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石黒医師の診察室

〜ある営業マンの憂鬱〜

作:多摩野ゆかり


 

1.T・I・Mの事例 

「あつつ……」
 松本克行は、診察室へ向かう廊下を歩きながら、いつもの胃の痛みを覚えた。

『まったく、こんなときまで……』

 M市では有名な、M医科大学付属病院である。
 克行は、いくつかの通院歴の後、最近はこの病院の 心療内科に通っていた。
 それが先日、同じ建物の中にあるTI医療センターという施設を紹介され、幾つかの検査をうけた上で、今日初めて、訪れたのであった。

『通常の治療では、おっつかないってわけか……』

 いささか自嘲的になりながら、克行はTI医療センターの受付にたどりついた。
 予約済みだったため、さして待たされることもなく、克行は診察室に案内された。

「こんにちは。はじめまして、私が当センターの専任助教授、石黒です」
「あ、これはご丁寧に。松本と申します」
 挨拶をかわし、松本は回転イスに腰掛けた。
 石黒は、さわやかな雰囲気の、なかなかのいい男だった。ちょうど、人気のあったテレビドラマで主役の医師を演じたKのような感じである。そして、それを誠実そうにした印象であった。
「さて……松本さん、あなたの病状と検査結果は、すべて目を通し、私たちに出来る治療法も、検討済みです」
「あー、それはどうも。どうです、治りそうですか?」

 さして期待もせずに、松本は尋ねた。
 そもそも松本は高卒で社会に出て、やがて訪問販売系の営業職に就き、がむしゃらとも言えるほど働きづめで、30歳で小さい会社ながら、営業所長にまでなり、マイホームも建てた。これからというところで、体調を崩し、仕事がうまくいかなくなり、抑鬱に不眠症等を併発、輪をかけて公私ともに悪くなる一方で、それが元でストレス性胃炎になり、血まで吐いてぼろぼろになって、35歳で長年勤めた会社を辞め、再就職して一営業マンから再スタート、もとより責任感が強く、仕事もできる男であり、経験を生かしてこの1年ほどの間にマネージャーに昇進し、若手の面倒を見るまでになった。ところが、そうして人間関係が複雑になってくると、もはや持病と化した神経性胃炎が悪化し、またぞろ心身に不調をきたしはじめたのである。
 こうした経緯から、その都度、内科・精神科・心療内科を渡り歩いてきたわけであるが、抜本的にさっぱりと解決することは、もはや無理なのかな、というあきらめの境地に達しつつあった。とは言っても、仕事はある、ローンも返さねばならぬ。そういう状況なのである。
 今回は、胃炎がひど過ぎて会社を休み、心配した妻まで付き添って来て、1日入院して点滴をうたれ、2週間たった今日、検査結果が出るということで、こうして通院をはじめたところであった。

「どうですか、治したいですか」
 石黒医師が、 逆に聞き返した。
「それは……できるなら……」
 精神科や心療内科の医師に特有の聞き方である。
 松本も最初はとまどったが、何人かの医師に接しているうちに、そういう思考法もあるのだな、という感じで慣れてきていた。

「松本さん。率直に言いましょう。これは、キリがないですよ」
「…………」
「仕事をする、無理がたたる、不調になる、転職する、仕事をする……ループですよ」
「そう言われましても。苦笑。仕事をしないわけにはいきませでしょう。家のローンも有りますしね」
「そうですね。しかし、このままずっと、同じことを繰り返していく人生でいいのでしょうか?」
「はは……何をおっしゃいますやら。これが、私の人生ですよ」克行は、ためらいもなく、自信を持って応えた。ただし、こう続けた。
「……まあ、まったく生まれ変われるのなら別ですがね。笑い」

「松本さん。当センターは、あるテーマに沿って、治療を行います。お聞き及びですか?」
「いえ。何にも。 ……精神科の一部門だとは、聞きましたが」
「そうです。当大学病院には、第一精神科、第二精神科があり、前者は従来の精神医学関連、後者は比較的新しい分野である、GIDを扱ったり、TI治療を担当します。ここがそのひとつ、TI医療センターです。略称は、メディカル・センターのMを付けて、T・I・M、です。」
「はい」
「TIとは、日本語では当初”気分転換法”として紹介されましたが、英語でいうと
 トランス・アイデンティティ
 です。まあ、語感から抵抗も生まれやすいので、現在も、気分転換法と呼称しておりますが 」
「トランス……アイデンティティ?」

「簡単に言うと、別人に生まれ変わることですよ」
「……な、なんと!」
 30代後半ともなれば、リアクションもおっさん臭いのである。
 それにしても、この石黒医師とは、何を言い出したのだ、いったい?!
 克行の疑問はふくらむばかりである。

「あなたを包む環境を変えるか。あなたが変わるか」
「…………」
「あなたの病状・生活の苦しみを取り除くのは、何れかひとつです」
「…………」
「あなたが変わるのが一番手っ取り早いことだと考えられます。このセンターでは、そのお手伝いを出来るということです」
「な、なにを馬鹿な……」

 石黒医師の突拍子もない説明に、克行は大いに戸惑った。
 それはそうだ、責任感にあふれる一人前の社会人である。
 そんな自分が、丸で別の……別の人間になる?!……そんなことが、できるのだろうか……?
 そして、もしもそれが可能だとしたら……?

 克行が不審に思いつつも、むしろ真剣に考え込むような表情になったのを見て、石黒医師はにわかに相好を崩して言った。
「まあ、確かに耳慣れない方は、とまどわれることでしょう。私も最初は信じられませんでした」優しい笑顔で語りかけると、 机の上に用意してあった、一冊のバインダー・ファイルを開き、それを、克行に渡した。
「御覧なさい。これまで、本場アメリカで実施された事例です。このTIMで扱った事例も載っています」

 克行は、とまどいながらも、強い好奇心と一縷の期待から、そのファイルを興味深げに読み始めた。

 ◆事例:ファンドマネージャーのM氏。40歳、白人男性。既婚。子供なし。写真[×]

正式に離婚し、17歳の女子高生となる。年齢相応の愛くるしい容姿に整形し、クラブ活動はチア・リーディング、母校のアメフト部の応援では可愛いお色気を振りまき、男の子にも人気。養女となった家庭で、両親と大学生の姉の4人家族、飼い犬と幸せに暮らす。

 ◆事例:弁護士のK氏。38歳、黒人男性。独身。写真[×]

23歳女性として、大手銀行に就職。秘書として活躍する。初めは男の子にはあまり興味はなかったが、現在は同僚とステディな関係にある。バカンスは夏はセーリング、冬はスキー。週末は、彼氏の好きな野球観戦につきあうようになった。ルールもろくに知らなかったが、今ではSチームの日本人選手 Iチローの熱烈なファン。

 ◆事例:大学教授のR氏。60歳、白人男性。既婚。子供あり、孫もいた。写真[×]

19歳の女性として、カレッジに途中入学。週に3度、郊外型レストランでウエートレスのアルバイトをする。メイドキャップとワンピース、可愛いエプロンがよく似合い、看板娘となる。常連のトラックドライバーにからかわれることもあるが、楽しい毎日で、大変満足している。
なお、このカレッジは、自分が教鞭を取っていた学校で、同級生や先輩に教え子が多い。のみならず、自分が担当していたクラスに入った。たまたまそこには、孫娘がいて、今では親友。

 ◆事例:NY市警・警部補のJ氏。34歳、白人男性。既婚。子供あり。写真[×]

30歳女性となり、その上でさばを読んで20歳と称し、ハーレムのストリートに立つ。マイクロミニのスカートやメッシュのタイツ、けばけばしい化粧でいつもガムをくちゃくちゃ噛んでいて、すっかりお下品になってしまった。しかし、本人はこの生活に大変満足。
夢は、素敵なお金持ちの若い男性が現れ、自分を素晴らしいレディに変身させて結婚してハッピーな生活を送ること。今は、内緒だが薬物もやっているので、何れ有罪になり、女子刑務所に入れられるだろうという諦めと期待がある。
(※かなり複雑な心理のようだ)

 ◆事例:海兵隊のT氏。30歳、白人男性。独身。写真[×]

特殊チームの隊長まで勤めたが、除隊。20歳の女性として、CDショップに勤め、数年後、店長といい仲になり、結婚。しかし1年後、元部下がギャングとなって、事件に巻き込まれ、夫は殺され、自分も陵辱され、1年ほど意識不明となる。その後復讐を果たすが、裁判で有罪となり、現在は服役中。出所したら手に職を持って、自立した一人の女性として、教育か医療関係に就職したい、と考えている。女性になったことは全く後悔していない。

 ◆事例:大学リーグのエースクォーターバック(QB)のH君。22歳、白人男性。独身。写真[×]

68歳女性として、年金生活に入る。おぼつかない足取りで近所を散歩したり、お年寄りの集会に参加する日々。ひったくりに鞄を盗られたことがあるが、幸いケガはなかった。若い人の親切が嬉しい。


 ◆事例:中学生のO君。14歳、日本人男性。独身。写真[×]

14歳女子として、生活を始める。場合により、9歳女児にもなる。(後略)

 

「……ふうむ、これだけの事例があるとは……いや、正直驚きましたよ?」
「そうでしょうとも。――これだけ沢山の人々が、別人になって人生をやり直しているのですよ」
「あの、ひとつお尋ねしたいのですが、女性に……なった人ばっかりですね?GIDの症例ではないのですか?」
「もちろん、そういう方も含まれます。が、全くそうしたこととは別の次元で――簡単に言うと、自分は男性である、と、間違いなく自覚していて、精神医学上ホモでもゲイもない、そういう方がほとんどです」
「そ、それがまたなぜ?この人なんか――40歳で社会的地位もあるだろうに、じょ、女子高生になってしまったのですか?」

