrysostom"は「聖金口イオアン(イオアンニス)による聖体礼儀」を意味します。

確かに「Liturgy」には「奉神礼」という意味があり西方教会では「典礼」と訳出されますが、正教会で「Divine Liturgy」と言った場合、聖体礼儀以外の意味はまず有り得ません。日本正教会による定訳として「聖金口イオアン聖体礼儀」ないしは「金口イオアンの聖体礼儀」があります。

ウスペンスキー大聖堂は「聖母被昇天大聖堂」ではなく「生神女就寝大聖堂」

Успенский собор(生神女就寝大聖堂、ウスペンスキー大聖堂)という有名な聖堂がロシアにいくつもあります。これを「聖母被昇天聖堂」と訳出している例、もしくは「聖母の被昇天に捧げられた教会である」とする例が散見されますが、誤訳・誤解です。正教会には聖母被昇天の教義はありません。「聖母被昇天」はカトリック教会の用語です。

「ウスペンスキー」の元になっています祭の名"Успение Богородицы"(ウスペーニイェ・ボゴロジツィ)は、正教会では「生神女就寝祭」のことです。

従いまして、「生神女就寝大聖堂」と表記するか、そのまま片仮名で「ウスペンスキー大聖堂」と表記するのが正しいということになります。生神女就寝祭については、大阪ハリストス正教会のページである「生神女就寝祭のイコン」を御覧下さい。




質問「イスポラ~エティ…」はどういう意味でしょう?


お答え

「イス ポラ エティ デスポタ」は、主教座教会で耳にすることの多い文言です。東京復活大聖堂教会には府主教座下がいらっしゃいますので、この言葉は頻繁に唱えられます。

主教様の祝福に対する答礼の言葉で、「君や幾年も」(主教様にいつまでも神様の守りと恩寵が賜わられますように)といった意味です。古典ギリシャ語の現代ギリシャ語読みの発音ですので、古典ギリシャ語を勉強された方には耳慣れない読み方かと思います。

(古典ギリシャ語原文:ラテン字表記)…”Eis Polla eti Despota.”

(読み方)…「イス ポラ エティ デスポタ」

この言葉は、ギリシャ系の正教会や日本正教会だけでなく、ロシア正教会などのスラヴ系正教会でも同様にギリシャ語で歌われています。




質問正教会で用いられる聖書は何ですか?


お答え

まず、簡単にお答えしますと、旧約と新約です。

旧約(続編:正教会では「外典」と呼ぶものをを含む)には、天地創造から救世主ハリストス(キリスト)の到来までの人間と神の関わりの歴史、救世主についての預言、そして預言者の詩が記されています。主イイススは旧約をよく引用して教えを説かれましたから、正教徒も旧約を大事にしています。

新約には、主イイススの生涯と教えが記された「福音経(ふくいんけい)」、そして使徒達の働きの記録と手紙から成る「使徒経(しとけい)」があります。新約は、毎回の聖体礼儀で必ず読まれます。主日(日曜日)に読まれるものは、この「福音経」と「使徒経」です。これらは配列などの違いはあるものの、内容は西方教会と同じものです。ただし、正教会では独自の翻訳によるものを使います。

聖ニコライと中井木菟麻呂による独自の翻訳

日本正教会が使っている聖書は他教派の聖書と基本的には同じ内容ですが、かなり異なる体裁で翻訳がなされています。

わが国に正教をもたらされた亜使徒聖ニコライと、日本人正教徒で漢学者である中井木菟麻呂(なかい・つぐまろ)が中心となって翻訳されたのが、正教会で用いられている聖書です。日本正教会はこの聖書で奉神礼を行っています。非常に重厚かつ単語の翻訳に精確さを期した、漢文訓読調を基本にした趣のある名訳です。

残念ながら、日本語、ロシア語、教会スラヴ語、ギリシャ語に精通していらした亜使徒聖二コライは、聖書の完訳事業の道半ばで永眠されてしまいました。新約と聖詠(詩篇)、そして代表的な祈祷書については完訳がされましたが、旧約の完訳は依然としてなされていません。現在日本正教会で用いられている旧約は、代表的な祈祷書に付随して訳されたものです。

