125.NHK(2):法制度と政府の介入  (2010年4月1日記載)

 前回は、NHKの創立から現在までの発展過程をみてきた。そして、その中で、いくつかの問題点を指摘してきた。
 今回は、その問題点を、法制度と政府の介入という観点から分析する。
 結論を先に言えば、現在の法制度のもとでは、ジャーナリストとしての気概を持つか否かにかかわらず、政府与党に迎合するような人がNHKのトップになり易いし、また、そのようなトップが君臨する限り、NHKが政府与党の圧力に抵抗するのは難しい、ということがわかる。逆に、権力の批判者としての立場を二の次にして政府与党と妥協しながら、うまく立ち回れば、NHKも権益を拡大し、事業を発展させることができる。とくに、戦後60年以上、一党が権力を独占してきた状況を考えれば、NHKにBBCのような役割を期待する事が無理だったのかもしれない、と思わざるをえない。
 その意味で、今回の政権交代がNHKの将来に明るい展望を開いてくれるきっかけとなる事を期待したい。

 今回のコラムに用いたデータ等は、最後の参考文献に記載した書籍やURLから引用した。


1.NHKをめぐる法制度

 まず最初に、NHKを規制している法制度を概観してみよう。 


1-1電波三法

 戦前の日本の放送業界が、日本放送協会(NHKの前身)も含め、国家の御用機関と堕してしまった反省を含め、GHQの指導のもと、1950年6月1日に「電波三法」と称される以下の三つの法律が公布された。

 電波法
  ⅰ)放送や通信に使える電波は無限ではなく、国民全体の共有財産である。そこで、「電波の公平かつ能率的な利用を確保する事によって、公共の福祉を増進する事」を目的として電波法が制定された。
  ⅱ)無線局の開設には免許が必要と規定しており、放送局も無線局であるため、放送事業者も免許制となった。放送事業者の免許期間は5年間で、5年ごとに繰り返し再免許を受ける必要がある。このため、政府与党が免許不交付をちらつかせて圧力をかける余地が生まれた。
  ⅲ)しかし、免許業者が支払う免許料(免許利用料)は、放送事業者にとって極めて有利であり、電波利権の温床となっている。(詳しくは、コラム
123.苦境に立つテレビ業界(2):放送業界とテレビ業界、および、参考文献8.「電波利権」を参照ください)。

図1-1 NHKの組織図

 放送法
  ⅰ)電波法が電波の割り当てのような「物理的な面」からの取り決めであるのに対して、事業としての放送の在り方を規定しているのが放送法であり、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発展を図る事を目的とする」としている。
  ⅱ)放送法は、当初、4章59条からなり、NHKに関しては、第二章で43条の規定がされていた。ちなみに、民間放送事業者(民法)については、第三章でわずか3ヶ条の規定しかなかった。


 
電波監理委員会設置法
  ⅰ)電波監理委員会とは、独立行政委員会で、電波行政に関するあらゆる業務を掌り、放送については、局の認可、周波数の割り当てなどを業務としていた。
  ⅱ)吉田首相は、独立行政委員会を蛇蝎のごとく嫌い、この法律にも強硬に反対したが、GHQの強い後押しで成立した。しかし、日本が独立すると、吉田首相は早速(1952年7月31日)、この法律を廃止し、政府による放送への強力な関与への道を開いた。
  ⅲ)民間人により構成される電波監理委員会は、アメリカのFCC(連邦通信委員会)を模範としており、放送に関する一切の行政と、準司法、準立法の権限を持っていた。もし、この委員会が健全であれば、今日のような堕落したNHKや民放業界は生まれなかったのではないか、と考えると、吉田首相の罪は「万死に値する」と言える。
  ⅳ)電波監理委員会はNHKに関するすべての行政権限を持ち、例えばNHKの予算・決算は大臣ではなく電波監理委員会が意見をつけて国会に提出する仕組みになっていた。NHK経営委員の任命権だけは、現在と同じく総理大臣にあったものの、放送に対する政府・与党の干渉・介入の余地は極めて限られていた。だからこそ、吉田首相が独立したら早速廃止したのであろうが、これからのNHKのあり方を考える上で、電波監理委員会のような独立行政委員会による制度保障は、極めて大きな検討課題である、と言える。

1-2NHKの組織(図1-1)

 平成21年3月31日現在のNHKの組織図を右の図1-1に示す。(
この図は、平成20年度のNHK業務報告書から抜粋した)。

 経営委員会 NHKは、国会の同意を得て、総理大臣により任命される12人の委員からなる「経営委員会」の下に運営されている。経営委員の任期は3年で、委員長は委員の互選によって決まる。経営委員会は、経営方針や業務上の重要事項(収支予算・決算、事業計画、資金計画、役員報酬等々)を決めるが、日常の実務は、委員会の下にある会長及び理事会が掌る。
 
監査委員会 2008年4月に、NHKのガバナンス強化を盛り込んだ改正放送法が施行され、これに伴い、それまでの監事を廃止して監査委員会が設置された。 監査委員会は、経営委員の中から任命された3名以上の監査委員で構成すされ、経営委員を含む役員の職務の執行を監査する権限を有している。
 
