二見情話の里
 2005年のクリスマスに平和の旗をリニューアルしたのが「二見」の交差点。ここは沖縄の東海岸を北上し名護市街地に向かう国道329号線が更に東海岸を北上して最北端の辺戸岬に向かう国道331号線の分岐点です。この交差点から東海岸に向かって急斜面を駆け下りたところに二見の集落があります。

 この二見は沖縄の人々はもちろん、「本土」に住む人々にも広く知られ、沖縄歌謡の中でももっとも人気のある曲の1つである「二見情話」の里として有名なところです。東海岸でのゆんたくでは必ずリクエストされます。

 「情話」というにふさわしいラブソングとしてデュエットで歌う人気のこの曲の歌詞はというと、次のようなものです。
1 
男)二見の娘さんたちは、なるほど評判通 りに心やさしく海山の眺めはどこよりも断然勝っている

2 
女)二見村の嫁にはなりたいと思うけれども辺野古崎の坂の上り下りがしんどいなぁ


男)待ちかねていた首里上り(帰郷)だけど
女)いざ出発する際の別れのつらさよ


男)「行ってくるよ」
女)「行ってらっしゃい」と交わす言葉は
男)どうしても心の内に想いが残る


共)戦争の悲しみはいつかは忘れられるが、忘れがたいのは花の二見よ

http://www11.ocn.ne.jp/~gendai/よりウチナーグチのヤマトコトバへの転換文転載

ただ、5番の「戦争の悲しみは・・・・」にこの曲の、本当に人気のある由来がありました。歌詞の碑の下に、この歌の作者である照屋朝敏さんの歌の作成の経緯が記されています。
         

 「敗戦兵の一斉掃討をするから民間投降者は避難せよ」

 沖縄戦が終結した昭和20年6月20日、米軍の命令により、私は他の投降者と共に摩文仁から与那原に出、海路、大浦湾を経て二見に移動した。村民は心よく迎え入れ、皆、安堵した。

 相互扶助の生活が日々、顕著になった或日、村長事務所で年長者会議があり、席上二見の歌の創作要請を受け二ヶ月後に完成したのが「二見情話」。
 
 これは、平和祈念と二見の人々への命からなる感謝をこめた御礼のメッセージでもある。

             
平成二年七月吉日
元二見村長 照屋朝敏
 摩文仁で投降して捕虜となった照屋朝敏さんが二見の収容所で村長をしていたが、戦後首里に帰ることができるようになったときに二見の人々に命からの感謝の念を込めて「二見情話」を作ったというのです。

 鉄の暴風にさらされ、日本で唯一の地上戦を経験し、民間人が戦闘に巻き込まれ、心も身体も傷ついた沖縄の人々は「命どぅ宝」を合い言葉に励まし合って復興してきました。「二見情話」はこの生きた人間の、生きた感情のほとばしりを感じさせます。傷つけられた人間の心と身体を奥行きのある豊かな自然と人情で蘇らせた二見。これは今も変わりありません。このあたりの解説は瑞泉酒造様のHPの「ゆんたく徒然」というウェブログで感情豊かに記されています。

 ここに新基地を建設するといいます。二見の浜はキャンプ・シュワブに占領されながらも今も美しい風景を見せています。しかし、この新基地は二見の眺望を破壊し、そこに住む人々の生も破壊します。沖縄戦で死の縁に瀕した沖縄を救った二見をたたえた「二見情話」の里が...。

 「二見情話」の里にふさわしい二見を残していきたいものです。
Diary