98.少子高齢化対策と外国人労働者の受け入れ(2): 
      
外国人登録の状況と不法滞在者 (
2008年7月2日記載)

 前回からは、外国人労働者の問題を取り上げる事とし、その第一回目としては、日本の少子高齢化の現状と将来予測と、外国から日本への入国者数の推移を、国籍や在留資格等の観点から検討した。今回は、その続きとして、外国人登録の状況を分析する事とする。
 なお、ここでのデータは、入国管理局の統計データを用いている。詳しくは、右をクリックしてください: 入国管理局-統計- 

外国人の入国者総数の推移(図1) 

 外国人の入国者数の状況については、前回のコラム「97.少子高齢化対策と外国人労働者の受け入れ(1): 少子高齢化と外国人入国者の状況」で分析したが、総入国者数(新規入国者数と再入国者数を足したもの)と、対前年比増減率の、1954年から2007年までの推移を下記の図1に示す。

図1 外国人入国者総数(百万人、左目盛り)と、前年比増減率(%、右目盛り)の推移

 注: 入国者数の推移を示す表については、ここをクリックしてください

(1)入国者総数の推移(図1の黒の折れ線グラフ)

 1954年の入国者総数はわずか47,425人であったが、その後、日本の高度経済成長に歩調を合わせるように1970年までは、1965年を除いて、二桁以上の増加率を続けた。とくに、1970年には、前年比で50.5%の増加率となり、77万5千人を記録し、あと一歩で百万人の大台に到達するところまで急増した。
 ②
1970年は、日本の「いざなぎ景気」が終息した年であり、翌年(1971年)は、ドルショックで世界経済が一気に混乱状態になった年である。このため、1971年に来日する外国人が急減した(59万8千人で、前年比マイナス22.8%)ものと思われる。
 
その後、1974年に若干マイナスになったのを除けば、1985年まで、順調に増え続け、226万人となった。(1973年は、第4次中東戦争が勃発し、オイルショックから世界経済が大きく落ち込んだ年である。そして、1974年の日本は「狂乱物価」と呼ばれる異常インフレに襲われた)。
 
1986年の来日外国人総数は、202万で辛うじて200万人台を維持したものの、前年比マイナス10.6%の減少となった。この頃の日本経済は、1983年から1987年にかけての円高不況に悩まされていた時代であった。
 
1987年から、再び来日外国人総数は上昇に転じ、バブル崩壊の1992年まで増え続けた。1992年には392万人となって、400万人台目前まで増えたが、翌年以降1995年までは横ばい状態が続いた。しかし、1996年以降は上昇基調となって、途中3回前年比でマイナスとなったが、2003年の観光立国宣言以来、アジア諸国からの観光客を中心に来日外国人総数は急増し、2007年には900万人を突破した。
 注: 1996年以降の新規入国者総数の国籍別内訳等の詳細については、「97.少子高齢化対策と外国人労働者の受け入れ(1): 少子高齢化と外国人入国者の状況」を参照ください。

(2)前年比増加率の推移(図1の緑の棒グラフ)

 前項で分析したように、前年比で減少した年というのは、世界経済や日本経済が不況となった年とほぼ、同期している。そして、バブル経済が崩壊し、日本経済が長期にわたって低迷していた1990年代前半は、とくに、来日者数が増えなかった。
 ②
しかし、1990年代後半は、日本経済がまだ、「失われた10年」の時期であり、長期低迷期ではあったが、来日外国人は、増え続けた。そして、2003年以降、観光客誘致策として短期滞在ビザの廃止や条件緩和を進めた結果、来日外国人総数は急増している、というのがこれまでの状況である。


2.外国人登録の状況

 ここまでは、来日外国人の状況だけをみてきたが、少子高齢化対策として考える場合には、来日外国人に長期間日本に滞在して働いてもらわなければならない。そこで、これからは、日本に滞在している外国人の状況を分析する事とする。

2.1.外国人登録制度について

 日本にきた外国人が90日以上日本に滞在する場合、在日米軍や在外公館(大使館、領事館等)関係者といった一部の例外を除いて、必ず、外国人登録法に従って、居住する市区町村の窓口で外国人登録をしなければならない。したがって、日本に90日以上にわたって滞在している外国人の状況は、外国人登録の状況から知ることができる。

 外国人登録制度は、1947年5月2日に公布・即日施行された「外国人登録令」から始まったと言ってもよい。(なお、この「外国人登録令」は、大日本帝国憲法下で公布された最後の勅令(ポツダム勅令)である)。この勅令により、終戦までは日本人であった台湾人と朝鮮人について、“台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、当分の間、外国人とみなす”、と定められた。(この人達の国籍選択の自由は認められず、一律に日本国籍を取り上げられたわけである)。
 ②1952年4月28日、講和条約(並びに、日米安全保障条約)の発効と同時に、GHQが廃止され、「外国人登録令」も廃止された。それに代わるものとして、同日に制定されたのが「外国人登録法」である。これにより、現行の外国人登録制度がスタートした。なお、外国人登録制度には指紋押捺等の問題点が多々あり、その後、何回か改正されている。
 注: 外国人登録制度については、ここをクリックしてください