会長 会長は経営委員会の議決により選任され、任期は3年である。
 
理事会 理事会は、放送法第25条に、会長、副会長、理事をもって構成し、協会の重要業務の執行について審議すると規定されている。会長・副会長の定員は各1名、任期は3年、一方、理事および専務理事の定員は、7名以上10名以内、任期は2年である。理事会は、原則として、毎週1回開催され、たとえば、「放送番組の編集の基本計画」や「予算・事業計画」など経営委員会に諮る事項やそれ以外の重要事項の審議を行うほか、協会の各部局から業務遂行状況等の報告を受け、必要な検討を行っている。
 
視聴者総局 このいかにもNHKらしい名称の総局は、元々は「営業総局」といっていたものを、1999年6月の組織改正で、名称が変更されたものだ。その当時の「NHK業報告書」によると、“多様化する視聴者のニーズに的確にこたえ、公共放送としてデジタル時代に相応しい機能的、弾力的な業務運営を推進するため、視聴者関係業務を一元的に実施する視聴者総局の設置、マルチメディア局の設置、衛星放送局業務体制の再編成及び海外取材体制の整備等を行った”、と説明されている。なお、ここで述べられている「マルチメディア局」と「衛星放送局」は、放送総局の下にある組織であるが、2005年の組織改正で合理化された。

図1-2 NHKの経営体制

1-3.NHKの経営体制(図1-2)

 NHKのホームページからNHKの経営体制に関する部分を抜粋して以下に説明する。NHKの経営体制を、右の図1-2に示す。

 トップの組織としては、「経営委員会」「監査委員会」「執行部(理事会)」の三つになるが、監査委員は経営委員の中から選ばれるので、実質的には12人の経営委員と会長・副会長、および、10人以内の理事の合計24人が、NHKを動かしている、という事になる。
 24人の中で、トップは、12人の経営委員であり、さらに、「経営委員長」が最高責任者と言えるであろう。ただし、実務上の責任者は、執行部の長である「会長」という事になる。
 現在の法制度の下では、この経営体制が、政府・与党のNHKへの干渉・介入を許す根源となっている。
  ⅰ)前述のごとく、経営委員は、公選ではなく、国会が決めている。そのため、野党的立場の人は選ばれないし、もし、委員が任期中に政権批判的な言動をすれば、再任されない。この具体例として原俊之(元・九州大学教授)委員長(当時)が、一期目終了の1981年に再任を拒否された、という事件がある。当時、NHKは自民党から「偏向」していると厳しく批判されていた。しかし、リベラル派の原経営委員長は、NHKは言論機関であるとして、自民党の批判に逆らってNHKを擁護した。これが、自民党の逆鱗にふれ、経営委員は2期6年は務めるという慣例を無視して、再任を拒否されたために、自動的に経営委員長の席も失った。
  ⅱ)執行部のトップである会長は、経営委員会が任命する事になっているが、会長人事にも自民党は介入した事がある。1991年7月に当時の島会長が引責辞任した際の後任会長には、元最高裁判事の伊藤正巳が経営委員会で内定していた。しかし、この人事は自民党の反対で潰された。
  ⅲ)さらに決定的なのは、毎年度の収支予算、事業計画、資金計画は国会で承認されて初めて有効となる、という放送法の規定である。後述するが、自民党は予算を人質にとる事によって、露骨にNHKの番組編成に介入してきた。

2.NHKの歴代会長と政府与党

 NHKの歴代会長とその任免に時の政府与党がどのように介入してきたのかをみて見よう。
 下の表1にNHKの創立以来の歴代会長を示す。

表1 NHK 歴代会長一覧表
旧 「日 本 放 送 協 会」
 会 長 名  在 任 期 間 のべ在任
年数
 出  身 任命時の
首相
初代 岩原 謙三 1926/08~1936/07 10年 芝浦製作所社長 岩槻 礼次郎
2代 小森 七郎 1936/09~1943/05 6年8ヶ月 元・逓信省の役人 広田 弘毅
3代 下村 宏 1943/05~1945/04 2年11ヶ月 貴族院議員、元逓信省役人 東条 英機
4代 大橋 八郎 1945/04~1946/02 11ヶ月 貴族院議員、元逓信省役人 鈴木 貫太郎
5代 高野 岩三郎 1946/04~1949/04(没) 3年 大原社会問題研究所所長 幣原 喜重郎
6代 古垣 鉄郎 1949/05~1950/05 1年 朝日新聞外報記者 吉田 茂
1950.6.1 新 法 人 「日 本 放 送 協 会」 発 足
 会 長 名  在 任 期 間 のべ在任
年数
 出 身 任命時の
首相
初代 古垣 鉄郎 1950/06~1956/06 6年 吉田 茂
2代 永田 清 1956/06~1957/11(没) 1年5ヶ月 慶大教授、日新製糖社長 鳩山 一郎
3代 野村 秀雄 1958/01~1960/10(辞任) 2年9ヶ月 朝日新聞記者、政治評論家 石橋 湛山
4代 阿部 真之助 1960/10~1964/07(没) 3年9ヶ月 毎日新聞記者、政治評論家 池田 勇人
5代 前田 義徳 1964/07~1973/07 9年 NHK副会長(元・朝日新聞外報記者) 池田 勇人
6代 小野 吉郎 1973/07~1976/09(辞任) 3年2ヶ月 NHK副会長(元・郵政事務次官) 田中 角栄
7代 坂本 朝一 1976/09~1982/07 5年10ヶ月 NHK副会長 三木 武夫
8代 川原 正人 1982/07~1988/07 6年 NHK美術センター社長(元・NHK専務理事) 鈴木 善幸
9代 池田 芳蔵 1988/07~1989/04(辞任) 9ヶ月 三井物産相談役 竹下 登
10代 島 桂次* 1989/04~1991/07(辞任) 2年3ヶ月 NHK副会長 竹下 登
11代 川口 幹夫 1991/07~1997/07 6年 N響理事長(元・NHK専務理事) 海部 俊樹
12代 海老沢 勝二* 1997/07~2005/01(辞任) 7年6ヶ月 NHK副会長 橋本 龍太郎
13代 橋本 元一 2005/01~2008/01 3年 NHK専務理事・技師長 小泉 純一郎
14代 福地 茂雄 2008/01/25~ アサヒビール相談役(元社長・会長) 福田 康夫
 *印は、“生え抜き会長”であることを示す