残念ながら正教会での完訳の成っていない旧約については、日本聖書協会訳でお読みになることをお勧めします。

ニコライ堂の事務所1
正門横:ニコライ堂の事務所

正教会訳の新約と聖詠の入手方法については、各地正教会にお問い合わせ下さい。ニコライ堂では事務所に置いてあります。

<東京復活大聖堂教会の事務所が開いている時間>
(火曜日~土曜日) 09:00 - 12:00
13:00 - 17:00
(日曜日) 09:00 - 14:00

難解とされる正教会訳とどう向き合うか

確かに漢文読み下し文を基本にした正教会訳は難解だとされますが、高校の漢文がお読みになれる方には、あまり苦にならない文体ではあります。但し、 単語などが特殊なものを使っているなどしていますので、これはすぐに読みこなすには難しいかもしれません。

勿論、正教会訳で新約に親しんで頂ければ最上なのですが、自宅で読む時や伝道会で使う際には、日本正教会は日本聖書協会訳の使用も祝福しています。実際、ニコライ堂:東京復活大聖堂教会や他の各地正教会でも、日本聖書協会訳の聖書は伝道会などで使われています。但し、新共同訳よりも口語訳の方が多くの場合推奨されます。

日本聖書協会訳の聖書と、日本正教会訳の聖書を並べて読まれますと、その内に正教会訳にも慣れてこられるかと思います。日本聖書協会訳の聖書は大抵の書店に置いてあります。

なお、独自の用語・語彙につきましては、大阪ハリストス正教会のページである「正教用語集」が大いに参考になるかと思われます。

独自の人名・地名等の固有名詞表記

日本正教会では、人名・地名などの固有名詞表記は西欧の読みの伝統を引き継いだ西方教会とは異なり、中世ギリシャ語を転写した教会スラヴ語による、ロシア語読みに則った表記がされています。章立て(各項目の並べ方)が日本聖書協会訳とは異なりますし、人名を含む題名の場合には慣れるまでどれとどれが対応するのか判りにくいかと思いますので、本サイト内に書名対照表と、人名地名対照辞典をご用意しました。ご活用下さい。

聖書の読み方

正教会の新約タイトル
正教会の新約の冒頭の頁

古来、印刷技術が発達するまで、聖書は「読む」ものではなく、基本的に奉神礼の中で「聞く」ものでした。そういった状況では、「聖書」は「机の上や電車の中で読むための本」ではなく、あくまで祈祷書でした。そして正教会にあっては今もそうなのです。

日本正教会訳の新約の目次手前のページに印刷されているタイトルを見てみましょう。

左の画像に見られるように、「聖書」とは記されていません。日本聖書協会訳の表紙に大きく「聖書」と書いてあるのとは対照的です。

ですから聖書をお読みになる時は、これはあくまで祈祷書であるということを念頭に置いてお読み頂きたいと思います。時々このサイト内でも(例えば奉事日程表などで)「福音経」「使徒経」という表記をしていますが、数ある祈祷書と同様の扱いをしているからこそ、「経」という字を使っているのです。

聖堂で「声に出して詠む」ことを配慮しているためか、日本正教会訳の聖詠経(詩篇)は、大変美しい音楽性を持っています。それはやはり聖書が単なる書物ではなく、祈りの言葉のひとつのかたちであることの表れです。

こういった理解を前提にして頂ければ、聖書をお読みになるときの(身体的な意味でも精神的な意味でも)姿勢は自ずと定まってくるのではないでしょうか。




質問どうしてニコライ堂には参祷者向けの祈祷書が置かれてないのでしょう?


