東西南北と三角定規の斜辺 80707−1


日本のレイラインの実態2データ


箸墓と「太陽の道」に関する見解の相違

太陽の道

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)
距離
箸墓後円部中心との
緯度の差(秒)

方位角(逆)/距離

神島
斎宮跡
343248.5,1365856.8
343225.6,1363646.7
268°55′
(88°42′)
34(km)
48.5-21
=27.5
89°13′
(269°52′)
105(km)
斎宮跡
丹生寺町
343225.6,1363646.7
343250.2,1362917.9
273°50′
(93°45′)
11(km)
25.6-21
=4.6
89°40′
(270°06′)
71(km)
丹生寺町
堀坂山
343250.2,1362917.9
343247.5,1362658.7
268°40′
(88°39′)
3.6(km)
50.2-21
=29.2
88°57′
(269°19′)
59(km)
堀坂山
美杉町太郎生
343247.5,1362658.7
343243.4,1361107.3
269°47′
(89°38′)
24(km)
47.5-21
=26.5
88°59
(269°20)
56k(m)
美杉町太郎生
倶留尊(くるそ)
343243.4,1361107.3
343151.4,1361013.3
220°41′
(40°40′)
2.1(km)
43.4-21
=22.4
88°39′
(268°51′)
32(km)
倶留尊(くるそ)
室生(むろう)
343151.4,1361013.3
343216.4,1360226.3
273°44′
(93°40′)
12(km)
81-51.4
=26.9
91°38′
(271°49′)
30(km)
室生(むろう)
春日宮天皇妃陵
343216.4,1360226.3
343221,1355629.5
270°55′
(90°52′)
9.1(km)
21-16.4
=4.6
90°23′
(270°30′)
18(km)
春日宮天皇妃陵
天神山
343221,1355629.5
343220.9,1355453.3
269°56′
(89°55′)
2.5(km)
21-21
=0
89°58′
(270°02′)
9.2(km)
天神山
長谷(はせ)寺
343220.9,1355453.3
343209,1355424.4
243°33′
(63°33′)
0.8(km)
21-20.9
=0.1
90°00′
(270°03′)
6.8(km)
長谷(はせ)寺
三輪山
343209,1355424.4
343206.2,1355200.5
268°40′
(88°39′)
3.7(km)
21-09
=12
93°30′
(273°32′)
6.03(km)
三輪山
箸墓後円部中心
343206.2,1355200.5
343221,1355028.2
280°58′
(100°59′)
2.4(km)
21-06.2
=14.8
100°58
(280°58′)
2.4(km)
箸墓後円部中心 343221,1355028.3   21-21
=0
 
萩原神社(日置荘町)
箸墓後円部中心
343215.2,1353156.7
343221,1355028.2
89°33
(269°44′)
28(km)
21-15.2
=5.8
269°44′
(89°33′)
28(km)
萩原神社(日置荘町)
大鳥神社
343215.2,1353156.7
3432
11.5,1352737.4
269°02′
(89°0′)
6.6(km)
21-11.5
=9.5
269°44′
(89°33′)
28(km)
大鳥神社
伊勢久留麻神社
343211.5,1352737.4
343
127.7,1345918.8
268°21′
(88°05′)
43(km)
81-27.7
=53.3
269°38′
(89°25′)
35(km)
大鳥神社
岩上神社(舟木)
343211.5,1352737.4
3432
26.4,1345706.4
270°42′
(90°25′)
47(km)
26.4-21
=5.4
270°22
(89°52′)
82(km)

箸墓

気になる位置関係 位    置 方位角/距離 特徴
箸墓
天神山
343220.9,1355028.3
343220.9,1355453.3
89°59′
(270°01′)
7(km)
箸墓後円部中心
春日宮天皇妃陵
343221,1355028.3
3432
21,1355629.5
89°58′
(270°02′)
9.2(km)
春日宮天皇妃陵
聖武天皇陵
343221,1355629.5
344138.5,1354946.8
329°11
(149°07′)
20,009(m)
聖武天皇陵
安積親王墓
344138.5,1354946.8
344750.2,1355357.1
29°03′
(209°05′)
13(km)

箸墓
崇道天皇陵

343220.9,1355028.3
343850.7,1355030
0°12′
(180°12′)
12(km)
箸墓
根本中堂北東隅
343220.9,1355028.3
350414.1,1355028.8
0°01′
(180°01′)
59(km)
神野山
光仁天皇陵
344004.5,1355947.3
344004,1355448
269°54′
(89°52′)
8(km)

春日宮天皇陵  
光仁天皇陵

343928.5,1355331.7
344904,1355448
60°37′
(240°37′)
2(km)
箸墓
神野山
343220.9,1355028.3
344004.5,1355947.3
44°52′
(224°58′)
20(km)
箸墓
畝傍山
343220.9,1355028.3
342933.3,1354705
225°08′
(45°06′)
7(km)

畝傍山
神野山

342933.3,1354705
344004.5,1355947.3

44°54′
(225°02′)
27(km)

箸墓
活日神社
343220.9,1355028.3
343145,1355111
135°27′
(315°27′)
1.6(km)

活日神社
斉明天皇陵

343145,1355111
342727.8,1354605.3
224°34′
(44°31′)
11(km)
長岡宮跡
桓武天皇御母御陵
345636.9,1354211.3
345844.1,1353933.5
314°25′
(134°23′)
6(km)

多賀大社

『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが当社のことである。(※古事記では普通は近江を近淡海と書いており淡道(淡路)の誤写ではないかと考えられる。日本書紀では淡道で統一されている。)延喜式神名帳に「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列している。「二座」とあることから、この時代から伊邪那岐命・伊邪那美命二神が祀られていたことがわかる。

須我神社

古事記によれば、須佐之男命は八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。

これが日本初の宮殿ということで「日本初宮」と呼ばれ、この時に須佐之男命が詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」とされている。

この宮殿がそのまま神社になったものと伝える。

仮名序には、「神世には、歌の文字も定まらず、……人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、
三十文字あまり一文字は、詠みける」とあります。

八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を(『古事記』)

31文字ではない万葉集の安積山の歌 

伊弉諾神宮

『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地に幽宮(かくりのみや)を構えそこに鎮まったと記される。

その幽宮が当社の神社の起源である。伊弉諾尊の幽宮遺跡と伝わる場所は、当社の他に滋賀の多賀大社がある。

皇大神宮

三重県伊勢市、五十鈴(いすず)川の川上にある伊勢神宮の内宮。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。神体は八咫鏡(やたのかがみ)。天照皇大神宮。伊須受宮(いすずのみや)。内宮(ないくう)。→伊勢神宮

天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。

岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。東本宮は天照皇大御神、西本宮は大日?命(おおひるめのみこと)を祀るとしているが、どちらも天照大神の別名である。西本宮は本殿を持たず、日本神話に登場する天岩屋であると伝えられる洞窟を神体とする。

記紀神話に適う「日の出の道」

記紀神話に適う「日の入りの道」

夏至の瞬間の日時 (UT) と、日本中国での日付

日時 (UT) 日本 中国
2001年 6月21日07:37 6月21日 6月21日
2002年 6月21日13:24 6月21日 6月21日
2003年 6月21日19:10 6月22日 6月22日
2004年 6月21日00:56 6月21日 6月21日
2005年 6月21日06:46 6月21日 6月21日
2006年 6月21日12:25 6月21日 6月21日
2007年 6月21日18:06 6月22日 6月22日
2008年 6月20日23:59 6月21日 6月21日
2009年 6月21日05:45 6月21日 6月21日
2010年 6月21日11:28 6月21日 6月21日
2011年 6月21日17:17 6月22日 6月22日

小豆島 八十八カ所 洞雲山 札所 夏至観音サニー (2010年6月19日)

伊弉諾神宮の真西に位置する小豆島八十八ヶ所霊場の第一番『洞雲山
対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 方 向
伊弉諾神宮
洞雲山(札所)
342736.8,1345109.0
342732.2,1341953.3
269°58
(89°41′)
47.9(km)