(1)戦前

 表1をみればわかるとおり、戦前の会長は4人いるが、初代会長を除いて、残りの3人はすべて逓信省出身者であり、NHKは逓信省の天下りの受け皿になっていたことがわかる。
 その意味で、戦前のNHKは、形態こそ特殊法人だが、実質的に国営放送であり、時の政府の方針に反するような放送どころか、批判めいた報道も出来ないような言論機関だった、と言えるであろう。

(2)GHQ時代


 GHQは、戦前、国民の思想信条の自由や、言論・表現の自由を弾圧していた各種の法規を撤廃した。そうした民主化の嵐が吹き荒れる中で、NHK内部にも民主化運動が起き、大橋会長以下、逓信省からの天下り理事全員が退陣に追い込まれた。
 一方、GHQは放送の民主化を目指して、社会の各分野を代表する民間人17名からなる「放送委員会」を作って、NHKの会長候補の選定や、放送の倫理規定・規範等の作成、といった作業を行わせた。
 「放送委員会」は、新生NHKの会長に高名なマルクス経済学者の高野岩三郎(大原社会問題研究所所長)を選んだ。高野は、「ラジオは権力から独立して大衆とともに手を取り合いつつ、大衆に一歩先んじて歩む」、という新しい放送事業のありかたをうちだした。
 高野会長の方針は、放送委員会とNHK労組に支持されたが、GHQの方針がいわゆる「逆コース」へ転換するに従い、「逆風」にさらされるようになり、NHKの空気も次第に自由闊達さを失っていった。
 1949年4月高野会長が死去すると、放送委員会も自然消滅に近い形で終幕を迎えた。そして、吉田首相(当時)が、かねてから高野会長へのお目付け役として送り込んでいた古垣鉄郎が会長となり、NHKの右旋回は決定的となった。古垣会長は、NHKは国策に貢献すべき、だという戦前回帰を思わせる方針を掲げた。
 しかし、1950年6月の電波三法の成立によって生まれた「電波監理委員会」が、放送の権力からの独立を守る最後の砦となってくれるはずであった

(3)日本の独立と吉田首相の時代

 1952年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約によって独立した。古垣会長は、独立を機に、ラジオ第一・第二放送で放送終了時に国歌「君が代」を流す事を決めたが、これは戦前にもなかった編成習慣である。当時、「君が代」については、新憲法にふさわしい国家かどうかを巡って議論が交わされていたのであるが、NHKの「君が代」放送は、逆コースへの加担を意味していた。
 吉田首相は1952年7月31日に、「電波監理委員会」を廃止してしまった。「電波監理委員会」の廃止により、政府が放送に対して絶大な権限を握る事が出来るようになった。その結果、電波・放送行政が政治の思惑に左右されるようになり、放送に対する政府の介入・支配が容易に行えるようになった。。
 1953年6月、吉田内閣はNHK会長の政府任命制などを定めた放送法の改正案を国会に上程した。しかし、さすがにその改正案は、世論の反撃をくらって廃案となった

(4)前田(NHK会長)と上田(NHK労組委員長)の時代

 古垣会長以降、前田会長までの時代は、政治的には、「60年安保」という重要な節目はあったものの、圧力をかけ続ける政府与党と、それにまがりなりにも抵抗を続けるNHKということで、それなりの節度と緊張関係が維持されていた。しかし、政府の力を背景にNHKの権力拡大を目指した前田義徳が会長に就任した事によって、政権とNHKとは一気に癒着へと傾くようになる。
 この時に、NHK労組は、上田哲が委員長として独裁体制を敷き、経営側の前田独裁体制と対抗した。上田哲は、1968年に社会党から参議院選挙に出馬して、NHK労組委員長のまま国会議員となった。この当時、上田も前田も、それぞれの名前の下に“天皇”がついて呼ばれるほど、強固な独裁体制を築いたが、その事は、NHKを健全な言論機関として発展させるうえでは、極めて大きなマイナス要素となった。

図2-1 NHKの経常事業収入の推移(1963~1973)