「そこが、いいところなのです」
 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、満面の笑みで、石黒医師は応えた。
「”別人になる”、これがこの治療法のポイントです。これに際して、性転換はとても好都合なのです。性別を代えるだけで、全く別人になってしまう。そうでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
「肉体をいじる手術しなくても、女装だけでもいいのです。人様に分からなければいいのですから。そうして、全く別の自分になって、人前に出る。新しく知り合った人は、この人はこういう女性なんだ、と認知する。本人もそれによって、新しい人生を自ずと送り始めることになる。……まさに生まれ変わりではないですか?」
「なるほど……それと、よ、40歳から17歳になってしまったのは?私と年が近いせいか、どうも他人事に思えんですな……」

「ひとつは、育てなおし、という概念から、可能なら若いほどよいのです。例外もあります。この22歳男性の場合、思い切り若く乳幼児からやり直すというメニューが用意されましたが、本人の希望もあり、68歳の老婆になることになりました。この場合は、元の年齢との落差がそれなりにあるので、むしろよかったとも考えられます。まあ、幾通りかのコースから、最終的には本人が選択するのがベストですしね。あとの方にありますが、普通に20歳男子から20歳女子になって、大学の同じクラスに復帰した例もありますよ」
「ふんふん……」

「もうひとつは、有羞恥運動というメソッドです。強い羞恥心に包まれることで、人格の遷移が爆発的に進むことが確認されています。余計なことを考える暇もなく、兎に角、新しい生活に慣れよう、といった風に、人間の適応性がスムースに機能するのでしょうな。松本さん、あなただって、これからはスカートをはいて、17歳の女子高生として生活をしろ、と言われたら、それは恥ずかしいでしょう?」
「ば、ばかな!そ、そんなこと……おかまじゃあるまいし……そもそも私には、14歳の娘がいるんですよ。もう、中2です。ま、まったくそんな……」
 克行は、怒りというよりは、強くうろたえた。
 ちょっと考えただけで、恥ずかしくて思考が停止してしまうのであった。
「そう、それだけとまどいやショックが大きいわけでしょう?そのくらい、現在の自分とかけ離れていること――その効果こそが、このTI術の最大のメリットなわけですよ」
「…………」
 あまりにもショッキングな話で、克行はとまどいを隠せない。見るとも無く、なおもファイルを めくる。
 この画面では、写真はおそらくリンク切れで[×]になっている事だろうが、実際のファイルでは、まごうことなき美女、美少女たちのさりげないスナップが貼付されている。この魅力的な女性達が、地位や名誉、それなりのキャリアのあったいい年こいたおっさんだったとは、誰が想像できよう?

「さて」
 石黒医師が言った。
「?」
 次は何を言い出すのか、くらいの気分で、克行は目を上げた。

「松本さん、あなたは13歳女子中学生になってみましょう」

 克行は、ちからが抜けて、開いていたファイルを床に取り落とした。
 呆然として、石黒医師の顔を、ただ凝視したのだった。


2.妻の説得

「えーと……先生?」
「はい?」
 石黒医師は、にこやかに応えた。

「わ、私が……13歳の、女子中学生に……なるんですか?」
「松本さんさえよけば、それが一番ですよ。当センターで、松本さんとご家族のプロフィールを検討し、最適な新人格をご用意しました」
「そりゃ……別人に生まれ変われるのなら、それは夢みたいに素晴らしいことかも知れません。しかしね、私はもう36歳、当然結婚もしてます。家族を愛しています。私にとって一番大事なのは、妻と娘、家族なんですよ――さっきも言った通り、娘もいて、そ、そうです、娘は14歳、中2なんですよ?13歳といえば、娘よりちいさい子じゃないですか!わ、私が中1の、お、女の子になる?!何かの間違いじゃないですか?!どこが、さい、最適だと」
 克行は、次第に興奮してきた。

「ですから。全くの別人に生まれ変わるとは、そういうことでしょう?」
「そ、そりゃそうでしょうが、よりによって、その、いったいまた――」
「松本さんは、見かけも悪くない、いい男です。仕事も出来る。普通以上にばりばりやるくらいです。どうなんでしょう?風采のあがらない、例えば、例えばですが、パゲでデブでチビな、どうしょもない男になりたいですか?」
「いや、そ、それは……」
「あなたの才覚は、変わりません。つまり、見かけだけ悪くなって仕事はこれまでどおり、ということになるでしょう。いいんですか、それで?むしろ、奥さんや娘さんに嫌われるだけで、今より悪い人生になってしまいませんかね?」
「…………」
「ここは医療センターですから。魔法の病院ではない。あなたを王子様に変えることはできないんです。スーパーマンのような超人に変える事も、もちろん出来ません。――ちょっといい男に整形することはできましょう。それで、どうします?家族を捨てて、ホストにでもなりますか?」
「…………」
「今とちょっとだけ違う、別の男になってみますか?今も言ったとおり、能力も経験も、何も変えようがありません。結局似たような人生になるだけです。意味、ありますか?」
「…………」
「手間ひまかけて、別人になるのですから、もっと大きな変身をしたほうが、あなたも嬉しいのではないですか?――どうです、一度くらいは『女になってみたい』と思ったことはありませんか?」
「……そりゃ……男ですから。ちらっとは――でも、学生のときですよ。それも、高校生くらいの。私は高卒で働きに出て、すぐに今の女房と一緒になって、20歳(ハタチ)すぎでもう、娘が生まれましたしね。そんなこと、それっきり考えたことも無い!」

「だから。――いいのです。完全な別人に生まれ変わるとは、そういうことです。それも、ブス・へちゃむくれになるわけではない。それは、私どもが保証します。可愛らしい女の子として、新しい人生が始まるのですよ。――もっとも、地味目な子、目立たない普通の女の子がご希望なら、それも可能です」
「いや、あの、その――だから――」
 克行はすっかり混乱して、自分の身体を見回し、両手を振り回すようにして、あちこちを触った。
 今、こうやってドブネズミ色のスーツを着ている、むさいオッサンであるこの俺が――
 女子中学生に?

「そ、そうだ、生活が成り立たないじゃないですか。それに、女房や娘は、どうなるんです?一緒に変身するんですか?何に?」
「苦笑。いやいや、奥様、娘さんは何も変わりませんよ。変わるのは、あなただけです」
「何をどうやって生活しろと?!私が女の子になって、妻や娘と、い、一緒に暮らす?――ワーーー
 とうとう叫びだした。


 
 数分後、克行は、左腕をコットンで揉んでいた。
 錯乱しかけたので、石黒の機転により、鎮静剤を注射されたのだ。というわけで、呼ばれて用具を用意した看護婦ミユキも、そのまま診察室の片隅で待機することになった。

 石黒が尋ねた。
「落ち着きましたか?」
「はあ。なんとか……」
「事務的にお話しましょう。いいですか、これは仮定の話です。仮に、あなたが13歳女子に変身するのなら、どのようになるか?」
「はあ。」
「会社はやめていただきます。当然ですが。マイホームは、処分して下さい。売るアテが決まらなければ、個人的にご相談に乗ってもいい。しかるべきところをご紹介しますよ。おそらくそれで、ローンはチャラか、少し余りがでるはずです。それと、現在の貯金とで、しばらくは暮らして戴きます。もちろん、ご家族と一緒にです。」
「…………」
「その間に、奥様には働き口を見つけてもらう。娘さん――長女ですね。上の娘さんは近く高校進学ですから、何かと入用でしょう。下の娘さん――次女のあなたですが、あなたも年頃になってきて、何かと多少かかることでしょう。娘二人をかかえて、奥様お一人でしのがなければならない。中々大変でしょうけど、やむを得ません」

 次女?この俺が?女房の?……克行の口元がほころんだ。笑い出しそうだった。目つきは、ちょっと、やばげになっている。

「でもまあ、女3人ですから、それほど大変ではないかも知れません。今、お車をお持ちですが、これを処分して、生活保護を受けるのも手段かも知れません。なに、恥ずかしいことではない。助け合って生きていくのが、この世の常というもの。何れ成長し、大人になって社会に恩返しすればいいのですもの。」
「あの……あのねえ、先生?そんな無茶な話がありますか?そ、そこまでして、なんで私が別人に――それも何もできない小便臭い小娘になって、わざわざそんな苦労を――女房になんと言って説得します?いや、説得というか、まず私を説得してほしいところですが」

「奥様は分かってくださいましたよ」
「はっ?」

「奥さん。お入りください」
「!!」

 診察室の入り口と反対側に、もう一つドアが有った。
 そのドアが開き、克行の妻、京子が入ってきたのだった。
「きょ、京子、おまえ……これはいったい?!」
「奥様にはあらかじめ、ご説明してあります。あなたの病状、現状の問題点、解決策……」

「あなた。ごめんなさい、隠れるようなことをして。石黒先生に呼ばれて、事前に告知されていたのよ」
「こ、告知って、おまえ」
「わたしも、初めはショックだったわ。けど、これはもう、それしかないんだ、って諭されたの。そして、今までずっと控えの間で先生のお話を改めて聞いていて――あなたの反応も聞いていて――すっかり覚悟は出来ました」

「お、おいおい……」

「大丈夫よ。あたしだって、パートの経験があるし……それに、若い頃は、ほら、ね。だから。」
 ウフッと、京子が微笑んだ。
 ぶっちゃけ、克行と京子は結構ヤンチャだったのだ。
 当然、水商売くらいは経験があるのだった。そのことだろう。

 そして、そうした経験や背景は、石黒がプロファイリングの要素として、ヒアリング済みだったのである。また、だからこそ、これなら、3人家族という一家の構成はそのままに、克行一人が変身するだけで、すべてがうまくいきそうだ、と、石黒医師自身が確信できたのであった。

