●変態にしか理解できない映画なのか
前半,主人公拓也の性癖が描かれる.彼女=紗月のブルマーや靴下の匂いを嗅いだり,彼女の鞄から抜き取ったリップを自分の唇に押し当てたり.
私の個人的な感覚では,これらの行為は,変態と呼べるほど特別な性癖ではない.誰しも好きな人に対する妄想を頭に思い浮かべたりする.それを隠れて実践しているだけのことだ.理解できないことではない.理解し難いのは,彼女と肉体関係を持った後にも,これらの行為をやめられないということだ.
この心理を描いてこそ,普通の高校生活をバックボーンにした意味があるというもの.変態にしかわからない変態映画なんて,私は見たくない.
しかし,私には理解し難い彼のこの心理について,映画は気の効いた解答を用意してくれない.
彼女から処女をプレゼントされた後,彼は「幸せだと感じる自分と,それを否定するもう一人の自分がいる」と心の中でつぶやく.このもう一人の自分についての説得力のある描写がない.やはり,変態にしかわからない変態映画なのか.
ところが,話が進んで行くうちに,制作側の興味が,彼にはないことに気付く.
後半の彼は,単なるマゾのいじめられっ子であり,屈折した彼女への愛もやはり淡白にしか描かれない.明らかに脇役だ.
そう.制作側の興味は,紗月にあった.彼女の奥底に眠っていた加虐性の覚醒と彼女の煩悶こそが,この映画の主幹であった.たしかに,もうすでにMを自覚し,それを受け入れている拓也より,自分の中に潜むSを知り,これにどう対処すればよいのか悩む紗月の方が,着目に値する.
彼女は,自分の加虐性を認めたくない.自分はノーマル,拓也は変態.そう思いたい.しかし,拓也を虐げるこの快感.自分も変態?そして,この変態性に火をつけてしまった拓也を責める.「私は,普通の恋愛がしたかったの!」
これこそ,わたしの期待していた青春変態映画.光と影の融合.紗月を主役に据えたことは間違いではなかった.
●やっぱりそうなのか
しかし,それでも私は,この映画に物足りなさを感じる.流れはわかるのに,彼女の気持ちが私の方に入って来ない.何故だろう.
紗月役の女の子は,役にぴったりのS顔で,とても存在感があるのだが,残念ながら,紗月の心の機微を表現し切れるほどの技量がない.これは,致し方ないところだ.
それよりも,もっと大切なものが欠けているような気がして,私も後になって考えてみた.それで,ひとつ思いついた.
快感である.この映画では,扱っているテーマとは切っても切り離せない,性的快感が主人公たちからほとんど感じられなかった.
何度かあるセックスの描写にはメリハリがない.どれが,紗月にとって最も感じるセックスだったのか.Sなのだから,先輩とのセックスを拓也に見せているときのものが最も興奮するはずなのだが,彼女は拓也に気をとられ,感じている風ではない.
もしかすると,彼女の快感は,セックスのときに感じるような快感ではないのかもしれない.Sの快感とは,もっと異質なものなのかもしれない.それを私が理解できないだけなのか.そうすると,やはり,変態にしかわからない変態映画ということになってしまう.そう,結局そこへ戻ってきてしまうのである.
拓也を虐待するシーンでも,紗月がそれで快感を得ているということは私にはわからない.変態的な行動が続くから,ああ気持ちいいのかなと,こちらが推測しているにすぎない.
変態の心理と快感.これをノーマルな人間に理解できるように,監督の力量でどうにかならなかったものなのか.まあしかし,難しいとは思うのだが.
●当たり前のように書いているが...
最後に疑問.なんで関西弁なのだろうか.必要があったのだろうか.皆,使えてないのに.
それともうひとつ.ここまで自分をノーマルという立場で書いてきたが,それでよいのだろうか.
Toshiro Y.