 ③前田会長の3期9年にわたる時代は、NHKが経営規模を飛躍的に拡大し、イギリスのBBCと肩を並べる世界でも代表的な公共放送機関に成長した時代でもある。その意味で、前田会長は今日のNHKの基礎を築いた最大の功労者といってもよいだろう。ただし、権力と対決するのではなく、妥協しながら権益を拡大してゆく、という方策も彼の遺産であるから、前田会長の功罪は相半ばする、というのが正しい言い方であろう。
  注: 右の図2-1に示すように、前田会長の在任中に、NHKの経常事業収入は、1964年度の666億円から1973年度の1187億円まで、ほぼ1.8倍に膨らんだ。これは、1964年4月から始まったカラー放送のおかげでもある。
 前田が、副会長時代から会長の時期に手掛けたのが放送法の全面改正問題である。NHKは、この時、かっての電波管理委員会と同じような性格の独立行政委員会制度を提起した。しかし、政府との折衝の中で、他の分野でのNHKの要求と引き換えに委員会制度導入の主張を取り下げた。
 ⑤前田会長の政治的妥協として、佐藤首相がらみの以下の二つの事例をあげる事ができる。
  ⅰ)沖縄返還協定テレビ調印式 1971年6月17日、沖縄返還協定の調印式が行われたが、NHKはその模様を2時間にわたり、全国に中継した。民間テレビは、中継時間も短いし、中継中にキャスターやゲストとの対談等を入れたが、NHKは政府の狙い通り、同時進行でべったりと放送した。この中継形式は、保利茂官房長官の強い要望があり、前田会長がそれに従う事で実現したものである。
  ⅱ)佐藤首相の退任会見 ちょうど1年後の1972年6月17日、佐藤首相は総理引退会見を行った。その際、新聞記者の質問に腹を立てた佐藤首相は、テレビだけを除いて他のマスコミを会見場から追い出した。その際に、佐藤首相は「テレビはどこだ。NHKはどこにいる」と叫んだ。そして、NHKテレビのカメラに向かって、退任の挨拶を述べた。これは、竹下登官房長官と前田会長との間で事前に打合せ済みで、NHKが政府に協力した結果である。
  注: 前田会長がそこまでして、佐藤首相に協力したのは、彼が会長に就任する際に、佐藤栄作が強力にバックアップしたからである、と言われている。
 前田会長は、それでも、佐藤首相が1968年に選挙対策としてラジオの受信料を一方的に廃止とした時には、それに反論する、とい気骨を見せた事がある。そのおかげもあってか、NHKの現場は、まだまだ、政権に対して反抗的であった。NHK労組も労使協調路線ではあったが、内部からのチェック機能を果たしてはいた。
 前田は、野党対策は労組の上田委員長を介して行うなど、時の政治とうまく妥協してきたが、結局は、政治に負けてしまう。当時、誰もが疑わなかった4選が、田中首相の介入で阻止されたからである。田中首相は、自分の腹心の小野吉郎を会長に据えたのである。前田は退任にあたり、記者クラブの有志に対して、かっての電波監理委員会のような独立行政組織の必要性を強調したそうだが、まさに「後悔先にたたず」であった。
 ⑧前田の置き土産の一つに、衛星放送がある。1966年、前田は、衆議院逓信委員会で、山村・離島などの難視聴対策として放送衛星を利用したい、と語り、これがNHKの衛星放送のきっかけをつくった。

(5)小野吉郎と田中角栄

 前田天皇の4選を阻止して会長に就任したのが、田中首相の強力なバックアップをうけた小野吉郎である。田中は、前田が、日放労(NHK労組)と“蜜月関係”にあったのを嫌い、腹心の小野を推挙したと言われている。小野は、1957年に田中が39歳の若さで郵政大臣として初入閣した際に郵政事務次官として抜擢され、それ以来、田中に忠誠を尽くしてきた。
  注: 田中角栄は、郵政大臣在任中に、テレビ局と新聞社の統合系列化を推し進め、その強力な指導力により、現在の新聞社 -> キー局 -> ネット局体制の原型を完成させた。そして、その過程で官僚のみならずマスコミも掌握した。特にテレビ局の放送免許(とりわけ地方局の免許)を影響下に置いたことはその後の田中の飛躍の原動力になった。
 NHKは戦前の反省もあり、官僚の天下りは拒否してきた。それを破ったのは野村会長であり、その時(1959年)に小野は専務理事としてNHKに天下った。それ以来、陰に陽に、田中の意をくんで、時には前田とも対立しながら、NHKの経営に携わってきた。
 小野は、1976年8月24日に、ロッキード事件で逮捕・保釈中の田中元首相を私邸に見舞った。この事件をきっかけに、日放労が中心となって「小野会長辞任要求・NHK会長天下り反対」運動が展開された。この運動は、大きな広がりをみせたが、その背景には、ロッキード事件の報道を巡る政府自民党のNHKへの圧力に対する反発があった。
  注: 政府の放送への介入については、次項で分析します。
 この運動は、小野会長の辞任、NHK生え抜きの坂本の会長就任(坂本は芸能畑出身)という極めて大きな成果を生んだ。NHK会長が任期途中で辞任するのは初めてであり、また、NHK生え抜きの会長が誕生したのも初めてであった。