「奥様もこうおっしゃっている。……どうですか、松本さん?女の子に、なってみませんか?」
「……え〜と〜」
 克行は、最後の一線で何とか意識を保ち、返答しようとした。落ち着いて見えるのは、単に鎮静剤が効いているからかも知れないが。
「……女房の前で聞くのもあれなんですが……その、もう少し大人の女の子じゃ、どうなんですか?」
「まあ、あなたったら」
「ははは。当然の質問ですね。そりゃ、例えば20歳前後のぴちぴちしたお姉さんだったら、比較的抵抗も少ないでしょうし、松本さんも喜んで変身するかも知れない。なったらなったで、楽しくて仕方がないでしょうな」
「へっへへへ……」
 克行は、けっこう嫌らしい感じで笑ってしまった。

「ですが、松本さん、これは遊びではありません。女性としてのキャリアがまったくないまま、いきなり成熟したお嬢さんに、果たしてなれるでしょうか?週末に軽く変身して、月曜からは男に戻るとか、そういう生活ではないのですから。そのまま、死ぬまで女性なのですよ?じっくりと、少女時代からやり直すべきじゃないですか?」
 石黒が、まじめな口調で続けた。
「 それに、抵抗感がないということは、”生まれ変わり”のコンセプトに反するのです。もとより、有羞恥運動にもなりません。そこにあるのは、快楽だけでしょう。――家族も崩壊してしまいますよ?」
「…………」
「13歳という設定も、生活を十分考慮し、ぎりぎりに設定した年齢です。3年たてば16歳、民法上、女性には婚姻が認められる年です。つまり、最低限3年、3人で暮らせば、あなたが望むなら、お嫁にいくことが出来るのです。それはまあ、生活苦とか、その辺を考慮し、その時点でじっくり考えてから決める筋合いですけれども。蛇足ですが、本来ならやはり、乳幼児から ”育てなおし”するのがベストなのですが……この経済状態では、難しいというか、無理ですからねえ」

「あなた。あたしもさっき教えて戴いたばかりなのだけど、あちらのお国の方々は、若いうちに成功して、その後の生活も、女一人生きていけるくらいの余裕が出来た上で――女性になられた例なのですって。そうでない方は、その、どなただったかしら、警察官だった人とか、軍人の人とか、結構暮らしが大変らしいでしょ?」
 石黒もそれを受けて、話す。
「それに、今回はラッキーですよ。奥様が食べさせてくれる、とおっしゃって下さったのですから。というか、これからは、13歳の女子として、奥様に養われ、育てられることになるわけですが……」
「……………」
「ねえあなた。あなたもピチピチしたギャルに直ぐにでもなりたいかも知れないけど、3年くらい、辛抱してみたら?」
「いや別に、な、なりたくなんかは――」
「それに、ね、思春期の女の子の生活は、それはそれで楽しいものよ?あたしももちろん経験あるけど。グレたのは高校入って中退したときだし。あなたと出会ったのも、そのときだったけど――うふ、そうじゃなくって、そうそう、中学生の頃は、あたしも純心で、平穏な生活だったわ。あなたにも、経験させてあげたいの」
「…………」

 克行は、妻の思いやりを痛いほどに感じ、反論する気力が失われてきた。
 それに――そう悪いことではないような気がしてきたのだ。

 実際、もしも本当に生まれ変わりがあるとしたら―― 嫌も応もなく、別人になってしまうわけだ。
 それが、今ここでなら、自分で判断し、選択する、という自由度があるのだ。
 ……しかもそうやって、きれいな――可愛らしい少女になれる、というのだから……
 この先、仕事のことだけ考えて、身体を悪くして苦労して生きていくよりも……ナンボかマシかも知れない。

『俺が……愛くるしい少女としての生活など……できるのだろうか?』
 これが最後になるかも知れない自問自答をはじめる克行であった。



3.入院と退院

一週間後、暮れのボーナスをもらうと、克行は会社に辞表を提出した。
 急な話ではあったが、体調の崩れは上司も知るところだったし、そもそも転職のきっかけもそうした事情があったことを、何かの折に聞いていただけに、大変ではあるがやむなし、ということで了解された。

 仕事の引継ぎもスムースに行われ、12月中旬の忘年会は、克行の送別会を兼ねて行われた。他にも何人か、たまたま退職する人間がいたが、円満退職は克行だけであった。他の退職者がつきあいで不機嫌そうなのと、対照的に華やかな席であった。
 短い期間だったが、気心の知れた仲間たちである。同僚や、部下が、心からねぎらってくれるのが心底嬉しく、酔いがまわったせいか、珍しいことに、男泣きに涙ぐむほどであった。

『……まさか……試しにと言われて注射された、じょ、女性ホルモンのせいでは?』
 そんな心配をするほどであったが、もとより精神状態が不安定なせいもあったであろう。

 年末年始は、男として過ごす最後の期間であった。
 直ぐにでも女性になれるならともかく、長期的なスケジュールで、万全のケアをするという立場上、病院にも休みや都合があるので、やむを得ない。せいぜい、年内に玉を抜いたくらいである。

 例年と違ったのは、娘の綾菜がヘソを曲げて、初詣に同行しなかったことである。
 今回の人格転換について話をしたところ、不機嫌な表情になり、何も言わずに自室に行ってしまい、それ以来1ヶ月近く、克行は綾菜と会話を出来ないでいる。
 中学2年といえば、難しい年頃である。 36歳とはいえ、娘からはすっかりおっさん扱だった克行は、下着も一緒に洗濯させてもらっていないでいた。――父親であるその克行が、年下の妹になるというのであるから、綾菜でなくともとまどったり怒ったりするのが、当然のことかも知れない。

『娘と同じ下着をつけるようになれば……一緒に洗ってくれるかな……お古とか、もらわないと、生活も苦しくなるしな……俺が『お姉ちゃん』て呼んだら、妹扱いしてくれるかな……』
 分別のある大人だけあって、克行は現実的に考えてしまう。

 時間が解決したのか、何度か通りすがるうちに、綾菜も黙礼したり、軽く挨拶をするようになってきた。
 やがて、ちょっとしたきっかけで、綾菜も、内心やむをえないと覚悟を決めた――あるいは諦めがついたことがわかった。
「だって、それしかないんでしょ。しょうがないよね。。」
「悪いな、綾菜。心配かけて……これからは、苦労もかけるけど……」
「うふふ。笑。……パパがそんな風にあたしにお説教するのも、今のうちなのね」
「苦笑。おいおい、今はまだ、パパはパパだぞ?」
「しょってるんだ。あたしの妹になったら、うんといじめちゃうかもしれないわヨ!」
「おいおい、勘弁してくれよ?」
 こんな感じで、うちとけあったのであった。

 一方、パートをやめて、知り合いのツテでクラブに勤め始めた妻の京子は、水商売はかきいれどきとあって、暮れは毎晩働きずめであった。これからは一家の主であるから、そういう自覚で、仕事に取り組んだのである。予想以上に評判もよく、指名や同伴もいっぱいこなして、いい稼ぎになった。本人にしても自信がついたし、まだまだ若い子にもそうそう負けないということで、気持ちもよかった。そうして、新年は多少の余裕を持って、3人がすごすことができたのであった。

 そして、病院も仕事はじめとなり、克行は入院し、幾つかの手術を受けることになった。
 12月中は女性ホルモンの服用とダイエット、シェイプアップを自宅で実行しているだけだった。
 165cm、69kgの体重が、59kgになっていた。
 この間、特別女性らしい生活もしていない。
 何より、どう見てもいかついおっさんなので、女子中学生はおろか、女装さえ全く似合わなかったからである。これでは、グロテスクなだけである。何度か京子の服を着てみたが、二人そろって笑い出す始末だった。

 ようやく今回、目・鼻・口元・あごにメスを入れ、女性らしい顔立ちになった。
 簡易な手術であったが、見違えるほど女性らしくなった。
 単に女らしいだけではなく、可能な限り子供っぽい容姿にしてある。
 これから、女性ホルモンが十分きいてくれば、その成果も、もっとはっきりしてくることだろう。

 なにぶん生活が大変なので、当面できる手術は、この程度である。
 残念ながら、身体は完全な男性のままである。
 ――もっとも、玉抜きと女性ホルモンの成果で、1ヶ月ともなると、胸がかなり痛んできた。自然発育で、歩くだけでも胸に響いてくる。とてもじゃないが、うつぶせにはなれない。下着がこすれるだけでも痛いくらいだ。

『こ、これではまるで、本当に思春期の少女じゃないか……』
 そんな感想を抱く。

 ともあれ、これでようやく女性としての生活が始まった。
 女性用の下着、パジャマを赤面して身につけ、女性病棟に入るために、薄化粧をする。どうやら、女性には見える感じである。しかし、このような姿をするのは生まれて始めてであるし、女になりたてで、女だけの病室に入るというのは、さすがに気が引けた。
「せ、先生、だいじょうぶでしょうか……」
「あら、大丈夫よ。あなたはもう、これからずっと、死ぬまで女性なのですから。生まれ変わったっていう自覚を持ってくださいね?」
 ケア・スタッフの後藤女史が応える。
 克行――この時点から、名前も雪菜となった――雪菜は、彼女に習って、女性としての立ち居振る舞い、女言葉を身につけていくのだった。

 女性病棟での生活は2週間ほどだった。
 その間、のど仏の除去手術、全身の脱毛処理が施された。これでもう二度とヒゲを剃る事もできないのか……雪菜は複雑な心境にとらわれた。
 また、声帯まではいじれなかったが、ボイストレーニングによって、雪菜は年相応の女声を習得することが出来た。更に、その声を生かして、アニメ声風に子供っぽい声を出す練習が、引き続き始まった。
「いいこと?あなたは、小さい女の子になるのだから、普通以上に練習・訓練が大事なのよ?」
「は、はい、先生」
 愛くるしいアニメ声”っぽい”声で、雪菜は応えたものである。正直、まだまだ聞くものが照れくさくなるような中途半端な裏声である。