お答え

プロテスタント教会やローマカトリック教会に行くと、入り口に祈祷書が置いてあるところが多いですね。ところがニコライ堂には祈祷書などは入り口に置いていません。

可能であればそうした祈祷書を信徒向け、見学者向けに置いておきたいという気持ちがあるのは、ニコライ堂:正教会も同じです。ところがこれはお祈りの構造上、誠に残念ながら物理的に不可能なのです。

不可能なわけ:正教会の祈祷の構成

正教会の祈祷書は複雑な構成を持っていて、しかもそれらの複雑な組み合わせを日常的に使っていることを申し上げなければなりません。

祈祷書にはいくつかの種類があります。

正教会で用いられる祈祷書の数々
時課経聖詠経(詩篇) 三歌斎経五旬経
使徒経福音経 月課経八調経

それぞれがかなりの分量の内容(たとえば八調経は一巻あたり一千ページ前後にわたるのに、それが4冊存在していて、全体で四千ページ分前後にのぼります)を持っており、使い方も複雑です。

土曜日や祭日の前晩に行われる「徹夜祷」の中の「晩課」に行われる「『主や爾に呼ぶ』の後のステヒラ」の部分の構成を例にとって、祈祷書の使い方を見てましょう。

内容 記載している祈祷書
第140聖詠「主や爾に呼ぶ」
(最初は詠隊歌い、後半は誦読)
時課経に記載
第141聖詠「我が声を以って主に呼び」(誦読) 時課経に記載
(短い)句「我が霊をひとやよりひき出して
我に爾の名を讃揚せしめ給へ
時課経に記載
その日ごとに指定された讃頌ステヒラ
(祭日・斎日などには指定が複雑になります)
三歌斎経・五旬経・八調経・月課経のいずれかを使い、指定の箇所を用いる
(短い)句「爾 恩を我にたまはん時、
義人は我をめぐらんとす」
時課経に記載
その日ごとに指定された讃頌ステヒラ
(祭日・斎日などには指定が複雑になります)
三歌斎経・五旬経・八調経・月課経のいずれかを使い、指定の箇所を用いる
 以下、「句」「讃頌」 の繰り返しが、もう8回同様に行われます。 「8讃頌指定」「6讃頌指定」の時には、それぞれ10句のうち8句のみ、6句のみを用いて、「我が霊を…」「爾 恩を我に…」は 誦読しません。

まとめますと、お祈りの部分部分がサンドイッチのように構成されていて、

「時課経=パン」「八調経などの祈祷書=具」

というような構造になっていると言えます。「パン」の部分はあまり変更がありませんが、「具」の部分は多彩になっているというわけです。もちろんこれは「パン」「具」のどちらか一方が重要であるという喩えではなく、あくまで祈りの構成を表した喩えです。

こうした構成が晩課のみならず、徹夜祷全体に存在しています。こうした構成を把握する熟練には一定の期間が必要です。ある程度習熟した誦経奉仕者(しょうけいほうししゃ)ですら構成を間違えることがあるほどで、実際は正教信徒ですらも、こうした祈祷書の使い方を知らないことが多いのです。

このような祈祷の構造を持っている以上、参祷者向けに祈祷書を用意するとなると、一回の祈祷だけでも長い内容を持つ祈祷書(先ほど挙げました句とステヒラの繰り返し部分は10分にも満たない分量です、全体の1時間半の徹夜祷の分量はもっと膨大です)を、毎回構成・印刷して用意することになります。そしてそれは(祈祷書使用箇所の指定は年毎に多くが違うため)1年~数年に一回使うだけの印刷物ということになります。こうした事情で、数年に一回しか使わない膨大な祈祷書を毎回、相当部数を作成・印刷して、配布・貸し出しすることは、まさに「物理的に不可能」ということになってしまうのです。

祈祷内容をどのように把握すれば良いのか

どのように祈祷の内容を把握するかと言えば、基本的には「耳で聞いている」という事になります。難しい言葉が続くため、集中して聞かなければなりません。

正教会のお祈りの内容は正教徒にとってすら把握しきれないほど膨大で分かりにくく、全てが毎日新鮮な祈祷に聞こえるほどなのです。未信徒の方にとって解りにくいのはむしろ自然です。