(6)シマゲジ(島圭次)の時代

 田中が小野をかついで前田天皇の4選阻止を果たした際に、NHK内部で重要な役割を演じたのが、政経番組部長であった島圭次である。彼は、小野から坂本への会長交代劇においても、重要な役回りを演ずる。島圭次は、その独特のキャラクターから「シマゲジ」と呼ばれていた。

図2-2 NHKの経常事業収入の推移(1981~1993)

 島の権力を一気に強めたのは1981年2月4日に起きた、「ロッキード・三木発言カット事件」である。「NC9」という番組の中で放送した「ロッキード事件五年―田中角栄の光と影」の一部(三木前首相の発言部分)がカットされたのだ。これは、自民党の二階堂副総裁の強い要請を受けた坂本会長が島報道局長にカットを命令した。島は、会長以下の経営陣が、今後は上田哲と手を切る事を条件に汚れ役を引き受け、現場の反対を押し切ってカットした。こうして、上田の影響力を削いだ島は、このカット事件に抗議してきた幹部社員をすべて、「上田派」というレッテルを貼って左遷した。この左遷人事は、カット事件の5ヶ月後に行われ、NHK内部では、「月曜日の虐殺」と呼ばれた。
  注: 島が実権を握って以降のNHKの事業収支の推移を右の図2-2に示す。
 「月曜日の虐殺」の実態は、上田派か反上田派かにかかわらず、島圭次に反対するものをすべて抹殺した、という事であり、これ以降、NHKの内部は島圭次によって完全に支配される事となる。島は、坂本の後継会長の選出でも暗躍し、本命視されていた二人の副会長を差し置いて、子会社に転出させられていた川原を会長に担ぎ出す。しかし、彼のこうした振る舞いは多くの敵も作り出し、なかなか会長にはなれなかった。
 “裏の実力者”島が、晴れて会長に選ばれたのは、1989年4月であり、それも、前任の池田会長が奇矯な振る舞いの責任をとって辞職した後のピンチヒッターとしてである。この時、自民党内の反対を抑え込むために竹下派が押す海老沢勝二を新理事に加えた。海老沢も島をバックアップし、ここに、「NHKを駄目にした二人の巨悪」島と海老沢の接点が生まれた。また、小野吉郎以来二人目となる郵政事務次官出身の副会長(小山森也)を置くことにより、官僚組織の取り込みも図った。

図2-3 NHKの衛星放送契約数の推移(1989~2008)

 島会長の活躍は目覚ましかった。着任4ヶ月で衛星(BS)放送の料金を設定して、衛星放送を実用化し、1990年以降、経常事業収入を一気に増大させた。(右上の図2-2参照)。衛星(BS)放送が始まるまでは、NHKはほぼ4年ごとに受信料を値上げする事により、赤字から脱却する、という赤字体質に悩まされていた。(4年ごとの値上げも、NHK経営陣(とくに、島圭次)の郵政省と国会議員への根回しによって実現させてきたのである)。
 BS放送を拡大する(衛星契約数を増やす)ため、NHKは大々的に宣伝した。その効果は絶大で、衛星契約数はうなぎ上りに増え続けた(右の図2-3参照)。右の図2-3をみればわかるように、衛星放送の契約数は年々100万人前後増え続け、現在に至るまで、NHKの収益の大きな柱となっている。(2008年3月末現在で、1,380万人以上が衛星契約をしている)。
 BS放送を拡大する過程で、BS放送を開始する大義名分となっていた「山村・離島などの難視聴対策」はどこかに吹っ飛んでしまい、BS放送は、NHKの多チャンネル化と多角的事業展開の道具になってしまった。
 島は、BS放送の拡大のみならず、子会社をはじめとする関連団体作りにも手を広げ、一大グループを作り上げた。それは、1988年と1989年の放送法改正でNHKの業務範囲が拡大され、受信料以外の事業収入を可能になったからである。それもこれも、島の「政治力」が可能にしたことであった。
 シマゲジの残した有名なセリフに「“十手捕り縄”が“バクチ打ち”を兼業しているようなものだ」というのがある。彼は、記者時代、自民党の最高権力者(池田勇人、田中角栄、大平正芳、鈴木善幸など)と深いつながりを持ち、いつの間にか、自民党の「御用記者」のようになっていった。その結果、権力の誤りを追及すべき立場を忘れ、権力と癒着して自己の権勢を伸ばす方向に移ってしまった。彼自身、その事をに気がついたからこそ、有名なセリフを吐いたのであろうが、テレビや新聞の記者の中には彼と同じような立場に陥った記者が少なからずいる。島を追い落とし、その6年後に会長についた海老沢勝二やナベツネ(読売新聞の渡辺恒治元社長)などもその好例であろう。
 独裁者シマゲジは、国会での虚偽答弁の責任をとって、任期半ばで退任させられた。彼が国会で答弁した内容が虚偽である事を証明するにはNHK内部の通報者が必要であり、そこに登場するのが海老沢勝二である。海老沢は島の忠実な子分であったが、時の郵政族のドン「野中広務」に取り入り、島を上回る政治力を持つようになっていた。海老沢の勢力の拡大を恐れた島は、彼を子会社(NHKエンタープライズ)の社長に飛ばしてしまった。そこから、二人の悪人の仲間割れがおこり、島の退任へとつながったわけである。