 
我が国に滞在する外国人は、決定された在留資格の許容する範囲を超えて、収入を伴う事業や報酬を伴う活動を行う事は出来ない。その範囲を超えた活動をする場合には、事前に、在留資格の変更申請をして許可をもらうか、資格外活動の申請をして許可をとるかしなければならない。
 注: 滞在する外国人の在留資格については、入国審査の時と同じ27種類(活動の内容に基づく23種類と身分又は地位に基づく4種類)に分けられている。在留資格を就労の可否に着目して加工したのでここをクリックしてください)。

2.2.外国人登録者数と増減率の推移(図2)

 外国人登録者数と、その対前年比増減率の、1948年から2007年までの推移を、下の図2で示す。

 なお、外国人登録者数を示す図の年毎の数字は、その年の12月31日現在のデータである。

図2 外国人登録者数(千人、左目盛り)と、前年比増減率(%、右目盛り)の推移

 注: 登録者数の推移を示す表については、ここをクリックしてください


 実質的に外国人登録が始まった1948年には65万8千人の登録があった。詳細は後でふれるが、登録した外国人のうち93%弱が朝鮮人、6%弱が中国人であった。つまり、戦前は、強制的に「日本人」とされていた人達が、登録外国人の99%近くを占めていたのである。
 ②
1960年代後半までは、外国人登録者数は若干の凹凸を繰り返しながら、ほぼ横ばいで推移した。しかし、基調としては、1962年から増加ペースとなり、現在に至っている。
 
とくに、バブル景気に沸いた1980年代後半には急増し、1990年には100万人の大台を超えた(107万5千人)。増加ペースはバブルの崩壊とともにやや鈍ったが、その後も増加し続け、2005年には200万人台を突破した(201万2千人)。
 
増加ペースは、その後も衰えず、2007年現在で215万3千人となっている。

2.3.国籍別外国人登録者数の推移図3

 
1948年から2007年までの、外国人登録者数の国籍別推移下の図3示す。
 注: 中国国籍には、台湾も含む。

図3 国籍別外国人登録者数(千人)の推移

 国籍を韓国・朝鮮のどちらかとする外国人は、国籍別外国人登録者数で、1948年から2006年まで、常にトップであったが、中国国籍(台湾も含む)の急追をうけて、2007年にはついに追い抜かれてしまった。
 ②在日の韓国・朝鮮人数
、1948年には61万2千人で、構成比も92.9%という圧倒的多数であった。その後、人数面では、横ばい気味に減少したが、1961年の56万7千人を底として、1985年に68万3千人でピークとなるまで上昇を続けた。それから、1991年の69万3千人までは、横ばい気味に上昇したが、その後は、減少に転じ
2007年には59万3千人となって、中国に抜かれ、ついにトップの座から転
した。
 
国籍別の第2位は、在日中国人(台湾を含む)である。1948年の37,394人を底として、1971年の52,333人まで、若干の凹凸はあるものの、ほぼ直線状で増え続けた。その後、1973年の46,642人まで減少したが、それを底として横ばい気味に推移した後、1977年からは上昇に転じ、2007年の60万7千人まで、上昇し続けてついにトップになった。
 
1948年時点で国籍別の第3位は、2,831人のアメリカ人であり、1989年にフィリピンに抜かれるまで3位であり続けた。(アメリカ人は34,900人、フィリピン人は38,925人)。そして、翌年には、ブラジルに抜かれて、第5位に転落し、さらに、2000年にはペルーにも抜かれて、第6位となった。ただし、順位を落としたとはいえ、在日アメリカ人の数は毎年増加し続けており、2007年には51,851人となっている。
 
在日外国人として、韓国・朝鮮、中国、アメリカに次いで、1948年の記録に現れるのがフィリピン人(1948年にはわずか314人)。1971年までは千人未満で推移したが、1972年以降増加基調となった。そして、1980年代に入ると、興行ビザで来日する女性が増え、1984年には1万人を突破し(11,183人)、前述のごとく、1989年にはアメリカを抜いたが、翌年には、ブラジルに抜かれてしまった。しかし、日本に滞在するフィリピン人は増え続けており、2007年には、20万3千人となった。
 
国籍別で、2007年には、31万7千人で、中国、韓国・朝鮮に次いで第3位となっているブラジル人が急増したのは1990年からである。これは、1990年の入国管理法の改正で、日系人であれば、職種制限無しに日本で就労が認められる事となったからである。日本はバブル経済が崩壊する直前で、単純労働者が極端に不足しており、中小企業を中心に単純労働にも外国人労働者を受け入れるべきである、という要求が強まっていた時期であった。これをうけて、日系人であれば、単純労働者としての日本滞在が可能となり、その影響でブラジル人の登録数が急増した。(1989年14,528人、1990年56,429人、1991年119,333人、ということで、あっという間に10万人以上となった)。
 