緯度の差5秒

小豆島八十八ケ所霊場一番札所洞雲山

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 日の出 方 向
須我神社
伊弉諾神宮
352114.2,1330153.9
342736.8,1345109.0
120°16′
(301°18′)
194(km)
冬至
伊弉諾神宮
伊勢皇大神宮
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172(km)
春分
秋分
伊勢皇大神宮
→富士山
342717.6,1364333.0
352146.4,1384353.2
60°38′
(241°47′)
209(km)
夏至

神功皇后陵

対  象 北 緯,東 経 距離 備  考
神功皇后陵→
伊弉諾神宮
344223.9,1354706.8
3427
36.8,1345109.0
89,835(m) 伊弉諾尊は天照大神の父
神功皇后は台与か
神功皇后陵→
皇大神宮(内宮)
344223.9,1354706.8
3427
17.6,1364333.0
90,708(m) 神功皇后は卑弥呼か
卑弥呼は天照大神か

益田岩船

対  象 北 緯,東 経 方位角 距離 備  考
益田岩船
伊弉諾神宮
342813.7,1354719.5
342736.8,1345109.0
269°3027 86,028(m) 等距離
益田岩船
伊勢皇大神宮
342813.7,1354719.5
3427
17.6,1364333.0
90°5306 86,117.(m) 誤差89m

斉明天皇陵

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
須我神社
伊弉諾神宮
352114.2,1330153.9
342736.8,1345109.0
120°16′
(301°18′)
194(km)
伊弉諾神宮
皇大神宮(内宮)
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172(km)

緯度差19秒
伊弉諾神宮
斉明天皇陵
342736.8,1345109.0
342727.8,1354605.3
89°55
(270°27′)
84(km)

緯度差9秒
斉明天皇陵
皇大神宮(内宮)
342727.8,1354605.3
342717.6,1364333.0
89°56
(270°29′)
88(km)

緯度差10秒
皇大神宮(内宮)
富士山
342717.6,1364333.0
352146.4,1384353.2
60°38′
(241°47′)
209(km)

等脚台形

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
皇大神社(元伊勢)
伊吹山
352548.5,1350916.1
352504.2,1362422.7
90°20′
(271°03′)
114(km)
緯度差44秒

114(km)
皇大神社(元伊勢)
伊弉諾神宮
352548.5,1350916.1
342736.8,1345109.0
194°29′
(14°18′)
111(km)
111(km)
皇大神宮(内宮)
伊吹山
342717.6,1364333.0
352504.2,1362422.7
164°37′
(344°48′)
111(km)
111(km)
伊弉諾神宮
皇大神宮(内宮)
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172,(km)

緯度差19秒

御来光の道と近畿の五芒星


二見興玉神社(ウィキペディア)

日和山

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
皇大神宮(内宮)
豊受大神宮(外宮)
342717.60,1364333.03
342914.03,1364213.30
150°2605″
(330°26′50″)
4,125(m)
皇大神宮(内宮)
富士山
342717.6,1364333.0
352146.4,1384353.2
60°38′
(241°47′)
209(km)
日和山
富士山
342906.4,1365024.8
352146.4,1384353.2
◎  60°04′
(241°08′)
198(km)
朝熊ヶ岳
富士山
342740.1,1364653.6
352146.4,1384353.2
○  60°08
(241°15′)
204(km)
夫婦岩
富士山
343033.5,1364718.2
352146.4,1384353.2
61°22′
(242
°29′)
201(km)
 
本居宣長墓
富士山
343127.6,1363011.2
352146.4,1384353.2
64°48′
(246
°05′)
224(km)
 

日和山(北緯34度29分、東経136度50分)

旧暦文化2年5月2日→グレゴリオ暦1805年5月30日

標準時 日本標準時
観測地 経度、緯度指定 高さ 0 m
タイムゾーン 1h
経度 136.833E 緯度 34.483N
天体名 太陽
備考:出没時の角度。北から東回りが+
  「--:--」・・その天体の出または没が無い日
日付 世界標準時 0時 経度、緯度指定 出没時の角度
視赤経
h m s
視赤緯
°' "

h m
南中
h m s

h m
° °
18050530 4 25 14.6 +21 40 40 4:42 11:49:43 18:58 62.8 -62.6
18050617 5 39 25.9 +23 22 49 4:39 11:52:56 19: 7 60.6 -60.5
18050618 5 43 35.2 +23 24 39 4:39 11:53: 9 19: 7 60.5 -60.5
18050619 5 47 44.6 +23 26 5 4:39 11:53:22 19: 7 60.5 -60.5
18050620 5 51 54.1 +23 27 5 4:39 11:53:35 19: 8 60.5 -60.5
18050621 5 56 3.7 +23 27 41 4:40 11:53:48 19: 8 60.5 -60.4
18050622 6 0 13.2 +23 27 52 4:40 11:54: 1 19: 8 60.4 -60.4
18050623 6 4 22.8 +23 27 39 4:40 11:54:14 19: 8 60.4 -60.5
18050624 6 8 32.3 +23 27 0 4:40 11:54:27 19: 9 60.5 -60.5
18050625 6 12 41.7 +23 25 57 4:41 11:54:40 19: 9 60.5 -60.5
18050626 6 16 51.1 +23 24 29 4:41 11:54:53 19: 9 60.5 -60.5
対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
皇大神宮(内宮) 3427,1364333.0    
日和山 342906.4,1365024.8    
夫婦岩 343033.5,1364718.2    
朝熊ヶ岳 342740.1,1364653.6    
本居宣長墓 343127.6,1363011.2    
【追記】地図の風景 の第11話「忠敬つれづれ」に次のような記事がありました。)

「文化2年4月28日 …朝熊岳へ測量。…終日晴天濛気おおく遠山不見。」
 「同5月朔日 午後当所(鳥羽)日和山に登て山々を測る。濛気おおく遠山不見。」
 「同5月2日 日和山に遠山を測る。日の出前に富士山を測得たり。」

その後も日和山に出かける。4日は、富士山観測は不成功だが、白山と伊吹山を観測する。次いで、5日、7日と出かけるが、これも不成功。

文化2年5月12日、「石鏡村」(現三重県鳥羽市石鏡)、13日「相差村」(現三重県鳥羽市相差)、20日「国府村海岸」(現三重県志摩郡阿児町国府)でそれぞれ成功する。


富士山によって下方が欠けて見える、夫婦岩の間から昇った夏至の頃の太陽
この写真の作者をご存知の方は、こちらまでご連絡下さい。m(_ _)m

富士山頂


御来光の道と五芒星(マイマップ)

スピリチュアル カウンセリングと神社・聖地の情報より

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
伊弉諾神宮
皇大神社(元伊勢)
342736.8,1345109.0
352548.5,1350916.1
14°18′
(194°29′)
111(km)
111(km)
伊弉諾神宮
伊吹山
342736.8,1345109.0
352504.2,1362422.7
52°45′
(233°38′)
177(km)
 
伊弉諾神宮
富士山
342736.8,1345109.0
352146.4,1384353.2
73°07′
(255°20′)
368(km)
東17度
368(km)
伊弉諾神宮
皇大神宮(伊勢内宮)
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172,(km)

緯度差19秒
伊弉諾神宮
熊野本宮大社
342736.8,1345109.0
335025.7,1354624.1
128°44′
(309°15′)
109(km)
109(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
伊吹山
342717.6,1364333.0
352504.2,1362422.7
344°48′
(164°37′)
111(km)
111(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
皇大神社(元伊勢)
342717.6,1364333.0
352548.5,1350916.1
307°27′
(126°33′)
180(km)
 
皇大神宮(伊勢内宮)
出雲大社
342717.6,1364333.0
352406.8,1324108.0
287°02′
(104°43′)
384(km)
西17度
384(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
熊野本宮大社
342717.6,1364333.0
335025.7,1354624.1
232°28′
(51°56′)
112(km)
112(km)
熊野本宮大社
伊吹山
335025.7,1354624.1
352504.2,1362422.7
18°10′
(198°32′)
184(km)
 
熊野本宮大社
皇大神社(元伊勢)
335025.7,1354624.1
352548.5,1350916.1
342°20′
(161°59′)
185(km)
 
