目次へ戻る  トップ 



気分転換

作:多摩野ゆかり


1.発端

 始業のベルが鳴った。
「さあ、それでは、試験の開始です。問題用紙と答案用紙を開いて。はじめてください。お喋りしないようにね」
 担任のそれいゆ先生が、あいかわらず、ずれた感じで生徒に指示した。
 上品なスーツを着こなし、見かけはタレントのようにきれいだが、この先生は、こういうキャラなのである。
「(カリカリカリカリ……)」
 生徒たちが、答案を書いていく音が教室に響く。
 今日は、進学の参考となる構内模擬試験の日である。
 公立中学校ではあるが、2年生のうちに、こうした試験で学力を評価するのである。
「(カリカリカリカリ……)」
 誰もが、真剣だ。
 この学校は、比較的落ち着いていて、荒れる子も少なく、特にこのクラスはまじめな子ばかりなのであった。

 ……ところが。
 先ほどから、シャーペンも手に取らずに、じっと机上の問題用紙をながめるばかりの生徒がいた。
 本編の主人公、音光寺実(おんこうじ・みのる)である。 (※読みづらいので、以下ミノルとする)
 ミノルは眉根を寄せて、苦しそうな表情である。
 額には、汗がにじみ出している。
 いったい、どうしたというのであろうか。
 机の間を歩きながら教室を見回っていたそれいゆ先生が、ミノルのただならぬ様子に気がついた。

「……どうしたの、音光寺君?」
「……」
 あいかわらず、用紙をじっとながめたままだ。
「気分でも、悪いの?ぜんぜん解いていないじゃない?」
 少し間が空いた。
 冷や汗をかいたまま、ミノルがそれいゆ先生の方に顔を向けた。
 そして、何かをいいたそうにクチを開いたが、言葉は出てこない。
「……」
 ミノルは、いやいやをするように、静かに首を左右に横に振った。
 それいゆ先生は、わけもわからずに、きょとんとして、ミノルの顔を見つめるばかりである。

 ミノルは、首を振りながら、 右手で問題用紙を指差し――そして
 ガタン!と大きな音を立ててイスを引いて、立ち上がった。  
 その音に、クラスのみんなもぎょっとして、ミノルの方を見た。
「音光寺君?!」
 それいゆ先生が、声をかける。

 ミノルは、何も言わずに、教室を飛び出した。
「音光寺く〜〜ん!」

 


2.診断

「ふむ。……そして、校庭に駆け出したミノル君は、極度の緊張から失神して倒れていたのですな」
「そのようです。後を追いかけて、それいゆ先生が発見されたそうで、そういう話でした」
 ここは、とある大学病院の心療内科外来である。
 年配の医師と会話しているのは、ミノルの母親の君子(きみこ)。
 君子の隣には、当然、ミノル本人がいる。
「こうしたことは、初めてですか?」
「ええ、もちろんです。そんなことがあれば大変じゃないですか。ですから今日早速、こちらへ」
「ふむふむ。……ミノル君の、学業の成績の方は?」
「学年でもトップクラスです。つい最近まで、他ならぬトップでしたのよ。それが、実は今は、5番目くらいで」
「ふむ。」
 黒ぶちのメガネを通して、医師の目がキランと光ったように見えた。

 トントン、とノックの音がした。
「はーい」と、軽い口調で答える医師。
「失礼します。検査の結果が出ました」
「ああ、ありがと。持ってきてください」
 ドアが開いて、先ほど知能検査を含む各種検査を行った、中年の女性カウンセラーが入ってきた。
 数枚の書類を手渡し、黙礼して去った。
 その書類を読みふける医師。
「…………」
 ミノルは、ずっと黙ったままだ。
 ひとしきり書類を読むと、医師が口を開いた。
「ミノル君。学校は、大変かい?」
「……はい……」
「行きたくない?正直に言ってごらん」
「……う〜ん……行くのはいいけど……試験とかが嫌なんです」
「ミノルったら……」
「お母さんは、しばらく話を聞いていてくださいませんか」
「あ、す、すみません」
「いえいえ。……授業はどうだね?」
「うーんと……黙って座って聞いてるのが、ちょっと大変かな……」
「(キラン)ノートを取っているだろ?」
「せ、先生。実は、シャーペンを握っただけで苦しくなるんです。心臓がドキドキしてくるような……」
「そうか!よく話してくれた。それで、分かってきたよ」
 医師が、うなずいて言った。

 それからひとしきり、そうした異常な症状の経過が、医師によって洗い出されていった。
 いつ頃からそうなったのか。
 どのくらいの期間のことなのか。
 それらの直前に、どんなエピソードがあったのか。
 医師はときおり、虎の巻を開きながら、ミノルの症状をまとめていった。
 そうしたやりとりから、現状や問題がどういうものなのか、聞いているミノル本人にも、母親の君子にも、分かりやすく理解できてきた。
 そして。

「どうやら、学業のプレッシャーが大きくなりすぎ、心身に障害を生じている、ということになりますな」
「まあ」
 君子が声をあげた。
 ミノルは、うつむき加減で、ひざの上の両手を、ぎゅっと握った。
「日常生活では問題は無いようです。授業や試験など、明らかに学業そのものが原因です」
「ど、どうしたらよいのでしょう?直せますか?直せますよね?」
 君子がすがるように問いかけた。
 それはそうだろう。
 ずっと学年トップを誇っていた自慢の息子である。このままどうにかなってしまっては、なにより、地元でも名の通った音光寺家にとっても大変な不名誉である。……そこまで考えて、聡明な君子は反省した。
『いけないわ。今は、ミノルの治療を先ず考えなくては。家名のことなんて言っては、恥ずかしいわ……』
 もとより君子は嫁に入っただけで、言ってみれば家のことなど知ったことではない。
  今はそれ以前に、病気の一人息子を持つ母親であった。

「お母さん、もちろん治せますとも」
 医師はなぜか、最近人気の韓国の男性俳優のようなさわやかな笑顔で応えたものだ。
「ああ、よかった」
「先生、本当ですか?」
 ミノルも、医師の言葉に光明を感じて、微かに希望の輝きを表情に浮かべ、尋ねかけた。
「ああ、本当だとも。早いうちにここに来て、よかったんだよ。手遅れになったりしたら……いや失敬、オホン。少なくともミノル君は、責任を持って私が治療しますよ」
「先生、どのような治療をして下さいますか?お薬とかで、治るものなのですか?」
 君子が尋ねた。
「うむ。ああ、それなんだが……」
 医師が急に歯切れが悪くなった。
「先生?」
「一番いいのは、すべてを忘れて、ゆっくりじっくり静養することから始まるのです」
「先生、そんな!この子はこれから、じゅ、受験を控えてます、よりによって勉強するなってことですか、そんな――」
「ですよね。ですよね、私もそう思いました」
 医師は、回転イスの上で座りなおして、腕を組みながらそう応えた。
「それで、ちょっと私も困ったのです。……ですが、まあ、色々とやり方は……」
「ありますか?!」
 君子も、気が気ではない。藁にもすがる思いである。 たたみかける。
 しかし、医師――石黒医師44歳中肉中背、少し肥満気味、若い頃はなかなかのイケメン――はしばし腕組みをして、無言だった。そして。つと、顔をあげた。