 病室で雪菜は、23歳OLというふれこみだった。当初は、整形手術のため、顔中包帯を巻いていて、その包帯が取れてみて……ぎりぎりセーフという感じであった。胡散臭く思う女性も幾人かいて、看護婦や医師に苦情や問い合わせもあったし、心から「本当は男だ」と確信しきっている女性もいたものである。それでもなんとか押し切っていた。
  退院にあたっては、OLの普段着らしいアンサンブル、スカート、ストッキング、パンプス、コートが京子によって用意され、2週間のリハビリの間にスカートやブラジャーの装着に多少慣れてきてはいたものの、あらためて同室の女性たちの前に出て挨拶をし、のみならずその姿で昼日中に天下の公道に出るというとんでもない恥ずかしい目に陥ったのであった。髪はまだショートだが、病院内の美容室で、女性らしくセットされている。この2週間も、基本的にダイエットであるから、更に5kg近く体重が減っていた。

「ママ……恥ずかしいわ……」と、京子に向かって呟くように言う。
「だいじょうぶよ。雪菜は、どう見ても年頃の女性よ」

 もともと、娘ができてからは京子を「ママ」と呼んではいたが、これからは、意味が違ってくるだけに、羞恥も倍増して伴うのであった。
 その姿で、車を使うことも無く、バス、電車で移動する。
 電車では、多くの人の前で膝をそろえて斜めに向け、おしとやかに座る。こんなことも、生まれてはじめてである。 すっかり顔が真っ赤になっている。
 更に羞恥を煽るように、京子は雪菜を連れて、昼時のデパートのレストランに入り、 わざわざ行列に加わわったのであった。近所の中小企業の会社員の男女や、各種作業員、主婦でごったがえしている。恥ずかしさのあまり、ろくにランチの味も分からず、お化粧直しで女子トイレに入り、そこがまた混んでいて、10人近い女性の行列にまざっている落ち着かなさ。用を足して、若い女性、年配の女性にまじって、一緒に鏡に映ってお化粧を直す情けなさも、この上なかったものだ。

 そうしてようやく自宅に帰ると、綾菜のお古の洋服が用意されていた。
 ブラウスもスカートも、小学生の着る子供服である。
「こ……これは?」
「今からは、13歳の少女になるのよ。しばらく自宅で練習して、次の通院には、このかっこうで行けるようにしなさい」
「そ、そんな!」
「自宅だから、だいじょうぶでしょ?毎日少しづつでも若返っていかないと、表にも出れないでしょ?いつまでもOL気分でいたら、中学生になんかなれっこないでしょ?」

 京子の言い方は、まるで実の娘をしつけるような喋り方だった。
 35歳の京子にすれば、13歳の少女といえば、間違いなく娘である。
 さっきまでは、人前だけに、仲のいい姉妹のように振舞っていたのだが、早くも娘扱いなのであった。
 子供服に着替える雪菜に向かって、話し続ける。
「これからはもうお化粧はしなくていいのだから。5,6年はスッピンでしょ?うふふ」
 と、微かに笑う京子であった。
「いいかしら、今日からは、夫と妻ではありませんからね。あなたは娘、わたしは母親。わかった?」
「あ……う、うん……」
 どういう喋り方で接すればいいのか分からず、雪菜はあいまいに答えた。
「綾菜も、今日からはあなたのお姉ちゃんですからね。これからず〜っと、お家でもお外でも、あなたは妹。いいわね?」
「う……うん」
 京子は、更に恐るべきことを言い出した。
「雪菜は、春、4月から、綾菜の通っているS中学に入学するのだけど」
「うん」
 そこまでは、聞いていた。
  13歳で中1、という当初の提案だったが、せっかくだから春に入学して、いちから女子中学生として生活したほうがよいだろう、という話になったのだった。すると、10月生まれの雪菜は、中1の半ばで満13歳ということになる。それまで1年近く、12歳で過ごし、みっちり少女らしくなって、より完全な「13歳中1」を目指そう、という話である。

「その前に、1ヶ月間、小学校に通ってもらうわ」
「えーーーっ?!」
「そうでなくちゃ、計算があわないでしょ?3月までは6年生でしょ?12歳でしょ?」
「そ、それはそうだけど、しょ、小学校って……」
 2週間、23歳OLとして人前ですごしてきただけでも大変な苦労と羞恥だったのに、そして今、少女になれと言われ、いきなり子供服姿になった、そんなところで、更に、小学生として実際に通学しろだなんて?!

「雪菜のお誕生日は、10月でしょ。だから、それまでは12歳。入学は4月で、今はまだ1月。あなた、3ヶ月もお家でブラブラしてるつもりだったの?」
「そ、それは……」
「まあ、いいわ。ママの言うとおりにしていなさい。もちろんこれは、石黒先生、後藤先生と相談して決めたことなのよ。TIMセンター からの斡旋で、2月中旬から卒業式まで、地元の小学校に通学する段取りを進めている所なのよ」

 いよいよ本格的に、少女として過ごすという現実に直面し、いざとなると雪菜は、ただうろたえるばかりであった。


4.少女の生活

「それじゃ、新しいお部屋に行こうか?」
 と、京子ママが言った。
「う、うん……」
 2LDKSの、小さいながら2階建ての一戸建てである。1階はリビングと、3畳ほどの納戸、2階の一室が綾菜の部屋で8畳間、もう一室は、克行と京子の寝室で、10畳におおきなWベッドが置かれている。
「さあ、 どうぞ」
 京子がにこやかに、子供部屋を手で示した。
 そこには、「AYANA&YUKINA」というロゴのネームプレートが、木工でレイアウトされ、子供らしい可愛らしい色あいでデザインされていた。周りには、子グマやリス、ウサギ、小鳥までいる。
「あなたの、新しいお部屋よ?」
「…………」
 二人は、中に入った。
 入院前に、男としての克行が出来ることとして、多少家具を動かしたりしていたが、入院中に、新しい家具が届いていており、業者による簡単なリフォームも行われていた。
 先ず目に付くのは、二段ベッド。従来のシングルベッドは取り除かれている。下の段は、綾菜が使っているのが明白で、布団がまくれ、パジャマがたたんで置かれていた。
 反対側の壁には、当然これまでは、綾菜の机がひとつあるだけだったが、2つになっている。向かって右側のそれは、綾菜が中学に入学するまで3年以上使っていた、お古の勉強机であり、克行本人が納戸から出して持ち込んだものだ。ただ、ほこりをかぶって汚れていたのが、ぴかぴかに磨かれ、新品とは言えないが、綺麗になっていた。
「綾菜お姉ちゃんがね。あなたのために、きれいに磨いてくれたのよ?いいお姉ちゃんでしょ。うふふ……」

『綾菜……』
 家族の暖かい思いやりに、次女雪菜は、こみあげてくるものが有った。

「クローゼットには、綾菜のお古を出してあるから。冬物はだいたい揃っているわ。きれいにしていなさいね」
「う、うん……」
「下着はここ。綾菜を説得して、何着かお古を入れてもらったわ。後は、ママが買っておいたわ。」
 と、箪笥の上段を開けた。
「このタンスは、上半分があなた用、下半分が綾菜用よ。二段ベッドも、あなたが上段だから、分かりやすいでしょ?お姉ちゃんが好きな方を選んだの。あなたは妹なのだから、さからっちゃだめよ。うふふ」
「う、うん……」
 そうなのだ。これまでは一家の大黒柱だった克行も、今ではこの家で一番身分の低い、次女なのだ。
 もとより小学6年生に過ぎない。そんな子供に、たいした権利があるはずがない。
 着るものも、勉強机も、長女である綾菜のお古が、自分にはお似合いなのである。

「そうそう、ただ、お洋服や下着は、サイズがちょっとあれだろうから、今度買いに行きましょう。ママが買ってあげるわよ」
「う、うん、わー、ありがとうー」
 棒読み口調に近かったが、赤面しながらも、なんとか子供っぽく、雪菜は応えた。
 6年生の娘が母親にどんな口調で喋るかなんて、少女になりたての雪菜に、ろくに分かるはずがなかった。
 それはともかく、現に今、身長165cmの雪菜は、全身パンパンに近い感じで、綾菜のお古の子供服を身に着けていた。140cm前後の女児の着ていたものだ。比較的ゆったりしたものを用意しておいたとはいえ、そうそう身体に合うわけが無い。

「ちょっと、身体にあわせてみる?」
 京子が言って、クローゼットを開けた。
「見て分かると思うけど、右側が雪菜のお洋服。ここが仕切りね」全体の1/3ほどが、雪菜用の、つまり、綾菜のお古であった。克行だった頃に、綾菜に買ってあげた覚えのあるお洋服も、当然まざっていた。
「お姉ちゃんね、新しいお洋服も、何着か雪菜にあげるって。子供っぽくてあまり着ないらしいわ」
 言いながら、京子ママが、幾つかのお洋服を、ハンガーごとひっぱりだして見せる。
「あ、これなんかよさそうね。お出かけ用のワンピースだけど……そうね、今日は綾菜との対面の日だし、ちょっとおしゃれしてみる?」
「そ……そんなあ」
 恥ずかしくなり、雪菜は思わず呟いてしまった。
「何、恥ずかしがってるの。もうすぐ、お姉ちゃん帰ってくるわよ。それまでに、きれいにしておきましょうか?さ、着せてあげるわ」

 ということで雪菜は、青い色に、微かにラメが入ったような、6年生か中1向けくらいの可愛らしいノースリーブのワンピースを着せられた。……さすがに、背中のジッパーがほとんど上がらない。腰のかすかなくびれが限界である。
「あはは、あらやだ。全然あがらないわ。ははは。あなた、無理ね、やっぱり。でかすぎて。笑」と、背中で京子ママが笑い出した。
「ぷっ……うふふ……」
 つられて、 雪菜も噴出した。
 しばしの間、 二人はくすくす笑っていた。
 ……やがて。雪菜は、背中から京子にハグされた。

「マ……ママ……」
「ごめんなさい、あなた……ゆきな、あたし、なんだかちょっとだけ……」
 涙ぐんでいるのが伝わってきた。
「これで最後にするわ。あたしの愛した克行さんは、もう……いないの……」

