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柿本人麻呂水死刑説

ところが、『水底の歌』の著者=梅原猛氏は、人麻呂が鴨山で詠んだ歌の前書きに、「死に
臨んで自らを傷む」とあることに着目する。『万葉集』で、前書きに「自傷」という言葉が使
われているのは、非業の死をとげた有間皇子の歌と、人麻呂のこの歌しかないからである。

梅原氏は、このことを根拠にして、人麻呂は死を命じられたと判断する。そして、人麻呂は
高官だったと推測する。罪によって官位を剥奪されると、位が高かった者でも、その死を漢字
「死」を使って記録されることになる。つまり、「死」という文字は、契沖の指摘に反して、
人麻呂が六位以下だった証拠になるとは限らないからである。

梅原氏は、その例として、『続日本紀』の延暦四年(七八五)八月二八日の項にある、
「中納言従三位大伴宿禰家持す」(新訂増補国史大系『続日本紀後編』吉川弘文館)
をあげている。つまり、家持は、彼の死後に起った藤原種継暗殺事件の首謀者として、官位を
剥奪され、その遺骨が流罪に処せられたので、従三位であるにもかかわらず、その死を「
と記さず「」と記しているというのである。

だが、この表記はジレンマをはらんでいる。家持が没した時点でいえば、彼はまだ罪を得て
ないので、「中納言従三位大伴宿禰家持す」でなければならない。罪を得た家持に関する記
録であれば、彼は官位を剥奪されたのだから「中納言従三位」ではない。

たとえば、『続日本紀』の天平一八年六月の項の、家持が越中守に任じられた記事のすぐ前
に、僧として最高の地位にあった僧正玄ムが筑紫の観世音寺に左遷され、その地で没したこと
を、単に「僧玄ム死す」と記している。これと同じように、「中納言従三位」をカットして
「大伴家持死す」と記してあれぱ、梅原氏の主張の裏づけになる。だが、「中納言従三位大伴宿
禰家持す」では、表記の矛盾が目につくだけである。

それに、持統天皇に謀反の罪を着せられて処刑された大津皇子に関して、『万葉集』巻三の
歌(四一六)の前書きには「大津皇子被時」とあるが、巻二の歌(一六三、一六四)の前書
きでは、「大津皇子之後」としている。

また、梅原氏は、罪を得た人麻呂はその名を「人」から「サル」におとしめられたというが、
『続日本紀』の和銅元年四月二○日の項には、梅原氏が人麻呂だという人物について、「従四
位下
柿本朝臣佐留す」と記し、「死」の字を使っていない。

このように、梅原氏の指摘する事柄は、意外に矛盾が多い。

とはいうものの、中国の詩文集『文選』においても、自傷の詩を残しているのは死を命じら
れた人物ばかりである。気鋭の万葉学者中西進氏も、そのことを理由に、人麻呂刑死説が成立
する可能性を認めている。

さらに梅原氏は、依羅娘子の歌の原文「石水之貝」を「石川の貝」と取り、「石川の貝に
交じりて」というのは人麻呂の死体が水底の貝に混じって横たわっていることだ、と解釈する。
この点は、国文学界の大家であった、久松潜一氏も認めたところである。

しかも、このように解釈すれば、人麻呂に代わって詠んだという丹比真人[は欠けたり]
の歌に、「荒波に……」とあるのも意味が通じるようになる。

では、なぜ人麻呂はそのような運命をたどったのか。梅原氏は結論として、大宝律令を完成
させた藤原不比等が、傲慢不遜な反体制詩人=人麻呂を石見国に追放し、最終的にはその
海で水死させたというのである。


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