「……お母さん、こうしたご病気の治療では、患者さん、ご家族の方が、どうしたいか、というのがポイントです」
「は、はい」
「学校は行かないで治療するのも、ひとつの方法です。通学しつつ通院するのも、方法です。いろいろあります」
「それはやはり、目標の高校に合格する程度のお勉強はさせないと」
「ですよね」
 石黒医師は、また黙った。
 実のところ、最前から、石黒医師は、何か心当たりがありながらも――それをクチにしたものか、迷っている、そんなフシが見られるのである。それは、石黒本人も、君子も、ミノルも感じていた。
 君子が言った。
「先生、何かいい方法があるのなら、是非、お願いします。先生にお任せします」
「(キラン)」
「私にしたらもう、この子が治ればそれが一番なんです。ですが、もしもお勉強に差し障りがないような治療法があるのなら、是非、そうした治療法で、先生、お願いします」

「わかりました。そこまで言われるのなら……と言っても、この治療法は、私も初めて試みるものです。絶大な効果があり、間違いはないはずなのですが、率直な話、今回のミノル君の状態にとって最善であるか、そこに私にもなかなか判断がつきかねていたのです」
「せ、先生、それはいったい?」

「最近アメリカで開発された、新療法です」
「は、はい」

「気分転換です」


3.治療

はあ〜〜?
 君子とミノルが、揃って呆れた声を出した。
 それはそうだろう。これだけひっぱって、期待させた挙句に、言うにことかいて気分転換とは。
「だから言いたくなかったんだ……」
 机に片手を置いて、石黒医師がひとり呟いた。直ぐに気を取り直し、二人に向かって話し始めた。

「誤解されるのも、当然です。これは、”気分転換法”という訳名で紹介され、業界ではそれが定着しつつあるので私もそう申し上げたまでです。実際これは、気分転換を最大限に活用し、最大の効果を生もうとするもので、追試や臨床でも相応の効果をあげ、にわかにひろまりつつある治療法なのです。よろしいですか、心身症のポイントは、環境への適応障害です。ではどうすればよいか。環境を変えるか、本人が変わるか、いずれか、それが一番手っ取り早いわけです。ここはお分かりですね?論理式で書いてみれば簡単に証明できますが――いや、失敬、元々の論文ではそういう記述で解説されておりましたものでね。さて。今回の事例では、ミノル君として、勉学の環境は変えるわけにいかない。例えば学校を変わるとか、在宅学習にして家庭教師をつけるとか、そういう処置をしても、それはおそらく見かけだけのことでありましょう」

 にわかに饒舌になった石黒医師の説明を、将来に不安を抱く二人は、黙って聞いていた。
 はじめは呆れたものの、聞いてみると、単にそういう名前の治療法だ、ということくらいは理解できた。
 石黒医師は、机の上の湯飲み茶碗を手に取ると、すっかり冷めたお茶を一口すすった。
 通常、診断中に自分だけがお茶をすするなどということはしないのだが、話が長くなったので仕方が無い。

「簡単に言いましょう。ミノル君が、心機一転、全く新しい自分として生活を営めばいいのです」
「は?……あの、ちょっと飛躍してませんか?」
「分かってます。分かってますよ…… ですが、この治療法はそういう帰結であり、それを実行して、現にそれ相応の効果があるのです。もう少し言うと、それまでの”自分”から離れているほど、効果も大きくなっているのです。ほとんど、比例的と言っていいほどです。ですので、今あえて、”全く新しい自分”、と、こう表現させて戴いたのです 」
「……なるほど」
 どこかすっきりしないまま、君子は自分を納得させるようにそう応えた。先生がそうおっしゃるのだから、そうなのだろう……

「さて!」
 石黒医師は、何か自分に勢いをつけるかのように、掛け声をかけて、机に向き直った。
 そして、先ほどの検査報告書やら、なにかの文献やらをごそごそとめくり始めた。
 机に向かってそれらを開き、なにやら書き込んだり、時には電卓まで叩きながら、 ちらりと振り向いて声をかける。

「はっきり言いましょう。ミノル君には、別人になってもらいます」

「ははあ。……は、はあ〜〜?
 驚くべき言葉に、君子は、瞬時には石黒医師の言葉が理解出来なかった。うなずきかけて、気がついて呆れた声を出したのである。
 ミノルに至っては、目をまん丸にしたまま、クチをぽかんと開けている。

「先ほどの検査で、実は、気分転換法で必要な要素も、検査済みです」
「はあ、はあ……」
「症状の要素をポイントに換算し、関数式にあてはめます。そして、それを補う気分転換要素を構築します――この辺りは、開発者のDr.ヘクターが見事にマニュアル化されているのです」
「ははあ」
 聞いたことも無い治療法と、その内容に、君子はもはやまともな日本語は返せなくなっていた。
「さて……結果が出ました」
  石黒医師がイスごと振り返り、ニコっと微笑んだ。
  二人を正面から見据えて、言った。

「今のミノル君に必要なのは、女子中学生14歳の生活です」


4.入院

 ショックでへたりこんでしばらく足腰が立たないミノルの容態を見て、これはいけない病状は重い、と判断し、石黒医師は緊急入院の手配をした。
 幸い、空きベッドがあったので、ミノルはほどなくベッドの上で休むことが出来た。
 病院の貸し出し用の寝巻きを着せられ、鎮静剤をうたれてミノルが一眠りしている間に、母親の君子はさらに何事かを石黒医師から指示されていたようだ。

 目をさましたミノルに、君子が声をかけた。
「気がついた?急な話で驚いたでしょうけど、ここは先生にお任せしましょう?ね、いいでしょ?」
「お、お母さん、何言ってんの。いやだよ、ぼくは……」
「だいじょうぶ。だいじょうぶなのよ」
 会話になっていない。
 ぼくはどうなるのだろうか。
 ミノルの不安がにわかに膨らんだ。
 さっきの話だと、ぼくは女の子の生活をする――ああ、あわわわ、考えただけでパニックになる
 これじゃ、かえってひどいのではないか、そんな疑問がよぎった。

「それじゃあ、お母さん、着替えとか色々準備しなくちゃいけないから、今日はいったん帰るわね。平気よね?ミノルちゃん男の子だもの。おほほほ」
 ひどい皮肉に聞こえる。
「お、お母さん……」
「あと、担任のそれいゆ先生には、もう連絡してありますから。今週はここに入院して――と言っても明日・明後日の二日だけど、来週からまた元気に登校できるそうよ?石黒先生がそうおっしゃってまして、てお話してあるわ。安心して」
「先生に言っちゃったの?」
 あのことを、と訊きかけて怖くなり、ミノルは訊くのをやめた。
「後は、看護婦さんと、石黒先生にお任せして。今日はもうごはん食べるだけでゆっくりお休みなさい」
 君子の微笑みで、ミノルもちょっと元気を取り戻した。

        *  *  *  *

 あくる日の朝。ミノルはベッドで食事を取り、することもないので、待合室で他の患者さんと一緒にテレビを眺めていた。
 看護婦さんの話で、あらためて石黒医師から詳しい治療法の説明などがあるということだった。それにあわせて母親も朝のうちに来るはずである。……待ちかねているうちに、11時をまわっていた。新聞や雑誌をながめて時間をつぶし、内心疑念がわいてきたところへ、昨日からお世話になっている看護婦のミユキがやってきた。
「ミノルくん?先生の準備が整ったので、いっしょに行きましょう」
「え?あ……お母さんがまだ」
「先にいらしてるわ。先生とお話をなさってらしたわ」
「あ、そうなんだ……」