 出来ることなら、雪菜も克行に戻って、京子ママを抱きしめてあげたかった。
 ……が、入院中に施された”TI 手術”による人格コントロールのためだろう、そうした行為は無意識の奥深い所でロックされていて、思っては見ても、身体を動かすことができないのであった。
 ひとしきり嗚咽した後、京子ママは、さっぱりふっきれた感じで、言った。
「ごめんね。ママ、すっきりしたわ。これで、雪菜のことを、あらためて自分の娘として、割り切って接してあげることができそうだわ。……雪菜も、そのつもりでね?」
「うん、ママ。あたし、がんばるよ」
 何かが変わった感じがした。
 雪菜も、素直にそう応えることが出来たのだった。 しかし……

「いつか、雪菜もお嫁に行くことになると思うわ。そう思うのが自然だもの。もしそれならそれで、いいのよ。その日まで、大事に育ててあげるわ」
「え?ママ……」
 これまで15年以上夫婦生活を送ってきた二人である。さすがにそれは複雑な心境にさせた。
『ママは……どういうつもりなのだろう?本気でもう、わた、わたしを娘だと信じているっていうこと?』
 自問はしてみたものの、京子ママに聞くのははばかられて、さすがにそれは言い出せなかったのだった……

        *  *  *  *

 その後、雪菜はワンピースの背中を開いたまま、 その上に子供らしいスモックを付けて、何とかごまかした。
 更に、京子ママが自前のセミロングのウィグをつけてくれて、ナチュラルメイクで子供ぽい肌色と、ピンク色の唇に仕上げてくれた。鏡を見ると、小学生にはとても見えないが、驚いたことに、ハイティーンのお嬢さんくらいには見える。むしろ、そう考えれば、十分過ぎるほどの変身と言えよう。なにしろ、正体は36歳のおっさんなのだから。
  身体が大きくて男っぽいぶん、子供服は禁断のラブリー路線で大変危ないファッションではある。
「あら、可愛いわ、本当。これなら、ウチのお店でも通用しそうよ?」
「…………」
 子供だけに、なんとも答えようが無くて、雪菜ははにかむばかりだった。

 そうした姿で、することもなくて教育テレビをながめていると、夕方になり、綾菜が帰宅した。
 チャイムをならしもせず、いきなり玄関の鍵をあけて、上がってくる。
「ただいま〜♪」
 機嫌のいい、中学生らしい元気な声を出しながら、廊下を歩いてくる。
 制服のまま、リビングにひょこ、っと顔を出し、テレビを見ている雪菜と目が合った。
「…………」
 心の準備もないままだったので、雪菜はとまどって、縮こまった。目をまん丸にしている。
 綾菜が、にこっ、と微笑んだ。
「帰ってたんだ。……はじめまして?綾菜です。ふふふ。」
「あ……はじ、はじめまして……雪菜です……」
 雪菜はイスから立ち上がると、内股でもじもじしながら、挨拶を返した。
 そこへ、ダイニングとの簡易仕切りから、京子ママが手を拭きながら入ってきた。洗い物をしていたらしい。
「あら、おかえり。うふふ、あなたの妹の雪菜ちゃんよ。可愛いでしょ?」
「うん。驚いたよ。……ちょっと、あたしよりお姉さんぽいケド……」
「ほら、雪菜。さっき練習したでしょ?きちんとご挨拶なさい?」
「う、うん……わたしは、松本雪菜、小学校、6年生です。1992年、平成4年10月生まれです。12歳です。今日から、綾菜お姉ちゃんの――妹になります。よろしくお願いします。」 と、雪菜は、ぺこりとお辞儀をした。

 実際は昭和43年生まれ、36歳である。そんないい年したおっさんが、こうやって実の娘のお古を着て、ワンピースのすそをひらひらさせ、薄化粧までして――娘に対して、妹として会話しているのである。知らないものが見たら何と思うことだろう?恥ずかしさ、情けなさで、小さいソックスをはいた足元が、ガクガク震えるのだった。
「うん。よろしくね」
 綾菜は、何のくったくもなく、右手を差し出した。握手をした。
 ちょっと安心して、雪菜は小首を傾げて、微笑んだ。
「さあ、ご挨拶はこのくらいで――雪菜、そのワンピース着てくれたんだ。よく似合うよ。とっても可愛いよ。」
 と、綾菜もニコニコして、言った。
「う、うん。……ありがとう、お姉……ちゃん」

        *  *  *  *

 その晩は、雪菜は再び普段着に着替え、3人で夕食の支度をし――雪菜もなれないながら、エプロンをつけて、母親の手伝いをしたのだった、そうして、テレビを見て楽しい夕食を取った。
 克行時代は毎晩飲み歩くなり晩酌するなりで、飲酒を欠かすことが無かったが、今や6年生の少女である。お酒を飲むなんて、ありえない。せいぜい、ジュースを飲むくらいである。

 また、女性3人になったことで、家の中はすっかり花やかになった。
 夕食にしても、ごく軽いもので、その後に、3人そろって、ケーキなどのお菓子を食べる。
 3人とも、それぞれの事情でダイエット気味であるから、むしろスイーツ類がカロリー源と言えそうだ。
 そして、内股のスカート姿で、そういう可愛らしいケーキをフォークでつっついていると、雪菜はなんともいえない幸せな気分に包まれるのだった。これからは、ややこしいことは考えずに、こうやって、ただ可愛くなることだけに専念していればいいのだ。早くも、少女であることの楽しみ、快感を知ったかのようだった。

 ひとしきりテレビを見た後、雪菜は先にお部屋に戻った。そして、自分の勉強机で、ご本を読んだり、用意されていた小学校の算数のドリルをやりはじめた。
  時おり、内股のままイスを回転させ、口元にシャーペンをあてて、お部屋の中を見渡して、「ここが……今日から、あたしの部屋なんだ……」と感慨にふけったりする。実際に長年、リアル少女である綾菜が暮らしてきただけあって、しごく自然な感じで少女のお部屋としてまとまっている。当然である。

  そうこうしていると、姉の綾菜が、ほかほか湯気をたてて、パジャマ姿で髪の毛をタオルでふきふき、お部屋に入ってきた。
「(ガチャッ)あ、ごめん。黙って入っちゃって。――だいじょぶ?」
 振り返り、雪菜が応えた。
「いいよ、お姉ちゃん。気にしないで。もともとお姉ちゃんのお部屋だったんだもの。」
「これからは、一応ノックをするよ。……雪菜も、そうしてね?」
「あ……う、うん、そうだね」

 さすが、お年頃の娘である。綾菜の言うことがもっともだ。
 そもそもここ数年、克行であった頃は、この部屋にはろくに入れてもらえなかった。
 それが、今日からは、同じベッドで寝るのである。
 家にいるほとんどの時間を、姉妹として、一緒に過ごすことになるであろう。……どうなってしまうのだろうか?

「お風呂、入ってきなよ。ママも入ったし、雪菜が最後だから、お湯を抜いておいてね」
「う、うん……」
 この一家でのヒエラルキーは、完全にひっくり返ってしまったのである。
 本来家長であった自分には何の相談もなく、お風呂の順番も決められてしまう。今は姉であるとはいえ、実の娘に指図されて入浴するとわ。……もはや自分はそんな立場なのである。

 ドリルを切り上げると、多少の屈辱感を覚えつつ、妹であることの嬉しさも入り混じった――いわゆる「嬉し恥ずかしさ」 という、人類最大の快感に包まれて、雪菜はお風呂に向かった。(ちょっとおおげさかな?)

        *  *  *  *

 その晩、お風呂を上がると、まだ10時頃であったが、雪菜は眠気を覚えた。
 ここ2ヶ月ほど、ダイエットでろくに食事をしていないので、実はやたらと眠いのであった。
 京子ママが用意してくれた、綾菜のお古のネグリジェを着て、「あふう……」と可愛いあくびをして、リビングに入る。京子ママは、テレビで大人向けドラマを見ていて、ニュースが始まったところで退屈して新聞のテレビ欄を開いているところだった。目が合う。
「あら、お風呂上がったんだ。お湯は抜いてくれた?」
「うん。お掃除も、しておいたよ。」
「あらあら、雪菜はいい子ね。うふふ。」
 京子が、満足げに笑った。
「ママ……今日はもう、眠いから寝るよ……」
 綾菜と接したせいか、雪菜の口調は、次第に綾菜に似てきた。お姉ちゃんっ子である。
「うん。お休み」

 ここでは特にややこしいやりとりはなく、 雪菜はまたお部屋に戻った。
 ノブに手をかけ、はっと思い出して、ノックをする。
「お姉ちゃん……入るよ?」
「……うん、あ、じゃあさ、妹来たから、ちょっと待って――いいよー、入って――」
 綾菜は、携帯で電話をしていたのだった。
 ベッドで半身を起こして白くて大きいふわふわのクマのぬいぐるみを抱いてニコニコして、ちらっとうなずいた。
 雪菜はそれを横目で見ながら、彼氏だろうか、女友達だろうか、と、いらぬ心配をし始めた。
 思えば、サラリーマン時代は、こんな時刻に家にいることなど無かったし、そもそも、娘の綾菜がどんなふうに夜を過ごしているのかなど、ろくに想像したこともなかったのである。

 綾菜は、まったくリラックスして、雪菜のことなど、気にも留めない。
「うん。妹ー。いるよー。えっ?マジー?あははは」
 なにやら、自分のことが成り行き上、話題になっているようである。
 しばらく自分の勉強机に向かっていたが、眠いことも有って、そのうち雪菜は、ベッドの上段に上り始めた。
 綾菜はそれを上目遣いでのぞきながら、話を続けている。

「にゃにゃんこにゃんこ?うそ、かわいいーよねー」
 なんだそれは?

