●上手なウソ,つけてる?
この映画はフィクションである.説明するまでもなく,映画を構成するドキュメンタリー・フィルムと記録ビデオは,監督の意図のもと撮影された虚構=ウソである.ただ,ドキュメンタリーという,真実の仮面を被ってウソをつこうというのだから,このウソは,極めて上手につく必要がある.
それから,この映画は,劇場用映画=商業映画である.ドキュメンタリーといっても,子供の運動会ビデオのように漫然とした映像や構成であっては,一般の観客はたまらない.話の核となる部分は,しっかりとカメラに納められ,いらない部分は,編集で切り取られている.そういうわかりやすい構成が,商業映画には望まれる.コアな観客の立場で言えば,その辺はどうでもよいことなのであるが,制作側は当然,商業映画として成り立たせるつもりで作っているだろう.
しかし,この2つの問題を両立させようとしているところに,この映画のひずみを感じてしまうのだ.
例えば,主人公の女性監督は,かなりの極限状態にあってもフィルムを回し続ける.仲間が怒って撮影をやめさそうとしても,なかなかやめない.彼女の性格や映画に対する情熱は,言葉で説明されるわけではなく,このフィルムを回し続けるという行動によって描かる.この辺りは,なかなか心得ている.しかし,映画にドキュメンタリーの手法を用い,かつ,劇場用映画として成立させるためには,彼女の人物像はこうでなくてはならなかった(登場人物に最後までフィルムを回し続けてもらわないと,話の核が押さえられない=劇場用映画として成立しない).
これって上手なウソ?私は,あざとさを感じてしまう.
ラストで,残された2人が,それぞれ8mm(?)カメラとビデオカメラを持って,空家に飛び込んで行くが,このシーンについては説得力にも欠ける.ラストシーンは,今までにない極限状態だ.先を走る男に「おいて行かないで」と口では叫んでいるのに,ファインダーを覗きながら走っているなんて,なんという落ち着きようだ.
これって上手なウソ?
●でも,作法無視って魅力的
観客にちょっとでも引かせる,ウソを感じさせた時点で,この映画は負けだ.引いた観客は,恐怖感など感じるわけがないから.
結局,このような手法で,恐怖(でも何でも)を表現することは無理なのか.
いやいや.もっと,上手なウソのつき方があるような気がする.でも,次は2番煎じになるから,それはやめてほしいね.
今回の映画は,私にはもうひとつだったけど,作法を無視している作品って,ちょっと期待してしまう.そういう意味では,これからも,こういった類の映画が出てきてほしいな.
Toshiro Y.