ブラジル人ほどではないが、日系人の受け入れのおかげで、国籍別の登録人数が増えたのがペルー人である。(1989年4,121人、1990年10,279人、199年126,281人、と増加)。2007年には、59,696人で、フィリピンに次いで第5位となっている。

2.4.国籍別構成比率の推移(図4)

 1948年から2007年までの、外国人登録者数の国籍別構成比推移下の図4示す。

図4 国籍別外国人登録者の構成比(%)の推移

 国籍別構成比率をみると、「韓国・朝鮮」の構成比率は、1948年以来2007年まで、一貫して下がり続けた。これは、人数的には微減であるが、全体の登録者数が、3.3倍(1948年で658,292人、2007年には2,152,973人)と大幅に増えたためである。しかし、図3をみるとわかるように、1980年代前半までは、登録者数の増加は極めて緩慢であってために、1959年までは90%以上、1985年までは80%以上でであった。
 ②
韓国・朝鮮の構成比率」は、1980年代後半から、登録者総数が大幅に増え、とくに、前に述べたごとく、1990年の入管法の改正で日系人の登録が急増したために、劇的に低下していった。(1986年で78.2%、1995年で48.9%と過半数を割り込み、2007年には27.6%)。
 
韓国・朝鮮の構成比率」が低下したのに代わって、構成比率を大きく増やしたのが、まず、「中国(台湾を含む)」であり、次いで、「ブラジル」である。
 
「中国」の構成比率は、1948年に5.7%であったが、その後は1983年の7.7%まで、6~7%台で推移した。しかし、その後は、着実に上昇し、2007年には、28.2%となって「韓国・朝鮮」を抜いてトップとなった
 
⑤「ブラジル」の構成比率は、1988年までは1%未満であった。それが、1990年の入管法の改正を契機に急増し、1992年には11.5%となって、一気に二ケタ台の構成比率となった。その後、1997年に15.7%でピークを打った後は、ほぼ横ばいで推移しており、2007年では14.7%となっている。
 
2007年の構成比率で比較すると、ブラジルに次ぐのは、フィリピンである。「フィリピン」の構成比率は、1983年まで1%未満であったが、1984年以降、徐々に構成比率を上げ、2004年の10.1%でピークとなった。その後は、やや減少したが、2007年には9.4%となっている。
 
「フィリピン」の次が「ペルー」である。「ペルー」の構成比率は、1990年までは1%未満であったが、1990年の入管法の改正を契機に登録者数が増え、1991年には2.1%となった。「ペルー」の登録者数はその後も増え続けたが、その増加ペースは全体の増加ペースとほぼ同じであったために、構成比率そのものはほぼ横ばいの2%台でで推移し、2007年になっても、2.8%である。
 「ペルー」の次は「アメリカ」。「アメリカ」の構成比率は、1948年の0.5%から1990年の3.6%でピークを迎えるまで、若干の上下動を繰り返しながらも徐々に上昇を続けた。その後も、「アメリカ」の登録者数は増え続けたが、その増加ペースは全体の増加ペースよりも少なかったために、構成比率は少しづつ減少し、2007年には、2.4%となった

2.5.在留資格別外国人登録者数の推移

 次に、日本での在留資格別に分析する。在留資格については、1990年の入管法の改正で前述の27種類に整理された。
 ここでの分析は、その27種類に整理された在留資格に基づいている


(1)「永住者」とそれ以外の推移図5

 日本での在留資格として、無期限に日本で住むことのできる「永住者」と、それ例外の在留資格の外国人登録者とに分けた時の人数の下の図5に示す。

図5 「永住者」と「それ以外」の外国人登録者数の推移

 図5で、「一般永住者」と「特別永住者」という用語が使われ、1992年から二つに分かれている理由は以下のとおりである。(なお、1992年以前は、「永住者」という呼び方しかなかったが、図で一括して表示する関係上、「一般永住者」とした)。
 1991年11月1日からいわゆる「入管特例法」が施行され、1945年9月2日(米国戦艦ミズーリ号上で日本の降伏文書調印が行われた日)以前から引き続き日本(いわゆる「内地」に限る)に居住している「平和条約離脱者」(韓国・朝鮮人、及び、台湾人)とその子孫を「特別永住者」とし、それ以外の永住者を「一般永住者」と呼んで区分する事となった。「特別永住者」は、「一般永住者」と比べると、再入国や雇用時等にいくつかの特例(優遇措置)が受けられる。
 注: 特別永住者については、
ここをクリックしてください