皇大神社(元伊勢)
伊吹山
352548.5,1350916.1
352504.2,1362422.7
90°20′
(271°03′)
114(km)
緯度差44秒

114(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
富士山
342717.6,1364333.0
352146.4,1384353.2
60°38′
(241°47′)
209(km)
伊弉諾神宮
出雲大社
342736.8,1345109.0
352406.8,1324108.0
298°26′
(117°12′)
224(km)
熊野大社(島根)
伊弉諾神宮
352224,1330413.6
342736.8,1345109.0
121°22
(302°24′)
192(km)
須我神社
伊弉諾神宮
352114.2,1330153.9
342736.8,1345109.0
120°16′
(301°18′)
194(km)
出雲大社
富士山
352406.8,1324108.0
352146.4,1384353.2
88°42′
(272°12′)
549(km)
熊野大社(島根)
富士山
352224,1330413.6
352146.4,1384353.2
88°29
(271°46′)
514,(m)

緯度差38秒
須我神社
富士山
352114.2,1330153.9
352146.4,1384353.2
88°14′
(271°32)
518(km)

緯度差32秒


伊勢・元伊勢ライン 「浮かび上がる五芒星の謎」より

『日本書紀』

日本書紀』においては神格が三段階に変化しているという説がある。以下、転機となる事件と内容について概観する。

  1. 645年大化改新。天皇家はこれ以前には天照大神を祀っていない。
    • 「日神」(ひのかみ)=「太陽そのもの」。「アマテル」と称された男神が広く祀られていた。『延喜式』には対馬の「阿麻?留(アマテル)神社」、播磨の「粒坐天照」(イイボニアマテル)神社」丹波の「天照玉命(アマテルミタマノミコト)神社」などの「アマテル」の読みを持つ神社が見られる。
  • ちなみに、男神アマテルとは、アマテラスの孫のアメノホアカリの別名で、アメノホアカリは尾張氏・津守氏・海部氏の始祖でもある。また、このアメノホアカリの弟がニニギで、神武天皇の曽祖父にあたる。

 672年壬申の乱

  • 「大日?貴」(おおひるめのむち)=「太陽神をまつる女」=「棚機つ女」(たなばたつめ)。この場合、祭神を女神の大日?貴とする解釈と、蛇体の男神の「アマテル」とする解釈とがある。

 698年:皇大神宮創建。

  • 「アマテラス」=「天皇家の祖先神」。女神。持統天皇をモデルとして自然神から人格神へと創造された。
  • 以後も皇祖神以外の「天照」は「アマテル」と呼ばれた。例えば『更級日記』(1060年頃)でも「天照御神」と表記して「天照」の部分は「アマテル」と読まれ、『先代旧事本紀』の「天照?」にも「アマテルヒルメノムチ」のふりがなが付けられている。

 

 

陰陽夜話 第弐夜 「見えざる安部清明像」  対談 夢枕獏・岡野玲子・小松和彦より

阿倍晴朗に実像はあるのか?

夢枕 僕は、『陰陽師』を書く時、結構勝手なことを書いたりしてますけど、岡野さんは、なぜあそこまで絞れるわけですか?

岡野 だって画を描かなくてはならないので。

夢枕 僕なんか字を書くから、画が浮かばなくても字で見つかればなんとかそれで想像して書けるんだけどね。

-------------------------------------------------

夢枕 一度「これは何なの?」って、聞かれてコンパスの話なんかしましたね。

岡野 あの時は安倍晴明を描いてて、安倍晴明というとみんなだいたい五芒星(ごぼうせい)を思い浮かべるじゃないですか。

私は絵描きなので、彼は本当に五角形とか正五芒星が描けたのかっていう疑問を持ったんです。

夢枕 それは面白いね。

岡野 すごく難しいんですよね、正五角形を作るのって。一体どうやって作ったんだろうって、
アシスタントの人たちもみんなで考えたんです。

(めどき)っていう占筮(せんぜい)の時に使う筮竹(ぜいちく)があるんですが、あれを五本持ってきて繋いだんじゃないかとかね。一本が同じ長さですから。

そうやっていろいろ考えたんですけれども、どうもコンパスがなきゃ出来きいんじゃないかって思ったんです。

神聖幾何学図形の描き方を調べたら、コンパスが1本あれば円から合成できるんですよ。でもあの時代にコンパスがなかったらアウトじゃないですか。それで獏さんに電話したんです。

.夢枕 僕が岡野さんに初めて教えたやつですね、それは。

岡野 「コンパスなんてありましたかね?」って電話をしましたら――

夢枕 そうしたら、中国の古い文献で伏羲(ふつぎ)と女(じよか)がコンパスと定規持ってる図があったんですね。その話をしたんですが、初めて俺はいばれたね、あの時に。

岡野 まさかの時の原作者とか言って。

小松 陰陽道というのは星を観測したり、暦を作ったり、方位を測定したりしますから、基礎的な測定の方法は知ってないと、星の位置とか全部わかんないわけですからね。

 

 

 伊勢での斎宮の生活の地は、伊勢神宮から約20キロ離れた斎宮寮(現在の三重県多気郡明和町)であった。普段はここで寮内の斎殿を遥拝しながら潔斎の日々を送り、年に三度、6月の月次祭、9月の神嘗祭、12月の月次祭の「三節祭」に限って神宮へ赴き神事に奉仕した。

斎宮寮には寮頭以下総勢500人あまりの人々が仕え、137ヘクタールあまりの敷地に碁盤目状の区画が並ぶ大規模なものであったことが、遺跡の発掘から明らかになっている。

特に、緑(青?)釉陶器の出土は特徴的であり、この色に何か意味があった可能性も考えられる。

なお、斎宮跡は1970年の発掘調査でその存在が確かめられ、1979年に国指定史跡としての指定を受けて、現在も発掘が続いている。

一般に伊勢神宮というとき、そこには内宮と外宮があることは多くの人が知っている。それぞれ独立の形であはるが、両宮は一体で、総称して二所大神宮、または単に大神宮・神宮といった。必要のあるときだけ内宮・外宮といい、あるいは皇大神宮、豊受大神宮と使い分けるのである。
 内宮・外宮という呼び方は、内宮の方がより高貴な神社であるからによるが、また、内宮は神路山の麓にましまし、外宮は山田原の平地部に鎮座するという地理的位置にも由来する。外宮の宮号は豊受大神宮が正式で、略して豊受宮とも呼ばれる。
 止由気宮儀式帳によれば、雄略天皇のとき、天皇の夢に天照大神が現われ、「吾れ一所のみ坐すはいと苦し、しかのみならず大御饌も安く聞こし召さず、丹波国比治の真奈井に坐す等由気大神を、我が許に連れて参れ」とおおせられた。この教えに従って丹波からお迎えしたのが豊受大神宮であるという。
 最近の学説では、豊受大神宮こそが地付きの神で、皇大神宮は大和勢力の東方発展の拠点として進出したものとし、あるいは皇大神宮はこの地方の太陽神信仰が皇祖神と結び付いたものであるとするものもある。
 祭神はさきの儀式帳の通り等由気大神で、古事記には登由宇気神とあり、現在は豊受大御神と称している。また儀式帳に、天照大神のお言葉として「我が御饌津神」とあり、豊受大神は天照大神の食事を司る神である。日別朝夕大御饌祭が毎日二度朝と晩とに外宮で行われるのはこのためで、内宮にはこの祭はない。

 延喜大神宮式によると、「度会宮四座 豊受大神一座 相殿神三座」とあり、主祭神豊受大神のほかに三柱の神があることが知られる。

ただし、三神の名は明かではない。神宮では、この三神を御伴神と称し、正殿の中央に豊受大神、左右に御伴神を配祀している。

 内宮と外宮との祭祀や参拝の順序は、外宮を先とするのがならわしで、これを古来「外宮先祭」といった。

 豊受大神宮家の禰宜家は度会氏で、天日別命を祖とし、垂仁天皇のとき、大若子が越国の賊を討ってその地を神宮に寄せた功により、伊勢国造に任じられ、大神主を兼ねて神宮に奉仕するようになったという。その弟乙若子の後の乙乃古の子から四流に分かれた。

