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外国でも、親が子どもに暴力をふるう例は珍しくないけれど、子どもが親に暴力をふるうのは極めて日本的な現象です。 なぜ、日本だけにこうした子どもの「家庭内暴力」が起こるのか? それは一言で言うと、子どもに対して過保護だからです。 |
| ■1. 過保護なら犬も飼い主の手を噛む |
精神障害の患者さん一人ひとりは個別の問題を抱えているのですが、何百人、何千人という症例を集めて分析してみますと、社会の変化を反映していることがわかってきます。 そして一人ひとりの心の病は社会の病でもあり、社会の病がどこに向かおうとしているのかも、ボンヤリと見えてくる気がします。 精神障害が時代の有り様を反映するという観点は、早くから指摘されているところですが、最近とくに注目すべきは、他の時代や他の国に見られないタイプの心の病が今の日本に蔓延しているという現実です。日本固有の心の病……それは子どもの「家庭内暴力」です。 現代の日本社会が抱えている病理を示すこの問題について少し掘り下げて見ましょう。 外国でも、親が子どもに暴力をふるう例は珍しくないけれど、子どもが親に暴力をふるうのは極めて日本的な現象です。なぜ、日本だけにこうした子どもの「家庭内暴力」が起こるの でしょうか? それは一言で言うと、子どもに対して過保護だからです。 家庭内暴力が問題となった子どもたちの多くは、親の同意を得て医療保護入院として、まずは精神科の閉鎖病棟に入り、専門医とじっくり話し合うことから治療をはじめます。 家庭内暴力の子どもたちの大部分は《過保護》で育っており、他人には極めて親切なことが多いのですが、自分の親にはわがままになり、自分の言う通りにしないと暴力をふるってしまうのです。 入院してきた彼らに、 「なぜ、母親にそんな暴力をふるうんだ? お母さんは死にそうなほど殴られたり蹴られたりして、骨折で入院しているんじゃないか?」 と問いただすと、 「だって、ぼくの言うことをきかないんだもの」 とケロッとした顔で言います。 そんな彼らの発言から、小さいときは大事に育てられ、親に何でも言うことをきいてもらったことがわかります。生まれながらにして彼らは王様であり、絶対的な権力者として育てられてきたのです。 しかし、中学生ぐらいになると、あれこれ買ってくれと言っても、小さい子のおもちゃのように安いものばかりではないから、親もそう簡単には買ってくれません。また、その頃になると、親は、将来の進学に備えて勉強をしろと口やかましく言い出します。 そんな親の期待に反して悪い成績を取ったら親は悲しい顔をします。このような状況になったとき、突然、彼らは自分の絶対的な権力を発揮し始めるのです。 上手に犬を飼うには、早い時期にきちんと《躾(しつけ)》をする必要があります。 甘やかすだけ甘やかして、肝心のしつけを怠りますと、犬は飼い主の言うことをきかないばかりか、飼い主が自分の思い通りにならないと噛み付いたりするものです。これを、「権勢症候群」と言います。 犬は自分のほうが飼い主より上位に立っていると思っていますから、下位の者、すなわち飼い主が自分に反抗的な態度をとるとみるや、脅かすのです。 犬と子どもを一緒にするわけではありませんが、自分の期待通りにふるまわない親に対して、子どもが暴力をふるうのも、似たようなものかもしれません。 子どもの暴力の洗礼を受けている親には同情を禁じえませんが、これも子どもの育て方を間違えたきついしっぺ返しを受けていると申し上げるしかありません。 |
| ■2. 母子密着・父親不在のしくみ |
そのような家庭は、どのようにして形成されたのでしょうか? まず、母親は子どもが生まれると、父親を差し置いて子どもを一番大事にするのです。父親のほうは、母親があまりにも子どもと密着しているので、この関係の中で自分の居場所がなくなり、会社人間や仕事人間に追いやられることになります。 多くの会社は依然として男社会であり、男たちが威張ったり、リラックスできる場所となっています。家では母子連合に勝てない父親も、会社には自分の存在価値があり、手応えも感じられる。彼らの多くは自分で働いて家計をまかなっているのに、その家では小さくなっているのが現実なのです。こうして子どもは、母親を独占して育っていきます。 しかし、これはやはり特異なことです。そもそも家庭というのは、昔の日本ではそうだったし、今でもよその国では当たり前のところが多いのですが、両親という連合があって、その下に子どもがいるのが一般的です。