 ①1992年には、「一般永住者」と「特別永住者」を合わせた「永住者」の数は、「非永住者」よりも多かった。しかし、1993年以降、「非永住者」の数が「永住者」を上回るようになった。「永住者」の数そのものは、1990年代いっぱいまで、「特別永住者」が減っても、その減少分くらいは「一般永住者」が増加して、ほぼ横ばいで推移した。
 ②
2000年以降も、「特別永住者」は減り続けたが、「一般永住者」はその減少テンポを上回って増加するようになり、「永住者」全体としては増加し続けている。「特別永住者」が減って、「一般永住者」が増加する、という傾向は今でも続いており、
2007年には、「一般永住者」が「特別永住者」を上回るようになった。
 
一方、「非永住者」は、一貫して増え続けている。1993年に、「永住者」を上回って以降、その差はどんどん拡大し、2007年には、128万3千人対87万人で、1.5倍となった。

(2)「永住者」以外の在留資格での外国人登録者数の推移(図6)

 「永住者」以外の26種類の在留資格を大きく右下の表1のように6個のグループにまとめた時の外国人登録者数の推移について下の図6に示す。

図6 「永住者」以外の外国人登録者数の推移
表1 在留資格を6個にまとめた表
分類項目 該当在留資格
研修 研修
就労関連 技術 技能 企業内転勤
教育 教授 人文知識・国際業務
興行
留学・就学 留学 就学
その他 公用 外交  - 
芸術 宗教 法律・会計業務
報道 医療 投資・経営
研究 特定活動
短期滞在 文化活動
定住者 定住者
家族等 永住者の配偶者等 家族滞在
日本人の配偶者等

 注: 就労の可否に着目した場合の在留資格についてはここをクリックしてください

 「非永住者」の中で、最大の比率を占めるのが「家族等」(「永住者の配偶者」、「日本人の配偶者」、および、「家族滞在」)である。このうち、「家族滞在」では「就労」はできないが、配偶者の場合は、働くことが可能である。(2007年のデータによれば、「日本人の配偶者」が25万7千人強、「永住者の配偶者」が1万5千人強、「家族滞在」が9万8千人強であった)。
 ②次が「定住者」。日系人3世や、日本で暮らしている外国人世帯の子供などの来日で2005年まで増加傾向にあったが、最近はほぼ横ばいである。「定住者」は、配偶者と同じく就労が可能である。
 
3番目が、入管統計で「その他」に分類されているグループである。この中には、就労不可能な資格2種類(「短期滞在」と「文化活動」)と、就労可能な資格10種類とが混在している。この就労可能な資格10種類のうち、「特定活動」を除けば、その人数は少ないが、「特定活動」で滞在する外国人は、1993年の「外国人研修・技能実習制度」の創設以来、大幅に増加している。
 注: 外国人研修・技能実習制度」と外国人労働者の問題については、次回以降のコラムで分析する。
 
4番目が「留学」「就学」である。この資格では、就労は不可能であるが、「資格外活動」の申請をして許可されれば、単純労働にも従事できる。実際、許可をもらってアルバイトをし、学費や生活費に充当している学生は多い。このグループは、1999年まで10万人前後で推移したが、2000年以降、2003年までは増え続けた。しかし、その後は減少傾向となり、2007年に至っても、2003年のピーク値までは達していない。
 注: 留学生のアルバイト労働や卒業後の進路等については、次回以降のコラムで分析する。
 
就労のために日本に滞在している外国人が持っている資格のうち、入管統計で個別に分析できる資格の主要なものがものを「就労関連」としてまとめた。「就労関連」は、2004年までは順調に増え続けたが、2005年・2006年と続けて減少した後、2007年には大きく増加して、2004年のピーク値を塗り替えた。。
 近年大きく増加しているのが「研修」、これは、1981年に発足した「外国人研修制度」に基づく在留資格である。1990年には、中小企業も受け入れ可能な仕組みに改正され、さらに、1993年には、研修活動により一定水準以上の技術等を修得した外国人について,研修修了後,研修期間と合わせて3年間は就労できる「技能実習制度」が創設された。こうした制度改正に応じて、「研修」での在留外国人数は増加し続けている。とくに、2007年には大きく増加して8万8千人を超えた。
 注: 「外国人研修・技能実習制度」については、ここをクリック

(3)「就労関連」7種類での外国登録者数の推移(図7)

 表1で「就労関連」としてまとめた7種類の在留資格での外国人登録者数の推移を下の図7に示す。

図7 「就労関連」7種類での外国人登録者数の推移

 「就労関連」7種類でみると、1994年までは、「興行」の増加に合わせて登録者数も増えてきた。しかし、1995年に「興行」が半分以下に落ち込んだ落ち込んだために、7種類での登録者数も大きく減少した。
 ②しかし、その後は、「興行」も増加したし、他の6種類も増え続けたために、2004年にピークとなるまで上昇を続けた。ところが、2005年からは「興行」が再び大きく落ち込んだために、2005年、2006年と続けて減少した。2007年になると、「人文知識・国際業務、「技術」「技能」「企業内転勤」といった在留資格が大きく伸びたので、「就労関連」全体としては、2004年を上回った。
 