 初め石部(磯部)氏といったらしいが、単に神主ともいい、1001年神主貞雄・連信らが度会神主の姓を賜わって、子孫が大いに栄えた。檜垣・松木・久志本・佐久目・河崎・宮後の六氏は重代家と称され、さらに横地・川田・岩淵・赤畝・蒜田・吹上・大世古・村松・曽禰・松原・堤・出口・幸若などの諸氏を分出した。

 鎌倉時代に外宮の地位を高めようと計り、宮司の大中臣氏を排し、内宮と争い、伊勢神宮を中心とする神道説を唱えた。


本居宣長  

奥墓                           「山室の図」 ↓

宣長の墓所。松阪市山室町字高峯にある。 

奥墓(オクツキ)とは墓のこと。

宣長は『万葉集』4096番歌「於久都奇(オクツキ)」に、「墓ナリ」と書き添える(『寛永版本万葉和歌集』手沢本)。

樹敬寺が一族の墓で夫婦合葬であるのに対し、奥墓は個人の墓で宣長はここに埋葬される。

  「本居宣長之奥墓」と自書した墓石は南面、碑の後ろには山桜が植えられる。

墓石以外は、明治8年の山室山神社創祀等度々の改変があり当初の姿を想像することは困難。

当初の構想は『遺言書』に図解されるが、その後更に手を加え「改正墳墓図」を作成。

碑面文字も『遺言書』の「奥津紀」から、碑面下書「奥墓」と文字を改める。

  奥墓の準備の記録上の初見は寛政12年7月、『遺言書』の執筆に始まる。

秋某日、宣長より大平に山室へ墓地の下見に行く相談があったが、大平は吉事でもなく古意に背くと疑義を申し立てた。

9月16日夜、講釈終了後、宣長より門弟に明朝5つ(午前7時頃)に下見に出発する旨告げられる。

翌17日、12、3人を従え妙楽寺を訪ね、山内に自らの墓所を定める。

予定地は「山室山奥墓図」に略図で示す。

当日の詠として「山室行詠草」15首が残る。

10月4日、土地代1分支払う(『諸用帳』)。

寺との交渉は門人三井高蔭が仲介し、譲渡面積の拡張と場所の変更が決定される。

10月付本居中衛宛譲り渡し状一札が届けられる。

11月17日、住職法誉宛書簡執筆し、礼を述べ和歌山行きのため参上できないことを謝罪。

同20日、石屋喜兵衛に石碑代として金1両2分を払う(『諸用帳』)。同日、和歌山に出立し、造営は高蔭が監督した(『夏衣』)。

  翌享和元年3月、和歌山から帰宅後、花見を兼ね山室山に行き植えた桜の花に満足する。

また「山室に千年の春のやとしめて風にしられぬ花をこそ見め」はこの頃の心境を詠んだ歌であろう。

  9月29日宣長死去。10月1日夜、この奥墓に埋葬された。

『山室の図』の春庭賛(美濃書)によれば、日によっては富士山を眺望することも出来たという。

脇には平田篤胤、下がった所に植松有信の歌碑がある。

本居宣長之奥墓


伊勢と元伊勢を結ぶ

今回は、日本最大の聖地である「伊勢」と、伊勢と同じ構造を持ちながら人知れぬ謎の聖地「元伊勢」を結び、 京都御所の鬼門を封じるレイラインの存在を明るみに出すとともに、それぞれの聖地の秘密を探っていく。

その前に、聖地とレイラインに深い関わりのある「第一行」について、もう少し補足しておきたい。

  だが、この地に天照大神が祭られた2000年前に想いを馳せれば、すでにこの場所に強い「第一行」があったからこそ、ここに落ち着くことになったと考えるのが自然だ。

 伝説では、第10代崇神天皇の時代に

天皇の皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が「御杖代(みつえしろ)」となって天照大神を戴いて大和を発った。

しかし、安置できる場所を確定できぬまま豊鋤入姫命は亡くなり、その遺志を継いだ第11代垂任天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、ようやく伊勢に到着したと伝えられている。

 伊勢では天照大神を祀る役を代々「斎宮」と呼ばれる皇族の女性が務めることになったが、それは御杖代となった豊鋤入姫命と倭姫命に因んだものであった。

 豊鋤入姫命が大和を発ってから伊勢に落ち着くまで80年以上の間、 「伊勢」は、丹波、吉備、伊賀、近江、美濃等の諸国を転々とした。

そして、各地で、いったんはそこに祀られながら遷宮された場所が、20ヶ所以上存在している 。

それらの場所を「元伊勢」と呼ぶが、それだけ長きに渡って遷宮を繰り返し、最終的に今の伊勢に落ち着いたのは、伊勢の手つかずの自然の中に秘められた「第一行」が他の場所に比して強力で、かつ天照大神を祀るための条件が全て整っていたと判断されたからだろう。

 倭姫命が、最終的に伊勢に落ち着く際には、天津神を地上に導き案内した猿田彦命の裔である大田命が五十鈴川のほとりの霊地に導いたと伝えられる。

  豊鋤入姫命と倭姫命が巡り歩いた地に残された「元伊勢」は、 どうして今の伊勢のように終着点にならなかったのか。

それは、天照大神を祀るためのある程度沿う条件は整えながらも、完全ではなかったか、あるいは何らか理由でその場所を離れなければならなくなったためだろう。

後者なら、天照大神を宮廷の外に祀り直すことを口実に、「何か」が「敵」の手に渡るのを防ぐために逃げ伸びていったという可能性もある。

 伊勢が位置するのは紀伊半島の東だが、紀伊半島全体を見渡してみると、聖地とされる場所が異常なほど多いことがわかる。

神武東征神話にまで遡る熊野、修験のメッカである大峰、吉野、高野山……いずれそれらの土地もレイラインハンティングで辿るつもりだが、概観すると、 紀伊半島全体が最初から聖別された場所ではないかという気がしてくる。

 聖地はそこが「聖地」として位置付けられる前から特殊な場所なのだ。そこには、初めから「第一行」がある。

 長い旅路の末に伊勢が聖地として選ばれたのは、ここが最大の「第一行」を持っていたからだろう。 前置きがだいぶ長くなったが、いよいよ伊勢・元伊勢ラインの旅に出ることにしよう。

伊勢内宮と外宮を結ぶ約4kmのラインを底辺として、内宮から北北東へ8km、外宮から北東へ8kmそれぞれ線を伸ばすと、その交点を頂点とする細長い二等辺三角形が現れる。その頂点にあたるのは伊勢の中でも特別な聖地である二見ガ浦の夫婦岩だ。

 夏至の日、二見ガ浦の岸辺にある遥拝所から夫婦岩を望むと、締め縄が渡された二つの岩の間から朝日が昇る。その光は内宮と外宮を結ぶ三角形の内側にあまねく行きわたる。

 夏至は、太陽の日差しがもっとも強い日。日の光を命の源とする生命にとって、もっとも恵みの多い日といってもいい。天照大神は、日神とも称されるように太陽そのものでもある。天照大神を祭る伊勢に、力を一杯たくわえた天照大神が降臨する。夏至のこの瞬間は、まさに、伊勢という土地を象徴している。

 天照大神が、皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として大和を発ち、現在の伊勢に落ち着くまでに、各地を80年あまり、20箇所以上も変遷した。そしてようやく、現在の伊勢に落ち着くわけだが、それは、この土地が持つ「第一行」が、もっとも強かったからではなかったかと前に書いた。その「第一行」の肝となるのが、夏至の日に夫婦岩から昇る朝日ではないだろうか。
 この日、天気が良く見通しがきけば、昇る朝日の背後に、遠く富士山が浮かび上がるという。富士山は、不二の山、あるいはアイヌ語で「火」を表わす「フチ」にその名が由来するいわれるが、古来から、力と生命力を象徴する聖地として崇められてきた。夏至の太陽と不二の富士山が同時に夫婦岩という天然の鳥居を潜り、伊勢へ導かれる。それは、記紀神話に描かれる天孫降臨の構図そのものだ。

