宇宙の果て、宇宙の大きさ

 

宇宙の果て、大きさを考えるとき、我々は、つい無意識のうちに3次元的な宇宙の果て、大きさを考えてしまいます。

そして、いつまで経っても、誰もが理解できて納得のいく結論に到達しない。というドツボにはまります。

しかし宇宙の果て、大きさを考えるには時間も考慮しなくてはなりません。

時間を考慮した宇宙とは何でしょうか?

夜空を見上げて見える宇宙は過去の宇宙です。

夜空に向けて光を放つとき、その先にあるものは未来の宇宙です。

我々人間が認識できる宇宙とは過去の宇宙だけです。

現在の宇宙とは「観測者自身」。それだけです。

我々が影響を与えることのできる宇宙とは未来の宇宙だけです。

宇宙の果て、宇宙の大きさを考えるときは、過去の宇宙と未来の宇宙を分けて考えなくてはなりません。

過去と未来は同じ土俵で論じられるものではありません。

過去の宇宙の果ては、最も遠い光源が過去の宇宙の果てになり、現在のところ130億光年程度と言われています。

未来の宇宙の果ては、私が生きている間に光を送り、そこから光が戻ってくることができる距離です。37歳の私の場合ですと、どんなに頑張っても100
÷2=50光年が限界でしょう。

よって、

過去の宇宙の大きさは、半径130億光年の球。

未来の宇宙の大きさは、半径50光年の球。

となります。

過去の宇宙は、年々大きくなります。それに引き換え、未来の宇宙は、年々小さくなります。

どんどん小さくなる未来の宇宙の果てに向けて、消えてしまう前に、出来るだけ多くの何かを発信したいものです。

ここで、人間が五感(+観測機器)で感じることが可能な範囲を「宇宙」と定義します。

人は普通「過去の宇宙」を見て「これが現在の宇宙だ」と誤解します。

そして誤解した「現在の宇宙」の広さを見て「未来の宇宙も同様に広い」「未来の宇宙は無限だ」と更に誤解します。

しかし、残念ながら実際の未来の宇宙の広さは「
余命÷2(光年)の球」の広さしかありません。

ここで誤解しないでもらいたいのですが「余命=決まっているもの」ではなく「余命=未知なるもの」であり、その数字を100億にするのも無限にするのも宗教の範疇であり、個人の自由です。

過去の宇宙の外=未来の宇宙の外=空想の世界=宗教の範疇=個人の自由と考えます。

過去の宇宙の広さは【半径137億光年の球】

過去の宇宙の果ての外=宇宙が始まる前=宗教の範疇=個人の自由

未来の宇宙の広さは【半径「余命」÷2[光年]の球】

余命=未知なるもの=宗教の範疇=個人の自由

∴未来の宇宙の広さ、未来の宇宙の果ては個人の自由。

さて、宇宙の果て、宇宙の広さについてご理解頂いたところで、次の説に進みたいと思います。

「宇宙は人の数だけ存在し、それがあたかも1つの宇宙であるかのごとくつながっている。」

天動説とは何でしょう?

地動説とは何でしょう?

天動説とは地球を絶対静止系として、全ての物の動きを説明することです。

地動説とは複数の天体の重心を絶対静止系として、複数の天体の動きを説明することです。

地動説では月の動きを説明するときには地球と月の重心を絶対静止系として計算します。

地動説では太陽系の惑星の動きを説明するときには太陽系全体の重心を絶対静止系として計算します。

地動説では銀河系の中の太陽の動きを説明するときには銀河の重心を絶対静止系として計算します。

地動説では銀河団の中の銀河系の動きを説明するときには銀河団の重心を絶対静止系として計算します。

『天動説で太陽系の惑星の運行を説明すると非常に複雑な式になる。しかし、地動説を用いると太陽系の惑星の運行を簡単に説明できる。ゆえに、天動説よりも地動説の方が実用的だ。』

ところが、地動説では宇宙全体の動きを説明するときには絶対静止系とすべき重心が存在しないため説明がつきません。

天動説では宇宙全体の動きを説明するときには観測者を絶対静止系とするため説明が可能です。

『A理論ではX問題は説明できない。しかし、B理論を用いるとX問題を説明できる。ゆえに、A理論よりもB理論のほうが正しい』

『地動説では宇宙全体の動きは説明できない。しかし、天動説を用いると宇宙全体の動きを説明可能。ゆえに、地動説よりも天動説の方が正しい』

地動説はある集団の動きを考えるときに、その集団の重心を絶対静止系として、集団に属するものの動きを考えていく思想です。

天動説は全てのものの動きを考えるときに、自分から見えるもの全ての重心を絶対静止系として、全てのものの動きを考えていく思想です。

地動説、天動説というよりはむしろ、地動思想、天動思想と呼ぶ方がふさわしいかもしれません。

地動思想、天動思想を人間関係にあてはめてみましょう。

地動思想による考え方は、一見他人のことをしっかり考慮した客観的な考え方のように見えますが、その集団を一歩はみ出した人のことは完全に無視した独善的な考え方に陥りやすいということは明白です。

家族のことを大事にし、家族のことばかり考える人は、家族以外の人に対してとてつもなく非常識な行動に出ます。

会社のことを大事にし、会社のことばかり考える人は、会社以外の人に対して(公害を撒き散らすなど)とてつもなく非常識な行動に出ます。

日本のことを大事にし、日本のことばかり考える人は、日本以外の人に対して(戦争をしかけるなど)とてつもなく非常識な行動に出ます。

天動思想は(TV、新聞を含む)自分から見える全ての人を考慮した考え方なので、地球に住む全ての人のことをちゃんと考えた思いやりのある行動に出ることが出来ます。

人間関係においても、地動思想の方が実用的で現実的ですが、実は天動思想の方が正しいということになります。