万葉仮名「イモ」に隠されたキー

戯書「山上復有山」に隠された意図  訓読「妹」が示す万葉集巻五の特異性

戯書「馬聲(い)蜂音(ぶ)石花(せ)蜘蛛(くも)」  山上臣憶良の七夕の歌の秘密


戯書「山上復有山」に隠された意図

万葉仮名「イモ」に隠されたキーを理解するためには、いくつかの予備知識を必要とします。

その一つは、万葉仮名の特異な表現方法「戯書」についての予備知識です。そこで、鈴木
棠三(とうぞう)氏の著書「日本のなぞなぞ」(岩波ジュニア新書)の解説を借ることにします。

戯書というのは、文字通りたわむれて書いたもの、遊戯的な気持ちで書いたものです。

たとえば、「し」という音を表わすためには、之・志・斯・芝・思・旨などいく通りもの漢字が使われました。

そのなかには、四もあります。ところが、四の代わりに二二とか、重二、また並二と書いた例、つまりダブル二なのです。これが戯書です。

たとえば、『万葉集』巻九、笠金村(かさのかなむら)の長歌の一節に、

……毎見(みるごとに) 恋者雖益(こひはまされど) 色二山上復有山いろにいでば
一可知美ひとしりぬべみ) ……                       (巻九。一七八七)

とあります。「山上復有山」は、山の上がある、すなわち「」の戯書なのです。

でも、これは単なるナゾ遊びではなく、、伝統ある文学的遊戯だったのです。

中国の南斉(なんせい)という国の文人王融(おうゆう 468−494)の作といわれる「藁砧
(こうちん)」(わらを打つ台)の詩は、ナゾを詩に作ったものです。

         イヅクニカアル                    イツカマサニ        ノ   トセン          ンデ  ル  ニ
藁砧 今 何   在  山上復有 山  何  当  大刀 頭    破鏡飛 上

藁砧は別の名を「石夫」(ふ)といった。このフから同音の「夫」と解く。山上復有山で「

大刀の頭には玉環を飾りにつけるので、環と同音の「還」。破鏡は、鏡のような円い月が半分に割れることだから、「半月」と解く。

        ハ  テ  ル
全体で、「夫 出 還 半月」(私の夫は家を出て遠くへ行ったが、半月たたぬと還ってこない)

と解けます。

万葉歌人は、こういう中国の古詩をよく知っていて、その知識を示すために、わざと使ってみせたのです。

もし、万葉歌人が中国の古詩に関する知識を示すためだけわざと山上復有 」を使ってみせたのであれば、万葉歌人の知的な程度はあまり高くなかったことになります。

逆に、山上憶良を意識させるために「山上復有 」が使われているのであれば、笠金村の歌と「いろは歌」の作者が同一人物である可能性を示す大変な暗号になります。

そこで、問題の歌の作為を確認するために、「色二山上復有山者 一可知美色に出でば 人知りぬべみ)」とほぼ同じ 「 人知色に出でて 人知りぬべみ)」という句のある巻十三の3276番の歌に注目してみましょう。

百足らず の道を 波雲の 愛し妻と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず
衣手の 帰りも知らず じもの 立ちてつまづき 為むすべの たづきを知らに もののふの
八十の心を 天地に 思ひ足らはし 魂合はば 君来ますやと 我が嘆く 八尺の嘆き 玉桙の
道来る人の 立ち留まり いかにと問はば 答へ遣る たづきを知らに さ丹つらふ
君が名言はば
色に出でて 人知りぬべみ 人知
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 待つ我れを (13/3276
この長歌の末尾の5・7・5・7・7に対し、次のように、「」と「」とが違うだけの短歌があることは見逃せません。
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 待つ我れを 12/3002
この「」と「」との違いにこだわれば、1787番に「五十母」とあることにも作為を感じます。
色に でば ……     (い)寝ずに ……  (いも)が直香に (09/1787
色二山上復有山……五十母(いも)不宿二 …… (いも)之直香仁
ここでは、「五十母(いも)が「」ではなく、「(い)」であることによって、万葉仮名による「」の表記は「」と「」とではどちらが正しいのか、という問題提起になっています。

また、「百足らず 田……魂合はば」を活かせば、12/3002のすぐ前にある2首から、
次のように、「山上」「稗田」が読み取れることに作為を感じないでしょうか。

魂合へば 相寝るものを の 鹿猪田守るごと 母し守らすも   12/3000
水を多み   田に種蒔き  を多み 選らえし業ぞ 我がひとり寝る 12/2999
この「山上」「稗田」に秘められた作為は、《万葉集の謎=「も・の・は」を欠く歌》を読んでいない方には、あるいは感じ取り難いかも知れません。

