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演劇・小説のご案内:越 東風実Koshi Ayumi


≪白鳥の会のHP≫
http://wbirds.at.infoseek.co.jp/
2004年5月1日に「こもれびホール」で越 東風実KoshiAyumi
のペンネームで書いた「ゆきおんな」が上演されました。


≪越の作品集≫
脚本:「ゆきおんな悲恋編」(PDF)
※今回の上演した「ゆきおんなハッピーエンド編」とラストが異なります。
ゆきおんな劇場版「ハッピーエンド編」の違い

脚本:「天国の酒場」
地底1千メートルに眠る私の愛した昭和(PDF)

ある炭坑事故を題材に昭和という時代を見つめ直してみました。
※初演の街頭芝居用から今回大幅に加筆しました。

脚本:「夏がある」(PDF)
旧名:メトロが死んだ
少年ドラマシリーズの大人版です。甘く切なくちょっと哲学的です。
※初演のイメージを残しながら部分修正をしました。

脚本:「沼渡る風」(PDF)
介護と河童伝説にまつわるお話

父と子の創作童話
小説:「本が泣いている」(PDF)

お父さんと小学校高学年の子供達に贈る
万引き犯罪を考える物語

脚本:「ちのみご・嵐のイブの夜に」(PDF)
ショッピングセンターの警備員の活躍を描く


小説:店舗不正調査ファイル「夫婦桜」(PDF)
監査に関わる人々の厳しい現実と人情を描く


「コンビニ捕物帳」あらすじ(PDF)
小説:「コンビニ捕物帳」第一部(PDF)
・・・ふり返りの神無月・・・※

ある街に起きるゲートウェイ犯罪を通して
社会の絆再生の必要性を問う
※パスワードあり。閲覧ご希望の方はメールにてご連絡ください


「ゆきおんな」の内容(悲恋編)

誰しも知っている昔話をリメイクし、我々日本人の中に流れている「素朴で温かく、そしてこれからも大切にしたいもの」をテーマにして物語は構成されています。物語は人が生まれる前の「まほろばのくに」には花々を愛する二人の少年と少女がいた。さだめの時が来て1人は貧しい農夫に生まれ、もう1人は冬山の精に生まれ変わる。農夫の父は病気を苦に冬山で自殺を図る。父を捜しに出かけた農夫の与命(よいち)はその時、ゆきおんなを見てしまう。 
 ある吹雪の晩、庄屋の息子金像に借金の返済を迫られた与命の家にお雪が現れる。与命の優しさ引かれたお雪は与命の嫁になるのだが、金像は好きなお雪にちょっかいを出す。しかし、金では手に入らないものがあることが分かった金像は与命の家に火を放つ。金像は捕まり「紅蓮の炎焼き尽くしてやる」という呪いの言葉を残し、火あぶりの刑になる。月日が流れ二人には3人の子供に恵まれた。家族で語らう楽しい晩、与命はお雪にゆきおんなのことを話してしまう。その話を聞いたお雪はゆきおんなに変身し、そのまま荒れ狂う吹雪の中に消してしまう。お雪が去った後の与命は抜け殻のようなってしまうのであった。
 春が近いある日、村は地獄谷の噴火に襲われ、半数以上の人々が亡くなった。その最悪な事態から与命達を救ったのはお雪だった。それから数十年の年月が流れ、与命は最期の時を迎える。その死を見取ったのはお雪の娘だった。娘はお雪がゆきおんなの掟を破り与命達を助けた咎で無限の地獄に落ちていったと話すのであった。


「ゆきおんな」の公演が無事終了したので雪女にお礼の気持ちを伝えるために北アルプスの美女平(びじょだいら)に行きました。、昔、女人禁制の掟を破って神の山に入った乙女が神の怒りにふれ、冬山の精にさせられたという言い伝えが残る場所です。時雨模様のその雪山から下界を見下ろすと青空が見えました。その下の村村では田植えが行われています。
最後のなりましたが、ご来場いただきましたお客様に深く御礼を申し上げるとともに関係者の皆様にはこころから感謝しております
2004年5月3日