(7)エビジョンイル(海老沢勝二)の時代

図2-4 NHKの経常事業収入の推移(1994~2008)

 島の後任は、演芸畑出身で紅白歌合戦を国民的番組に育て上げた川口幹夫である。彼は、政治的に無色であったところから会長職につく事が出来た、と言えるであろう。川口が2期6年を務めた後で会長に就任したのが、NHKの腐敗の象徴とも言うべき海老沢勝二であるが、川口時代も、実質的には海老沢体制であった。海老沢は、在任中に“エビジョンイル”と称されるほどの独裁体制を作り上げた。(北朝鮮の独裁者“キムジョンイル(金正日)”と同じくらいの独裁者、という意味で週刊誌などがつけたニックネームである)。
 海老沢の経歴も島の経歴とほぼ同じである。彼は、会長としての独裁権力を強固なものにするために、政治権力と結託して一枚岩の体制を作り上げる事に成功した。彼は、政界との窓口を担う政治部OBらを重用し、政治家の意向をくんで制作・編集の現場に押しつけるようになってきた。
 海老沢の経営方針も島と同じ拡大路線であり、自民党や郵政省の意向に忠実に従ったが、そこには、ジャーナリストとしての自覚は皆無であった。しかし、そのおかげで海老沢体制は安定し、個々の番組にまで海老沢が口出しをして、“エビジョンイル”として君臨出来るまでになった。その結果、政治番組などは自民党べったりの報道となり、NHKは政府のスポークスマンみたいな役割を果たすようになった。
 海老沢が実質的にNHKを牛耳っていた2004年までの間、NHKの経常事業収入は、右の図2-4に示すように、毎年百億円前後増え続けた。経常事業収支も黒字が続き、受信料も据え置かれたままで推移した。これは、衛星放送の契約料の増大が続いたおかげである
 こうして、盤石に見えた海老沢体制も、思わぬスキャンダルから崩壊してしまう事になる。2004年7月29日号の『週刊文春』が、NHK紅白歌合戦の担当プロデューサーが番組制作費の着服事件を報じ、それをきっかけとして、さまざまな問題や不祥事が明るみに出た。NHKは、こうした不祥事は組織的な問題ではなく、個人的な問題として逃げきろうとしたが、視聴者の反発は極めて大きく、受信料の不払い運動が拡大し、ついに海老沢は退陣に追い込まれた。
 注1: NHKの不祥事については、たとえば、右をクリック: NHKの不祥事
 注2: 受信料の不払いがNHKの業績に与えた影響については、たとえば、右をクリック: 124.NHK(1):NHKの現状

(8)エビジョンイルの去った後

 海老沢の後は、政治的に無色ということで技術畑の橋本が会長となった。橋本は、前任者の海老沢を顧問として処遇したが、世論の強い反発にあい、すぐに退任させざるをえなくなった。このように、橋本は、NHKの改革に燃えているわけでもなければ、ジャーナリストとしての気概を持っているわけでもなく、巡り合わせで会長になっただけであった。
 そんな橋本であったから、さすがに再任はされなかった。橋本の後任は、外部から起用するという点では一致していた経営委員会ではあったが、誰を起用するかで意見が割れた。多数派は、朝日ビールの元社長の福地茂夫を推したが、、菅原・保両委員は、福地が時の経営委員長であった古森重隆(富士フイルムホールディングス代表取締役兼CEO)と親しいことを問題視し、独自に記者会見まで開き、次期会長就任に反対するとともに、元時事通信社解説委員長で元日本銀行副総裁の藤原作弥を推薦した。
 福地体制になっても、NHKが改革されつつある、という実感はないし、「第4の権力」として政権側と対峙してゆく、という気概も感じられない。しかし、視聴者の信頼を取り戻せるような改革を進めないと、受信料不払い運動が収まらないであろう。2007年に一旦は増えた経常事業収入が、2008年になってまた減少した、という事実が、NHKへの不信がまだ解消していない、という事を如実に示している。

3.NHKへの政治介入とNHKの自主規制

表2 NHKへの政治介入とNHKの自主規制の歴史
 概  要
1952 4 放送終了時に「君が代」の放送を開始
6 吉田首相の圧力で「日曜娯楽版」打ち切り、「ユーモア劇場」に
1954 6 吉田首相の圧力で「ユーモア劇場」中止
1960 6 60年安保で、政府批判の座談会音声をカット
1961 11 テレビで「総理と語る」を開始
1966 3 「日本の未来像」で「非武装中立」支持42%の世論調査カット
1968 4 佐藤首相、NHKのラジオ受信料を一方的に廃止と発表
1971 6 前田会長、保利官房長官と談合して沖縄返還協定のテレビ調印式
1972 6 前田会長、佐藤首相の退陣記者会見で、竹下官房長官に中継を約束
1973 7 田中首相、前田会長の4選を阻止、腹心の小野を会長に
1980 3 自民党総務会、「NHKに関する調査委員会」設置を決定
1981 2 「NC9」の「ロッキード事件五年」で、三木発言カット
3 自民党の桜内幹事長、NHK幹部に「原発報道の「偏向」攻撃
1982 3 世論調査で、ロッキード関連調査項目をカット
1983 3 「核戦争後の地球」に自民と民社が偏向攻撃
1985 5 間接税反対48%という調査結果を握りつぶす
12 自民党、「終戦特番」などを「偏向」攻撃
1989 12 NHKスペシャル、消費税の世論調査をカット
1991 4 「NC9」のキャスターであった磯村氏が自民党に担がれて都知事選に出馬
2000 6 NHK政治部記者が森首相に「メディア対策指南書」提供疑惑
2001 1 ETV2001「問われる戦時性暴力」に安倍官房副長官の介入疑惑
2005 3 橋本会長、国会で「政治家への事前説明は問題なし」と答弁