 夫婦岩の遥拝所の周辺には、たくさんの蛙がいる。大小様々のその石の蛙たちは、遥拝所の背後に控える猿田彦神を祭る興玉神社に奉納されたものだ。猿田彦神は天孫邇邇芸命が天照大神に命じられて豊葦原中国に降臨した際、天之八衢(あめのやちまた=天から地上へ下りる途中にある八方の辻)にいて、邇邇芸命の一行を高千穂へと案内した国津神で、伊勢がその故郷だとされる。
 ここには、伊勢の猿田彦神が、夏至の太陽=天照大神の使いを迎え入れるという構図が、はっきり浮かび上がる。そして、天照大神の使いで天から降りた邇邇芸命の妻は木花佐久夜姫神(このはなさくやひめ)、富士山の女神なのだ。天照大神を象徴する夏至の太陽と富士山が、夫婦岩という鳥居を通して伊勢に降臨する。これは、天孫降臨そのものだ。

 ちなみに、輿玉神社の祭神猿田彦神は、交通安全 善導の守護神として信仰されている。神社の周りに奉納された蛙は、猿田彦神の使いである蛙に因んだものであると同時に、無事かえる、貸した物がかえる、若がえる等の縁起により利益を受けた人たちが奉納したものだ。

 二見ガ浦の遥拝所から夫婦岩を拝むと、手前にある鳥居のその内側にぴたりと注連縄を渡された一対の岩がおさまり、さらにその岩の注連縄の間に水平線が見える。それは、広い海の中に、一筋の道を指し示しているかのように見える。

 春分の日、ぼくは、太平洋に面した上総一ノ宮の玉前神社で日の出を拝んだ。参道の先、太平洋から上った朝日は、ちょうど参道の尽きる先から昇り、正対した一の鳥居と二の鳥居をきれいに浮かび上がらせた。そして、まるで、光に乗って、何かが進んでいくように、一の鳥居の影が二の鳥居のその下に長々と伸びていった。そのとき、ぼくは、海の彼方からやってきた何かが、光の示す道に沿って、鳥居を潜り、さらにその先に連なるランドマーク目指して突き進んでいくような感覚を持った。その何かとは、淡く、ほんのり温かい、光の粒子の奔流のようなもので、それが体を通り抜けていく間、うっとりとして、夢の中を漂っているようだった。不思議なことに、そのとき玉前神社の本殿まで上って、その傍らでGPSによる測位をしようとしたが、まったく衛星を捕捉することができなかった。日がだいぶ回ってから再び、測位を試みると、何事もなく瞬時に衛星を捕捉することができた。


 伊勢の夫婦岩の間から夏至の朝日が昇るとき、天孫のための道が開かれる。その道を辿り、夫婦岩と遥拝所の鳥居という二つの門を潜り抜けていくエネルギーは、どんなものなのだろう? まだ、その瞬間にこの場所に立ったことはないが、想像するに、そこを流れる光の奔流は、まさに日の本である天照大神と一体になったような陶酔感をもたらしてくれるのではないだろうか。

夏至の日に結ばれる伊勢と元伊勢

「元伊勢」と呼ばれる場所は20箇所以上あると紹介したが、そのほとんどは、単一の神社か、朽ちかけた遺跡が残るのみで、伊勢へ落ち着くまで変遷していく過程の中で立ち寄った仮の場所、休み処という印象を出ない。ところが、京都府の北西、酒呑童子で有名な大江にある元伊勢だけは、様子が違っている。

  大江の元伊勢(以下、単に「元伊勢」と呼ぶ)には、天照大神を祭る皇大神社(内宮)、豊受大神を祭る豊受大神社(外宮)がある。外宮に祭られる豊受大神は、天照大神の御饌都神(みけつかみ=食事を司る神)であり、元伊勢創建の頃この地に降臨して、そのまま祭られたと伝えられている。現在の五十鈴川の辺に内宮が落ち着いたのは、日本書紀によれば、垂仁天皇26年(紀元前3年)といわれる。それから482年後の雄略天皇22年(478年)、天皇の夢枕に天照大神が現れ、「丹波がなつかしい。豊受大神に会いたい」と告げる。それを受けて、現在の伊勢の外宮に勧請されたと伝えられる。外宮は、まぎれもなく元伊勢が元宮であり、天照大神が告げた「丹波が懐かしい」という言葉には、元伊勢の重要性が端的に現われている。

 そして、元伊勢には、天岩戸神社、五十鈴川、宮川、真名井ノ池、宇治橋、猿田彦神社と、伊勢と共通する名称が次々に現われる。元伊勢全体が伊勢と同様の構造を持つ一大聖地となっているのだ。

 もっとも興味深いのは、伊勢と元伊勢が夏至の太陽で結ばれることだ。

 伊勢にとって自然のご神体ともいえる夫婦岩から夏至の日に昇る朝日は、そのまま「天孫降臨」の構図であった。その夏至の太陽は、近畿を縦断するようにぐるりと日本海側へ回りこむと、元伊勢のご神体である「日室岳」の頂上に没する。一年のうちで太陽の力がもっとも強くなる夏至の日、それは太陽神である天照大神のエネルギーがピークに達する日でもある。その力を余すところなく大地に受け取ろうとするかのように、伊勢と元伊勢は配置されている。その太陽の運行線、天照大神の辿る道が北東の鬼門を封じるように北西から南東にかけて横切るように配置されたのが、他ならぬ「平安京」であった...そのことについては、後に詳しく紹介するとして、まずは、元伊勢に目を向けて、その構造を検証してみよう。

 京都府の北西部、福知山から天橋立で有名な宮津へ抜ける街道は、両側を優しい起伏を描く山に挟まれた宮川の谷に沿って通っている。福知山から30分ほどで、大江町に入る。すると、街道のそこここで鬼が歓迎してくれる。金棒を構えて高笑いする赤鬼、愛想笑いを振りまきながら酒を勧める青鬼。山道の曲がり角に立つ鬼の人形は、昼間はユーモラスに映るが、夜、何も知らずにヘッドライトに浮かび上がる姿を見たら心臓が縮まるだろう。大江は、平安の昔、京都市中を荒らしまわり人々に恐れられた酒呑童子の本拠地として知られ、今では、観光の目玉になっているのだ。

 鬼の人形や「鬼饅頭」、「鬼そば」と、いまだに幅を効かせている酒呑童子とは対照的に、元伊勢は、注意していなければ見落としそうな看板があるだけで、観光客を誘致するアピールは何も無い。

 福知山から北上していくとまず右手に外宮がある。杉の木に覆われた小高い丘の麓に駐車場と社務所があり、そこからいきなり急坂の参道が始まる。この元伊勢は、内宮、外宮、天岩戸神社を合わせて「元伊勢三社」と呼ばれ、江戸時代には多くの参拝客が訪れたといわれる。外宮の参道に敷かれた石の階段の磨り減り方から往時の賑わいがしのばれるが、今は、他に参拝客はなく、ただ鳥の声だけが深い森の中に響いている。

 参道を登りきった山の頂きに黒い樹皮そのままの生木を組んだ鳥居がある。それを潜って、両脇に石灯籠が置かれた数段の階段を登ると、こじんまりした社が鎮座している。階段は長年の人の通行で窪んだ踏み跡がそのままで、社もどこにも飾り気のない、さびれかけたような趣だが、静まり返った森の中で、そこだけさらに真空のように静かな境内に立つと、意識しないうちに、社に向かって深々と頭を垂れている。

 宗教心が篤く、敬虔な人が神社仏閣にお参りに行く。それが一般的な言い方だが、ぼくは、レイラインを辿る旅をしているうちに、敬虔だからお参りに行くのではなく、お参りに行くから敬虔な気持ちになるのだと思うようになった。大方の人たちが、商売繁盛とか家内安全、厄除け祈願など、具体的な現世利益を求めて神社仏閣にお参りに行く。だが、お参りに行ったから、実際に現世利益がもたらされると信じていく人はほとんどいないだろう。ところが、聖域に足を踏み入れると、少なからず人は敬虔な心持になり、ご神体や本尊に向かって祈るとき、遊び半分やおざなりな儀式ではなく、何か大きなものに向かっている感覚を持つ。