そのため 、かのフロイトが指摘したように、子どもが母親の愛情を独占しようと思えば、まず父親と闘わなければならないことになります。 しかし父親と母親は夫婦として結びついているので、子どもは父親に勝てず、やがては身を引いて親から一定の距離を置くようになる。これが「エディプス・コンプレックス」といわれるもので、普通はこうして子どもは自立へと巣立って行くことになります。 ところが、今の日本の家庭の多くは父親不在です。早朝出勤・深夜帰宅や単身赴任などで物理的にいないこともありますが、たとえ家の中にいても母子と精神的なつながりが弱いといえます。父親が、自分の権力を子どもと母親に譲り渡すのが当たり前の今の日本は、エディプスなき社会なのです。 こうして子どもは闘わずして母親を独占することができます。その結果、子どもと母親の結びつきがあまりにも強くなり過ぎ、子どもにとって母親は「愛しているけれども憎い」存在となるのです。このような愛憎のこもったアンビバレントな(二律背反の)感情が噴出したとき、「家庭内暴力」になると思われます。 「家庭内暴力」のきっかけは、受験の失敗や成績低下など、子どもが「母親の期待に添えない状況に陥った」と思い込むことから始まるケースが多いようです。 子どもが母親と心理的に密着しすぎているために、自分自身への怒りがそのまま母親に移行し、自分を罰したい、自分をめちゃめちゃにしたいという気持ちが、母親に対する暴力や家の中のモノを壊すという形で現れるのです。 |
| ■3. 小さい時のしつけは、子どもの一生を左右する |
親がしつけもせず、自立心も育まないから、子どもは当然スポイルされます。 外国のレストランで同じ日本人として恥ずかしい思いをするのは、そこに来ている日本人家族のうるさいこと。子どもたちが騒いでいるのに、夫婦は「うちの子は外国でも物怖じせずに元気でいいわね」などと喜んでいる愚かさ丸出し。周囲の客からは、子どものしつけができていないことで、その親に対して非難の目が向けられているのにも気付かないのです。 「三つ子の魂百までも」というように、小さいときのしつけは子どもの生涯を左右します。今の親はそんなことを考えずに子育てをしているようです。しつけ能力以前の問題。 だから子どもは、まるで王子様か王女様のように育てられるが、幼稚園や小学校に入ると、勝手が違って戸惑ってしまいます。幼稚園や学校では、みんなが対等であり、自分だけが特別待遇を受けることはありません。それで彼らは、幼稚園や学校に行くことが嫌になってしまいます。こうして不登園や不登校の傾向を示し始めるのです。 学校での「いじめ」も、中には悪質で深刻な問題もありますが、ちょっとした「からかい」をさも重大なことのように受け止めるケースが実に多い。それですっかり学校が嫌いになって、母親が保護してくれる家庭にしがみつくのです。 子どもたちはやがて青年になりますが、相変わらず対人関係が希薄で、心の深いところで人とコミュニケーションを取ることができない。 親友と言えば、心の悩みを語り合うことができるキーパーソンとしての関係だと思われるのですが、いまの若者たちは一緒につるんで、表面的に楽しいだけの話をして、悩み事はみんな母親に相談する。何時まで経っても、母親から自立できないのです。 それは社会人になっても変わらない。会社に入った新人を注意したり諭したりすると、それを叱られたと受け取り、女子社員なら泣き出し、男子社員なら翌日から出社拒否するというケースはもはや珍しくなくなりました。 |
| ■4. 父親のへたな干渉も子どもをダメにする |
日本の家庭の多くは父親の存在が希薄ですが、父親がヘタに関わっても子育ては失敗します。 次に挙げるのは、子どもの家庭内暴力の原因が父親にあったケース。 中学2年生の男の子が父親と母親に暴力をふるうというので、M医師の精神科に一家3人で相談にやってきました。家庭内暴力の子は、母親に暴力をふるっても、父親に手を上げることはあまりない もの。 もともと父親と絆が弱いから憎しみも薄いし、取っ組み合ったら体力的に負けるかもしれないからです。しかし、この親子はこうした常識とは少し違った。 その子の体は極めて大きく、大学生のような体格だったのです。それに比べて父親は一回り小さかった。M医師がその子に「何で暴力をふるうの?」と聞くと、 「退屈だから。レスリングごっこですよ」と答えた。 そのふてぶてしい受け答えに、M医師は治療の難しさを予感した。 しかし、何回目かの面接で彼はこう漏らした。 「先生はぼくの暴力のことばかり非難するけれど、父親はもっとひどい暴力をふるっていたんですよ。