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多神社の多忠記宮司が示す、伝太安万侶墓
(その位置が分るGoogleマップ:地図になっていたら、航空写真をクリックしてください)


【参考】 2人の「従四位下朝臣安萬侶」の墓の位置関係

【参照】 不自然な2人の安萬侶の墓誌


太安万侶の墓誌の謎

奈良市の高円山の背後にある田原の地には、『万葉集』巻二に挽歌が載っている志貴親王の
田原西陵(春日宮天皇陵)と、そこから寅の方向(真東から三○度北寄り)へ直線距離で二キ
ロ余り離れたところに、その子=光仁天皇の田原東陵がある。

建設省国土地理院発行の二万五千分の一の地形図「大和白石」で測ってみると、
太安万侶の墓は、その二地点を結ぶ線分を一三対五に分ける地点付近にある。

イスケヨリ姫は、畝傍山の木の葉のさやぎを歌に詠んで、多氏の始祖=神八井耳命などに、
手研耳命の陰謀を暗に知らせたが、おもしろいことに、太安万侶の墓がある地点は
その畝傍山頂から見ると丑の方向(真北から三○度東寄り)に当たる。

写真家の小川光三氏は、「三輪山の日の出」というテーマに取り組んでいるとき、多神社か
ら見ると真東に三輪山頂かあり、真南に神武天皇陵があることに気づいた。

そして、多神社の位置からは、真東にある三輪山の春分の日の出が正面に見えるのに対し、
神武天皇陵の位置からは、寅の方向(真東から三○度北寄り)にある三輪山の夏至の
日の出が正面に見えるという。(『増補大和の原像』大和書房による)

ところが、畝傍山頂から見れば、ちょうど丑の方向(真北から三○度東寄り)に神武天皇陵
の中心があるので、太安万侶の墓はその延長線上にあることになる。

多神社の祭神は第一殿=神武天皇、第二殿=神八井耳命、第三殿=神沼河耳命、
第四殿=姫御神である。

神武天皇の皇后だったイスケヨリ姫が、多氏の始祖である神八井耳命らに身の危険を知らせ
た暗号の歌に畝傍山を詠みこんでいることを思えば、位置関係を表す方向がこのようにきちん
としたものになるのは、偶然とは考えられない。

私が阿礼=憶良を意識する発端になった南九州の地名の暗号では、笠沙岬と韓国岳を結ぶ直
線の延長上に河口がある川を五十鈴川と名づけ、

その北を流れる川を神武天皇の兄=五瀬命を意識させる五ヶ瀬川、
南側を流れる川を神武天皇の子を意識させる耳川と名づけてあった。

だから、三輪山や畝傍山の山頂を意識しながら定めたと見られる、神武とその子を祭神とす
る多神社、神武天皇陵、および太安万侶の墓の位置は、南九州の地名を利用した暗号と一連の、
測量に関する暗号になっているのではないかと考えられる。

一方、太安万侶の墓の構造の特徴は、腐食を防ぐために敷いた木炭の上に、文字が損なわれ
ないように墓誌を裏むけに置き、その上に火葬骨を納めた木櫃を安置して、さらに、木櫃の周
囲を木炭で厚くおおい、その上を突き固めた土でおおっていたことである。

この墓について、吉田孝氏は、「木炭でつつんだ安万侶の墓は、後世に残ることを意識して
つくられている」(『大系日本の歴史3』小学学館)と指摘している。

しかし、その墓誌は、次のように、

 左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥

 年七月六日卒之養老七年十二月十五日乙巳

       昭和54年1月24日付毎日新聞(東京本社)

と、居住地、位階勲位、姓名、死亡年月日、埋葬年月日(?)を二行に記すだけのものである。
『古事記』の撰者の遺族ともあろうものが、後世に残ることを意識してつくった墓に、なぜ
こんな味も素っ気もない墓誌を埋納したのであろうか。

ちなみに、『古事記』序文の日付と署名、および正史『続日本紀』の死亡記事を併記すると
次のようになる。

和銅五年正月廿八日   正五位上勲五等太朝臣安萬侶(『古事記』序文)
(養老七年)秋七月庚午(七日)民部卿従四位下太朝臣安麻呂卒(『続日本紀』)

この両者を比較すると、まず、日付を表すのに、干支を用いるか、数字を用いるかの違いが
ある。

次に、名前の「まろ」の書き方が違う。正史の「麻呂」が一般的で、署名の「萬侶」は
かなり特殊な表記である。

さらに、正史に大蔵大臣に相当する「民部卿」という官職が記されているにもかかわらず、
署名にはそのことを記さず、その代りに正史が記さない「勲五等」という勲位を記している。

このような序文の署名の不自然さも、偽書論者の注目する点であった。

けれども、墓誌の表記と序文の署名を比較してみると、これらの疑問点に関して両者はぴっ
たり一致している。

地中に眠っている墓誌の特異な表記を、どうして後世の序文偽作者がそっくり真似ることが
できるだろうか。そんなことはできるはずがない。それゆえ、序文偽書説は成立しない。

多くの学者がそう考えたのも無理からぬところがある。

これに対して、多人長を序文の偽作者と見る大和岩雄氏は、

太安萬侶は人長にとって曾祖父か、その縁につながる人物であったとすれば、「安萬侶」
と書くべきことや、「勲五等」を知っていたとしても、少しも不思議ではないであろう
(『古事記と天武天皇の謎』ロッコウプックス)。

と反論した。

これで、墓誌の出土は、序文偽書説に対する致命的な打撃とはならなくなったのである。


参考文献

『古事記・祝詞』(日本古典文学大系1)倉野憲司=校注(古事記)岩波書店

『続日本紀一)』(新日本古典文学大系12)青木和夫ほか=校注岩波書店


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