 スリッパをぺたぺた鳴らしながら、ミノルは前日とは異なる診察室に連れて行かれた。
「違う場所なんですか?」
「昨日は、心療内科の外来だったでしょ?これから行くのは、精神神経科の入院患者向けの診察室なの」
「あ、そうなんだ……」
 病院とは不思議なもので、医師や看護婦に言われると、意味を深く考えずに納得してしまう。
 さて、こうして、ミノルは診察室に案内された。
「ミノル」
 中に入ると、母親が笑顔でイスから立ち上がり、近づいてきて、抱擁した。

『なんかおおげさだな……』

「おはよう、ミノル君。お母さんには、先に、今日明日の予定を一通り話してある。」
「はい」
「まあ、おふたりともそこに座って……さて、ミノル君。当面の治療方針、施術予定を説明しますよ」
「はい」
「この後、気分転換手術を施します。ははは、心配しなくていい。ちょっとした催眠術だよ。強い暗示を与えるだけだ。後催眠というか、この効果はずっと持続します。これによって、君は嫌でも女の子の姿形で生活するようになる。まあ、仕草とか喋り方は意思的に練習して取得していくしかないので、先ずは、女の子の服を着るしかない、という暗示を与えておこうというわけだ。そして、これをきっかけに、新しい人格――あえてそう表現するが――音光寺翠(みどり)として生まれ変わることになる。さて、施術はそれで終わり。後は、一人の少女として、君が自由に生活するだけだ。」
「…………」
 ミノルは、早くも思考停止状態に陥った。唖然として言葉も出ない。

「今の病室は、男性の大部屋だが、この後は、女性の大部屋に移ってもらう。あ、そうそう、着替えはお母さんに用意してもらった。少女向けのパジャマと、下着。ははは、これから君はずっと、女物しか着用しないわけだよ。また、当病院では、君は完全に女性、少女としての生活を送ることを保証するので、安心しなさい。さて、そして、今日明日は、少女の生活をリハビリとして学んでもらう。これは必要なことだよ?姿かたちが女の子で、やることなすこと男の子だったら、変だろう?これもまた心配しなくても、例の強力な暗示によって、君はそうして学んだことがらを、無意識に表に出していくことだろう。……そうして、明日は退院だ。週末は自宅で、ご家族とうまく調整なさい。また、今後のことも相談が必要だろう。」
 ミノルは、呆けたように聞いている。
 石黒医師は話を続けた。
「 学校には、お母さんから連絡済だ。聞いているだろ?来週から君は、女子として通学する。さて!快適な女子中学生の生活のはじまりだ。これが、今回の治療の最大ポイントだからね。君はおそらく、これまでかかえていた問題をきれいに忘れて、勉学に専念できるはずだ。がんばって勉強してくれよ?ははは。余裕を作って、出来るだけ新しいお友達を作って――つまり、女の子どうしのお友達づきあいをしていくのが、良いと思うよ。クラブ活動も、きっと自分からするようになると思うが。ともあれ、何もあらためて構える必要はない。ごく普通に、君が”新しい自分らしく”生活するだけで、いいのだ」
 いいのだ、じゃねーよ、ゴルア!!
 ミノルは内心そう思ったが、当然クチには出さなかった。

「ひとつ、重要なことがある」
 石黒医師が、あらたまった口調で、そう言った。

「いつまで少女として生活するか、気になるだろう?」
 既定事実のように言われ、ミノルはただ、こくん、とうなづくしかなかった。

「場合によっては、ずっとそのままだ。いや、驚かないでくれ。それは、本人次第だ、ということだ。今の君には、気分転換として絶対に必要な処置として施術するわけだが、実際その状態で安定してごらん?男に戻るのは無意味になるかもしれない、そういう話なのだよ。もちろんそれは、君が決めることだ。まあ、今は未成年なので、保護者である親御さんのご承諾で女の子になってもらうわけだが――成人したなら、君自身が決めることだよね?そのときに、もし君が女の子のままでいたい、と思ったなら、誰も止めやしないよ。それに、おそらく、数年間の女性としての生活を送っているわけだし、そうだね、20歳ごろといえば女子大生になっていることだろう。成人式で振袖を着ていたり、彼氏も出来ていても不思議じゃない。いや、あるいは、完全に性転換手術も済ましているかもしれないよね?」
 この人は……何を言っているのだろう……

「そんな女の子が、いきなり男に、なろうとするだろうか?なれるだろうか?……そういう意味だよ。君次第だ」

 話終えると、石黒医師は、うんうん、とうなづくようにして、しばらくミノルのことを見つめていた。
 なんのこっちゃ……ミノルはそう思った。それにしても、実際そのとき、どうなってしまうのだろう?

「ミノル、ミノル。そういうことなの」と、母親の君子がいった。「承諾書にはお父様のサインも戴いてあるの。新しい名前も、お父様と相談して、決めたのよ。翠、翡翠(ひすい)のすい、よ。ミノル、に似ているし、可愛いでしょう?ほほほ」
「そうなんだ……」
「今朝、先に先生にご挨拶に来て、詳しいことをご相談していたの。必要なものもあるから、て、さっき、下着とか、下の売店で買い足してきたのよ。パジャマは、可奈ちゃんのなのよ、ほほほ」
 可奈とは、2つ下の6年生の、妹の可奈のことである。
「今日からは、翠はお姉ちゃんよ、そのつもりでね、ほほほ、あらやだ、まだミノルだったわほほほ」
 母親がこういう笑い方をするのは、照れ隠しとか、笑ってごまかす場合なのである。 この人も相当動揺しているらしい。

「さあ、そういうことだ。……さて、そろそろ、気分転換手術を始めるよ?」
 石黒医師が言った。
「なに、簡単な手術だ。すぐ済む。こわがらなくていいよ」
 そう言いながら、看護婦ミユキにうなづいて、合図 を送る。
 ミユキもうなずき返して、ガラガラと、注射器や薬剤の載せられた台を押して来た。


5.回復

 ガラガラ……病院の廊下を、翠は車椅子に座らされて、看護婦ミユキに押されていた。傍らには点滴の機材が添えつけられ、ぽととんぽととんと薬剤を注入されていた。
 翠は、妹の可奈のパジャマを着せられ、ロングヘアのウィッグをかぶらされている。元々可愛らしい整った顔立ちに、前髪が切りそろえられたウィッグがよく似合い、どう見ても女の子である。それでも男の子だっただけに、少年ぽさもある。そのため、ゴーゴー夕張に似ている印象である。
 しかし、どうしたことか、目はうつろで、半開きにした口元には、よだれまで垂れている。

 やがて彼女は――といっても、正真正銘の男子なのだが――大部屋病室に運び込まれ、窓際の開いているベッドに寝かされた。10人ほどの少女がそこかしこにいて、そちらに向かった側だけ、ミユキによってカーテンが引かれた。窓からは、木々の茂る広い庭、その向こうに、住宅やビル街が見える。
 翠は、少女の姿のまま、ほどなく眠りについた……


 2時間ほどして、翠は目が覚めた。
『ここは……?』
 寝ぼけてぼんやりした頭で、翠は記憶をさぐった。辺りを見回す。
 手術の前後が、どうしても思い出せない。考えると、頭痛がした。

『ベッドか……あ!』
 ベッドと布団の感触に続き、翠は、自分の姿に気がついた。
 胸元を見下ろすように見たら、長い髪が、ふっくらふくらんだ胸元にかかっていたのだ。
 そして、胸元から背中にかけて、生まれて初めての感触……
『ブラジャーだ……恥ずかしい……それに、このパジャマ……』
 妹の可奈が、最近まで来ていたパジャマである。
 ピンクの地に、白い花びらの花柄で、小学生らしい可愛らしいパジャマである。
 
