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暗号の存在を匂わせる歌

我々の普通の感覚によると、仮名47文字を巧みに並べて深遠な意味を持つ「いろは歌」を
作ることは、それだけでも至難の業のように思われる。したがって、よほどのことでもない限
り、その歌に暗号が仕組まれているかどうか調べてみたりすることはない。だからこそ、万人
に親しまれた「いろは」の中に、解読図を示せば一目でそれと分かる大変な暗号が仕組まれて
いたにもかかわらず、これまで1000年もの間、その暗号は解読されることがなかったので
ある。

このように、ものの見事に万人の意表をついている暗号をいきなり見せられたのでは、たと
え一目でそれと分かるものであっても、常識との落差が大き過ぎるために、人間業でこんなこ
とができるわけがないと拒絶反応を起す向きがあるかも知れない。

そこで、そのような拒絶反応を予防するために用意されたような、「折句(おりく)」と呼ばれる
歌と「物名(もののな)」と呼ばれる歌を紹介しておこう。

  折句

折句の歌としては、第1勅撰集『古今集』の「巻9、羇旅歌(きりょのうた)」にある、次の歌を
無視するこ とはできない(以下において、古典を引用する場合、暗号解読に原文を必要と
しなければ、なるべく口 語訳を使う)。

東国の方へ、友達としている人一人二人を誘って行った。三河の国八橋という所に行
ったとき、その川のほとりに、かきつばたの花が面白く咲いているのを見て、木蔭に
馬から下りていて、かきつばたという五文字を句のはじめにおいて、旅のこころを詠も
うとして詠んだ歌
                                             在原業平朝臣
唐衣(からころも)きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ(410)
               (『古今和歌集』〈日本の古典10〉 窪田空穂訳 河出書房新社)

『伊勢物語』9段の歌として有名なこの歌は、いわば暗号解読法の見本のようなものである。
まず歌の意味は、

唐衣を繰り返し着てよれよれになってしまった「褄(つま)」、そんな風に長年つれ添って親し
く思う「妻」があるので、その衣を永らく張っては着てまた張っては着るように、はるば
る遠く来てしまったこの旅をしみじみと思うことだ。
           (『古今和歌集』〈新日本古典文学大系5〉新井栄蔵ほか校注 岩波書店)

となるという。

すなわち、「なれにし」には、軟らかくよれよれになるの意の「穢(な)る」と親しむの意の万葉
語「馴(な)る」を掛け、「つまし」には、襟(えり)先・裾(すそ)先の意の「褄」と連れあいをいう「つ
ま」(ここでは妻)を掛ける。さらに、「はるばる」には、布の洗い張りの張るを重ねた「張る張る」
と 遠いさまの「はるばる」を掛け、「きぬる」の「き」には、「着」と「来」を掛けているのである
(右記による)。

このような「掛け詞」も、一種の暗号といえるものかも知れない。だが、これは当時の歌に
はごく普通に用いられたテクニックである。この歌が暗号解読法の見本になっているというの
は、次のように、濁点抜きの仮名で、一句ごとに改行して5行に書くと、隠された言葉が1段
目に並ぷ仕組みになっているからである。






らころ 
つつなれに
ましあれ
るはるきぬ
ひをしそおも









暗号遊びに相当する、隠された言葉の読み取りは、適当に濁点を補いながら行う。この歌の
場合は、太字で示した5字「かきつはた」が、アヤメ科の多年草の「かきつばた」を表してい
ることは、前書きによって分かっている。だが、前書きがなくても、右のような書き方をすれ
ば、「かきつばた」を読み取ることができる。

右のような仕方で歌の中に詠みこんだ言葉を「折句(おりく)」と呼ぷ。折句のなかには、
10文字の 言葉を二つに分けて、各句の始めと終りに詠みこんだ「くつかぶり)の折句」
と呼ばれるものもある。

そこで、各句の始めに詠みこんだ言葉を「冠(かぶり)」、
各句の終りに詠みこんだ言葉を「沓(くつ)」と呼んで区別しよう。

そうすると、右の歌の場合、「かきつばた」は「冠」になる。また、各句の終りに、古い由
緒のある八橋と、流れに揺らぐ川藻のことが、「ふるはしも⇒古橋・藻」と詠みこまれている
と見るならば、これは「」になる。

「いろは歌」に、折句のまねをした、初歩的な囮の暗号があることは、すでに江戸時代から知
られていた(このことは後述)。そのような暗号を解読する際にも、濁点の取り扱いは、この例
と同じに行う。

  物名

次に、「物名(もののな) 」の歌の例を見ておこう。

    をがたまの木                 友則(とものり)
  み吉野のよしのの滝にうかびいづるあは【をか玉の消】ゆと見つらむ(431)

(『古今和歌集』〈新日本古典文学大系5> 岩波書店……引用文中の【】〈〉《》及び傍線、
傍点は筆者による挿入。以下の引用文についても同様)

これは、『古今集』「巻10、物名」にある、紀友則の歌である。濁点抜きの仮名書きにすれ
ば、題「をがたまの木」が、「をかたまのき⇔【をか王の消】」として、それとなく詠みこ
まれていることが分かる。これを「物名」または「隠し題」と呼ぶ。

このように、「物名」は「掛け詞」に似ている。だが、文脈を無視しているので、題がなけ
れば「掛け詞」より気づきにくく、暗号的である。

物名の歌を、もう1首見ておこう。

第3勅撰集『拾遺集』には、字母歌「あめつち」を後世に伝えた源順(したがう)の歌が27首、字母歌
「たゐに」を後世に伝えた源為憲の歌が1首載っている。ところが、「あめつち」48文字を冠
として「あめつちの歌、48首」を詠んだと伝えられる藤原輔相(「すけみ」藤六)の歌が、「巻7、
物 名」に37首も載っている。中でも「荒船の御社」という歌は、9字をうまく隠しているので、
「物名」の傑作といわれている。

   茎も葉もみな緑なる深芹(ふかぜり)は【あらふねのみやしろ】く見ゆらん(384)
                 (『拾遺和歌集』〈新日本古典文学大系7>小町谷照彦校注 岩波書店)

つまり、「荒船の御社⇔あらふねのみやしろ⇔【洗ふ根のみや白】」となるのであ
る。これなら、暗号の一種といえるのではなかろうか。

このように、伝統的な和歌の世界で、意表をつくことに主眼をおいた言葉の遊びが行われて
いたのである。だから、たとえ字母歌に暗号が仕組まれていたとしても、驚くには当たらない
のである。


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