 レイラインの旅で、様々な神社仏閣の聖域に足を踏み入れる度、かならず、自分の意識がそんなふうに変わる。ぼくは、元々宗教心が篤いとか敬虔なほうではない。神社仏閣を訪ねるのは、あくまでもレイラインを検証するためだ。いわば無感覚に聖域に足を踏み入れるわけだが、そのまま何も感じなかったということは皆無だ。まるで、空から「敬虔」という網が降ってきて、それにからめとられたように、おもわず身を正し、気持ちを引き締めてしまう。じつはそれこそが、土地に秘められた第一行なのだ。

 厳かな気持ちで外宮にお参りを済ませ、内宮へと向かう。

 宮川に沿った道をそのまま北へ辿り、古い街道らしき細道へ折れると、小さな集落の外れに隠れるようにして内宮の一の鳥居がある。こちらも参拝客の姿はなく、ひっそりとしている。

 鳥居の前にオートバイを止め、それを潜ると、明らかに空気が変わる。

 両側を杉の巨木に挟まれた坂道を登るにつれて、空気がさらに張りつめ、ひんやりとしてくる。内宮を取り巻く森がひとつの「意識」となっいて、鳥居を潜ったときからその意識の中に入りこみ、参道をたどることで中枢へと近づいていく...そんな感覚にとらわれる。参拝者はぼく以外におらず、ただひたすら森と対峙する中で、次第に自分が森と同化して行くような気がする。

  両側に杉の巨木が林立する参道を登りつめると、生皮がついたままの木を組んだ黒い鳥居が待ち構えている。その向こうに、杉皮を葺いた屋根の本殿が見える。外宮と比べれば内宮は規模も大きく、参道もよく手入れされているが、質素といえるほど虚飾がなく周囲の自然に完全に溶けこんでいる佇まいは同じだ。 

 鳥居を潜って境内に入ると、とても懐かしい気分にとらわれる。ここに来たのは初めてだが、幼いときに遊んでいた鎮守様の境内にふらふらと迷い込んでしまったような、今しも、おもちゃの刀を腰のベルトに差した幼馴染が木の陰から飛び出してきそうな気配。身の引き締まる威厳と同時に、体の力を抜いて境内に寝そべってしまいたくなるような安らぎ...。

 緊張と弛緩が一度に押し寄せる不思議な感覚に身をまかせたまま、お参りを済ませ、境内を散策していると声をかけられた。

 「どちらからいらっしゃいました?」
  それまで人の気配がまったくなかったので、空耳かと思ったが、振り向くと優しい笑顔の宮司が立っていた。
 「東京です」
 「ほう、それは、えらい遠くから。ありがとうございます」
  深々とお辞儀をされて、こちらも思わず腰を深く曲げてお辞儀を返す。
 「こちらは、由緒正しいお社なのに、あまり宣伝されていないんですね」
  大江町に入ってから、ずっと疑問に思っていたことが、口をついて出た。言ってしまってから、いきなり不躾だったかとも思ったが、宮司は笑顔を崩さず答えてくれた。
 「ここは、ほんとに信心深い方だけがお参りにみえられればよろしいと思っております。宣伝して、観光客が大勢みえられては、その信心深い方々にご迷惑ですからね」
  といって、一般の参拝を敬遠しているわけでもなく、元伊勢のことを知らずにふらりと旅人が立ち寄るのも歓迎だという。
 「知らずに訪れる方は、それなりのご縁があるからなのです。ご縁というものは、ありがたいものです」
 宮司は、そう言い足した。
 『ご縁』という言葉が、妙に心地よかった。レイラインハンティングという発想をしなければ、たぶんこの地を訪れることはなかっただろう。そして、宮司と言葉を交わすこともなく、深く納得できる『ご縁』という言葉も聞けなかった。それは、まさに『ご縁』以外のなにものでもない。
 「境内から、そちらに出られると、一願さんがあります。そこで、ご神体の日室岳を拝まれるとよろしいですよ」 
 そう静かに言うと、宮司は舞台の袖へ下がる役者のように姿を消した。

  本殿を正面に見て、左側の瑞垣の外へ出ると、すぐに宮川の谷を挟んだ向こうに、そびえる円錐形の山が目に入る。2000年にもわたる元伊勢の歴史を通してずっと禁足地とされてきたこの山は、人工的に作られたピラミッドと見紛うほど均整のとれた形をしている。

  天岩戸神社へと続く道の途中に、宮司が「一願さん」と呼んだ遥拝所ある。ここから夏至の夕暮れに日室岳を拝むと、ちょうど日室岳山頂に日が沈むというわけだ。「一願さん」から日室岳を拝んで願い事を一つだけすれば、それがかなうといい、この名で呼ばれている。折りしも、「一願さん」から日室岳を仰ぐと、その頂に太陽が差しかかりつつあった。空を切り取る円錐の山の端の上に、日輪をかけた太陽が浮かぶ。それは、宮沢賢治が描いた「日輪と山」の構図そのもので、眼前の光景の神秘性に打たれると同時に、心は一気に昭和初年のイーハトーブへと飛翔した。賢治は自然と接する中から、スピリチュアルなインスピレーションを数多く受けた人だが、「日輪と山」を描いたときの賢治の感覚が、そのまま共通体験としてぼくの中に湧きあがってくる。

  伊勢の夫婦岩から登る夏至の朝日に天孫降臨を目撃した古代の人々、そして同じ日に日室岳に沈む夕陽に向かって静かに拝み、大日神の恵みに深い感謝を捧げた人々、その人々と宮沢賢治をはじめとするスピリチュアルな感性に富んだ近現代の人々。その人々に共通する何か、そこにもレイラインのカギが隠されているかもしれない。 

 ぼくは、さらに元伊勢三社の一つ、天岩戸神社に参拝し、不思議な雰囲気に包まれた、元伊勢、大江の探索を続けた。そこで、不思議な光景を目撃することになるのだが、その話は、次章で触れることにしよう。

 

地図上の五角形と正五角形の比較

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 正五角形 誤 差 角の誤差
伊吹山
元伊勢
352504.2,1362422.7
3525
48.5,1350916.1
271°03′
(90°20′)
114km
270度
(90度)
111km
+1度3分
(+0度20分)
+3km
1度
元伊勢
伊弉諾神宮
352548.5,1350916.1
342736.8,1345109.0
194°29′
(14°18′)
111km
198度
(18度)
111km
-3度31分
(-3度42分)
0km
4度
伊弉諾神宮
熊野本宮大社
342736.8,1345109.0
335025.7,1354624.1
128°44′
(309°15′)
109km
126度
(306度)
111km
+2度44分
(+3度15分)
-2km
3度
熊野本宮大社
伊勢内宮
335025.7,1354624.1
342717.6,1364333.0
51°56′
(232°28′)
112km
54度
(234度)
111km
-2度4分
(-1度32分)
+1km
2度
伊勢内宮
伊吹山
342717.6,1364333.0
352504.2,1362422.7
344°48′
(164°37′)
111km
342度
(162度)
111km
+2度48分
(+2度37分)
0km
3度

御来光の道と五芒星(マイマップ)

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 備  考
伊弉諾神宮
皇大神社(元伊勢)
342736.8,1345109.0
352548.5,1350916.1
14°18′
(194°29′)
111(km)
111(km)
伊弉諾神宮
伊吹山
342736.8,1345109.0
352504.2,1362422.7
52°45′
(233°38′)
177(km)
 
伊弉諾神宮
富士山
342736.8,1345109.0
352146.4,1384353.2
73°07′
(255°20′)
368(km)
東17度
368(km)
伊弉諾神宮
皇大神宮(伊勢内宮)
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172,(km)

緯度差19秒
伊弉諾神宮
熊野本宮大社
342736.8,1345109.0
335025.7,1354624.1
128°44′
(309°15′)
109(km)
109(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
伊吹山
342717.6,1364333.0
352504.2,1362422.7
344°48′
(164°37′)
111(km)
111(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
皇大神社(元伊勢)
342717.6,1364333.0
352548.5,1350916.1
307°27′
(126°33′)
180(km)
 
