生家のあった仙台の霊屋(おたまや)にまつわる昔話し
(米ヶ袋にいた郷土史研究家三原良吉氏の話などによる)

1.「1000年の後(のち)にはしかるべきと存じまする」

 晩年伊達政宗は、ほととぎすの鳴き声を聞きに散策をしていた時、ともの家老奥山大学に自分が死んだらこの地に埋葬してくれと言った。奥山は「1000年の後にはしかるべきと存じまする」と答えた。しばし、名言で、まだまだ長生きすると言う意味で1000年の後といった。

※この地とは大般若経ケ峯とも言われている瑞鳳殿(善応殿、感仙殿)伊達家3代の墓所のあるところのこと。
1代さんは芋を掘って、2代さんは庭を掃いて、3代さんは酒を飲んで、4代さんは酔っ払って、5代さんはごっしゃがって、6代さんは牢屋に入れられた......


2.「大小様々な石で階段が出来ている」「木をどんどん打ち付けていき、最後で適当に合わせた」

 伊達政宗は、伊達男といわれる通り非常に粋でおしゃれな人物だったことで有名だが、市民平等を標榜した名君だったとのエピソード。霊屋(伊達家3代の墓所)に登る階段に使われた敷石は、大小様々な不揃いの石で作られている(歩きづらい)。瑞鳳殿の彫刻・飾りの作り方はキチット測っておらずどんどん打ちつけて行って、最後のところを切って合わせたという作りになっていた。再建した廟は、コンクリート作りなのでそうはなっていないようだが、政宗公の精神を呈して建てられたのだそうだ。

※こうした、おたまやで生まれ育った自分は、政宗公の墓守りだとか、純粋な仙台っ子だと自称したもんだ。


3.「源兵衛ここにあり」

 瑞鳳殿のある霊屋(おたまやと読む)は私の生まれ育ったところ(因みに住所は仙台市霊屋下120番地・霊屋橋きわ)であるが、霊屋橋の下が源兵衛淵と言われている。昔々の話し、源兵衛さんの前に一人の美しい女が現れ、これからここで、ウナギと蜘蛛の戦いが始まるので、その時「源兵衛ここにあり」と声をかけて欲しいと頼んだ。戦いが始まったが源兵衛は余りの恐ろしさに声をかけられなかった。翌朝大ウナギの遺骸があったという。そのエピソード以来ここは源兵衛淵と言われているんだそうな。

※源兵衛淵のぬしは大ウナギ(ウナギ釣りをよくしたもんだ。)、ここより上流・賢(かしこ)淵のぬしは大蜘蛛だったと言う。仙台市内を蛇行して流れているこの川は日本の名水に数えられている廣瀬川である。


4.「梁川庄八首洗いの池」

 少し場所は下流になるが、旧愛宕橋付近が梁川庄八首洗いの池といわれている。伊達藩の梁川庄八というお侍が、逆賊の汚名を着ながらも、悪い侍を切り逃げる際ここで、首を洗ったということで「梁川庄八首洗いの池」という名がついている。この、梁川という侍は芝居にも漫画にも登場している、いわば豪傑ということだが、私の先祖だったかどうかは定かではない。

※資料によれば。孤裡妖怪を退治した梁川庄八(奥州仙台破牢の浪人)は、殿様の勘気をこうむって蟄居・切腹した父の無念を晴らし帰参できたかにみえたが、樅の木は残ったで有名な、奸賊・茂庭周防の告げ口によりそれも叶わず、周防を切って獄中へ。老僕徳兵衛の献身で脱獄に成功し、奥州を離れ、諸国漫遊の旅に出る。見ようによっては一種の脱獄囚なので、水戸黄門のように貴種(神あるいはそれに準じる存在)が流離するわけではないが、今日は上総東金で祭礼の素人相撲に介入、さらに安房館山でさびれた旅籠を立て直す手伝いなど、至る所で善行を重ねた正義の味方。遍歴する素浪人であったと書かれている。