『本当に着せられたんだ……ぼくはもう女の子だから、しょうがないけど……恥ずかしい』
 そんなことを、考えていることに、翠は自分で驚いた。
『え、ちょっと待って……ぼくは男の子……だったのに……なんで女の子のお洋服を着るのが、しょうがない、なんて思っちゃうんだ?でも、しょうがないけど……』
 気分転換手術の効果である。
 14年間、少年として過ごしてきた記憶はそのままに、少女として生活をしていく、という強い暗示が見事に定着していたのである。しかし、それはこのように、記憶と思考に混乱を招くという、やむを得ない副作用があった。
 ともあれ、暗示のせいで、気にはなっても、深く考えることができなくなっていた。

『下着は……どうなのかな……』
 まだ、ぼんやりしたまま、翠は半身を起し、背もたれに寄りかかって、パジャマのボタンをひとつ、ふたつ、とはずしてみた。ボタンが左右逆なのが、恥ずかしさを増した。可愛らしいキャミソールと、ブラが見えた。胸元を少し広げてみると、それらの下着のストラップが、自分の肩にかかっているのが目に入った。
『……すっかり女の子のかっこうだあ』
 ズボンもめくってみた。スリップ風に長い丈のキャミソールをめくると、中学生らしい白いショーツをはいているのが分かった。そして、それを意識すると、腰まわりにかけて、男物にない、心地よい履き心地を実感したのだった。
『けっこう、気やすいんだなあ……そうだよな、普通に女の子が着て生活してるわけだし……』

 ふと、ベッドと窓の間に、姿見があるのにきがついた。それは、翠のために、ミユキが設置していったものだった。
『……!』
 鏡に映った、自分の愛らしい姿に、翠は驚いた。
 どう見ても女の子である。
『ゴーゴー夕張に似てる……』
 そんなことを思いながら、胸元が開きっぱなしで下着が見えるのが恥ずかしくなり、あわててシャツのボタンをとめはじめた。
 そこへ、ミユキがやってきた。
 当然ナースの制服で、カルテの他に、なにやら紙袋を持っている。

「目が覚めた?翠ちゃん」
「あ……は、はい」
「うふふ、だいぶ落ち着いたようね。さっきは、ちょっと大変だったのよ」
 ミユキが、笑顔のままで言った。
「?」
「気分転換手術で、かなり強いお薬を使ったから。意識不明になって、心臓は止まりそうになるし、痙攣は起こすし、おもらしはするし……でも、覚えてないでしょ?」
「は、はい……そうだったんだ」
「何でも、旧東ドイツで開発された自白剤とか、麻薬に似た成分とか、色々なお薬を使ったんですって。意識の深層を解放して、そこに暗示を強く植え込むためですって」
 そんなおっかないことをされたのか……
 翠は、目を真ん丸くして、聞いていた。
「それできれいにして、お洋服を取り替えておいたのよ。……さて。元気になったようなので、今日のリハビリを行います。起きて付いてきて下さいな」
「は、はい……」
 翠は、下半身を回して、ベッドの傍らに足を降ろした。
「そうそう、行く前に、これに着替えて」
「……?」
 ミユキが持っていた紙袋を渡した。
 翠は何気なくそれを受け取り、中身を出してみた。
 可奈の洋服だった。
 パフスリーブのスモック、ひらひらのいっぱいついたスカート 、靴下、靴もある。
 明らかに小学生の洋服である。
「お母様にあずかったの。妹さんは6年生なんですって?ちょっとお古だって言ってらしたから、4〜5年生くらいのお洋服かしら?」

 翠の顔が、みるみる赤面した。
 そんな……妹のお古の……小学生のお洋服を着るなんて……
『恥ずかしいけど、しょうがないのかなあ……』
 女の子の姿をするのは、嫌でもあきらめていたが、小さい小学生のお洋服を着るというのは、ちょっと違うのではないか……でも、ありあわせのお洋服といったら、これだろうし、言わば現実的という意味で仕方がないのかも……
 そんな感想を抱く翠であった。


6.リハビリ

 小学生女子の姿になった翠は、照れくささに小さくなりながら、ミユキについて病室を出た。
 生まれて初めて着るパフスリーブのスモックの襟元には、ブラとキャミのストラップがかいま見える。見せブラである。おしゃれな女の子には違いないが、そうは言っても男の子である。恥ずかしいことこの上なかった。

 他のベッドに居た、中学生、高校生くらいの女の子たちと目が合う。小柄とはいえ、中学2年生、それも本当は男の子の自分が、こんな姿で同学年くらいの女子たちの前に晒されるとは……

 初めてはいたスカートが、歩調にあわせてひらひら揺れ、くすぐったいような感触が太ももにあった。その下は、ショーツ1枚、という着心地も、なんとも頼りない気持ちにさせた。

「あの子、小学生だったんだ」
「小児病棟がいっぱいなんじゃない?」
「でも、なんかおっきいね」
「成長いいのね、今の子は」
「なんかさ、顔は夕張ちゃんみたいじゃない?(゚∀゚(゚∀゚ キャハハ」
 そんな会話が耳に入る。
 ちらりと見ると、中1くらいのあどけない女の子二人が、ベッドに座ってこっちを見ていた。
 目があうと、手を振られた。翠は、紅潮した表情で、ちいさくおじぎをした。
『ぼ、ぼくの方が年上なのに……小学生の女子だと思われてるんだ……』

 廊下に出て、人の行きかう中を、ミユキについていく。
 朝行った診察室とは別の部屋に向かっているらしく、合間には、外来の待合室を横切ることになった。何十人という人々の前を、小学生の女児の姿で歩いているのだ。とてもじゃないが中学生とは知られたくない。できるだけ子供っぽくしようと、翠はちじこまって歩いていった。

「これから行くリハビリルームは、退院されていたり通院されてくる外来の方も多いので、こちらの外来の病棟にあるんですよ」
「あ、そうなんだ……」
「翠ちゃんのコースは、今回暫定的に用意された特別なメニューですけど、実験的でも、最低限必要なことは訓練しておこう、その他、というねらいがあるそうです」
「ど、どんなことをするんですか?」
「簡単よ。ずっと男の子だったのだから、女の子の立ち居振る舞いとか、女言葉とか、そういうことを練習するのよ」
「あ、そ、そうか……」
 確かに、週明けからは学校に女子として通学するのに、男子のままでぽんとほうりだされてはたまったものじゃない。むしろ、願ったりかなったりという所か。
「この病院では、GIDの治療も行っているの。それで、そのメニューを参考にしているわ。でも、翠ちゃんみたいに若い子が、実際に通学を前提としてっていう例はまずないので、大人の人のメニューを元にしているの。あと、その他とか。」

「あの……その他、って何ですか?……さっきも言ってましたよネ……」
「うふふ。ゆうしゅうち運動よ」
「ゆうしゅうち運動?」
「恥ずかしいめにあう、ていう意味の羞恥よ。有恥辱運動とも言うわ」

有羞恥運動――有恥辱運動?!
 また、とんでもない用語が飛び出してきた。翠は思わず大声で言ってしまい、あわてて辺りを見回したが、幸い、その廊下にひとけはなかった。
「翠ちゃんの場合は、出来るだけ羞恥を感じるようにした方が、効果が大きいことがわかっているの。それで、まだ小さいから危険性も伴うけど、可能な限り安全な範囲で、有羞恥運動――あるいは有羞恥行為と呼ばれる行動を取らせよう、ていう先生の御判断なのよ」
 確かに、危険性を伴うのは、明らかだ。ソフト路線を標榜している当サイトで、どの程度の表現が許されるのか、作者もつらいところであろう。