「そうそう、そいでさーあいつ、むかつくんだよー」
「マッジー?それってヤヴァくない?うん。うんうん。へーえ、そうなんだあ」
「あの子もねーなまいきだよねー。うん。えっ?シメちゃう?あはは、よっく言うよー」
 言葉だけ聴いていると、男だか女だか分からない。

『まったく、今の若い子は……』
 と、思いかけて、
『いっけない。あた、あたしも今の若い子――女の子なんだ……テ、テヘッ』
 後藤女史に学んだ、ぶりっこポーズをにわかに思い出し、 舌をぺろっと出して、頭を手でコツンとしてみる。
 ――恥ずかしかった。
『うっわー、は、恥ずかしいー ><』
 照れくさくなり、毛布をかぶる。

 ……うとうとしかかると、ほどなくして、綾菜の電話が終わった。「ん、じゃーね。バイバイ〜」
 結局雪菜には、 相手が彼氏なのかどうか、分からなかった。と言って、妹として聞いていいものか、どうか?

 すると、綾菜が声をかけてきた。
「ねえ。雪菜?寝ちゃった?」
「うん?おきてるよー」
 雪菜の喋り方も、次第に甘ったれた口調になってきているようだ。
「雪菜、クマは好き?」
「えー?なんでー?」
「……ちょっと、降りてきなよ」
「?」
 いぶかしげに、雪菜は起き上がって、二段ベッドのハシゴを降り始めた。
「はい。ここに座って」
 綾菜が、ベッドの空いている側を、ぽんぽん、と叩いた。クマを抱いたまま壁によりかかって、足を伸ばしている。
「……?」
 雪菜は、綾菜と同じようなスタイルで、壁によりかかった。
「この子、あげるよ」
「えっ?」
 綾菜が、抱いていたクマのぬいぐるみを押し付けるように渡したのだった。
「可愛がってあげてね。あたしからの、プレゼントだよ」
「え、え?い、いいの?お姉ちゃん?」
「うん。何か、雪菜に記念になるように、って考えたんだ。お小遣いで買おうかとも思ったけど、それよりこのクマの方がいいかな、って思ったんだよ。お誕生日にママに買ってもらったクマなんだよ。」

「これ、お姉ちゃんが大事にしてたクマでしょ?」
「うん。だから、記念になるじゃん。名前はね、クマーだよ。」
「あ、ありがと〜」
 雪菜は心から嬉しくなり、クマのクマーを抱きしめた。体長50cmほどの、おおきな白熊である。

「あたし――なにも考えてなかったけど?」
「あはは、雪菜の記念なんだから、あたしはいいよー」
「ありがとうー」
 雪菜は、もういちどお礼を言ったのでした。


5.再手術


 こうして、雪菜の新しい生活が始まった。
 当面、昼間は、 家の中にいるしかない。

 6年生の少女になった以上、洋服も生活も何もかも6年生の少女でなくてはいけない。しかし、外見はどんなに若くしても、せいぜい20歳前後の女性である。そんな妙齢の女性が、もしも6年生の少女の洋服で出歩いては、人様に何と思われるか知れたものではない。かといって20歳らしいお洋服を着て20歳らしく振舞うというのでは、今回の処置に全くそぐわないのである。
 そこで、6年生らしくなるまで、しばらくは家の外に出ないということになってしまったのだ。

 といっても、やることはいっぱいある。
 かつては小学生であったとはいえ、25年前である。記憶も定かではない。
 もとより、男子小学生だったのだ。ほとんど、役に立たない経験ばかりだ。
 そこで、京子ママの指示により、最近の小学生雑誌や漫画を声に出して読み、少女らしい喋り方や仕草をを身に着けることになった。

 6年生らしい、丈の短いワンピースにカーディガン。くるぶしだけ包む、ワンポイントの入った白地の短い靴下。髪はまだ短いが、二つ結び。  前髪は眉毛のところで切り揃えられている。
 そんな姿で、 雪菜は、京子ママの用意した雑誌の山から、一冊を取り上げた。

「…………」
 やたらと可愛い、子どもっぽいキャラが表紙だ。
 色鮮やかなロゴでタイトルが踊っている。「●ゃお」である。

『……このマンガの登場人物のせりふを……声に出して練習するのか……』

 考えただけで恥ずかしい。
 が、仕方がない。
 むしろ、一刻も早く身に着けなければ、もっと恥ずかしい思いをすることになるのだ。
 勇気を出して、てきとうに開いたページのせりふを読み上げてみる。

「『送ってくれてありがとう(ハート)』
 『結木くん…』
 『ちょ・ちょっと!!』
 『いやっ結木くん やめて〜〜!!!』
 『?!』
 『日高さんとキスなんかしないで!!考え直してーー!!!』」

 読みながら、より女の子らしい声になるように、自分なりに工夫してみる。
 イントネーションも、いわばアニメっぽい感じで大げさだが、少女っぽい感じに挑戦だ。もちろん、恥ずかしくてたまらない。
 そうこうしていると、京子ママが起きてきた。夜のお仕事なので、午前中は朝食後に、一眠りする習慣なのだった。

「あらあら、熱心ね。」
 と、にこやかである。
「あ、ママ……起こしちゃった?」
 まだ、照れが有るため赤くなりながら、雪菜は、元々自分の妻であった京子ママに、次女っぽい感じで答えた。
「だいじょぶよ。あら、ちょっと見せて?」
 と、顔を寄せるようにして覗き込む。そして、手を伸ばして前の方をパラパラめくると、
「あら、やっぱり。ねえ、このマンガの子、中学生よ?」
「えっ?」
 雑誌の表紙があまりにも幼かったので、気がつかなかったのだ。
「せりふの感じが小学生ぽくないなあ、って思ったらやっぱりだったわ。どれどれ…」
 と、雑誌を手に取り、各マンガの冒頭のあらすじ・キャラ紹介のページをチェックしはじめた。
「中1から高校生がほとんどね。小学生もいるけど。あら、これなんか結婚ねたまで…」
「……だめ?」
「そうね。せっかく練習するのだから、6年生にしましょう?」
 と、学習雑誌を手渡すのだった。

 それ以外には、とんび座りや、内股で歩く練習である。
 とんび座りの際に、股関節の部分、膝間接の部分を、男性では考えられないようにひねっておくといい感じになるということが分かってきた。そうして無理やり固定していると、直ぐには立てないくらいだったが、そうした骨・筋肉の向きが、足を伸ばしてからも、自然と内股にさせるようであり、収穫であった。
 あるいはまた、ヒジを基本的にわき腹につけるようにし、手首を返すポーズを常態とするよう、みっちり仕込まれた。いつもそうやっていると、それがすっかり癖になってくるのだから不思議なことである。

 そして、退院から2週間目、最初の通院日となった。
 いよいよ、6年生女子の姿で、人前に出るのである。
 これまでずっと家の中だったので、まだよかったが、長年住んでいるこの家から少女の姿で表に出て、なおかつ、電車に乗り、バスに乗って病院まで行くとは。まして、外見が6年生そのものならともかく、明らかに図体がでかいのである。……並大抵の恥ずかしさではなかった。玄関で、お出かけ用のワンピース、帽子、コート、ソックス、ぴかぴかの赤い靴、ポシェット、そんな姿のまま、膝がガクガク震えだして、雪菜は泣きそうな顔で言った。

「……ママ、ほ、本当に……このかっこうで表に出るの?」
 練習の成果だろう、すっかり少女らしい声である。
 もっともまだ、高校生くらいの感じだろうか。6年生らしい声色には、まだまだ練習が必要だ。
 むしろ、身体が大きい分、違和感が有るといって、過言ではない。
「いいかげんに、しっかりしなさい。もう大きいんだから。ぐずぐず言ってるんじゃありません!」
 ママもおかんむりである。
 いささか険悪な雰囲気のまま、二人は陽光が燦々と照る、真昼間の往来に出た。

「はず、はず、はず……」
 雪菜は、すっかりガクガク足を震わせている。
 それを見て、さすがに京子ママもかわいそうになってきた。
「恥ずかしいのは、分かるわ。でもそれが、雪菜のためなのよ?」
 言い聞かせるばかりである。
 幸い、辺りに人影はなかった。
 自分より4cm低い161cmの京子ママに手をひかれて、雪菜は駅に向けて歩き出した。

 細いミニのプリーツ がひらひら揺れ、ときおり、白地にブタさんのイラストが入ったパンツが見え隠れする。
「あ、あまり早く歩かないで……おしりが……見えちゃうよ……」
「なに言ってんの、子どものくせに。笑い」
 さすがにママも苦笑するところだ。
 今日はあえて、そういうコーディネイトにしたのである。
 少しでも、6年生の少女の皮膚感覚を身に付けて欲しいからであった。

 とはいえ、本物の女性とは違い、男性であるから、皮下脂肪が少ない。まして、京子ママのようにストッキングをはいているわけではない。ミニ丈のスカート部が、真冬の空気にさらされ、パンツで隠れない半分むきだしのお尻が寒いくらいだ。子どもは風の子とはよく言ったものである。
 駅が近づき、商店街になった。
 住宅街はお昼時で人が少なかったが、商店街は逆に、外食やお弁当の買い物で出歩いている人で賑わっていた。
 そのど真ん中に、二人はわけいって行った。
 ギョッとした顔で凝視する作業員たち、携帯でお喋りしながら、じ〜っと見ている女子大生風の子、うほっという感じで目を丸くして好奇心いっぱいでこっちを見る年頃の男の子……
 歩きながら雪菜は、そうした視線を痛いほど感じるのであった。
 それでも、堂々と、自分を連れて歩いてくれる京子ママがいるおかげで、安心はできた。

『ママがいてくれて……本当、よかった。……あたしひとりじゃ、こんなこと、とても無理だわ。……それにしても皆、どう思ってるのかなあ?まさか……36歳の中年の男だとは、思わないだろうけど……事情があって子どもっぽいかっこうをしている、がたいのいい女の子?……かなあ……』