正教会にお越しの方には、最初から色々な意味を把握してしまおうとなさるのではなく、「信徒ですら分かっていく道のりの途上にある祈りを、最初の内は分からなくてむしろ当然」ということを念頭に置きつつ、(ドームの反響で聞こえにくい声ではありますが)祈りに耳を澄ませて頂きたい…と願っております。正教会は、「意味の把握・学習」のみを目的とする教会ではないのですから…。

そしてそれだけの膨大な内容の祈祷を、信徒であっても参祷するたびに新鮮な気持ちで聞くことが出来ることも、正教会の魅力と申して宜しいかと思います。




質問十字架の形:八端十字架(はったんじゅうじか)の意味を教えて下さい


お答え

八端十字架
図1:八端十字架

ギリシャ十字
図2:ギリシャ十字

ラテン十字
図3:ラテン十字

八端十字架とは、右の図1にみられるような形状をした十字架の名です。ラテン十字に比べて二本の線が多い形状をしており、八か所の端があることからその名があります。

上部の線は、新約に記されています「ユダヤ人の王・ナザレ人イイスス」と書かれて十字架に打ち付けられた罪状書きを象徴しています。

下部の斜めになった線は、足台を象徴しています。正教会の伝承では十字架に足台があったとされています。足台が無ければ処刑される罪人は体を支えきる事が出来ずにずり落ちて窒息死するので、長く罪人を固定して生かし続け、苦しみを出来る限り引き伸ばすために、このような足台が設けられていました。

十字架にイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が磔にされた同日に、その左右に泥棒が一人ずつ十字架に磔にされていました。ハリストスから見て左側の泥棒は、ハリストスをののしりました。右側の泥棒は、ハリストスに「主よ、爾の国に来らん(きたらん)時、我を記念せよ」と願いました。右側の泥棒はこの痛悔(つうかい)によって天国を約束されました。足台を表す棒の、(ハリストスから見て)右側が上がっているのは、右側の盗賊が天国を約束されたことを、棒を上に向けることで表しています。

この右側の盗賊のことを正教会では「右盗」(うとう)と呼びます。右盗についての伝承は様々な祈祷文で唱えられることにもみられるように、正教会でとても大切にされています。

八端十字架は聖堂の塔の上に立てられていたり、聖堂側壁・墓石に彫られていたり、イコンに描かれていたりといった形で使われています。

他の種類の十字架と併せて、日本と、スラヴ系の正教会で広く使われています

八端十字架は、ロシアだけでなくウクライナ、ベラルーシ、ブルガリア、セルビアといったスラヴ系の教会で広く使われて居ますので、「ロシア十字」と呼ぶのはあまり適当ではありません。

また、正教会では八端十字架だけでなく、ギリシャ十字(図2)やラテン十字(図3)といった他の種類の十字架もよく使われますので、「正教十字」と呼ぶのもあまり適当ではありません。

他にも、グルジア正教会では葡萄十字架と呼ばれる特殊な形態の十字架が使われていたり、ロシア正教会では十字架が月を貫いている状態を模した十字も広く用いられていたりするなど、正教会でも様々な十字が使われています。

日本正教会の母教会はロシア正教会ですので、様々な習慣・教会文化をロシア正教から受け入れていく過程で自然と八端十字架もよく用いるようになりました。従って八端十字架を尖塔に用いるなどしている聖堂は日本正教会にも多数存在します。しかし中には宇都宮ハリストス正教会のように、屋根に立てる十字架にギリシャ十字を用いている会堂もあります。




質問正教会の聖職者は神父?牧師?結婚はできるのですか?


お答え

正教会の聖職には主教、司祭、輔祭の三種があります。司祭と輔祭は妻帯できます。 また、司祭が神父と呼ばれます。「呼びかけ」と「職名」が違いますので、以下の対照表をご覧下さい。

呼び名 職名 妻帯可否
正教会で 主教・座下 主教 ×
正教会で 神父 司祭
正教会で 輔祭・師 輔祭
学校で 先生 教諭・教員
会社で 社長など 代表取締役ほか

大体、以上のような対応関係になります。正教会の聖職者は「神品(しんぴん)」と呼ばれます。

余談ですが、「牧師」はプロテスタント教会で用いられることが多い職名です。呼びかけは「先生」が一般的のようですが、教派によっては呼びかける時も「牧師」を使うところもあるようです。