「で、でも、それって――話が違うくないですか?」
「そうね。そうかも知れない。でも、私にも詳しいことは分からないけど、そうした恥辱を受けることが、これまでの日常からの乖離に役立つのは明らかで、それが大事なことらしいのよ?一種のショック療法っておっしゃっていらしたわ、石黒先生は。ほら、知ってると思うけど、有酸素運動って、身体にいいでしょ?有羞恥運動は精神衛生にいいんですって」
 石黒〜おまえは〜〜

「あ、あの、それじゃもしかして、このかっこうも?」
「うふふ、そうよ。さっきのパジャマとか、もっとおとなしいお洋服でもよかったのだけど、そうやって実際の年齢より小さい――それも、中学生でありながら、実の妹さんよりも小さい4年生くらいの女児としてたくさんの人目に晒されれば、かなりの恥辱でしょ?それに、さっきみたいに、中1の女子に、年下と思われちゃったりして。うふふ。恥ずかしいわね。あー、でも、男の子がスカートはいてロングヘアですっかり女子のかっこうしてるだけで、十分恥ずかしいわね。キャハ」
「そ、そんなあ(;´Д`)'`ァ'`ァ」
 実は、ミユキの言葉責めも、石黒医師に指示されてのことであった。そこはミユキも嫌いな方ではない。面白がってやっているのであった。

 そうこうしてるうちに、二人はリハビリルームに着いた。
 中に入ると、白衣を着たカウンセラーの女性が待機していた。
「先生、音光寺翠さんです」
「あら、いらっしゃい。はじめまして。後藤です。」
「こ、こんにちわ……音光寺、翠……です」
 そんなやりとりを交わす。
 ミユキが一礼して立ち去ると、後藤女史が、メニューの説明を始めた。
 先ほどミユキが言った通り、女性としての立ち居振る舞いが中心であった。
「翠さんは、身体も精神も男の子だけど、これからはもう、ひとりの女性ですからね。そのつもりでいて下さいね」
「は、はい……」
 身のすくむ思いで、翠は返事をした。

『これからはもう、ぼくは女の子なのか……あ〜あ、なんでこんなことになっちゃったんだろう』

 ともあれ、文字通り立ち居振る舞い、 女の子らしい立ち方座り方歩き方から練習が始まった。つねにひざの開きを意識しなければいけないというのも、初めて経験することである。座るときには、スカートのすそに手をそえること。ふりかえる時には、目だけではなく首をまわし、顔全体を向けること。電車でドアのそばに立つときには、鉄棒に片手ではなく両手でつかまること。じゃんけんでグーを出すときには、親指を外側にそらして出すこと。くちぶえは吹けない振りをすること。理科や電気関係、パソコンの話になったら、ともかく「えーわかんないよー。××くん、すごいねー」と言って男の子をたてること……等々である。

  あるいは、女の子独特ないわゆる「とんび座り」も練習した。
「あら……あなた、身体が柔らかいのね?」
「え……そうですか?」
 難なくとんび座りをこなした翠の姿に、後藤女史は驚いた。
「男性と女性では、股関節の広さも違うし、難しいらしいわよ?」

 もともと、小柄できゃしゃで身体もやわらかい翠であった。
 が、それは、強い暗示――催眠の効果でもあった。
 催眠術によって、筋肉が普段では到底できない動きが可能になることは広く知られている通りだ。
 ……しかしさすがに、ひざの角度をひらいていくと、けっこうつらいものがあった。
 できれば、きれいに左右に足を開かせたいものである。
「ふふふ。最初からあまり無理しなくていいわよ。練習しておいてね」
「はい、先生」
 強い暗示によって、「より女らしくしなければならない」と思い込まされている翠は、素直に返事をした。

 その後は、女言葉である。
「あた……あたし……」
「あたしは、お、女の子……です」
「あたし、女の子に生まれてよかった。だって、スカートをはけるんですもの!」
 等々の、赤面してしまうような例文を次々とこなしていく。

「ふふ。よくできました。これも、練習しておいてね。それと、普段から考えごとをするときにも、女言葉で考えるようにしてくださいね。自然なタイミングで女言葉がすらすらでるようになりますから」
「は、はい、先生……」
「それと、翠さんの場合は、"ぼく"って言うのはアリみたいね。その方が可愛い場合があるから。うまく、使い分けてね」
「は、はい……」

 そんなやりとりをしていると、看護婦ミユキが迎えにやってきた。ノックをして入ってくる。
「失礼します……先生、そろそろお時間です」
「あら、ありがとう。夢中になっていたわ。メニューは順調に消化したわよ」
「それと、先生、石黒先生からですが……」
 と、ミユキがなにやら書類の束を渡した。
 後藤女史は、その数枚のA4用紙をめくり、ふんふんという感じで読み、
「わかりました。なるほど……そういうやり方もあるんだ」
  呟くように言って、机上の自分のノートにメモを書き込む。つと顔を上げ、翠を見る。

「翠さん」
「はい?」
「追加のメニューが届きました。翠さん、今のかっこうは、妹さんのお洋服なのね?」
「あ、はい、そうです……妹の可奈の、お古なんです……」
「ちょうどよかったみたいよ。翠さん……ていうか、翠ちゃんかな?あなたは、小学校3年生になりきることになりました」

        *  *  *  *

「え……えぇ〜?!」

「うふふ。と、言っても、お家の中だけよ。心配しないで。学校では、今練習したとおり、中二の女子として生活していいの。ここ、病院の中と、お家では、小学校3年生、低学年ね。女児として生活してもらいましょうっていうことなのよ」
「ど、どうして……?」
「あのね、翠ちゃん。この治療法は、簡単に言うと別人になることなのね。それには、可能なら子供時代からいわゆる”育て直し”を行うのがベストなの。……でも、翠ちゃんの場合は、学校でお勉強をきちんとできるようになることが本来の目的だから、それで、年齢設定は男の子のときと同じまま、14歳になっていたのよ」
「はい」
「でも、幸い、妹さんのお古も着ることだし、学校は学校として、それ以外の時間は、適度な年齢設定で生活すればもっと効果がある――そう判断されたのよ、石黒先生は。」
「で、でも、妹が関係あるんですか?!」
「だって、あなたの治療をするのに、妹さんがいらっしゃることまでは深く考慮していなかったというわけなのよ。ところが、このメソッドをよく調べてみると、家族構成やペット、友人関係まで、最大限利用していくのがいいっていうことだったんですって。もちろん、ある程度は考慮していたわけだど、石黒先生も初めての事例ですものね、妹さんのことまでは気がつかなかったらしいわ」
「な、なんで、さ、3年生なんですか?!」
「今言ったとおり、小さいほどいいわけ。でも、小さ過ぎても、生活が大変だし、あなたの体格がいくら貧弱だからって、限度があるでしょ?笑。妹さんより小さい、ていうことなら有羞恥運動の考えからも理にかなっているし、いつもそばにいる妹さんに、これからはお姉さんとして接してもらえるなら、その運動量も理想的ということなのよ」

 はあ、そうですか……
 いつものように、翠はくちに出して言える状態を通り越していた。ただ聞いてるだけである。
「そこで、同じ小学生でも、4年生だと、高学年でしょ?それで、3年生ということになったのよ。じゃあ、頑張ってくださいね」
 それで終わりかよ!!