小学校2年生ぐらいから塾に行かせられ、成績が悪いと棒で殴ったんですよ」 そのときは父親が絶対的な存在だと思っていたから、自分のほうが悪いのだと思っていたが、だんだん大きくなると父親が許せなくなったという。それでも父親は相変わらず、子どもの成績が悪いと言っては棒で殴るので、もう学校には行かない、といって不登校を起こしてしまった 、のだという。 「でも、そのうち父はぼくのことをあきらめてしまったんです。父はぼくに自分よりも良い大学に行って欲しかったんでしょう。それで無理にでも勉強させようとしましたが、自分の思い通りにならないとわかった途端、ぼくを見捨てたんです」 母親はというと、小さい頃から息子と父親の関係が強かったので、入り込む余地がなかったそうだ。つまり、このケースでは、母親との絆が弱く、父親にも見捨てられた息子は、精神的には孤児も同然だった のです。 父親への恨みはますます強まり、中学生になって体が大きくなると、父親を羽交い絞めにしたり、殴ったりという暴力をふるうようになった。小さい頃から棒で叩かれ続けてきた恨みを晴らしているというのである。 「だから、ぼくの暴力を非難するなら、その前に父の暴力を非難して欲しいんです」 そのとき父親も同席していたので、M医師が「本当にそういうことがあったのですか?」と聞くと、父親は恥ずかしそうに「まあ、あったと思います」と答えてうつむいた。 これは母子密着の代わりに父子密着のケースで、その父親は子どもに保護や愛情を与える代わりに暴力によって勉強を強要した。それが思い通りにならないとわかった途端、子どもを捨てるように無関心になってしまったのである。 そういう経緯を聞いて知ってしまうと、暴力をふるう息子に同情したくなったほどである。 |
| ■5. しつけの目的は、子どもの自立 |
親の最大の役割は、子どもをしつけることだと思います。そのしつけの目的は、将来子どもが自立して一人前に生きていけるようにすることである。このしつけに当たって、父親と母親 にはそれぞれの役割がある。 父親のしつけは、子どもが幼い時は遊びと入り混じっています。小さいときは「たかい、たかい」をしたり、もう少し大きくなればキャッチボールなど運動を伴う遊びを中心にして、ルールを身に付けさせ、感情の発達を促していく。この父親の役割をひと言で言い表わすと、社会的な目で子どもを見つめ、導いていくことである。 一方、母親は、子どもが2歳ぐらいまでは世話をする役割に集中することになる。食事の用意や排泄の始末をはじめ、幼い子の世話に徹しないとどうしようもない。父親もできることは多いが、おっぱいを与えたりオシメを替えるのは、どうしても母親の役割になりますね。 このように、母親は子どもが2歳までは夫を二の次にして、子どもにかかり切りになってもいいが、子どもが2歳を過ぎたら、母親はもう一度夫と絆を強めて、夫婦で一緒にしつけの方針を考えたり、共同で育児に当たる必要がある。 なぜ2歳なのかというと、子どもは2歳までは精神的に母親にくっついていないといられず、生理的にも生きていけないからです。しかし、2歳を過ぎると言葉もある程度話せるようになり、歩けるようになって、自立に向かい始める。もちろん、この自立は本格的なものではなく、そばに保護者が付いていないと、とても危ないものだ。そのうち一人でも放っておける時間が長くなり、行動範囲も広がっていく。そうなったら母親は子どもとやや距離を置き、少し離れたところから子どもを見守るようにすればいい。 この初期のしつけのポイントは、善悪を教えることである。いろいろな機会に、「これは良いこと」「これは悪いこと」といったことを教えるのだが、それには信頼関係が大切だ。これは大きくなっても大事なことで、中学生になったわが子に対して、信頼関係が薄いのに叱り付けてばかりいても反発されるだけだ。 このしつけは、将来、子どもが自立して社会でやっていけることを目指して行うべきで、それを忘れると、親の気分に左右され、その場限りになりかねない。目線を遠くに置き、「あなたが社会に出るまでに覚えておくことはこれこれだ」といった考えに裏打ちされていれば、厳しく叱っても子どもは納得するもの です。 今の時代は、子どもをしつけるということが難しい時代である。巷にはモノがあふれており、子どものお小遣いで手に入る物も多い。テレビをつけておけば野放図に情報が流れ込んでくる。だからこそ、親は毅然とした態度で子どもに接し、きちんとしつけをする必要があるの です。 |
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