ローマカトリック教会は、呼びかけ=神父、職名=司祭、という対応関係になっているところは、正教会と同じです。

輔祭と司祭の妻帯は輔祭になる前でなければなりません

神品は必ず輔祭、司祭、主教の順に叙聖(じょせい…主教から神品に任じられる事)されます。輔祭・司祭は妻帯が可能ですが、結婚は輔祭に叙聖される前に行わなければなりません。結婚せずに輔祭となった場合、生涯の独身が義務付けられます。

主教は妻帯していません。「主教は結婚できない」というよりは、結婚という道を進まない修道士から主教が選ばれることになっていることから「必然的に主教は独身者ということになる」いう表現の方が適切です。古代には妻帯している主教もいらっしゃいましたが、時を経て主教にはより高い精神性が求められるようになり、主教が修道士から選ばれるようになってから、妻帯主教は存在していません。

なお、正教会では夫婦が同時に修道院に入ったり、配偶者との死別後に修道院に入ったりするケースは(一般信徒と神品の別なく)珍しくありません。「妻帯司祭でいらしたが、奥様と死別し、その後修道院に入り修道士・修道司祭となった。その後、主教になられた。」「妻帯司祭でいらしたが、夫婦同時に修道院に入って修道士・修道女となり、修道司祭となり、その後、主教になられた。」といったケースも珍しいものではありません。従いまして、主教は主教となった時点以降では必ず独身ですが、過去の結婚歴を持たれる主教様は少なからずいらっしゃいます。

蛇足ですが、ローマカトリック教会では司祭も妻帯していないのは、古く西欧では聖職者の養成を殆ど修道院以外が担わなかった歴史的事情などによります。




質問クリスマスは12月25日?ロシアでは1月7日に祝うと聞いたのですが


お答え

確かに、ロシア正教会や他幾つかの教区では、クリスマスを1月7日にお祝いしています。これは、ユリウス暦という、グレゴリオ暦(16世紀に制定され、今の我が国でも採用されている暦)よりも古い暦を使っていることによるもので、2005年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の差が13日存在します。つまり、

ユリウス暦の12月25日=グレゴリオ暦の1月7日

ということになります。ユリウス暦とグレゴリオ暦の差は年を経て大きくなる性質のものですから、古くから一貫して13日のずれがある訳ではない事に御注意下さい。

日本正教会では大体、12月25日に祝われます

日本正教会では基本的に教会の暦はユリウス暦を使用しています。

しかし、日本正教会では、降誕祭(クリスマス)は12月25日にお祝いしています。これは、神父が兼任管轄していることによって日にちを繰り下げるなどする地方教会のケースを別にして、唯一の例外と言って宜しいかと思います。

日本では

「クリスマス=グレゴリオ暦(つまり日本で一般に使われている暦)で12月25日」

という観念が広く定着している事を鑑み、宣教への配慮から12月25日に降誕祭を祝う事が教会で祝福されています。ただし、兼任管轄されている教会の場合、クリスマスの奉神礼が日にちをずらして行われていることがありますのでご注意下さい。

なお、ニコライ堂:東京復活大聖堂教会では1月7日朝にも聖体礼儀を行っています。

グレゴリオ暦に近い暦を使っている正教会もあります

例えばギリシャ正教会などはグレゴリオ暦に合わせて修正された修正ユリウス暦を採用しています(これに反対するグループも存在します)。ですからギリシャではクリスマスは 12月25日に祝われており、ロシアとは違う日取りとなっています。

このように、残念ながら正教会内で祝う祭日にズレが生じる事態が起こってしまっています。但し、最も大事なお祭りである復活大祭だけは全ての正教会が同じ日に祝うように配慮して、全正教会がユリウス暦で日取りを計算し、同じ日に祝っています。




質問正教会の最高指導者は誰ですか?