皇大神宮(伊勢内宮)
出雲大社
342717.6,1364333.0
352406.8,1324108.0
287°02′
(104°43′)
384(km)
西17度
384(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
熊野本宮大社
342717.6,1364333.0
335025.7,1354624.1
232°28′
(51°56′)
112(km)
112(km)
熊野本宮大社
伊吹山
335025.7,1354624.1
352504.2,1362422.7
18°10′
(198°32′)
184(km)
 
熊野本宮大社
皇大神社(元伊勢)
335025.7,1354624.1
352548.5,1350916.1
342°20′
(161°59′)
185(km)
 
皇大神社(元伊勢)
伊吹山
352548.5,1350916.1
352504.2,1362422.7
90°20′
(271°03′)
114(km)
緯度差44秒

114(km)
皇大神宮(伊勢内宮)
富士山
342717.6,1364333.0
352146.4,1384353.2
60°38′
(241°47′)
209(km)
伊弉諾神宮
出雲大社
342736.8,1345109.0
352406.8,1324108.0
298°26′
(117°12′)
224(km)
熊野大社(島根)
伊弉諾神宮
352224,1330413.6
342736.8,1345109.0
121°22
(302°24′)
192(km)
須我神社
伊弉諾神宮
352114.2,1330153.9
342736.8,1345109.0
120°16′
(301°18′)
194(km)
出雲大社
富士山
352406.8,1324108.0
352146.4,1384353.2
88°42′
(272°12′)
549(km)
熊野大社(島根)
富士山
352224,1330413.6
352146.4,1384353.2
88°29
(271°46′)
514,(m)

緯度差38秒
須我神社
富士山
352114.2,1330153.9
352146.4,1384353.2
88°14′
(271°32)
518(km)

緯度差32秒

日本のレイラインの元祖「太陽の道

『太陽の道』
箸墓を中心に東西約200キロの直線上(北緯34度32分)に、「太陽の道」と呼ばれる、古代の祭祀遺跡が並んでいるという説がある。
 東の端は、伊勢の斎宮址。西の端は、淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。この二つの「伊勢」のあいだを、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、共通点が太陽神の祭祀に関係があり、磐座・岩石が信仰の対象となり、女性の祭祀者のイメージが感じられるとされる。
 太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」、すなわちこれが「太陽の道」と名付けられたゆえんである。
 桜井市では、長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓が線上に浮かぶ、古代王朝の政治的効果を狙って策定されたと考えられているが、地図や磁石のない時代に東西の直線を引くことができたとするなら、古代の測量技術に驚嘆する。
 天照大神−卑弥呼(日巫女)−倭迹迹日百襲姫命の関係、纒向遺跡と邪馬台国の関係が興味深い。
桜井は古代史のミステリーゾーン、各所遺跡の発掘(特に箸墓)が古代史のミッシングリングを見つけることになるかも知れない歴史的に興味深い地域であることは間違いない。

奈良に在住された写真家、小川光三さんが発見した伊勢の斎宮から淡路島の伊勢の森に至る東西線、その  線上には点々と磐座(イワクラ)が存在し、日の神とも云われる天照大神に関係する神社が建ち並ぶというと  ころから、その東西線を『太陽の道』(サンロード)と名付けて、『大和の原像 知られざる古代太陽の道』  (大和書房)の著書を発表された事が問題提起の発端です。   そして、元NHKのチーフ・ディレクターであった水谷慶一さんが小川さんの提起された『太陽の道』に  興味を持たれて、『箸墓』を起点として計測された北緯34度32分の東西軸をテーマにした番組を198  0年2月11日に[NHK総合テレビ]で放映されると共に、『知られざる古代』と題した本を出版されて  から一躍北緯34度線が世の中に浮上して、いろいろと関心が持たれる様になったのが原点なのです。   そこで、小川さんが調べた東西軸上に何が点在するのかを再現してみると、次ぎの様になります。

【東西線上の神社と遺跡】

  [東]↑
          │     ・伊勢(斎宮)  
         │     ・天満社裏山遺跡  
         │     ・春日宮天皇妃陵  
         │     ・天神山山頂
         │
    ・[巻向山]南方台地 三輪山
         │     ・檜原神社
         │     ・国津神社  
         │     ・箸墓(倭迹迹日百襲姫命の墓)
         │     ・須賀神社(祭神:須佐之男命)
         │     ・菅原神社(祭神:神八井耳命)  
         │     ・日大御神社(祭神:天照大神)  
         │     ・稲荷社(祭神:保食神(ウケモチノカミ))  
          │     ・穴虫峠(穴師(アナシ))   
   
[西]↓  │     ・淡路島(伊勢の森)

では、これから皆さんと謎解きの旅に出かけるわけですが、何事でも先ず素直に物事を受け入れる心のな  い人には謎は解けない。また既成概念に囚われている人は既成概念の枠から解放されて自由な発想の出来る  人でないと、これからの時代の進歩には取り残されるでしょう。これは嘘だ、これは違うと論拠を示さずに  否定する人に進歩発展はない。これは私の信念でもあります。常に肯定なのです。受け入れる心が大切だと  思うのです。では、未知との遭遇に不安と期を抱きながら旅立ちをしましょう。

斎宮歴史博物館

「さいくう」とは?


解説

番号 名称 所在地
1 伊勢斎宮遺跡 三重県多気郡明和町
 昭和四五年以来、発掘がつづけられ東西二キロ、南北平均800メートルの範囲で遺物・遺跡が発見されている。

注目すべきは、斎王宮の伝承地である「斎王の森」と竹(たけ)神社の旧社地、および祓(はらい)川にのぞむ祓戸(はらいど)が正確に東西の一直線上に並び、この遺跡内でも東西線が明瞭に看取できることである。

堀坂山 三重県松阪市
 標高七五七メートルの美しい姿の山で松阪市内から見ると非常に目立つ山である。

山頂付近に、大日如来像が安置されており、これに関係する民俗行事がつたえられている。

これらの事実からみると、堀坂山を中心として太陽祭祀がかなり古くから行なわれたのではないかと想像される。

3 三坪(みつぼ)山 三重県津市
 朝日さす 夕日かがやく三坪山 黄金の鳥の埋めありけり
 の古歌の伝承地。

昭和九年に、たくさんの鏡と経筒が地中から発見された。

経筒は、有名なものでは藤原道長が金峰山(きんぷせん:大峰山)に埋めた例でも知られるように、古代の山岳信仰と深い関係がある。

また、この近くに、大堂の高座石という巨石があって、行者の伝説がつたえられている。

4 蔵王堂 三重県一志郡美杉村中太郎生
 堂のわきに、大小の岩石群がある。そのいくつかには仏像や梵字が彫ってあり、村民の信仰が今なおつづく。

これらの岩石は磐座(いわくら)と称する古代の祭祀遺跡と推量される。

また、堂の本尊の蔵王権現は忿怒(ふんぬ)の像でありながら、なぜか、女神だと村人には信じられている。これも興味のあることである。

さらに後で触れることになるが、この中太郎生には、日置姓の家がたいへん多い。

5 倶留尊(くるそ)仏 奈良県宇陀郡曽爾(そに)村伊賀美
 巨大な陽石で、人里をはなれたかなりの山中にあるが、村人の信仰があつい。
6 室生(むろう)寺 奈良県宇陀郡室生村
 有名な五重塔のあるところ。寺伝では弘法大師の開基ということになっているが、文献上は奈良時代まで確実に遡りうる。

近くに、竜穴(りゅうけつ)神社があり、竜神信仰の行なわれた、さらに以前から古代信仰の聖地だったのではないか。

別名を「女人高野」と称するのも、前記の、蔵王堂の本尊を女神とする村人の伝承と考えあわせて興味ぶかい。

7 長峰(ながみね)天満社裏山遺跡 奈良県宇陀郡榛原(はいばら)町長峰
 山頂付近に環状列石があり、麓に天満社がある。
8 春日宮天皇妃陵 奈良県桜井市吉隠(よなばり)
 円墳があり、現在は宮内庁の管理下におかれている。
9 長谷(はせ)寺 奈良県桜井市初瀬
 西国三十三番の観音札所の一つ。これも、室生寺と同じく起源がよくわからない。