関西の学生劇団 西一風 SHAR・IPPOOの創立時のグラフティーです。

http://shar-ippoo.com
◆創立前夜
83年当時立命館で劇団といえば立芸でした。私のいた1回生のクラスに3人の立芸部員がいました。一方新演劇研究会は、男性部員1名という廃部寸前の状態でした。もちろん知名度も低かったので、新歓の時は入学式の後で勧誘のビラを配りまくりました。勧誘した相手から、「あなたも1回生?」とビックリされましたが、そんな甲斐があって10人ぐらいの劇団になりました。その時メンバーとして誘ったのが原昌樹君です。彼とは小中高大そしてサークルまでいっしょになってしまいました。その年は野田秀樹と唐十郎の作品で舞台公演をし、寺山修司の作品で街頭芝居をしました。3月に立芸の4回生が作った劇団に客演として参加、山崎哲の作品でしたが芝居の作り方が新演とは違うので苦労しました。立芸の部員だった長峰由紀(現TBSアナウンサー)さんも芝居を手伝っていましたね。2回生になって「時穴(ときあな)新演版曾根崎心中」というオリジナル作品を書き6月に上演しました。立命では久々のオリジナル作品でしたが、芝居関係者からはボロクソに言われました。一般の方々には評判が良かったので「まあ、いいか」という感じでした。10月から満開座の仁王門大五郎さんに付いて、芝居作りの勉強をしていました。実際には、ジャズダンスの練習ばかりやっていましたが、仁王門さんの芝居への想いや清瀬順子さんのビリビリくるような演技力は別格でした。求めていたもの・源流に辿り着いた感じでした。
◆誕生
そして、1985年4月に劇団西一風を宇野君(メドーサポンコ)と高橋君(オリンポス哲)の3人を立ち上げました。西一風と書かれた番傘を広げ、学内のピロティーや空きスペースで街頭芝居をやっていました。街頭で行なう時はカジュアル・パフォーマンスSHARIPPOOと名乗っていました。第1回目のパフォーマンス「華燭の宴」の時は、学生課の腕章をした人物が「無許可で勝手なことするな!」と芝居を止めに入り、緊迫した状況になるんですが、その役をやったのが宇野君でした。そのときの台詞は『沈む夕日に「おつかれさん」と声かけて吹かれきたよ西風に、俺達天下御免の西一風」という決めゼリフでした。こころに残っている街頭芝居は夕張炭鉱大災害「天国の酒場」です。闇夜に光るカンテラの明かりはどこか薪能の幽玄さがありました。何十の岩?を降らせたのでもうビックリ!真剣に見てただいた観客の方々よりおひねりを何万も頂戴したことです。それから街頭のパフォーマンスがちょっとしたブームになり、落語研究会や交響楽団も街頭やピロティーで催しをするようになりました。12月に第1回の劇場公演 ラ・ヴィー 翌年4月に2代目座長の斎藤君が学生劇場とプロデュース公演 11月に第2回の劇場公演 メトロが死んだ を上演しました。その後、斎藤君や3代目座長の目黒君が継続して活動してくれました。新演時代からの奥村君、矢野君。立芸からお手伝いた渡辺さん、西洋史学科からは渡辺君や山本君達、映画研究会からは金さん、ブレーンだった日文の杉内君※、芝居好き木本教授、無限洞のマスター、ミックマックのママなど、その他多くの支援者に支えていただき、西一風は誕生しました。
◆自分で感じ取ることの意義
不器用でもいいから自分が思っていることを自分の言葉で自分の身体で表現してみると、今まで気づかなかったもう一つの自分の姿が見えてきます。西一風には型もなければ流儀もない、あるのは時代・人・自然に対する感受性の豊かさだと思います。森や海岸や川岸を散策すると心が和むように自然体で芝居に取り組めば、人生の素晴らしさを教える小道に出逢えます。西一風を卒業しても時には自分達で芝居をやってみてください。ビックになってほしいと言っているのではありません。小さな町や村でもいいじゃないですか。そういう所にこそオリジナルの文化があってほしいものです。ボランティア団体・青年団・学校・企業などで芝居の面白さを教えてあげて下さい。※ 同時代の人々が同じ空間で共に泣き笑いし、そして人生を考えることの素晴らしさ。仕事をしていたら無理だと思いがちですが、願えば想いは叶うと信じています。最後に劇団創立の主旨書の冒頭部分を添えました。

      人々の心から心へ吹く抜けていく その時の風になりたいと思う
      誰しも通るであろう追分の道で 生きて生きていかなければならない
      生の性の歩んだ証を植えつけるために 我々は芝居をする
                                          越 東風実


※将来「時穴」〜「メトロが死んだ」までの発表作品や未発表作品「アムネジア」などの戯曲集をWeb上で公開したいと思っています。
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