2007年でのトップは「人文知識・国際業務」で、6万2千人弱。これは、「研修」の8万8千人強、「留学」の13万2千人強には及ばないけれども、「就労」可能な在留資格の中ではトップである。1992年では「興行」に次いで2位であったが、その後も順調に増大を続け、2007年には、1992年に比べると、2.8倍の増加となった
 
2007年に「人文知識・国際業務」に次いで2位になったのが「技術」。1992年でも、3位ではあったが、2位とは大きく差をつけられていた。しかし、その後は順調に数を増やし、2007年には、3位の「技能」の倍以上の登録数で2位となった。。
 
留学生は卒業後、日本国内で就職し日本に在留する場合、「人文知識・国際業務」か「技術」の在留資格を取り直すケースが多い。(2007年の実績で、8,272人が在留資格の変更を認められたが、この93%が、「人文知識・国際業務」(72%)か「技術」(21%)であった)

図8 「登録外国人」の人口ピラミッド(%) (2006年末現在)
図9 「日本人」の人口ピラミッド(%) (2007年10月1日現在)

 「技術」に次ぐのが、「技能」。1992年には、トップの「興行」の4分の1以下であったが、その後は「技術」と同じように順調に増え続け、2007年には、「興行」を抜いて3位となった。
 登録数が大きく変動したのは「興行」である。これは、次項で分析するが、不法滞在の問題が大きくなって、ビザの審査を厳しくした事が大きく影響している。1992年から1994年まではトップであったが、1995年に大きく落ち込み1998年までは、2位であった。1999年に再びトップに返り咲いてからは2004年まではトップの座を維持した。ところが、2005年からは急落し、2005年には2位、2006年には3位、そして2007年には5位、というように、年々順位を下げている。
 企業内転勤」は、1992年には、下から2番目だったが、その後は徐々に増加し、2002年で一旦ピークをうった。そこから2004年までは横ばい気味に推移した後、2005年以降増加に転じ、2007年には「興行」をも抜いた。


2.6.人口ピラミッドの比較

 総務省が毎年発表している「在留外国人統計」の平成19年版のデータ(2006年末現在)に基づく10歳年齢階層ごとの人口ピラミッドと、2007年10月1日現在の日本人の同じ年齢階層ごとの人口ピラミッドの比較図を右の図8(外国人)と図9(日本人)に示す。
 注: 図の中で表示されている数字は、“%”である。

(1)「登録外国人」の人口ピラミッド(図8)

 外国人登録を済ませた外国人の人口ピラミッドは、右の図8に示すように、20歳から上では、きれいなピラミッドとなっている。
 ②男女共に、20代から30代が過半数を占めており、若い人たちが主流を占めていることがわかる。
 
二十歳未満の子供達が極端に少ないのは、登録外国人には若い独身者が多い、という事実を反映しているものと思われる。

(2)「日本人」の人口ピラミッド(図9)

 一方、日本人の人口ピラミッドは、長方形のようである。
 ②男女共に、「団塊の世代」がいる「50~59」と、「団塊ジュニア」が含まれる「30~39」が若干突出しているが、30歳以上ではまるで長方形である。
 
女性は、70歳以上が最大となっており、逆三角形をしているとも言えるくらい、高齢者が多く、子供と若者が少ない。
 
男性は、「30~39」を底辺とする逆三角形になっている。


2.7.都道府県別登録外国人数の推移(図10)

 外国人登録を済ませている外国人数の都道府県別の推移を下の図10に示す。
 図10に記載された都府県名は、各年度ごとに上位10位にランクされていた都府県であり、全部で11ある。

図10 都道府県別外国人登録者数の推移

 1995年以来、トップは東京都である。1995年の24万7千人から2007年の38万2千人まで、毎年着実に増加している。
 ②2007年の2位は愛知県だが、1995年には大阪府に大きく離された3位であった。大阪府がほぼ横ばいで推移してきたのに、愛知県は年々増加し続け、2007年には、ついに大阪を抜いて、第2位となった。。
 
第4位の神奈川県は、1995年から2007年まで、登録数は増加しているが、そのテンポは愛知県には及ばないために、4位のままでとどまっている。。
 
第5位以下を見ても、関東・東海地区の県は大きく増加しているのに対し、関西地区の府県は横ばいであることがわかる。
 
1995年には、大阪府は第2位、兵庫県は第5位、京都府は第7位であったが、2007年には、大阪府は第3位、兵庫県は第7位と順位を下げ、京都府にいたっては第11位となって、トップ10から脱落した。
 このように、登録外国人数が東高西低(関東・東海地区で増え、関西地区ではほぼ横ばいとなってきた背景には、前述の1990年の入管法の改正(ブラジル人を中心に日系3世の日本での就労が可能となった)や1993年の「外国人研修・技能実習制度」の創設(中国人を中心に研修・実習生が急増)といったことがある。
 こうした法律改正や制度の新設により、自動車や関連の機械工場の労働者、あるいは、農業の研修・実習生が、関東・東海地区のを中心に、多数の外国人(ブラジル人や中国人)が在留するようになってきた。
 こうした変化の結果、国籍別に見た場合、
2007年には、「中国」が「韓国・朝鮮」を抜いてトップとなったわけである。