本尊の十一面観音は巨大な岩盤の上に立つといい、これと東西に並ぶ与喜(よき)山の項上付近にも大きな磐座があって麓に天神社を祀る。

今も、長谷寺では「与喜山礼(よきさんらい)」といって、毎朝、この山に向って柏手を打って礼拝する行事がつづけられている。

また、昔から伊勢との関係がふかいことも見逃せない。

10 三輪山 奈良県桜井市三輪
 前述したとおりの古代信仰の聖山。山頂の奥津(おきつ)磐座は、神韻縹渺(ひょうびょう)思わず身をひきしめるものがある。

明治の神仏分離まで、ここには大日堂があったという。大日如来の信仰の存在は、さきの堀坂山の例とも関連して、興味のあるところである。

11 桧原(ひばら)神社 奈良県桜井市三輪
 三輪山の西の麓にあって、笠縫邑(かさぬいむら)の伝承地とされているところ。

すなわち、垂仁天皇の御代に、倭姫はここから天照大神を奉じて伊勢へ移られた。

それで「元伊勢」ともいわれる。
 
 右写真は、桧原神社西側のしめ縄のある鳥居からニ上山を遠望したもの。

 春分と秋分の頃には、鳥居の間からニ上山の山陰に日がしずむ光景が見られます。

 その時期には、シャッターチャンスを待ちかねたカメラマンで境内は賑わいます。

12 国津(くにつ)神社 奈良県桜井市箸中
 ちょうど、箸墓の真東にあたり、村民の信仰によって守られている。
13 箸墓 奈良県桜井市箸中
 前述したとおりの前期古墳。

興味ぶかいのは、『日本書紀』に、大坂山(穴虫峠)の石を運んでこの墓を作ったとあり、実際に大坂山特産のサヌカイト(讃岐石)が多数、陵墓内から発見されていることである。

その大坂山と箸墓を結ぶ線はまさに東西の方向をさし、この東西線を聖線として古代の人々が特別に意識していたことを示している。

14
15
16
17
須賀(すが)神社
菅原神社
日大御(ひのおおみ)社
稲荷社
奈良県磯城郡田原本町味間(あじま)
同町満田(まんだ)
奈良県北葛城郡広陵町平尾
同郡香芝町磯壁
 これらの神社は、大和盆地をおよそ三キロから三・五キロの間隔で東西線上に連なる。この延長は大坂山にいたり、ここで大和と河内の国境をこえて大阪府にはいる。
18 萩原(はぎはら)天神 大阪府堺市日置荘(ひきしょう)町
 この東西線上に、いくつかの天神系の神社があることは注目すべきであろう。

現在の天神社の多くは菅原道真を祀るが、実は道真以前から天神信仰があったことは京都の北野天神の例によっても知られ、天神の本来の姿は古代の農耕神なのであって、この点は稲荷明神も同じである。

 また、この萩原天神の地名が「日置荘」であることは、古代氏族の日置氏との関係で格別に注目せられる。このことは後に述べる。

19 大鳥大社 堺市鳳(おおとり)北町
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。

社伝によれば、伊勢の能褒野(のぼの)で命を終えたヤマトタケルは一羽の大白鳥となり、この地にしばし留まったあと、天にむかって飛翔したという。

大鳥の社名はこれに由来する。

 ヤマトタケルのおばは、天照大神を奉じて伊勢にいたった倭姫にあたるが、大和を中心として東西の陸の両端に、それぞれ、ゆかりの斎王宮と大鳥大社があり、しかも、それらが同一の緯度上に並んでいるのである。

20 伊勢久留麻(くるま)神社 兵庫県津名郡東浦町
 大鳥大社から大阪湾の海上40キロを西進して淡路島に上陸したところにある。

延喜式内社で、地元ではたんに伊勢明神といっている。

久留麻というのが、どういう意味なのか不明であるが、反対の伊勢側にもやはり久留麻(くるま)神社がある。

近くに「伊勢の森」があり、おもしろいことに、ここの常陸寺の山号は栗村山と称し、これをクリムラサンと読むのである。

山号を訓読みする例はあまりないと思うが、栗村山のクリムラは、伊勢久留麻神社のクルマに由来するに相違ない。さて、どういう意味か。

車、くるめく、などと同縁語で、回転するモノあるいは状態を指す言葉、つまりは、日輪のことかと思ってみたりもする。

21 石上(いわがみ)神社 兵庫県津名郡北淡町舟木
 一辺が二〜三メートルの立方体状の巨岩が、数個かたまっていて、岩の下にわざわざ支えの石をはさんでいるところから見ても、自然の状態ではなく、あきらかに構築されたものである。

しかも、地名の舟木が問題となろう。『住吉大社神代記』には

 大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは船木の遠っ神、大田田神なり、云々。とあって、この舟木が太陽神の祭祀に関係が深いことはあきらかである。


「太陽の道」の存在を取り上げた、NHKの特集番組「知られざる古代」では、午前と午後の棒の影の長さが同じになる2点を結び、その線の垂直2等分線によって南を求めています。

この操作は、日時計の正午を割り出すことと全く同じ操作です。

『太陽の道』 謎の北緯34度32分 (no,1)

輿玉神社

夏至の日、太陽は夫婦岩の間から昇り、遥拝所の鳥居を潜って、輿玉神社から伊勢の神域へと導かれる。これは、天照大神の使いとして邇邇芸命が地上に降り立つ「天孫降臨」そのままの構図を描き出している


伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図

「伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図」に関するデータ

対  象 北 緯,東 経 方位角(逆)/距離 評価 備  考
伊弉諾神宮
出石神社
342736.8,1345109.0
352855.3,1345213
0°49′
(180°50′)
113(km)
89°11′と
90°0′の
差 49′
伊弉諾神宮
諏訪大社上社本宮
342736.8,1345109.0
355953.8,1380710.2
59°13′
(241°06′)
343(km)
伊弉諾神宮
諏訪大社上社前宮
342736.8,1345109.0
359928.2,1380800.2
59°26′
(241°20′)
344(km)
伊弉諾神宮
諏訪大社秋宮
342736.8,1345109.0
360431.7,1380528.7
57°46′
(239°38′)
345(km)
夏至日の出
29°30′
との差2°44′
伊弉諾神宮
諏訪大社春宮
342736.8,1345109.0
360456.1,1380455.8
57°35′
(239°27′)
345(km)
夏至日の出
29°30′
との差2°55′
伊弉諾神宮
皇大神宮(伊勢内宮)
342736.8,1345109.0
342717.6,1364333.0
89°40′
(270°44′)
172,133(m)
真東
0度との
差 20′
伊弉諾神宮
那智大滝
342736.8,1345109.0
334030.9,1355313.6
132°0351
(312°3838″)
129,238(m)
冬至日の出
28°30′
との差13°38′
伊弉諾神宮
熊野那智大社
342736.8,1345109.0
334007.3,1355324.3
132°13′
(312°48′)
130(km)
冬至日の出
28°30′
との差13°56′
伊弉諾神宮
諭鶴羽神社
342736.8,1345109.0
341351.2,1344854.7
187°42′
(7°40′)
26(km)
真南
180°との
差7°42′
伊弉諾神宮
天岩戸神社
342736.8,1345109.0
324404.1,1312101.5
240°29
(58°33′)
377(km)
伊弉諾神宮
高千穂神社
342736.8,1345109.0
324223.1,1311805.5
240°27′
(58°29′)
383(km)
伊弉諾神宮
海神神社
342736.8,1345109.0
342751.2,1291659.3
271°38′
(88°28′)
512(m)
真西
270
°との
差1°38′
伊弉諾神宮
出雲大社
342736.8,1345109.0
352406.8,1324108.0
298°26′
(117°12′)
2249(km)
夏至日の入
29
°30′
との差1°4′
伊弉諾神宮
日御碕神社
342736.8,1345109.0
352546.8,1323745.7
298°32′
(117°16′)
230(km)
夏至日の入
29
°30′
との差 58′

多胡碑と縁がある様々な謎   目 次   源氏物語千年紀に相応しい発見