東西南北と三角定規の斜辺70909

仁徳天皇陵と履中天皇陵の主軸の方向

Googleマイマップ 仁徳天皇陵と履中天皇陵の主軸の方向

参考

気になる位置関係 位    置 方位角(逆)/距離 特徴
履中陵後円部中心
根本中堂鬼門
343316.7,1352841.1
350414.3,1355028.9
30°02′
(210°15′)
66,200(m)
仁徳陵後円部中心
根本中堂鬼門
343353.7,1352916.8
350414.3,1355028.9
29°51′
(210°03′)
64,800(m)
履中天皇陵後円部中心
石清水八幡宮鬼門
343316.7,1352841.1
345247.5,1354200.7
29°21′
(209°29′)
41,420(m)
仁徳天皇陵後円部中心
石清水八幡宮鬼門
343353.7,1352916.8
345247.5,1354200.7
29°02′
(209°09′)
40.000(m)

解説

巨大前方後円墳の第1位は、倭王讃に相当する、16代仁徳天皇の陵(大山古墳)。

第2位は、391年に朝鮮半島に出兵した倭王(誉王?)に相当する15代応神天皇の陵
(誉田山古墳)。

第3位は、17代履中天皇の陵(百舌鳥耳原南陵=石津ヶ丘古墳)。

中国の史書によると、倭王讃の後継者は弟の倭王珍だから、仁徳の子の履中は、実質のない天皇。

この履中天皇陵に対し、倭王珍の孫の倭王武に相当する雄略天皇の陵は、前方部と後円部が切り離された、不恰好な形をしています。

はっきりいえば、明治天皇は倭王讃(仁徳)の子孫で、倭王珍(反正)や倭王武(雄略)の血を引いていません。

だから、架空の天皇履中の陵でも、讃(仁徳)の子であることによって、宮内庁は第3位の巨大古墳を陵墓に当てたのです。

緑の三角定規の斜辺が示す、仁徳天皇陵と履中天皇陵との主軸の方向(時計の短針が1時を指す方向)は、意図的に定めたものです。

この平行線から想起するものに、青い三角定規の斜辺となる、

〔神功皇后陵―応神天皇陵〕と〔安積親王墓―天神山(和歌浦)〕との関係があります。

【追記】〔安積親王墓―天神山(和歌浦)〕の意義については、
9月27日の「紀貫之と橘諸兄(葛城王)・安積親王」で紹介しています。

http://www.miyosida.com/kofun/index.html

巨大天皇陵(データは、今井尭氏の「巨大古墳一覧表」による)
古墳名

所  在  地

時期 墳丘長 順位 備考
16 仁徳天皇陵 大阪府堺市大仙町 中期 486m 倭王讃
15 応神天皇陵 大阪府羽曳野市誉田 中期 415m 讃の父
17 履中天皇陵 大阪府堺市上野芝町 中期 365m 讃の子
12 景行天皇陵 奈良県天理市渋谷町 前期 302m 崇神天皇陵の真南

 箸墓

奈良県桜井市箸中 前期 276m 11 台与
神功皇后陵 奈良県奈良市山陵町 前期 276m 11 神功
10 崇神天皇陵 奈良県天理市柳本町 前期 242m 15 台与の夫
14 仲哀天皇陵 大阪府藤井寺市岡 後期 242m 15 神功の夫
26 継体天皇陵 大阪府茨木市太田 中期 229m 20 讃の曾孫
19 允恭天皇陵 大阪府藤井寺市国府 中期 227m 21 珍の子済(讃の甥)
11 垂仁天皇陵 奈良県奈良市尼辻町 前期 226m 22 難波宮跡と同緯度
13 成務天皇陵 奈良県奈良市山陵町 前期 220m 24 日葉酢媛命陵に隣接

ブログ 東西南北と三角定規の斜辺に託された古代史

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