「今日はお時間がないから、3年生らしいしゃべり方とかは、今日のお勉強をもとに、自分でくふうしてみて下さい。そうね、ヒントを言うと、『うんとね……』みたいに、少しとろい感じでおしゃべりするのが、いいかも知れないわね。自分のことも、中学生じゃないから、あたし、ではなく、みどりはあ、みたく名前で呼んだほうが、らしいわね。あとは、なにごとも考えちゃだめ。その場その場で考えなしで動いたりしゃべったりすれば、かなり子供っぽいでしょ?当然、3年生が知らないようなことは、知らない、でいいのよ。あとは……そうそう、なにかっていえば泣き出しちゃってもいいわよ。低学年のお子ちゃまだから、そんなもんじゃないかしら?おもらしは……やり過ぎかな笑。2年生くらいまでかしらね。でも、おねしょはまだ大丈夫よ。よかったら、やってみて下さい」

 そんな指導で最初のリハビリは終わり、翠は屈辱感を感じつつも「せんせい、ありがとう、ございましたっ」という感じの、小学校低学年ぽい挨拶をして、ミユキとともに部屋を出た。なにしろ低学年だから、やたらと平仮名が多いのである。

 病室への帰路は、二人とも無言だった。
 再び、外来の待合室のど真ん中を通り、病室へ向かう。
 ……そのとき、翠が言った。
「あ、すみません……」
「なーに、翠ちゃん?」
 ミユキが、いかにも小学生を相手にしているかのごとき口調で、にこやかに応えた。
「え……う、うんとね……」
 かーっと赤くなりながら、翠は、うつむき加減に言った。
「み、翠、おトイレに、行きたいの……」
「あら、そうだったの。そっか、ごめんなさいね、手術のあと、まだ行ってなかったのね?」
「う……うん」
「あはは笑。翠ちゃん、小学生のまね、うまいわね。本当に3年生みたいよ。あ、ごめんごめん。感心しただけよ。くすくす……」
 こんな調子のミユキに案内され、有羞恥運動でくたくたになりながら、翠は近くの女子トイレに入った。大人の人や、高校生・中学生くらいのお姉さんたちがいた。
「だいじょうぶ?翠ちゃん、ひとりでおしっこできる?」
「だ、だいじょぶですよ――そのくらい――ひとりで、ひとりでできるもん」
「あはは、サイコー、翠ちゃん」
 恥ずかしくてたまらなかったが、真っ赤になりながら翠は、教育テレビで見かけた番組のタイトルを思い出し、思い切って言ってみたのだった。けなげなまでの努力である。そしてこれは、避けられない道でもあるのだった。

 そんなこんなで、初めての女子トイレも無事に終わった。
 大便のときにさんざん座っているので、洋式トイレに座ることには別段抵抗もなかった。股をとじて、おちんちんを下に向けて、指でおさえずに放尿することは、さすがになれていないことなので、多少のとまどいがあった。放尿後は、さきほど後藤女史に習ったとおり、ティッシュでふいて後始末をする。これも、男子では経験しないことだった。そのくらいである。

 こんな疲れた日はないよなあ、ちがった、なかったわ……
 そんなことを思いながら、翠はようやく病室に戻った。


7.病室

 病室にはやはり10人ほどの女子が居た。
 翠は、恥ずかしさから、そそくさと自分のベッドに向かい、腰掛けると、ようやくほっと一息ついた。
 しかしそれもほんの束の間だった。

「ねえねえ」
「?」
 振り返ると、先ほどでかけに目が合った、例の二人の女子中学生だった。
「あなた、翠ちゃんていうのね。さっき、ベッドの名札を見ちゃった」
 と、もう一人が言った。先に声をかけたほうが少しだけやせていたが、どちらも中肉中背で、髪は肩にかかるくらいで、あどけなさの残る、可愛らしい子たちだった。
「あ、は、はい……」
 いっきにまた緊張感につつまれた。
 なんといっても、自分が中学2年生男子だとは、絶対にバレてはいけないのだ。
 スカート姿のまま、膝頭を合わせて、縮こまった。

「苗字は?おん・こう・じ、さん?難しい名前なのね?」
「は、はい……よく言われます……」
「何年生?」
 ほうら、きた……か〜っと赤くなりながら、翠は精一杯子供っぽく応えた。
「……えっとお、うんとお、小学、3年生、です」
「ふうん。そんな小ちゃかったんだあ」
 やせた子が、驚いたように言った。
 もう一人が、言った。
「あたしは、洋子。木村洋子よ。よろしくね。」
「あたしは、佐藤圭子。ふたりとも、中1。あたしたち、お姉さんねキャハッ」
 何が楽しいのか、途中から相方に向かって笑いながら言う。
「よ、よろしく、おねがいします――」
 と、言ってしまって、こんな挨拶は子供っぽくないかな、と内心あわてた。
 が、心配はいらなかった。相手もこの春までは小学生だっただけあって、気にも留めない。
「うん。よろしくね。……ねえねえ、あなた、翠ちゃんは何の病気?重いの?」
「あたしたちは、盲腸と十二指腸潰瘍なのよ。あたしが盲腸。もう、ふたりとも手術しちゃって、後は退院するだけなの。あたしたちも、ここで知り合ったのよ」

 暇で暇で、しょうがないのだろう。
 こうやって、自分のような――小学校低学年の可愛らしい女の子が入ってきて、おもちゃでも見つけたような感覚なのに違いない。ところで、なんと応えたものか、翠は躊躇した。
「うんと……よく、わからないの。でもね、あしたには、もう退院しちゃうの」
 かわいく喋りながら、恥ずかしくてたまらない。伏目がちに、そう応える。
 膝の上で、両手を、ぎゅ、っと握っている。
「……ふ〜ん。そうなんだ……」
 痩せてない方、洋子が、にわかに、じとっとした薄目で低い声で反応した。

『やばいかも……変だったかな……(汗……』

 しかし、すぐに気を取り直したのか、洋子は、こんなふうに続けた。
「お家は?近いの?」
「う、うんとね……クルマで10分くらいなの……」
「何区?住所は、言える?っていうか、何小学校?」
「えっとね、M市立第三小学校、です。……3年2組です。」
 後藤女史に言われたとおり、深く考えずに適当に答えてみた。
 実際に、翠がミノル時代に通っていた学校とクラスである。当然、現在は妹の可奈が通学している。
「えー、じゃあ、あたしと一緒だ。あたしも、M市だよ〜隣の町だね、きっと。あたし、S町一丁目だよ?」
 と、圭子が目を丸くして言った。後半は、この年頃らしく、はしゃいだノリだ。
「学校は違うけどさ。近いよ〜」
 まずかったかも……でも、本当のこと?だから、しょうがないか……そんなことを考える。
「あ、あたしは、……翠は、二丁目……です」
 動揺したのか、途中で言い直してしまった。だいじょうぶだろうか……

「…………」
「…………」

 嫌なマがあいた。あちゃあ、まずかったかなあ……
 と、思っていると。
「翠ちゃん、ちょっと変わってるね……クスクス……」 と、洋子がくすくす笑いを始めた。
 圭子も、洋子の方を見ると、にやつきだした。
 洋子が、言った。
「ねえ、翠ちゃん。そう言えば、何でパジャマからお洋服を着替えたの?」
「え?……えっとお、看護婦さんが、着替えなさい、って言ったから……」
「どこに、行ったの?診察?検査?」
「うんと……リハ……リハなんとか……」
「リハ?……なんだろ?」
 と、二人は、顔を見合わせる。
「でも、変だよね。普通、パジャマのままだよね……」と、圭子が言う。
「ねー。そうだよね。」 と、洋子。
 二人でぺちゃくちゃ言いながら、ときおり横目で翠を見る。その視線がまたつらかった。