 駅では、当然、切符を買う。
 雪菜は小学生なので、小人半額である。
 ひどい屈辱であった。
 それに、駅員に何か言われたらとパニック寸前になったが、駅員がひとりひとりチェックしているわけでもなく、見咎められずに改札を通過出来たのであった。……それがまた屈辱でもあった。ようは、何がどうなっても恥ずかしいばかりなのであった。

        *  *  *  *

 2週間ぶりに、石黒医師の診察を受ける。
 といっても、経過を見て、お注射をし、処方を授けるくらいである。
 石黒医師は、京子ママとの雑談をまじえながら、そうした処置を手際よくこなしていく。

「思いのほか、少女化は進んでいるようですね。いや、安心しました。声もすっかり女の子じゃないですか?」
 と、にこにこして京子ママに言う。
「本当にもう、おかげさまで……外見も女らしくなってきて、一安心ですわ」
 実際、女性ホルモンが効いてきて、乳房はまだそれほどでもないが、ダイエットで痩せてきた割に、肌の作りなどがふっくら感を帯びて、明らかに女性化しているのであった。
「…………」
 おとなどうしの会話なので、ちびっこの雪菜は、くちも出せずにイスの上にちょこんと座っているばかりだ。

「そうそう、あとでお会いして戴きたいのですが、当センターのコーディネーターで法律担当の草野弁護士から、いい知らせが入りましたよ」
「はい?あ、あの件ですか。住民票の」
「そうです。東京地方裁判所に申し立てていた仮処分が認められ、住民基本台帳に、次女雪菜ちゃん12歳として申請可能になりました。」
「ああ!それはよかった」
「残念ながら戸籍は現時点では無理ですが、住民票では”仮”とはいえ、正規に登録されますから、これで国民健康保険で扶養家族として明記されますし、例の、小学校への就学も、円滑に進むはずです。また、未成年になるわけですから、国民年金の支払いも免除されます。経済的にもだいぶよくなることでしょう。」
「何から何まで、助かりますわ」
 雪菜はそんな難しい話は、まるで聞いていなかった。
 二人も、それを当然のことのように、二人だけで話しを進めている。
 さすがに、36歳働き盛りの一家の主人から、6年生の少女になった悲哀を感じるのであった。

「……それと。これは、ちょっと耳寄りな話なのですが」
「はい?」
「私ども、T・I・Mセンターとしましても、患者さんのケアを円滑に進める目的で、他の部門との連携を模索しております」
「……」
「それで、最近の教授会で、形成外科のN教授に、私どもの用意したプランをお見せし、検討して戴きました。これが、いい返事だったのですよ」
「どういうお話でしょう?」
「雪菜ちゃんの少女化手術の一部を、大学の研究目的ということで、無料でしてあげられそうなのです」
「まあ!それはいったい?」
「本来、雪菜ちゃんの性別年齢再判定手術は、この夏に予定しておりました。それは予定通りなのですが、それ以外の、身体の再形成的な部分ですね。簡単に言うと、手足をちっちゃくしてもらえそうなのです」
「あらまあ。」
「カルテによると……雪菜ちゃんの足のサイズは、今26cmですね?成人男性としては普通ですが、少女としてはお話になりません。そこで、23cmくらいに縮めるとよろしいのでは、ということです。小学生としはまだ大きめですが、それ以上成長しませんから、長期的に見て、そのくらいがよろしいでしょう」

「それを、無料でお願いできるんですか?まあ、よかったわね〜ゆきなちゃん〜」
 後半は、雪菜の方を向いて、当然のように喜びながら、京子ママが答えた。
「足の甲を切開して、骨を切除します。バランスを考慮して、足の指の骨、かかとの骨も少し削るといいらしいですよ」
「なるほどー」
「同様に、手の骨も調整します。骨と、一部の筋肉を処置することで、十分らしいです。……こうした手術は、性転換関連の手術と異なり、めったに行われませんので、症例も少ない。研究者としては、雪菜ちゃんのような健康な身体を、計画的に理想的な条件で手術出来れば万々歳というわけですな。逆に、去勢手術や性転換は、希望者が多いので、まあ、お金にもなりますし、急いでもそうそう出来ないわけです」
「そうでしたかー」
「生きたまま献体するようなものですよ。医学の発展にも、おおいに寄与するはずです。実施するとなれば、国内のしかるべき名医師の方をお招きし、執刀して戴き、当大学の教員・医局員・学生の手本とします。もちろん、この上なく安全です。」
「それはすばらしいですわね。今日はいてるのは、実は特大サイズのお店で買ってきたんですよ。おほほ。23cmなら、普通のお靴がはけますしね。ねー、ゆきなちゃん。ゆきなちゃん?」
 雪菜は気が遠くなっていて、京子ママの呼びかけに、中々気が付かないのであった。


        *  *  *  *

 こうして、次に来た時には、雪菜は再び入院することになった。
 1月末である。
 ダイエットも更に進み、165cm、49kg。
 肩幅や胸周り、手足のごつさを除けば、中学・高校生の女子として通用するサイズである。
 今回は、姉の綾菜のセーラー服を着て――もちろん言い知れぬ恥ずかしさに包まれながら――病院までやってきた。設定上は女子高生というふれこみである。

 T・I・Mセンターは独自の病棟を持たない方針なので、今回は外科病棟に入院する。
 ローティーンからハイティーンまでの、思春期の少女だけの大部屋だ。
 そうした感じやすく儚げな少女たちに、桃色の地に花柄のパジャマの雪菜は、驚くほど自然に溶け込んで見えた。
 言葉少なではあったが、周りの少女たちと、少女らしい雑談を交わす雪菜であった。

『考えてみれば……こうやって大きい子としてお話できるのも、これが最後のチャンスかも……』

 そう、もはや1ヶ月後には、小学校への就学が決まっているのである。
 そうなれば、否も応もない。一日中、どこへ行っても、小学6年生なのである。
 不思議な感覚になりながら、高校生の若い娘として過ごす雪菜であった。

 一夜明けて手術である。
 形成外科で著名のT大学教授、当大学のN教授、その他2名のベテラン勢が、両手両足を1つづつ担当し、若手に教授しながらの執刀である。数時間後、手術は見事に終了し、N教授は、ガラス越しに見学室の石黒教授にうなずいて見せた。マスクで覆われてはいたが、会心の出来栄えに、満足さで表情が輝いているのが分かった。

 それから1〜2時間ほどして、雪菜は麻酔から醒めた。
 ベッドの傍らには、つきそっていた京子ママがイスで本を読んでいた。
「ママ……」
「あら。気が付いた?……ふふ、手術は成功よ。何も問題は無いそうよ」
「そう……よかった……」
 ぼんやりした目で、身体を見下ろす。気が付いて、京子ママが、掛け布団を少しめくってくれた。
 手足はギプスで固められていたのだった。
「こんな感じよ。しばらくは、大変だけど……おトイレはだいじょうぶ?」
「う、うん……だいじょぶ……」
 まだ、頭がすっきりしない。
 そんな雪菜に、京子ママが言った。
「足はね、かかとの骨も削ったから、身長が1.5cmは縮んだはずですって。163.5cmよ。よかったわね?」
「う……うん……」
「それとね……驚かないで、素敵なお知らせがあるのよ?」
「……え?」
 悪い予感がした。

「今回ね、手術が順調に進んだので……予定外だったけど、おまけとして、えーと」
 京子ママは、ちょっとためらったが、続けた。
「おちんちんも切ってもらったの」
え〜〜〜っ?!
「手術に耐えてがんばった、雪菜へのごほうびですって。いい方ね、N教授は。皮も中身もきれいに切ってくださって、仮縫いしてあるそうよ。まだ数年間は使わないから女性器は必要ないし、ちょうどよかったじゃない?」

 手術に伴って、その付近の陰毛も全部除去されたことだろうし……
 それって、もしかして、股間がきれいさっぱり、まったいらに……
 本当の少女だったら両手で頭をかかえて「いや〜〜!!」と叫んでいたことだろう。

「えっと、その、あの……」
 周りの少女を気遣って、京子ママは、雪菜の耳元にささやくように言った。
「タマタマもとっくに無いのだから、オチンチンだけあってもしょうがないでしょ?」
「それはそうだけど……って、そうじゃないような……」
「麻酔が醒めて落ち着いたら、今日からは普通の女の子と同じように、おトイレができるそうよ。ていうか、本当の女の子とほとんどおんなし下腹部になったのよね。……本当、よかったわあ」

 両手両足をギプスで固定され、全身麻酔で痺れて感覚もろくにない、頭もぼんやりしたままの状態で、雪菜は自分が本当に抜き差しならぬところまで来てしまったのを思い知らされたのだった。


6.再びの入院と退院

 夕方である。
 しばらくして、とりとめのない会話が途切れ、 京子ママが言った。

「……じゃあ、ママは、お仕事もあるし、そろそろ帰るわね?」
「う……うん。――おトイレは?!」
「ふふ。ここは完全看護の病院だから、だいじょぶよ。看護婦のミユキさんもいっしゃるわ」
「あ、で、でも……」
「あら、今したいの?だめよ、がまんしてちゃ?」
「そ、そうじゃないけど……」
「ああ。あのね。したかったら、してもいいのよ」
「?」
「まだ感覚がないのね?おしめをしてあるの」
「あ……」
「その手足じゃ、何もできないでしょ?股間の手術だけだったら、一人でおトイレに行って普通にすればいいけど、そうはいかないから。おトイレのたびに看護婦さんに来てもらうのも、お互いにかえって気を使ったりして大変だから、おしめにしていいの。恥ずかしいことじゃないわ?」
「あうあう……」
「頃合を見計らって、そこにあるナースコールを押せば、おしめを取替えに来てくださるわ」
 枕元には、大型ボタンのナースコールが用意されていた。手は使えないが、身体や腕は自由にまわせるのでそのような器具がチョイスされたのであった。
「看護婦さんには声をかけておくから、後で詳しい説明をして戴きなさい?それじゃあ、ごめんね、さびしいでしょうけど。明日、また来るから。じゃあ、ね」