お答え

名誉的なトップと言える方はいらっしゃいます。コンスタンティノポリ全地総主教(コンスタンディヌーポリ全地総主教)です。現在のコンスタンティノポリ総主教はワルフォロメイ1世(ヴァルソロメオス1世)聖下です。コンスタンティノポリ総主教は「全地総主教」の称号をお持ちであり、9人いらっしゃる総主教の中で筆頭の格を保持され、全正教会の精神的指導者とされています。

ただ、ローマカトリック教会の最高指導者であり、ローマカトリック教会全体に対して絶対的な権威・権限を持つローマ教皇のような存在を想定してこのような質問をされる方が多くいらっしゃるのですが、正教会には全正教会に対して絶対的な権威・権限を持つ唯一人の指導者というのは存在しません。コンスタンティノポリ総主教といえども他の総主教の方々と同様、公会議の決定事項には従わなくてはなりません。

全教会の首(かしら)は、主イイスス・ハリストスなのです。

日本正教会の指導者はダニイル主代府主教です

日本正教会は自治正教会です。自治正教会とは自らが選んだ首座主教の認可・祝福を母教会(日本正教会の母教会はロシア正教会です)から得る以外は、教会の信仰生活・財政等、全てにおいて独立した状態にある正教会の事を言います。

現在の日本正教会の首座主教は府主教ダニイル主代郁夫座下でいらっしゃいます。ダニイル座下は2000年5月に首座主教に着座されました。府主教座下は毎週主日、および各種祭日に、豊かな精神的内容のあるトラクトを当教会にて配布していらっしゃいます。

全世界に9人の総主教がいらっしゃいます

正教会には現在、9人の総主教聖下がいらっしゃいます。アレクサンドリア総主教は「パパ」の称号をお持ちです。

「コンスタンディヌーポリ」といった地名・人名の表記について

コンスタンティノープルは様々な支配者・民族が興亡した歴史の長い都市です。各言語・各時代によって様々に異なる発音や呼ばれ方がなされていました。ギリシャ語(ギリシア語)での呼び名が時代によって異なるほどですから、それを受け継いだ各国語の差異はより大きくなります。

日本正教会の祈祷書では「コンスタンティノポリ」との表記がなされています。人名・地名等の固有名詞表記については、祈祷書では教会スラヴ語の再建音が日本正教会では使用されています。祈祷書・奉神礼以外の場面では、どの転写を用いるかについてはあまり限定されていませんが、最も頻繁に使用されますのは教会スラヴ語に由来する転写です。信徒の聖名(洗礼名)については教会スラヴ語に由来する再建音が用いられる事が殆どです。

教会スラヴ語の表記は当時生きていた中世ギリシャ語の表記を受け継いでいます。古典ギリシャ語・ラテン語表記を基にした日本にある西方教会の転写とは、基になった時代も経由した土地も異なりますため、日本正教会では西方教会とは異なる表記が行われる結果となっています。

結局、どの表記を使ったら良いのでしょうか

表記の問題というものは、教会の信仰生活においては優先順位は低いのですが、時々御質問をお受けしますし、各種媒体や論文等における需要もあるかと思いますのでここでお答え申し上げます。

まず、こうした「転写」を巡る問題は、(どんな分野でもそうですが)個々人の好みも見解も分れるところであり、場や時に応じて妥当性の基準も変わってくるものであり、一概に「これが絶対に正しい」とは言えませんことを申し上げなければなりません。ですから当ページで申し上げるのも「これが正しい」ではなく「一応、これとこれはお勧めできます」という、いわば提案に止まります。

都市名については、日本正教会における表記「コンスタンティノポリ」(教会スラヴ語・ロシア語の転写に由来)はお勧めできます。また、日本正教会ではあまり使われませんが、現代ギリシャ語からの転写「コンスタンディヌーポリ」も、現地に今も暮らすギリシャ人の発音に近いということで、一定程度妥当と言えるでしょう。

