ひとりで蕎麦を −サイダー・ハウス・ルール −

大阪通信022 00/07/10



 映画館を出たその足でお蕎麦屋さんののれんをくぐり、コシがあって上品な色をした手打ちのざるそばをひとりで食べるのはなかなかいい気分だ。

 ひとりでお茶を飲むのもごはんを食べるのも嫌いではないのだけれど、連れがないとどうしても背中はまるくなりがちである。梅田という場所に今だ不案内であるというのも理由のひとつに挙げられる。(だいたいわたしはどこかに馴染むということに対して情熱が足りないたちだ)それから、食べるものにもよるのだ、と今日知った。お蕎麦は背すじがのびる。ざるそばだとなおいいと思う。
 食べものではないのだけれど、背すじがのびる気がして好きなものは、他にもある。
 「孤児」というのがそれである。
 孤児が好きだなんていうと、世の中の孤児および孤児をめぐるひとびとにしかられそうで気がとがめるが、私の言う「孤児」とはあくまでも、「赤毛のアン」や「あしながおじさん」、ついでに言うなら「キャンディ・キャンディ」などから得たフィクションのなかのひとつのイメージにすぎないのだ。物語のなかにだけ存在するものとしての「孤児」の姿が、なぜかしら憧れやら親しみやらを呼ぶのである。
 
 コジというひびきには、不思議な風通しのよさがある。荒野にきりっとひとり立っているようなふぜい。孤独で自由。荷物はかばんひとつだけ。
 そう、これが肝心。
 持ち物の少なさは、彼らを「ものがたりを生きる人」たらしめている大切な要素のひとつだと思う。
 「サイダー・ハウス・ルール」の主人公、孤児(と呼ぶにはいささか成長しすぎているが)のホーマーもまた、トランク一つ持って孤児院セント・クラウズを出る。
 荷物が少ない彼がとてつもなく身軽かといえばそうでもなく、擬似家族の情愛としがらみはそれなりに重い。セント・クラウズという特殊な家庭のなかにも、普通の家族のあいだに生まれるのと同じかなしさやせつなさが確かにあるのらしい。
 難儀なことだ。
 
 だけどどんなときもホーマーの背すじはまっすぐだ。
 姿勢よく頭をあげて、公平な目で人々のかなしみをじっとみつめている。
 そもそも、世のわりきれなさから生まれでたような彼なのだ。それは確かにせつないことなのかもしれないが、せまい孤児院での濃密な時間のなかで彼、あるいは彼らは、あらゆる運命を受けとめるやわらかさを培ったのにちがいない。
 「キングコング」をみながら息をひきとった少年の死に顔には、自分のぶんの幸福は、ちゃんと味わったよと言いたげな笑みがうかんでいた。わたしは、ひろい世界を知ることの意味が、一瞬よくわからなくなって心のなかがしんとなる。
 あるいは夜毎の祈り。それは、誰かの養子となって出て行ったものにも、神様のもとへ召されていったものにも、平等にささげられる。その、くたびれたベッドがずらりと並ぶ寝室のながめも、「おやすみ、メインの王子たち、ニューイングランドの王たちよ」という院長のきまりもんくも、いつまでも手放せない毛布のような肌触りを思わせて、なんだかうっとりと、泣けてくるのだった。
 セント・クラウズとは、そういう場所だ。
 ワイエスの絵を参考にしたというセットの出来ばえは素晴らしい。コントラストをきかせた色調は感傷におぼれすぎず、そこに流れる時間の性質を雄弁に語っている。雪合戦のシーンの美しさはとくに印象的だ。
 
 それにしてもホーマーの思慮深さとしなやかさは、これまでのわたしの幻想のコジ像にはなかった新鮮なものである。
 たとえば彼はセント・クラウズを出て初めて海を目の前にしたときも、歓声をあげて駆け出し、ばしゃばしゃと波打ち際で足をぬらすなんていう「お約束」なことはしないのだ。
 彼をとりまく人々と同じくわたしもまたそんな彼のしずかさに惹かれる。
 ルールでははかれない諸々のことによって埋め尽くされているこの世界で、正しいことを見定めるためにはもちろんホーマーのように、自分自身がしゃんと背すじをのばしていなければならないのだろう。そうありたいよな、と心のなかで力強くうなづく。けど、正直なところわたしは、ホーマーのあの静謐な瞳でもって「right」と言ってもらえたミスター・ローズを、心底うらやましいと思ったりもするのだった。根性なしなもので。


 この作品では原作者であるアーヴィングがみずから脚本を手がけている。それなのに、アーヴィングの小説がもつ全てをつきぬけるようなあかるさ、ときには野蛮に思われるほどの前進する力、そんなものが希薄だったように感じられて、少々ものたりなかった。
 とはいえ、気に入りの小説が映像化されたものをみるのは、個人的なイメージとの差に落胆させられることも含め、なんとも心たのしいことには違いないのだ。
 蕎麦を食べながらそんなことをあれこれ思い、ひとり悦に入っていたわたしである。
 

 



Emico Y.





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