 そんなちょうしで、京子ママは帰ってしまった。
 かゆいところに手も届かない状態でベッドに一人になり、さすがに心細くなってくる。……すると
「雪菜ちゃん?手術は無事だったみたいね。おめでとう……」
 優しいおとなしげな口調で、隣のベッドのロングヘアの少女が声をかけてきた。手術前に挨拶を交わし、 少し会話をしていた女子高生である。同い年の2年生、17歳ということになっている。
「あ……ありがとうー」
「すごい手術だったのね?それじゃ、何もできないでしょ……」
「う、うん。でも、だいじょうぶだよ。ごめんね、心配かけて」
 恐縮して雪菜は答えた。
「ふふ。そんなにかたくならいで?何かあったら、あたしにも言ってよ。お手伝いするわ」
「あ、ありがとうー」
 テレビや道端で耳にした女子高生ぽい口調を意識して、雪菜は答えた。

 やがて、麻酔が切れてくると、股間がひどく痛みだした。それはそうだろう、オチンチンを根元から切断したのである。手で押さえることもできず、寝返りも満足にできない状態であるから、仰向けに寝たまま、ひたすら耐えるばかりである。玉を抜かれた後も相当な痛みだったが、それどころではない。両手両足の痛みも激しくなってきた。
 痛みがひどくて、看護婦ミユキに介護してもらって夕食をとったものの、ほとんど食べれなかった。元々ダイエットメニューなので、たいしたボリュームもないのだが……

「だいぶ痛むみたいね。1箇所じゃなくて、5箇所だから、通常の5倍の痛みかも知れないわね……先生に相談して、痛み止めをお願いしてみましょう」
「お、お願いします……」
 冷や汗をかきながら、雪菜は懇願した。
「おしめは?まだ、してないの?」
「え……う、うん……」
「だめよ、がまんしてたら。女性は尿道が短いから、おトイレの回数も多いの。がまんしていたら、尿道炎や膀胱炎になるわよ?」
「だ、だいじょうぶです……」
 もちろん、がまんしているのである。
 恥ずかしい目にあうのは、極力減らしたいというものだろう。

 痛み止めを注射され、落ち着いたのかしばらくうとうとした。
 ……やがて目が覚めた。まだ消灯時間前であった。
 例の少女と、高校生らしい雑談をする。
 ……そうこうしていると……
『あっ……きた……これはちょっと……』
 小便がしたくてたまらなくなってきた。
 表向きは平静を装い、少女との会話を続ける。が、……
『どうしよ……普通ならおトイレに行って来る、って言えばいいけど……』
 おしめの中に排尿するからちょっと待ってて、とは、さすがに言い出せなかった。会話をとぎらせて間をあけて、そんな行為をするなんて、とてもできない。なにしろ、初めてのことである。

「本当あれよねーここにいてもテレビ見るくらいで、退屈だよねー」 と、少女が喋っている。
「そ、そうね……。苦笑」
「雪菜ちゃんはー?誰のファン?」
「え?あたし?うんとね……」

『……だめだ。……しちゃおう……』
 チカラの入れ方もよく分からなかったが、ベッド上で半身を起こした体勢で、雪菜は少しづつおしめの中に排尿をはじめた。トイレではないのでちょろちょろという感じではなく、ゆっくりだったので、ジワ〜〜っという感じであった。そしてすぐに、加減がきかなくなり、かなりの勢いで出始めたのがわかった。

「え……と、うんとね……」
「プッ。おっかしい、雪菜ちゃんて、時々すっごく子どもっぽく喋るんだねー?」
「え?え、そ〜お?笑い」
 丸3〜4週間、6年生としての生活をしてきたのだから、当然といえば当然である。そして。
 少女用のピンクのパジャマに身を包み、もとより、正真正銘の少女として、こうして会話をしながら……女性の股間になって初めての排尿を、この可愛らしい本物の少女の前で、おしめの中にしている。
「何か可愛いよー。妹みたい。ふふ」
「うふふ、やーだ。でも、なんだか嬉しいわ……」
 排尿は思いのほか長く続いた。朝からしてなかったし、手術後の回復を図って、点滴などで水分も補われていたのである。実際、平均時の倍の量の尿であった。やがて……
『終わった……なんて恥ずかしいことをしてしまったんだ……』
 36歳の男性の素に戻って、情けない思いに捕らわれた。
 が、本当に恥ずかしいのは、これからであった。

「……ねえ、雪菜ちゃん?」
「んー?」
「オシッコしたなら、看護婦さん呼びなよ。あたし、あっち行ってるから……」
「!!」
「ごめんね。でも、言ってあげたほうが、後が楽でしょう?ずっと隠れてオシッコしてたら、疲れちゃうよ?」

 絵文字で書くと( ;゚д゚)こんな感じであった。
 ばれていたのである。
 今、会話をしながらこっそりとおしっこをもらしていたのが――少女にばれていたのだ。
「あの、その……」
「ここは病院なんだから、みんな、そんなこと気にしてたらやってられないよ?」
「う……うん……」
「初めてだから恥ずかしいのは、わかるけど……ほら、気持ちを切り替えて、看護婦さんを呼びなよ。そのままじゃ、寝れないでしょ?」
「うー、わ……わかたよ……」
 少女も、雪菜を思いやってこそ、言いにくいことを言ってくれたのである。
 むしろ、つまらないことを気にし過ぎていた、自分は何とちっちゃい男――少女だったのだろう、と反省しきりである。

 この後、ナースコールで呼ばれて、退勤したミユキとは別の看護婦がやってきて、雪菜のおしめをとりかえてくれた。
 先ほどの反省の意味から、少女にもあえて、見てもらうことにした。辺りからも丸見えである。
『いつまでも、つまらないことにこだわってちゃ、いけないんだ……』
 そう、自分に言い聞かす。
 もちろん、自分でも初めて見る、新しい股間である。仰向けで、首を起こして上から覗き込む。
 どう見ても、女性らしい、白くぽっちゃりした下半身である。
 その中心はた――明らかに女性の股間であった。
 そうした股間を、股をおっぴろげて皆さんに見て頂いて、女性だということをアピールしたい、自分もまた女性としての自覚を深めたい――そんな思いもあったのだった。

        *  *  *  *

 ギプスは4日目にははずされ、車椅子での移動も可能になり、雪菜は仲良くなった少女と散歩をしたりお喋りをするようになった。冬とはいえ日中のぽかぽかした日差しをあびて、中庭でそうやって女子高生らしい会話をすることは、雪菜にとってもほっとする時間であった。

 最初はほとんど何もつかめなかったが、握力も次第に回復していき、着替えやトイレも一人でできるようになった。おしめも取れて、そのかわり衛生用に生理ナプキンをあてるようになった。無論、36年間健康な男性であった雪菜にとっては初めての経験であり、とんでもない羞恥を伴ったが、手術の後だけに、やむをえない。まっさらな股間に生理ナプキンとぴたっとしたはき心地のサニタリーショーツをあてることで、女性になったという自覚も、思いのほか強くなるのであった。

 やがて手の包帯が取れると、見事に小さく可愛らしい女の子の手になっていた。
『これじゃ……本当に女の子じゃないか……』
 いかつく、太かった指では、もはやない。
 指の長さも縮み、手の甲の厚みや幅も、フタ周りは小さくなっている。
 実際、京子ママの手よりも小さくなっていたのである。

 そうして、10日目には退院のはこびとなった。
 セーラー服姿で車椅子に座り、雪菜は少女に別れの挨拶をした。京子ママは荷物を片付けている。
「色々お世話になっちゃって。ありがとうー」
「うーん、いいの。あたしも、楽しかったよ」
 しばし、見詰め合う。

「でも……そうやってると、本当の女の子みたいね」
 と、少女が感心して言ったものである。
「へっ?」
「あ、ごめん……最後だから言っちゃうけど、知ってたんだ」
 と、少女が、かわいくペロッと舌を出して見せた。
「あの、その……」
「雪菜ちゃん、寝言で言ってたし。『おれはおんなになっちゃった……』とか」
「そ、そんなことを……?!」
「最初はなんのことかわからなかったけど……ほら、2,3回、あたしがおしめをとりかえてあげたことがあったでしょ?」
「う……うん」
「そのときに、わかっちゃったの」
 あっ、と、雪菜は気が付いた。
 そういえば、性転換手術をしたわけではないから、もろに股間を見られれば、ばれて当然ではないか。まして相手は、年頃の娘である。ぴんときたのであろう。迂闊だった……

「それに、本当は高校生でもないんでしょ?」
「う……」
「大学生くらい?」
「あ……」
 ちょっと、ほっとした。
「そうなんだ。でも、うちのアニキも大学生だけど、全然違うよねー。もっと大きくて、いかつくて、いかにも男ーっていう感じだもの。やっぱ、雪菜ちゃんみたいに女の子っぽかったら、女の子の方がいいよね……」
 少女のさり気ない言葉が、ぐさぐさと突き刺さってくる。
  ――とてもじゃないが、36歳のおっさんだとは言えない。
 まして、これからは6年生に戻る、などとは……

「それにあたしは、別に怒ってないよ。……そんなに女の子になりたかったんだなあ、って。いっしょう懸命女子高生らしくしてるのを見て、あー、がんばってるなー、って、感心しちゃったよ……」
「あの、その……」
 それほどなりたかったわけでは……ていうか、ほとんどなる気なんかなかったんだけど……

「これからは、同じ女の子だね。退院しても、元気でね……」
「う……うん。元気でね……」
 一次は顔から火が出る思いであったが、なんとなくさわやかに分かれることが出来て、幸いであった。
 そうして、雪菜は京子ママの運転で、車で自宅に帰ったのであった。

(つづく)


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