3.不法残留者の状況

 外国人労働者の受け入れを考える場合、避けて通れない問題が、不法滞在者の問題である。実際の不法滞在者数を正確に把握する事は不可能だが、入管統計では、外国人が提出する入国記録,出国記録等を処理して、不法残留者数を推定している。ここでは、その統計データをもとに、不法残留者の状況を分析する。

3.1.不法滞在と不法残留

 ①「不法滞在」「不法残留」「不法入国」に大別されるが、不法滞在者は退去強制いわゆる「強制送還」)の対象となる。
 ②「不法残留」とは、日本の場合、入国する際には空港または港で上陸許可を受け、在留資格を有していたが、定められた在留期限満了後も出国せずに在留していることで、オーバーステイとか、超過滞在と呼ぶ場合もある。
 一方、「不法入国」とは、
上陸許可を受けず、したがって在留資格を取得せずに入国すること
または、有効でない旅券用いるなど、不正な手段で入国することであり、その数を推定することすら不可能である
 日本国籍を持たない人(外国人)が合法的に日本に滞在するためには、一部の例外を除き出入国管理及び難民認定法(入管法)に定める在留資格のいずれかを持たなければならないこととなっている。したがって、日本における不法滞在者とは在留資格を持たない外国人を指すと言ってもよい。

3.2.不法残留者数と増減率の推移

 1990年の入管法の改正を契機にしたかのごとく、不法残留者数は急増した。そこで、入管は入国の審査を厳しくして不法入国を防ぐとともに、国内での調査を徹底して不法滞在の減少を目指した。その間の経緯を不法滞在者数の推移と増減率の推移として、下の図11に示す。
 なお、不法残留者を示す図の年毎の数字は、その年の1月1日現在のデータである。

図11 不法残留者数と増減率の推移


(1)「不法残留者数」の推移(図11の黒の折れ線グラフ、左目盛り(千人))

 1990年1月1日に10万6千人強であった不法残留者は、翌年以降急激に増加し、3年後の1993年1月1日には、3倍近い29万4千人弱まで増えた。入国者数が横ばいで推移した(図1参照ください)のに、不法滞在者数が急増した背景には、バブル経済の崩壊がある。日本に様々な在留資格で入国して就労し(場合によっては「不法就労」の場合もある)、ひと稼ぎしてから帰国しようという「出稼ぎ」志向で入国したものの、仕事がなくなって稼げなくなり、帰国もままならずに不法に残留していた外国人が大幅に増えたのである。
 ②1994年以降は、不法残留者数は減少している。これは、厳格な入国審査の実施、関係機関との連携による入管法違反外国人の集中摘発の実施、不法就労防止に関する広報の実施など、当局が行ってきている総合的な不法就労外国人対策の効果、といった努力の結果でもある。
 こうした努力の結果、不法残留者数は2002年1月1日までは順調に減り続けたが、2003年、2004年と横ばいで推移した。そこで、政府は、「2004年からの5年間で、不法滞在者を半減させる」という目標をかかげて、引き続き、厳格な入国審査の実施や関係機関との密接な連携による摘発など、総合的な対策を実施した結果、2008年1月1日には15万人弱となり、2004年1月1日からの4年間で7万人弱(2004年比で32%)の減少となった

(2)「不法残留者数の増減率」の推移(図11の棒グラフ、右目盛り(%))

 対前年との増減率でみると、1991年(50%)、1992年(75%)と大幅に伸びた後、1993年でもまだ伸び続けた(7%)。
 ②しかし、その後は減少に転じ、とくに、2000年、2001年と2年続けて7%以上の減少となった。
 
さらに、2004年以降は、政府が掲げた「半減目標」に向かって、減少傾向に拍車がかかり、2005年、2006年と6%前後で減少した後、2007年、2008年と2倍の12%前後で減少させることができた。

3.3.国籍別不法残留者数の推移

 不法残留者を国籍別に見た場合を下の図12に示す。
 図12に記載された国名は、各年度ごとに上位10位にランクされていた国であり、全部で9ヶ国になった。途中の年度で、ベトナム、ミャンマー、ブラジルがトップ10に入った年もあったが、1990年1月1日から2008年1月1日までの通してのデータが得られなかったので、図からは除外した。

