菟道稚郎子墓


「菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)墓」  

荒川   史
(宇治市教育委員会)

@ 治定

菟道稚郎子は、応神天皇の子で、後の仁徳天皇である大鷦鷯(おおさざき)尊の弟にあたる。

『日本書紀』に描かれた菟道稚郎子は才気溢れる皇子であり、応神天皇の深く愛するところであった。

菟道稚郎子には、大山守命や大鷦鷯尊といった兄たちがいたが、応神天皇はこれらの兄を差し置いて菟道稚郎子を太子とする。

このことが後の菟道稚郎子の悲劇へと繋がっていく。

応神天皇が崩御した後、菟道宮にあった菟道稚郎子は、兄である大鷦鷯尊が皇位につくべきであるとして自らは皇位につかず、三年の時が流れた。

この時、海人が菟道宮に大贄(おおにえ)の魚を献上してきた。大贄は天皇に献上されるものであるため、菟道稚郎子はこれを受けとらず、難波にいる大鷦鷯尊にこれを送らせた。

大鷦鷯尊もまたこれを受け取らなかったため、菟道と難波を往復すること数度、ついに魚は腐ってしまった。

ここに至り、菟道稚郎子は大鷦鷯尊の決意のかえがたいことを知り、自らの命を絶ったのである。そしてその亡骸は、菟道の山上に葬られた。

これが『日本書紀』の菟道稚郎子の伝承であるが、記述の中には後世に作られたと判断できるエピソードもあり、菟道稚郎子伝承が史実であったとは考えがたいし、

五世紀代に宇治に宮があったことを裏付ける考古学的なデータは、今のところ見出すことはできない。

さて、伝承の中で、墓の位置を示すものは菟道の山上と書かれているのみである。

『延喜式』の記載はさらに曖昧で、山城国宇治郡に在り、兆域は東西十二町、南北十二町で守戸が三烟あることしか分からない。

現在の宇治墓の治定は、明治二十二年六月一日のことである。

行政区分では宇治市菟道丸山にあたるこの地点は、「菟道の山上」ではなく、宇治川右岸に接するところである。

明治の治定以前、この地には古墳状の円丘があり、菟道稚郎子を攻めて、逆に伏兵にあって宇治川で命を落とした大山守命の墓であるとか、菟道稚郎子の母である宮主矢河枝比売(みやぬしやかはえひめ)の墓といった伝承があったようである。

宮内省がどのような経過でこの円丘を菟道稚郎子墓としたのかは不明であるが、治定後円丘周辺を広範囲に買収し、前方後円墳に整形し、現在の形にしたのである。

C 治定陵の検討

これまで述べてきた通り、明治の治定は『日本書紀』の記載とも合わず、また川に近すぎることから考えても、もともとあった円丘が古墳であった可能性は少ないものと思われる。

地形図を見ると、菟道稚郎子の墓の南に幅約80mの窪地があり、その南には近江から平城京に木材を運ぶ際の中継基地であった宇治津の推定地がある。

今のところ私はこの窪地が宇治津の貯木場ではないかと考えており、宇治稚郎子の墓の地点にあった円丘は、貯木場を掘ったときの残土ではないかと考えている。

それでは、治定陵にかわる古墳はあるのだろうか。現状では、宇治郡内では立地、時代、規模などのすべての条件に当てはまる古墳を見出すことはできない。

しかしあえてあげるとするならば、宇治二子山(ふたごやま)古墳、五ケ庄二子塚(ふたごづか)古墳の二基があげられる。

(中略)

宇治二子山古墳は、宇治川の谷口部を見下ろす山上に築かれており、時期と共に『日本書紀』の記述とよく合う。

しかし皇太子であった菟道稚郎子の墓として、直径40mの円墳は、適当とは思えない。

五ケ庄二子塚古墳は、規模や墳形はまさに王墓に相応しいものである。

しかし古墳があるところは、菟道稚郎子がいた菟道の地域ではなく、広い意味で木幡(こわた)と呼ばれる地域である。

また、古墳の時代は応神・仁徳の頃ではなく、雄略・継体の時期である。

ここで注意されるのは、(『日本書紀』にはないが、『古事記』によれば)応神天皇が菟道稚郎子の母である宮主矢河枝比売と出会ったのは木幡の地であった。宮主矢河枝比売は和珥(わに)氏の娘であり、和珥氏が木幡にも居住していたことが分かる。

考古学的には、木幡地域で古墳の築造が盛んになるのは二子塚古墳以後のことであり、有力氏族の居住は五世紀以降のことと考えられる。

このように考えると、菟道稚郎子の伝承は、五世紀末頃に木幡地域を中心とした宇治郡内に居住していて、大王家と強い繋がりを持った和珥氏の伝承を、応神・仁徳の時代にやきなおしたものである可能性もあるのである。

この場合、菟道稚郎子の墓として、あるいは菟道稚郎子の伝承が生み出された背景として、最も相応しいのは二子塚古墳といえるかもしれない。

歴史読本特別増刊 事典シリーズ「天皇陵」総覧


気になる位置関係 北緯,東経 方位角(逆)/距離 特徴
桓武天皇陵鬼門
菟道稚郎子皇子墓
345626.1,1354630.8
345350.5,1354817.8
150°27′49.7″
(330°28′51″)
5,511(m)
桓武天皇陵中心
菟道稚郎子皇子墓
345624.1,1354629.7
345350.5,1354817.8
149°53′28″
(329°54′29.9″)
5,471(m)
桓武天皇陵裏鬼門
菟道稚郎子皇子墓
345622.4,1354628.4
345350.5,1354817.8
149°18′49.7″
(329°19′52.3″)
5,443(m)
キトラ古墳
菟道稚郎子皇子墓
342703.5,1354818.8
345350.5,1354817.8
359°5814.2
49,520(m)
菟道稚郎子皇子墓
王仁塚(伝王仁墓)
345350.5,1354817.8
344913.3,1354245
224°43′39″
(44°40′28.7″)
12,018(m)
桓武天皇陵鬼門
石清水八幡宮鬼門
345626.1,1354630.8
345247.5,1354200.7
225°3140.6
(45°29′06.1″)
9,612(m)

桓武天皇陵―菟道稚郎子皇子墓 ― 王仁塚

宇治上神社の盛砂に託された測量の秘密

天智天皇陵の位置に秘められた謎


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