じつは、19/4175の脚注に、《「も・の・は」、3個の辞を欠く》とあります。これは、意図しなければそのような歌ができにくいことを意味します。

それゆえ、12/2999がほかならぬ「も・の・は」を欠く歌であると分れば、12/3000とセットにして読み取ることができる「山上」「稗田」に作為を感じ取りやすくなるのです。


訓読「妹」が示す万葉集巻五の特異性

古事記では、「」を万葉仮名で「」と表記しています。これに対して、万葉集巻五では、「」を表わすために「」を6回使っています。

そのうち3回は、山上憶良の日本挽歌(794)とその反歌(796,798)に使われています。

残る3回は、「松浦河に遊ぶ」と題する一連の歌の、「蓬客らの更贈れる歌三首(旅人?)」に
2回(855,857)、「後人の追ひて和へる三首(旅人)」に1回(863)使われています。

これだけに限れば、万葉集巻五の山上憶良と大伴旅人の歌では、古事記と同様に、「」の発音の区別を「」と「」とを使って書き分けている、といえそうです。

ところが、旅人宅の宴で作られた「梅花の歌三十二首」には、「)が家に(05/0844)
[小野氏國堅] 」と、1787番の「五十母に通じる「夜寐も)寝なくに(05/0831)[壹岐守板氏安麻呂] 」と、原文に「」を含む歌が2首あるのです。

小野 安麻呂=ONO YASUMAROが古事記の撰者太安萬侶を意識させることもあり、私はこのことをかなり不自然だと感じました。

そこで、《番号が「13/3347」以下。かつ、訓読が「妹(いも)」を含む。かつ、原文が「妹」を含まない。》という条件で万葉集検索の〔検索開始〕ボタンを押して、次のような結果を得ました。


番号 訓読
05/0794 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に …… )の命の……     憶良
05/0796 はしきよしかくのみからに慕ひ来し)が心のすべもすべなさ       憶良
05/0798 )が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに          憶良
05/0844 )が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも  [小野氏國堅]
05/0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる)が裳の裾濡れぬ         旅人?
05/0857 遠つ人松浦の川に若鮎釣る)が手本を我れこそ卷かめ        旅人?
05/0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る)らを見らむ人の羨しさ           旅人
11/2736 風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ入力ミス)は相思ふらむか
12/2991 たらちねの母が飼ふ蚕の繭隠りいぶせくもあるか)に逢はずして
13/3299S こもりくの 泊瀬の川の 彼方に )らは立たし この方に 我れは立ちて

番号を「13/3347」以下にしたのは、対象を巻一〜十三に絞ったということです。そうした理由は、下表にある通り、巻十四以下には、主として一字一音の仮名書の巻が多いからです。

その結果、巻一〜十三の中にあって、古事記同様に「」と「」を使い分けている巻五のみが、なぜ古事記同様に一字一音の仮名書になっているのかと疑問に感じることになります。

特に、13/3299Sの「)」は左注だから対象外とすれば、巻五を除く巻一〜十三の歌では、「」を表わすために、「」と「」とを一切使っていないことになります。

そこで、万葉集の各巻で、「」を表わすために「」と「」とをどれだけ使っているかを調べてみたところ、下表のようになりました。


巻別に見た万葉集の「伊」または「伊」による「妹」の表記

各巻の表記の特徴(「必携万葉集要覧」による)

毛:
表意文字・表音文字を併用。訓仮名が多い。  
表意文字・表音文字を併用。  
表意文字を主とし、字音仮名を主とする表音文字を併用。  
表意文字を主とし、字音仮名を主とする表音文字を併用。  
一字一音の仮名書。まれに表意文字を使用。 6:1
表意文字・表音文字を併用。  
表意文字を主とし、表音文字を併用。  
表意文字・表音文字を併用。  
表意文字・表音文字を併用。  
表意文字を主に表音文字を併用。戯書も見られる。  
十一 表意文字・表音文字を併用。戯書もかなりある。
人麻呂歌集所出のものは略体表記が多い。
 
十二 表意文字・表音文字を併用。戯書もかなりある。
人麻呂歌集所出のものは略体表記が多い。
 
十三 表意文字・表音文字を併用。戯書も多い。

←左注

十四 主として一字一音の仮名書 21 3:1
十五 主として一字一音の仮名書 32 10 3:1
十六 表意文字・表音文字を併用。  
十七 主として一字一音の仮名書 1:2
十八 主として一字一音の仮名書 3:1
十九 表意文字・表音文字を併用。  
二十 主として一字一音の仮名書 11 1:2

