「生命を賜うイイスス」のイコン
「生命を賜うイイスス」のイコン

正教会の聖歌
「我が霊よ 爾何ぞ悶え泣き叫ぶや」(合唱聖歌コンチェルト第33番)
ボルトニャンスキー作曲(高井寿雄訳)

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「我が霊よ 爾何ぞ悶え泣き叫ぶや」(MP3)
※ 歌唱が始まるまで3秒強の空きがあります。
「我が霊よ 爾何ぞ悶え泣き叫ぶや」
 我が霊(たましい)よ 爾 何ぞ悶え泣き叫ぶや
 神を信頼(たの)め 蓋し 爾は我が救主 我が神なり
 もし 我 死の谷を行く時 恐れざらん
 蓋し爾は我と共にす
 爾の慈憐は我に先だたん
 我 永遠(とこしえ)に爾の慈憐を歌い之を喜ばん
 我を護り 我が助けなり 我 爾を歌わん
 蓋し神は我を護る者なり
 我が神は我を憐む者なり 我を護る者なり
 



 合唱コンチェルトという形をとる聖歌は正教会において比較的新しいものです。当初は奉神礼以外の場で使われるに過ぎない存在でしたが、20世紀初頭から、説教の代わりなどとして使われるようになりました。旧ソ連によるロシア正教会への弾圧が20世紀の大半を通じて行われる中、ごく一部の例外を除いて、豊かな内容を持つロシア聖歌が国外に知られることはなかったのですが、雪解けのムードの高まった1980年代になると、ロシア正教の「合唱コンチェルト」が徐々に録音されるようになりました。もっとその存在を知られて良い聖歌ジャンルであると言えるでしょう。

 声楽のみによるコンチェルトという特異な形式を確立したのは、ウクライナのグルコウ(現ポーランド領)に生まれペテルブルクに歿したドミートリィ=ステパノヴィッチ=ボルトニャンスキー(1751-1825)の功績です。彼は女帝エカテリナ2世に才能を認められ、イタリアから招聘されていたガルッピ(1706-85)に作曲を学び、後に帰国する彼についてイタリアはボローニャに学び、さらにローマ、ナポリでイタリア音楽様式を修得。モテット、器楽曲などを多く作曲し、ヴェネツィヤではオペラも作曲しています。その間、イタリア=バロックの大きな影響を受け、帰国後、永眠するまで帝室教会聖歌指揮者をつとめて数多くの奉神礼用の聖歌や、合唱聖歌コンチェルトを作曲します。

 絢爛たる経歴であり、それまでの教会スラヴ語聖歌に西欧音楽を融合させたという揺るぎない功績は、しかし批判の対象ともされているところにボルトニャンスキーの評価の難しいところがあります。西欧的・イタリア的な聖歌がロシア、ウクライナに普及していく歴史は、教会の西欧化を目指したロマノフ朝により各地の伝統的聖歌が衰退する過程でもありました。この時代以前の聖歌の復元研究が行われていますが、伝承が断片的な上に文献も少なく、また五線譜と違うシステムを持つズナメニ聖歌の譜面は口伝を前提とした構成をとっていた為に、多くが今も解読不能となっています(現在は部分的に解読がされつつあります)。西欧的な聖歌によって伝統的な聖歌がかなり失われたことは、伝統的なイコンが西欧的イコンに置き換えられていった歴史と同様の流れにあるものであり、昨今の正教会全体の復古的な動きを担う人の間ではあまり肯定的には捉えられていないのが実情です。またボルトニャンスキーが同時代の聖歌作曲を検閲する役割も担ったことに対して批判する人もいます。

 これに対し、ボルトニャンスキーが種々の史料から古典聖歌の保存活動にかなり深く関わっていたと推測され、古典的聖歌の衰退の責任を彼に帰する事は出来ないとの意見も根強く存在しています。史料と成り得る記録や譜面の多くが「モスクワ大火」によって失われたり散逸したりしていることも、研究にとって多くの障害となっています。また、西欧の模倣ではないスラヴ的音楽要素を教会スラヴ語聖歌に取り入れた事について積極的に評価する見解も存在しています。ボルトニャンスキーについての研究はまだまだ途上にあるというのが実情です。

 こうした難しい評価に関る事情があるにも関わらず、ボルトニャンスキーの聖歌のうちいくつかはロシア、ウクライナ、その他の東欧諸国のみならず、米国なども含めた各地正教会の「定番」としての地位を保っていることもまた事実であり、もっと一般に知られて良い卓越した作曲家です。我が国正教会でも、全国で統一されて用いられている単旋律聖歌の「ヘルヴィムの歌」(=ケルビムの歌…聖体礼儀で最も大切な聖歌の一つ)は、彼の作曲からの翻訳です。ニコライ堂では現在も彼の作曲を沢山用いています。それだけの魅力がある作曲を残しているとも言えるかもしれません。

 本ページにて、彼の作曲した合唱コンチェルトの一つ:『合唱聖歌コンチェルト第33番・我が霊よ 爾何ぞ悶え泣き叫ぶや』を用意しました。祈りとしての詞、祈りとしての音楽として白眉に位置づけうる名作曲だと思います。ぜひお聴き下さい。水の輪混声合唱団による演奏ですが、水の輪混声合唱団は毎年の定期演奏会でボルトニャンスキーの合唱聖歌コンチェルトをとりあげています。

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