現在のコンスタンティノポリ総主教(コンスタンディヌーポリ総主教)聖下については、日本正教会における表記「ワルフォロメイ1世」(教会スラヴ語・ロシア語の転写に由来)か、もしくは「ヴァルソロメオス1世」(現代ギリシャ語からの転写)をお勧めすることになります(「ヴァ」表記が難しい媒体であれば、「バイオリン」と同様、「バルソロメオス」も可でしょう)。少なくとも「バーソロミュー1世」(英語由来)、「バルトロメオ1世」(イタリア語由来)、「バルトロマイオス1世」(古典ギリシャ語由来)といった表記は、日本正教会では全く使われず、加えて当事者が使っている現代ギリシャ語の発音からもかけ離れており、お勧めする理由は見付かりません。




質問食べてはいけない食品はありますか?お酒は飲めますか?


お答え

正教会には食べてはいけない食品というのはありませんし、お酒も飲む事は許されています。第103聖詠(詩篇104篇)にはこうあります。

酒は人の心を楽しまし、膏(あぶら)は其の面を澤し(うるおし)、餅(パン)は人の心を養ふ。
(時課経百七十七頁より。句読点を補充し、漢字表記を一部簡略化した上で引用)

第103聖詠は神の創造について歌っています。被造物の数々が美しく歌い上げられる中に上の記述も存在します。第103聖詠は日々の晩課(夕方に行われる奉神礼)で必ず詠まれるか歌われるかする聖詠であり、神による天地の創造を記憶する晩課の性格を端的に表す聖詠でもあります。すなわち、神様は人の為に食物やお酒を創られたのでありました。

しかしもちろん、飲みすぎはよくありません。新約(新約聖書)にはこうあります。

又、酒に酔うなかれ。蓋、これによりて放蕩を生ず。
(正教会訳新約:エフェス書(エフェソの信徒への手紙)5章18節より句読点を補充し、漢字表記を一部簡略化し引用)

正教が広く信仰されている国々にもお酒は広く飲まれています。例えばギリシャではウゾ(ウーゾ)が有名ですし、ロシアではヴォートカ(ウォッカ)、グルジアやモルダヴィアではワインが有名です。教会での集いでもお酒はよく出されますし、日本正教会でもそれは同様です。

ですが無論、教会は身を持ち崩す程にお酒を飲むことを禁じます。神様が人のために善いものとして創られたお酒によって人が傷つくような事を、神様はお望みになりません。

食品と斎について

正教会には特定の食品(例えば豚肉や牛肉など)を食べないというタブーはありません。しかしながら正教は、多くの他教派キリスト教教会が失うか殆ど形骸化させた断食の習慣を今も伝えています。

正教会ではこうした食品の節制に代表される精進の事を「斎」(ものいみ)といいます。定められた日に定められた食品(肉、魚、卵、乳製品、葡萄酒、オリーブ油等が日によって指定されます)の摂取を避けます。どの程度の食品制限を行うかは、地域や指導者の方針考慮によって変わって参ります。斎を通して、信徒はハリストスの受難と十字架を記憶します。

しかし、斎は食品の制限によって単なる苦行を行う事自体が目的ではありません。また殺生を禁じる戒律などといった意味合いを持つものでもありません。あくまで精神的な成長に資するように、修道の伝統などから形成されてきた習慣です。

斎は祈りと行いと学びを伴わなければならないこと、特に大前提として、愛による人の赦し合いと和解、および神の前での謙遜が不可欠である事を正教は教えています。従って、斎を真面目に守っていない信徒を非難するといった、愛に欠けており神の前に傲慢な行為・姿勢は厳しく禁じられます。

こうした斎の内実と意義の多面性から、正教会では斎を単に「断食」とは呼びません。

究極的な斎の目的は、神から離れた言動を慎み試練を体験する事で、神に立ち帰ることを目指す事です。

斎は、人がいかに強い食欲に支配されているのかを自覚する機会ともなるものです。そしてそれは食欲以外の人間の欲にも目を向ける機会ともなります。こうして斎を通じて、信徒は欲の奴隷ではなく、神に従う者として自らを喜ばしい祭にそなえるのです。

斎の時期

斎は一週間の間では水曜日と金曜日に行われ、年間では以下に挙げる時期に行われます。




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