 NHKにはここまで述べてきたように、事あるごとに政権与党の圧力をうけ、それに屈して放送の内容を改変したり、自主規制をしたりしてきた。その主なものを右の表2にまとめて示す。この表は、参考文献7(「NHK 問われる公共放送」)から抜粋したものである

3.1.エビジョンイル(海老沢勝二)の時代まで

 NHKの自民党寄りの姿勢が明確になってゆくのは、前田“天皇”の時代からであるが、その頃は、一方に上田“天皇”がいたので、それなりの歯止めはあった。
 しかし、月曜日の虐殺」で上田派は一掃され、さらに、シマゲジの反対派も「上田派」というレッテルを貼られて失脚するに及び、NHKはシマゲジの独裁体制となり、政府自民党との妥協が露骨になってきた。
 さらに、そのシマゲジが、エビジョンイルに追い落とさてからは、NHKは完全にエビジョンイルの私物と化してしまった。エビジョンイルに逆らうものは徹底的に干され、政府自民党の言いなりになる事に異論を唱える事さえ難しいような雰囲気が醸成されてしまった。
 そのようなエビジョンイル体制下で起きた二つの政府介入事件を次項で取り上げる。

3.2.2000年代初頭に起きた二つの事件

 エビジョンイル全盛時代に、彼と政治権力との癒着を象徴する事件が二つ起きた。

(1)森首相への「指南書」提供疑惑

 2000年5月15日、当時の森首相が神道政治連盟国会議員懇談会で「日本は天皇を中心とする神の国」であると発言し(いわゆる「神の国発言」)、大論争を巻き起こした。多くのマスコミは、時代錯誤であるとして、森首相を非難したが、産経新聞と読売新聞は、神の国発言を擁護した。
 総選挙が6月25日に迫っていただけに、野党は絶好のチャンスとして党首討論で取り上げる構えをみせた。自民党側は、森首相が釈明の記者会見を開くことで党首討論は行わない、という事でこの問題の鎮静化を図った。
 官邸側と記者クラブとの協議の結果、5月26日の午後から記者会見が行われる事となった。時間は30分、質疑応答は、質問のある限り対応する、というのが両者の合意で会った。
 記者会見は終わったが、その会見の前日に、森首相へ「明日の記者会見についての私見」というタイトルのついたワープロの文書(後に、「釈明記者会見の指南書」と呼ばれるようになった文書)が手渡されていた、という事実が発覚した。その中で、記者の質問をはぐらかしながら、記者をうまく納得させるにはどうしたら良いか、という事が事細かに書かれていた。
 6月2日、西日本新聞がこの事実を報道して「指南書」の存在が明るみに出た。その後、新聞・ラジオ・テレビのみならず、写真週刊誌までも巻き込んだスクープ合戦が始まり、犯人探しと責任追及が行われ、犯人は、NHK政治部の大木潤サブキャップであるとほぼ断定された。ところが、ここで、責任を取るべき二つの組織が驚くべき無責任な対応をとったのだ。
 まず、当のNHKが、犯人が自社の記者である事を真っ向から否定し、調査する事すら拒否したのだ。そして、NHK以外のマスコミがこの問題を大々的に報道しているのに、その事実をほとんどニュースとして報道しなかったし、社内に厳しい箝口令をしいてNHK職員の自由な発言を封じた。
 次に、この記者会見を主催した内閣記者クラブが、この問題を取り上げようとせず、不問に付したのである。それどころか、最初にスクープ記事を書いた西日本新聞に対して、当時の幹事社の共同通信が、「なぜ、内輪の話を書いたのだ」、と非難攻撃したのだ。記者クラブは、その閉鎖性と権力との癒着ぶりが、様々に批判されているが、この事件は、その批判が正しい、という事を証明してしまった