この表の「毛:」の「6:1」・「3:1」・「1:2」に作為を感じるのは、果たして私の先入観のなせる業に過ぎないでしょうか。

そんなことはないはずです。その証拠として、「」に関して例外的存在となっている12/2991と13/3299とに、紛れもない作為があることを、以下において明らかにしてみたいと思います。


戯書「馬聲蜂音(ぶ)石花(せ)蜘蛛(く

12/2991 たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り いぶせくもあるか       妹に逢はずして
原文 垂乳根之  母我養蚕乃  眉隠  馬聲蜂音石花蜘〔虫厨〕荒鹿 二不相而

先に、「戯書」の解説に用いた、鈴木棠三氏の著書「日本のなぞなぞ」(岩波ジュニア新書)には、12/2991について、次のように解説してあります。
   たらちね          か   こ     まよこも   イ    ブ    セ   クモ         アルカ   いも

  垂乳根の 母が養ふ蚕の 眉隠り 馬聲蜂音石花蜘蛛〔虫厨〕荒鹿 妹に逢はずして
                                           (巻十二。二九九一)  

こんどは、動物づくしです。恋人(妹)にあえないでいるので、心が晴れすふさぎこんでしまうという意味の歌です。

「いぶせくもあるか」は、気分が晴れず、うっとうしくてたまらないという意味で、眉隠りまではそれにかかる序歌です。(直接関係のない部分は、読み下し方式で書く)。

馬声の二字をイとよむのは、馬の鳴き声を昔の人は、イーンと聞きなした証拠で、今も青森県
などでは、馬はイインホホと鳴くといっています。

蜂(はち)はブーンだからブ。

石花は石の上に生じる花をいうこともあれば、鍾乳石(しょうにゅうせき)、あるいは珊瑚樹
(さんごじゅ)の一種、トコロテンを作るテングサなど、いろいろの意味があり、セと読むのは、
石に付着するところからシ(石)→セとなったのだろうといいます。

このあと、蜘(くも)、鹿(しか)とつづきます。

鈴木氏は問題にしていませんが、中西進氏は、「たらちねの」を監視者の母に多用される形容といい、下に「」を「異母」と書くのも戯書、妨げるとはなるの意、といいます。

いずれにしろ、「馬聲蜂音石花蜘」という戯書は、「山上復有山」と同様に、他の万葉仮名と
比較すると、常軌を逸しているとの感を否めません。

そこで、この歌も暗号の一種ではないかと見ると、先に「山上」「稗田」が読み取れることに
作為を感じた「12/2999,12/3000」が近くにあることが無視でなくなります。

ところで、「12/2999,12/3000」のすぐ後の12/3002には、13/3276が対応していました。

あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 待つ我れを 12/3002
あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 待つ我れを 13/3276
そこで、「12/2999,12/3000」の直前に置かれた12/2998に、次の11/2745が対応することに目を向けてみましょう。
港入りの 葦別け小舟 障り多み 我が思ふ君に 逢はぬころかも (11/2745
港入りの 葦別け小舟 障り多み 今来む我れを 淀むと思ふな  (12/2998
まず、「」に関して例外的存在である12/2991から感じる紛れもない作為とは、特異な戯書
「馬聲蜂音石花蜘12/2991)」と「山上復有山(09/1787」とによって浮かび上がる2首の歌が、次のように、拾遺集ではいずれも人麿の歌になっていることです。

          題知らず                       人 麿

あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて をこそて   拾遺782

あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて つ我れを   (13/3276

           題知らず                          人 麿

港入りの 葦分け小舟 障り多み 我が思ふ【人】に 逢わぬ 頃 か【な】  拾遺853

港入りの 葦別け小舟 障り多み 我が思ふ【君】に 逢はぬころか【も】 (11/2745)

拾遺集には、大中臣能宣の歌が59首、清原元輔の歌が46首、源順の歌が27首採られています。彼等は万葉集を訓み解き撰んだ梨壺の五人のメンバーです。

当然、勅撰集である拾遺集の編者の手元には、梨壷の五人が訓み解き撰んだ万葉集があったはずです。

しかし、上記の拾遺集の人麿の歌は、勅撰集の撰者として万葉集や古今集を読み込んでいる者が撰んだ歌とは考えることができません。

この矛盾は、拾遺集成立時には現在のような万葉集はなかったか、あるいは梨壷の五人や拾遺集の撰者が万葉集の歌を作ったとでも考えなければ解決しません。

上の2組の歌が、「も・の・は」、3個の辞を欠く12/2999の歌の前後にある、12/2998
12/3002によって結びついてることは、その可能性を示唆するものではないでしょうか。


もし、「馬聲()蜂音(ぶ)石花(せ)蜘蛛(く)」の「イモ」や下図に興味を感じる方は、
「いろは」が秘める邪馬台国への道標》や「柿本人麿の歌の作者は誰か」をご覧下さい。

「やま→山」としたのは、「ねつ→」「そう→」とするための伏線だった!