図12 国籍別に見た場合の不法残留者数の推移

 1990年1月1日で、最も不法残留者が多かったのは「フィリピン」である。1998年まで、増え続けたが、1999年からは減少に転じ、2008年1月1日現在では3位となっている。この変動は、「興行」の変動に依存している。(「興行」で来日・在留する大半はフィリピン人である)。
 ②1990年で2位だった「韓国」は、1999年に6万2千人を超してピークとなるまでは増加し続けたが、2000年以降は減少に転じた。その後は急激に減ってはいるものの、来日絶対数が圧倒的に多いという事情もあって、1995年以降、2008年までトップのままである。
 注:
 国籍別来日者数の推移については、「97.少子高齢化対策と外国人労働者の受け入れ(1): 少子高齢化と外国人入国者の状況」を参照ください
 
1990年時点で3位であった「タイ」は、1993年に5万5千人を超してトップになるまで急激に増大した。しかし、1994年以降は減少に転じ、2008年では7千人強まで大幅に減少して、3位のフィリピンと大きく離れた4位となっている。
 
1990年では4位であった「中国」は、1994年までは増加の一途であったが、その後しばらくは横ばい状態であった。そして1999年から2002年までは減少に転じて一旦は3万人台を切ったが、2003年からはまた上昇に転じた。しかし、2005年以降は再び、減少となって2008年では2位となっている。
 
1990年では5位であった「マレイシア」は1992年までは急増ペースであったが、その後は、2002年に一旦増加はしたものの減少ペースとなり、2008年にはインドネシアに次いで7位となっている。。
 ペルー」の場合、一時は1万人を突破するほどの勢いで不法残留者が増えたが(1994年から1999年まで)、2000年以降は減少に転じている。
 1990年から20008年までの間で、不法残留者が1万人以上を突破したのは、上記の6ヶ国のみである。

3.4.在留資格別不法残留者数の推移

 不法残留者の推移を、「在留資格」別にまとめたのが下の図13である。

図13 在留資格別に見た場合の不法残留者数の推移

 不法残留で圧倒的に多いのが「短期滞在」である。1993年で24万2千人強(全体の81%)であったが、その後は減少し、2008年には10万2千人強(全体の68%)となった。
 ②1990年代に「短期在留」に次いで多かったのが「就学」である。1994年には2万4千人(全体の8.2%)まで増えたが、その後は厳しい取り締まりのおかげもあって減少に転じ、2008年では4,311人(全体の2.9%)まで減った。
 
1995年から2006年までは1万人を超した「興行」は、2007年・2008年と連続して減少し、2008年には6,624人(全体の4.4%)となった。

図14 国籍別犯罪発生率の推移

 1992年には4千人強で第4位であった「留学」は、1996年までは増加し続けたが、その後は横ばい状態が続いた。そして、2008年には6,667人(全体の4.5%)で第2位となっている。
 
1992年には千人強で第5位であった「研修」は、1999年まで増加し続けた後、横ばい状態となった。そして2004年に4千人弱でピークとなってからは減少に転じ、2008年には3,136人(全体の2.1%)となった。


4.在留外国人と犯罪 

 「外国人が増えると治安が悪化する。」と考えている日本人は多い。しかし、データを冷静に分析すると、その考えは誤りである、と指摘できる。国籍別犯罪発生率の推移を右の図14に示す。
 注: 右の図14とここでの記載は、参考文献4(「週刊ダイアモンド 2008年5月31日号」(「ガイジン様」大争奪戦)、ダイヤモンド社)から抜粋、準拠したものである。

 図14は、日本人と在留外国人の犯罪発生率の推移を示す。図では、在留外国人としては検挙人数の多い3ヶ国(中国、ブラジル、フィリピン)国籍と日本人との犯罪発生率を比較している。。
 ②図14を見ると、中国人を除けば、日本人と在留外国人との間で、犯罪発生率は大きな差は無い、と言える。
 
中国人の犯罪発生率が高いのは、登録されていない中国人による犯罪が多い、という特殊事情がある。この点を加味すると、中国人の場合もそれはど犯罪発生件数が多いとは言えない。
 
では、なぜ外国人が治安の悪化と結び付けられるのか、というとメディアの影響が極めて大きいと言える。外国人が関与した犯罪は大きく取り上げられるので、人々の脳裏に強く焼き付けられる。このため、冒頭に述べた「外国人が増えると治安が悪化する。」というような考えが生まれてしまうのである
 
問題は犯罪目的で来日する外国人である。「外国人犯罪者」(岩男壽美子、中公新書)によると、外国人受刑者のうち、犯罪目的で来日した外国人は、男で8%、女で12%。彼らの26%が本国で服役経験があるという。来日目的が犯罪ではなかった受刑者の服役経験は7%にすぎない。
 したがって、今後、外国人を積極的に受け入れていこうとする場合、重要なポイントは、いかにしてこうした犯罪予備軍の入国を防ぐか、ということである。たとえば、外国の治安当局と連携して、前科者の入国を拒否できるようにするとかの法整備も必要であろう。