『は、はやくひとりにしてくれないかなあ……』
 と思いながら、うつむき加減になってしまう。顔は紅潮したままだ。

「あ!そうだ、ねえねえ、あなた、3年生なのに、ブラつけてるんだ?!」
 大きな声で、圭子が言い出した。
 ――しまった……中2のつもりだったから気にしてなかったけど、これは、まずいかも?
「アハハ、そういえばそうね。おっしゃれ〜♪」
 洋子も、大声で笑い出した。
 二人して、翠の肩に見えるブラのストラップ、そして、翠の胸元のふくらみを凝視している。

『……うわあ〜、は、恥ずかしい……><』

「ねえ、何か入れてるのお?胸、ふくらんでるじゃん」と、洋子。
「あはは、本当そう。ふくらんでるわ、この子」
 圭子が言いながら、何のためらいもなく、右手を翠の胸に手を伸ばすと、ぐにぐに、と、いきなりもんだ。
「!っ」
 さすがに翠もびっくりした。リアクションが思いつかない。『きゃっ、とか言うべきだったか!』
「あ、あ、あの……」
「あ、ごめん、ごめん。ふふふ……」謝りながら、圭子が手をひっこめた。 「パッドだわ。ふくらんでないわよ」
 それを聞いて、洋子。
「当ったり前でしょ〜?3年生よ?低学年だよ?」
「あはは、そうだねー。ねえねえ、洋子はいつからブラつけた?」
「あたし?あたしは、6年生から。初潮は5年生だったけど?」
「あたしは5年生だったよ。あはは、この子、おっかしい。笑」
 すっかり、笑いものである。
『……もう。先生と、ミユキさんが、きちんと考えてくれないから……こんなことに……』

「あれじゃない?親がさあ、ファッションでやってるんじゃない?」
「そっかもねー、そうだね」
「なんかさー可愛いよー。ね、翠ちゃん、ここにおいで」
 圭子が、あどけない笑顔で、自分の膝を叩いた。さっきから二人とも、ベッドに腰掛けているのである。
「?」
 はじめ、翠は意味がわからなかった。きょとん、としてしまう。
「もう。ここ、ここに座ってみてって。笑」
「!」
 翠は驚愕して、目をまんまるにした。そ、そんな……ぼくが、中1の女の子の膝の上に座るの?
「ほら、早く〜」
 と、さらに、ぽんぽん、と、圭子が膝を叩く。翠は、運を天に任すことにした。立ち上がって、1・2歩、歩み寄ると、おそるおそる圭子の膝に座った。予想以上の重さに、圭子は一瞬顔をしかめたが、自分から言い出した手前、取り繕うに、こう言った。
「あはは、けっこう重いわね、あなた。でも、かわ・い・い〜」
 と、翠の体を後ろからお人形さんのように抱きしめ、 頭をなでなでするのだった。
「あは。だって、幼稚園児じゃないんだから。笑」と、洋子も笑っている。

『ぼ、ぼく……中1の女の子に抱っこされて、頭なでなでされてるんだ……』
 これはもう、幾らなんでも中2男子であることは、到底言い出せたものではない。

「やっぱ、ちっちゃい子は、可愛いねー。あたし、妹いないから、うれしいよ」 と、圭子。
「そっだねー。うちは妹いるよ。でもさ、なまいきでさー。5年生だからかな〜」
 気持ちそっけない感じで、洋子が答える。翠と目が合っている体勢だ。なんとなくじとっとした目つきである。

「そういえばさ、洋子の憧れの人って、サッカー部だっけ?」
 翠のことをお人形さんとでも錯覚したのだろうか、翠の頭をなでなでしながら、圭子がまるで違う話を始めた。
「へっ?……ああ、Nさんねー。そうだよ。2年生で、すっごいかっこいいの」
「2年生、3年生の先輩ってさ、大人っぽいよねー。男の子もすっごい男らしくなってるし」
「そうだよねー。あたしたちなんて、今年まで小学生じゃん?やっぱ、先輩はすごいよねー男くさい、ていうの?背も高いしねー」
 翠は、お人形さんのように抱っこされながら、そんな二人のおしゃべりを聞くばかりであった。

        *  *  *  *

 その後もひとしきりからかわれたりして、ようやく飽きたらしく、翠は解放された。
 髪の毛もいじられたときは、ズラだけにかなりひやひやしたが、なんとなkばれなかったようだ。それはともかく、二人がとにかく翠が「どこか変」だと思ったのは間違いない。ただ、「中2の男子が小3の女子のフリをしている」とは、到底想像がつかなかっただけである。

 後になって思えば、適当なところでうそ泣きでもすればよかった、と気が付いた。
 しかし、そうは言っても、実際にそんなことやったことがないので、急にできるわけもないことにもまた気が付いたのだった。

 ほっとし、すきを見て、まず、パジャマに着替える。
 女の子らしくしているのには、ブラウスやスカートのままの方がよさげだったが、病室に入院中であるから、パジャマでなければ、やはり浮きすぎてしまう。だからだ。
 その格好で、スリッパをぱたぱたさせて、待合室に行き、テレビを見て時間をつぶすことにしたのだった。
 その後、食事をベッドで取ると、さっさとカーテンを引き、寝たふり、眠いふりをして、洋子、圭子の再度の来襲を拒否したのだった。


8.退院

 あく日の朝、朝食後に、翠はまた前日のスモックとスカート姿をさせられ、ミユキに連れられて、後藤女史の待つリハビリルームに連れて行かれた。今日は簡単なやりとりだけで、様子を見るくらいで、これからは通院することになるので、その説明をされた。
 そして今日は、午前中小児病棟に付属するチャイルドルームですごすことになった。

「お昼には退院ですから、それまで、他の子と遊んでらっしゃい」
 後藤女史が言った。
「昨日はどうしてたの?ずっとテレビ見てたの?」と、ミユキが尋ねる。
「う……うん。さいしょは、同じ部屋の……洋子お姉さんと、圭子お姉さんが来て……お話してたの」
「あら、そうだったんだ。うふふ、仲良くなれた?それにしても、実際はあっちが年下でしょ?よく、お姉さんて言えたわね。えらい、えらい」 と、ミユキ。
「そのちょうしなら、だいじょうぶそうね」後藤女史も満足そうである。
 ちなみに後藤女史は、医者ではなくカウンセラーなので、女史と表記しているのである。
「それじゃあ、翠ちゃん、2週間後に、またね」
「はい、ありがとう、ございました……」

 再びミユキと共に、廊下に出て、小児病棟に連れられていく。
 チャイルドルームは、小学校の教室のような雰囲気だった。
 机やイスはないが、壁にはお絵かきやポスターが貼られていて、腰の高さほどの本棚に、学童向けの書籍が並べられている。教育機関ではないので、マンガやファッション雑誌もある。
 こうした部屋で、幼児から6年生までの子が、日中の暇をつぶしているのである。2〜30人ほどがそこここにたむろしていた。
 健康管理を兼ねて、看護婦が回りもちで常駐している。ミユキが、担当の看護婦に声をかけた。
「久保さん、おはよう。この子、さっき連絡した子よ。先生からも聞いてる?」
「おはようございます。ええ、大丈夫ですよ。……あら、やっぱりちょっと大きいけど、本当に、3年生と言ってもおかしくないわね。おはよう、翠ちゃん」
 久保さんが、 腰をかがめて、翠に挨拶をした。
 看護婦ミユキの後輩らしい。それにしても、腰をかがめるほど小さくないのに……
「お、おはようございます……」
「うふふ。もじもじしながらでも、きちんとご挨拶ができて、えらいぞ。可愛い子ね」
「それじゃ、久保さん、あとはよろしくね。ご家族の方が見えられたら、内線で連絡するわ」
「はい、わかりました」