 

 

 

 







 

 

 

 

」字型の暗号の解読図
山上憶良(山うえのおくら)

 

」字型の暗号の解読図「(とど)め
山上憶良紀貫之(きのつらゆ


山上臣憶良の七夕の歌の秘密

13/3299S        或る本の頭句に云はく
こもりくの  泊瀬の川の  彼方に   らは立たし  この方に  我れは立ちて
原文 己母理久乃 波都世乃加波乃 乎知可多尓 良波多々志 己乃加多尓 和礼波多知弖

毛:」を問題にする際、左注の句であることを理由に対象外とした13/3299Sの
)」は、上記の通り、或る本の最初の部分の句にあると書いてあります。

したがって、この注記によれば、巻十三を編集する段階で、すでに完成していた或る本があり、その本では、「」を古事記流に「」とせず、「」と表記していたことになります。

ところが、本歌の13/3299では、巻五を除く巻一〜十三の歌らしく、は漢字で「」と書いています。だから、先に左注の「」を対象外としたのは、恣意的操作ではなかったのです。

では、「毛:」を問題にする際に除外する13/3299Sは、単なる邪魔物に過ぎないのでしょうか。むろん、そのようなことはありえません。

そのことを理解するためには、次のように13/3299と同じ句を持つ、山上臣憶良の七夕の歌(08/1520)の存在に注目しなければなりません。

見わたしに らは立たし この方に 我れは立ちて 思ふそら 安けなくに
嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 
小楫をかぢもがも
漕ぎ渡りつつも 語らふ妻を                                 (13/3299)
         山上臣憶良の七夕の歌

彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに
嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ
かくのみや恋ひつつあらむ
さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂(真可がも
[一云 小棹もがも] 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に [一云 夕にも] い漕ぎ渡り 久方の
天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐ねてしかも
[一云 寐も
さ寝てしか] 秋にあらずとも [一云 秋待たずとも]         (08/1520)

両歌の共通部分の最後になる「小楫をかぢもがも」と「真櫂(真可がも」とに注目すれば、その意図は歴然としてきます。

本歌(13/3299)のが、左注ではになっており、さらに憶良の七夕の歌では、本歌の
小楫もがも」に対して、「真可がも」と、妹と無縁の語にを使っているのです。

また、先に、1787番の「五十母(いも)が「」ではなく、「(い)」であることを、の万葉仮名としては「」と「」のいずれが正しいのか、という問題提起と見ました。

ところが、この「(い)五十母に対応するのが、05/0831の「夜寐も)寝なくに[壹岐守板氏安麻呂]」 と、08/1520の[一云 寐もさ寝てしか] とになった訳です。

これは、明らかに、太安萬侶が撰上したという古事記に見られる「」と「」とによる「」音の書き分けが作為に基づくものであることの種明かしです。

暗号「山上憶良」を理解しておれば、次の2首の歌の左注によって、古事記の作為と、その種明かしをする万葉集の性格に関して、一つの決断が下せるはずです。

         山上臣憶良の七夕の歌

天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな         (08/1518)
     右は、養老八年七月七日に、令に応ふ

久方の 天の川瀬に 舟浮けて 今夜か君が 我がり来まさむ           (08/1519)
     右は、神亀元年七月七日の夜に、左大臣の宅

養老8年2月4日、養老八年を改めて神亀元年とし、元正天皇は皇太子に位を譲り、聖武天皇が誕生します。なお、この日、長屋王に正二位を授け、左大臣に任命しています。

したがって、上の「養老八年七月七日」は、誤記でなければ、「神亀元年七月七日」に一致することになります。

そこで、「養老八年七月七日」を「養老七年七月七日」の誤記と見れば、この日付は、
古事記の撰者太安萬侶が没した日
に一致することになります。

このような事柄を、どうして、偶然の悪戯に過ぎないと見做すことができるでしょうか。

私は、これによって、古事記に見られる「」と「」とによる「」音の書き分けが作為に基づくものであることが証明できた、と断言してはばかりません。

問題は、何故このような暗号が存在するかということです。その件については、そのうちに、稿を改めて述べてみたいと思います。

なお、左大臣=長屋王は、日本史の秘密を解く鍵になっている可能性がありますが、残念ながら、現段階の私には、その事実を解明する力量が備わっていません。m(_ _)m


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