5.最後に

 今回は、外国人登録の状況と不法残留者の状況、ならびに、外国人犯罪の状況を分析した。この結果から、以下の事が言えるであろう。

 在留外国人の主流は長い間、「韓国・朝鮮」国籍の外国人であった。したがって、在日外国人の問題と言えば、いわゆる「在日コリアン」と総称される人々(韓国籍・北朝鮮籍を持ったまま日本に永住している人々)とどう「共生」し、「社会統合」をすすめるか、というのが1990年代初頭までの大きな課題であった。
 ②しかし、1990年代に入ってから、入管法の改正と共に、ブラジル人を中心に日系人の就労目的の来日・在留が急増し、さらには、1993年の「外国人研修・技能実習制度」の創設により、中国人を中心としたアジア諸国からの来日・在留も急増するようになった。
 
この結果、登録外国人は200万人台を突破するほどに増大し、さらに、2007年末には在留中国人が、「在日コリアン」を抜いてトップとなった。そして、ブラジル人も第3位となるまで増加した。
 
一方、不法残留者は、1990年代前半に30万人台を突破しそうなところまで急激に増加したが、その後は、当局の取締強化の効果もあり、減少に向かっている。そして、2008年1月1日現在で、15万人弱となり、ピーク時(1993年)に比べてほぼ半減した。
 
また、外国人が増えると犯罪が増え、治安が悪化する、といった漠然とした不安感を抱く日本人も多いが、実態はそうとも言えない。もっと、冷静に実情をみつめれば、外国人の犯罪発生率と日本人の犯罪発生率には大きな差がない事がわかる。


 以上の分析から、一般の日本人が意識するかしないにかかわらず、来日外国人は急増し、そして、在留外国人は着実に増加している、ということがわかる。こうした外国人を日本社会がどう受け入れ、どのように協調してゆけば、日本の将来にも役立つし、彼ら外国人のためにもなるのか、そして、彼らを日本に送り出している諸外国の発展にもつなげられるのか、そういった問題を次回以降、分析していきたい。
 とりあえず次回は、外人労働者の状況と、現在の「外国人研修・技能実習制度」が生み出している問題点等を分析したい。

参考文献: 1.「サラダボール化した日本」、若林 亜紀、光文社ペーパーバックス
         2.「外国人労働者受け入れは日本をダメにする」、小野 五郎、羊泉社ペーパーバックス
         3.「外国人労働者新時代」、井口 泰、ちくま書房
         4.「週刊ダイアモンド 2008年5月31日号」(「ガイジン様」大争奪戦)、ダイヤモンド社
         5.「週刊東洋経済 2008年5月17日号」(増え続ける外国人研修生)、東洋経済新報社
         6.日本の将来推計人口(平成18年12月推計)、国立社会保障・人口問題研究所
         7.入国管理局-統計-


人口問題のコラムは以下の通りです。

4.長寿社会を考える  5.人口減少社会(1)   6.人口減少社会(2)  
17.人口の減少  81.一人暮らし社会 82.2025年の少子高齢化と地方自治体
83.老人大国三つの不安(1):老人医療 88.世界の人口爆発と少子高齢化
89.G7とBRICsの少子高齢化の概要 90.G7とBRICsの人口動態:現状と将来
91.G7とBRICsの少子高齢化:現状と将来
94.日中韓・スウェーデンの少子高齢化(1):人口推移
95.日中韓・スウェーデンの少子高齢化(2):人口ピラミッドと年齢階級別人口の推移
96.人口動向と経済成長: 日米の比較から
97.少子高齢化対策と外国人労働者の受け入れ(1): 少子高齢化と外国人入国者の状況


北欧に関するコラムは以下の通り。

84.福祉国家の経済成長-北欧の挑戦と日本の凋落
85.北欧諸国と日米英独仏の比較
86.北欧諸国の教育・福祉制度


格差に関するコラムは以下の通り。

33.データから見る格差 34.新しい階級社会の誕生 35.様々な格差
36.老人格差 44.ワーキング・プア 53.所得格差と国際比較
59.教育格差と格差の世襲 60.教育格差の現状 61.教育格差と国際比較
64.団塊の世代と団塊格差  65.団塊ジュニアとその格差 
66.団塊ジュニアの結婚格差と少子化問題 79.所得格差と格差拡大税制
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格差問題の背景としてのグローバル化と日本型雇用の崩壊に関するコラムは以下の通り。

46.経済のグローバル化 47.正社員システムの崩壊  48.年功序列賃金の崩壊?
49.労働組合の衰退 50.多様化する雇用形態 52.いじめられるサラリーマン
54.フラット化する世界(1) 55.フラット化する世界(2) 57.フラット化する世界(3)
58.フラット化する世界(4) 22.雇用状況の変遷


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