西根打刃物製作所/秋田県阿仁町

ご自身も30年以上の長いキャリアを持つ熊撃ちであり、阿仁マタギの狩猟刀「又鬼山刀」の製作で有名な西根正剛さんは、本名は稔さんという。「西根正剛」という名前は、明治時代に新潟県新発田市の刀鍛冶に師事し、この地で野鍛冶として独立した祖父の代からの屋号で、稔さんで三代目とのこと。又鬼山刀の鋭利な切っ先は、やはり刀鍛冶の流れを汲んでいるからに違いない、と、こちらが勝手に納得してしまう程、西根さんの鍛えるナガサは鋭い。阿仁町のご自宅の仕事場に伺うと、茨城から来た先客に熊猟のなんたるかについて熱く語っているところで、私も同席させてもらい、熊撃ちの話、山での作法や身のこなし方、実演を交えてのナガサの扱い方など、いつまで聞いていても興味の尽きない様々な話を伺うことが出来た。サービス精神旺盛な気さくな方で、「今朝も昨日獲った熊の皮さ捌いて業者に送ったんだ。朝来れば熊の肉さ、なんぼでも食わせてやったんだけど、ひと足違いだったな。掌の肉は、一頭からこんなちいせえのが四つしか取れねえ貴重品だから売らねえで家で使うんだ。これは食わしてやれねけどな。」と、皮を剥いだ熊の掌を、冷蔵庫から出して見せてくれた(あまりにグロい写真で見た人がどん引きすること請け合いなのでアップはしませんが)。
西根稔さんは平成13年に、62歳で急逝されました。
マタギナガサの看板を掲げた仕事場
実演を交えてフクロナガサの使用法を解説 マタギ流の腰紐の結び方
熊猟について先客に熱弁しているところでした ナガサの制作行程を詳細に解説して頂けた

又鬼山刀(マタギナガサ)柄付き 刃長7寸(約21cm)・左利き用・片刃
一部に袋ナガサこそが古来からのマタギの伝統刃物であると信じられている傾向があるが、袋ナガサは、比較的近代になってからタテ(熊槍)とナガサ(山刀)を一体化した物で、それほど古い時代からある形態ではない。前代のタテ(熊槍)は比較的小型の三角穂の槍で、山刀は短刀に近い形の細身の刃物が使われていたようだ。一方でまた、袋ナガサは西根稔さんが考案したと信じられている向きもあるのだが、これもまず間違いなく誤認。戸川幸夫著『マタギ -狩人の記録-』(昭和37年 新潮社刊)には、「近代の熊槍」として、西根さんの製品とほぼ同形の8〜9寸大の袋ナガサの写真が2枚掲載されていて、うち1枚には、「近代の熊槍は、穂をはずずと山刀として使用できるように改良されている(比立内にて 58・7)」という説明文と日付が入っている。1958年は昭和33年だから、昭和15年生まれの西根さんは17、8歳で、中学を終えて鍛冶場に入ってからまだ2、3年。西根さんがナガサを初めて作ったのは昭和36年(1961年)、20歳の時で、先代の留守中に隠れてこっそり作ったのだと、ご本人が語られていた。以上のことから考えると、西根稔さんが袋ナガサを考案したという説は時系列的に無理があり、袋ナガサは少なくとも先代の時には既に製作されていたと見るのが妥当だろう。フクロの部分は棒に差して熊槍にする以外の用途はなく、獣を槍で突く予定がないのなら、木柄の方がバランスが良く、しっくりと手に馴染んで断然使い易いので、7寸は木柄を選択した。

又鬼山刀(マタギナガサ)袋ナガサ 刃長4寸5分(約13.5cm)・左利き用・片刃
私が実際に訪ねた範囲では、マタギの資料を数多く収蔵している資料館は、秋田県阿仁町の「マタギ資料館」と、岩手県沢内村の「碧祥寺博物館・マタギ収蔵庫」の2ヶ所がある。こと刃物に関しては阿仁のマタギ資料館はあまり充実しているとは言えないのだが、沢内村の碧祥寺博物館・マタギ収蔵庫にはマタギの刃物が数多く収蔵・展示されており、「マスケ」という袋ナガサの親戚とおぼしき興味深い刃物も数点展示されている。マスケは、タテ(熊槍)や袋ナガサと同様に、柄の部分が筒状になっていて、通常は小刀として使用するが、木の棒を差せばタテ(熊槍)に早変わりする。刃長は見た感じではせいぜい4寸〜6寸程。タテ(熊槍)も、実際にはあまり大型の物がない事を考えると、マスケは、タテ(熊槍)としての機能をより重視していたと推測できる。
等々と、自分なりに山刀とタテ(熊槍)の関係を精査して思案を重ねた結果、袋ナガサは、マスケのサイズに近い4寸5分を選択した。袋4寸5分はナイフ的な薄手の刃物で、カスタムナイフの第一人者・相田義人さんがデザインを担当した変わり種でもある。勿体ないことに、木の枝を無理にこじって刃先を欠いてしまい大きく研ぎ直したので、ひと回り小振りになってしまった。

地産地消の楽しみ トップへ戻る