 ほどなく、翠は、チャイルドルームで、絵本を読み始めた。
 お友達がいるわけでもないので、しばらく本棚を眺めていて、漢字の多い上級生向きの本を開いたりしたのだが、それでも、実年齢14歳の中2の少年にしたら、ひらがなだらけで読めたものではなかったのだ。むしろ、絵本の方がかわいいし、いいかな、と思い、開いてみたのだ。
 横座りやとんび座りをして、窓際のカーペットの上で、スカートのすそを広げて、胸元にはストレートの黒髪を垂らし、翠は絵本を読んで時間をつぶした。ときおり、髪を手でさすっている。
 そのうち、ぺちゃぺちゃ喋っていた、二人の女子が近づいてきた。
「ねえあなた」
「?」
 声をかけられ、無意識に見上げ……また始まったか、と、翠は思った。
「見慣れない子ね。何年生?あたしたちは、5年生」
「さ、3年生……です」
「ふーん。もっと大きいかと思った。低学年か」
「ちょっと可愛いじゃん」もう一人が、相方に向かって合いの手を入れる。
 5年生といえば、妹の可奈よりも年下である。
 とうとう、5年生の女子にまで、子供扱いされてしまった。 なんかもう、どうでもいいや……

「何歳?9歳?まだ8歳なの?」
「え……と、きゅ、9歳です…」
 言いながら、翠は思った。ぼくは9歳の女の子なのか、あらためて驚いた。
 そうなのだ、低学年ということは、まだティーンエイジャーでさえなかったのである。女児である。
 実はこれも、石黒のたくみな計算のひとつであった。

 ともあれ、これで、わずかな時間ではあったが、翠は年齢相応の実際の女の子たちに溶け込み、そうした女の子たちの自然な仕草や喋り方などを多少なりとも身に付けることができたのであった。翠は、今の二人に誘われて、積み木遊びやおままごと、お絵かき、ちょっと庭に出てゴムとびなどにつきあわされた。所詮小学5年生である。しかし自分はそれよりも幼い3年生として接しなければならないのが、やはり悔しいような、恥ずかしい気分であった。

 やがて、久保に呼ばれて、翠はチャイルドルームを出た。
 いよいよ、退院である。

        *  *  *  *

 土曜日のお昼前である。
 ひとりで病室に戻ると、ベッドの脇のイスで、母親の君子が待っていた。
 洋子と圭子はベッドにいなかった。少し、ほっとする。
「おはよう、……翠。元気にしてた?まあ、可愛くなっちゃって」
「う、うん……」
 可奈のお古のスカート姿を、初めて母親に見られ、翠はこの上ない羞恥に包まれた。
「何恥ずかしがってるの。翠はもう女の子なんだから、気にしなくていいのよ」
 君子は、全く屈託のない感じで、そう言った。

「チャイルドルームで遊んでいたんですって?お友達はできた?」
「う、うん……5年生の……お姉さんに、遊んでもらったの……」
 実の母親に、中2の男子である自分が、こんなスカート姿でもじもじしながら、なんという恥ずかしいことを言っているのであろう。顔を真っ赤にし、あまりの羞恥から、目が潤んだ。
「そう。よかったわね。……翠。がんばったわね」
 さすがは母親である。翠が、苦しくとも頑張っていることを見抜き、励ましたのだった。
「う、うん……」
 嬉しくなって、翠ははにかんだ。

「さっ、そろそろ行きましょうか。……そうだ、その前に、これに着替えて」
 君子が、傍らのコロコロバッグを引き寄せ、横倒しにすると、開いた。
「中学の制服よ」

「お、お母さん……」
「ママ、って呼んでね。石黒先生と相談して決めたの」
 これまで翠は、ママ、パパ、などと呼んだことがなかった。もの心ついた頃から、ずっと、お母さん、お父さん、あらたまった時や人前では、お母様、お父様、だったのだ。 ……て、そういう話ではなく、と、翠は思った。
「マ……ママでもいいけど……だって、あたし、あたし3年生だよ?」
「すっかりなりきってるわね。でも、それだからこそ、今度は実年齢の中学生の制服を着るのが、精神衛生にいいそうなの」
「それって……」
 有羞恥運動に違いない。しかし、そんな単語こそ、恥ずかしくてとても母親には言えない。

「昨日、学校指定の洋品店に行って、用意してきたの。サイズは大丈夫なはずよ。可奈が同じくらいだったから、可奈に合わせて、それを元に、既製品を買ってきたの。あまり合わなかったら、すぐ直せるし」
 だから、そういう問題では……内心ぶつぶつ思いながら、翠はベッドの脇で、着替えを始めた。カーテンの陰になって、他のベッドからは見えない。
「おか……ママ。せ、せっかく小学生らしくしていたのに……」
「だから、いいのよ」
 君子は石黒にすっかり洗脳されているのだろうか?にこにこして、そう言うのだ。
 ……しかし、考えてみると、元々自分の人格障害が原因である。それを直そうと、医師も、家族も必死なのである。この「気分転換法」によって治るというから、それを信じて希望を抱いて、このように前向きに捕らえているのが現実であろう。

 ほどなくして、翠は、通学している中学の女生徒の姿になった。
 白いブラウスに、ジャンパースカートは大き目のプリーツで、上着はブレザー。色は紺である。靴下は、白いハイソックス。多少野暮ったいデザインだが、おしゃれな制服は高校に進学してからのお楽しみである。別のお話でミニスカの女子高生が登場しているから、ということもあるのである。 
「まあ、可愛いわ。そうしてると、今度は中学生らしいわ。さ、座って」
 翠を座らせ、君子がブラシで髪をとかし始めた。
 斜め横の鏡に移るその姿を、翠は放心気味の目で横目でながめた。
「さあ、行きましょう」
 手荷物を手早くまとめ、君子が言った。
 そのときである。

「翠ちゃん?な、なーに、そのかっこう?」
 と、声がした。
 圭子である。 もちろん、洋子もいる。遊び歩いて戻ってきたところらしい。
「あら、お友達?」と、君子がちらっと翠に言って、呆っとしてかすかにうなずく翠を見てから、二人に向き直り、応える。
「翠の母です。まあまあ、お世話になっちゃって。今から退院なんですよ」
「(ぺこり)圭子です……あの……翠ちゃんて、小学生……ですよね?」
「まあ、おほほ。事情があって、さっきまでは小学3年生っていうことになっていたの。あ、これからも、おうちの中ではそうなんだけど。ほほ。」
 君子は、何も迷わずに、ありのままを話はじめた。翠は悪い予感がした。悪寒がした。

「なんで、中学生みたいなかっこうしてるんですか?」と、洋子。
「中学2年生なんですのよ。男の子だったけど、女の子になることになったの」

えーーーっ

 二人が驚いて、大きな声をあげた。
 その声を、翠はどこか遠くのことのように感じていた。


(つづく)

目次へ戻る  トップ 

□ 感想はこちらに □