山手線が渡る橋・くぐる橋  − 架道橋 (ガード) ・跨線橋 −

駒込 → 田端
5. 第二中里 踏切
山手線に残る唯一の踏切。  跨線橋とセットなのも面白い。

自動車の通行量は多くないので、この踏切を解消するとしたら、目白の長崎道踏切のように 「道路は廃止で人や自転車専用の跨線橋」となるだろう。

隣り合う線路の関係で地下道は不可能。
この場所で陸橋にするためには付近の道路の拡張が必要なため、とても住民の同意が得られないと思われる。

踏切と中里橋 の全景 (山手線の内側より)
手前が湘南新宿ラインに架かる「中里橋」。

全 景 (2010年2月 塗装工事中)


駒込駅は千分の10という、機関車時代の最大勾配の途中に作られている。  駒込を過ぎた後も、旧山手線(右側:現湘南新宿ライン)は同じ勾配で下っていく。

これは、標高20mの位置にある駒込駅から田端へは、10m以上も下らなければならないためだった。
駒込駅から田端方向を見る
駒込駅                   旧 山手線(旧 山手貨物線)
逆に 新山手線は中里橋のレベルまで、急勾配で登っていく。
緩やかな勾配にしなかったのは、途中に「第一中里踏切」があったため。

1909年(明治42年)の地図
豊島区地域地図 第四集/豊島区立郷土資料館
  中里用水架道橋  第一踏切      中里橋     切り通し
1903年(明治36年)に単線で開通した「豊島線」の状態。
まだ、第二中里踏切はできていない。

第二中里踏切ができたのは1925年(大正14年)、旧山手線が複々線化された時である。

1929年(昭和4年)の地図
豊島区地域地図 第四集/豊島区立郷土資料館
中里用水架道橋  第一踏切   第二踏切            中里隧道
複々線化するために、道灌山台地の膨大な量の土砂を切り取ると共に、旧山手線を東北線とつないで「山手貨物線」とするために、中里隧道が掘削された。

新しい山手線は手前の「第二踏切」で平面交差するために、「第一踏切」を過ぎてから 千分の25 という急勾配で登ることになった。
第二踏切がほぼ頂点で、あとは緩く下りながら山手貨物線を越えていく。 交差の様子は、次の「道灌山跨線線路橋」で。

 
山手線外回り電車から
たまには 電車の窓から・・・・。 2009年12月、中里橋は塗装前。

山手線の外側から
中里橋と踏切。 駒込駅方向を見ている。

山手線の内側から 山手線の外側から

おなじみ、ゴルフボールの看板。ライト(株) はゴルフ用品を扱う会社。
ボールの直径は4mで、プラスチック製。

登下校時には 緑のおじさん が立つ。
奥が中里橋。
故障車を検知するセンサー 遠くに駒込駅

踏切注意 !
大正の頃? に設置された道路標識!   ・・・・。


位 置 (戦後の様子)
1947年(昭和22年)8月の空中写真/国土地理院
   駒込駅                                          田端駅
中里第二踏切 データ
位 置: 北区中里一丁目 〜 中里三丁目
  品川から 19K 616M
管理番号:  −
道路の名称:  −
線路の数: 2本: 山手線
長 さ : 約 12 m
幅 員: 4. 8 m
制限高さ: 4. 5 m
開通年: 1925年(大正14年)
備 考:
名前の由来: 中里に二つある踏切の二つ目





駒込 → 田端
番外 その3. 中里橋

山手線のすぐ内側にあるが、湘南新宿ラインがくぐる橋なので番外である。
 (大昔の旧山手線はくぐっていた。)

遠 景 (田端側から 駒込方向を) 撮影2009年11月

 
近 景 (田端側から 駒込方向を)

                  全 景 (駒込側から田端方向を)        2010.1.21
上の3枚は いずれも塗装工事前のもの。 
よくもこれだけ放っておくなぁ というくらいに管理が悪く、錆だらけであった。

              山手線の内側から 踏切を見る       2010.11.30
鋼鉄ボックス梁の下面に道路スラブがある。 

                             塗装前の様子                    2010.1.21
竣工年月(昭和29年10月)、製作銘板(昭和29年8月)、名称板

                    山手線の内側           2010.11.30
塗装と併せて、ネットフェンスの付け替えや周辺手摺りも作り直された。
これで当分のあいだ、安心。

中里橋 データ
位 置: 北区中里一丁目
管理番号:  −
線路の数: 2本: 湘南新宿ライン
長 さ :
幅 員:
竣工: 初代:1903年(明治36年)
二代目?: 1954年(昭和29年)10月
備 考: 錆は17年間塗装しなかったため。

近くに山手線を跨ぐ都市計画道路があるために、塗装が先延ばしになったのかも知れない。
つまり、その道が完成すれば、橋や踏切は閉鎖の運命であろう。
人道跨線橋だけは新設されるだろうか・・。
名前の由来: 中里に架かる橋



周辺の情景

都市計画道路
国土画像情報/国土交通省 CKT-89-3/C7B-12 1989年(平成元年)
踏切から 200mほど田端方向へ行った、道灌山跨線橋を挟んで都市計画道路があり、ようやく開通の兆しが見えてきた。

ただ、山手線に架ける橋は相当な大橋であり、北区とJRの共同事業になるのだろうか。  工事が始まったら、新しい項を入れなければならない。


道路拡張に関連して、「田端三丁目」の一角で区画整理事業が行われている。
前掲写真の右下が その一部である。

細くて急な道を付け替え、崖もなだらかにするともの思われる。 住民は一時的にどこかに仮住まいしているのだろう。
都内で これほど広い空き地は、めったに見られない。


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