(2)安倍官房副長官の介入疑惑と朝日・NHK論争

 NHK教育テレビ唯一の定時のドキュメンタリー番組で、玄人好みの内容で定評のある「ETV特集」。その番組で、女性国際戦犯法廷をテーマにあつかった2001年1月30日放送の「 ETV2001-問われる戦時性暴力」における番組改変疑惑(NHK番組改変問題)が起こった。
 この番組では当初は、従軍慰安婦問題を糾弾する予定であった。ところが、その事を事前のニュース等で知った右翼がNHKに押し掛けて猛烈に抗議したりした結果なのか、放送された番組は、何を主張したいのかほとんど意味不明の内容になってしまった。女性国際戦犯法廷では、慰安婦問題を正面から取り上げ、天皇の戦争責任を糾弾し、人道に対する罪で有罪、と断じたのに、そうした事は一切触れられていなかった。
 この内容の改変にたいして、NHKの取材に協力した「VAWW-NETジャパン」(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)は、NHKに抗議し、なぜ、内容が改変されたのか説明を求めた。NHKの説明は要領を得ず、VAWW-NET側は、NHK、エンタープライズ、ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)の3社を相手取って損害賠償請求の訴訟を起こした。また、番組の出演者、米山リサ氏は、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)に救済の申し立てを行った。
 BRCは、2003年3月、米山氏の申し立てを認め、該当番組は放送倫理に違反するという「見解」を表明した。NHKは、この事を夜のニュースで簡単に触れたが、「見解」に対応する措置は一向にとろうとしていない。「見解」は「勧告」とは違い何の強制力も持ちあわせていないので、NHKに対しては「蛙の面に小便」くらいの効果しかなかった、ということであろう。エビジョンイルの面目躍如というところである。。
 一方、損害賠償責任を巡る裁判は、最高裁まで争ったが、結局、NHKは責任を問われず、孫請けのDJだけが、責任を問われる、という判決で終わった。しかし。その裁判の過程で、第二審の東京高裁判決(2007年1月29日)は、この番組の編集過程を、「NHK幹部が国会議員の発言を重く受け止め、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にするために改編した」、と認定し、このような行為は「憲法で尊重され保障された編集の権限を濫用し、又は逸脱したものと言わざるを得ない」と批判した。
 裁判がまだ続いていた2005年1月12日、朝日新聞が、“「 ETV2001-問われる戦時性暴力」における番組改変は、当時の安倍官房副長官と中川昭一が圧力をかけ、NHKがその圧力に屈した結果である”と報じた。これに対して、NHKは真っ向から反論し、この問題を巡ってNHKと朝日新聞が大喧嘩をはじめた。NHKの言い分によると、番組の改編は政治家の圧力とは無関係で、独自の「編集権」に基づく正当な行為である、ということであった。朝日新聞とNHKの大喧嘩は、原因不明の朝日新聞の腰砕けで終わってしまい、それがまた、マスコミのありようを巡る論争を生み出した
 安倍官房副長官と中川昭一代議士が、問題の番組の放送前日に、NHKの幹部(松尾武放送総局長、野島直樹国会対策担当局長等)を呼んで、内容が偏っている、と指摘したのは事実であり、その後、内容が大幅に改変されているのである。これを、政治家の圧力に屈した、と言わないのであれば、なんと表現すればよいのであろうか? ちなみに、前に述べた損害賠償裁判の東京高裁判決では、「NHKの幹部が政治家の意図を過剰に忖度して番組を改変した行為は、原告側の期待と信頼を侵害した不法行為にあたる」と指摘している。つまり、政治家の圧力を感じた結果、NHKが番組の内容を改変した、という事を裁判所も認めているわけである
 損害賠償責任を巡る裁判が最高裁で決着した後、以下のような動きがあり、事態は、政治家の介入を避けようという動きになりつつあるようである。
  ⅰ)2008年10月9日、NHKの対応を問題視した5個の団体と数十名の有識者が連名で“放送倫理・番組向上機構(BPO)”に対して、ETV2001番組改変問題の検証を求める申し入れを行った。(詳細は、右をクリック: BPOへの申し入れ
  ⅱ)2009年4月28日、BPOの「放送倫理検証委員会」が、この番組に「放送倫理上の問題があった」と認定し、また、番組制作部門の幹部が、放送直前に番組内容を政治家に説明したことに関しても「公共放送にとってもっとも重要な自主・自律を危うくし、NHKに期待と信頼を寄せる視聴者に重大な疑念を抱かせる行為」とした。
  ⅲ)5月12日になって、NHKの福地茂雄会長が、「今後は番組制作に携わる職員が政治家に個別番組の説明を一切行わない」という方針を明らかにした。しかし、NHKは「検証番組」を制作するつもりはない、という事らしい。このような「疑惑」の再発を防ぐためには「検証番組」を作ってなぜそうなったのかを、テレビで追跡調査しなければならないはずである。

3.3.NHKドーナツ論

 NHKへの政治介入を許す現行の法制度、政治権力を利用して自己の権勢を拡大しようとする経営幹部、こういった組み合わせにより、NHKは次第に政治家に弱い体質となり、政治的な問題については、圧力が無くても、意向を忖度して自主規制するようになってしまった。しかし、政治色の薄いテーマについては、豊富な財力にものを言わせていくつかの素晴らしい番組を作成している。このような状況を示す表現として、「NHKドーナツ論」が生まれてきた。
 ドキュメンタリー番組でも、ドラマでも、政治性の薄いテーマについては秀作と言われるものが多く、様々な賞をとっている。しかし、ジャーナリズムの命とも言うべき「政治権力との対決姿勢」を失ってしまっては、NHKはもはや「報道機関」であるとは言えないであろう。
 NHKがドーナツのままであるとしたら、受信料で経営されるべきではないであろう。民放と同じように広告収入に依拠して、受信料は無料とすべきであろう。しかし、「政治権力と対決し、大衆の立場で社会の出来事をありのままに伝えてくれる報道機関」であれば、公共放送として、強制力をもった受信料で経営されても良いと思う。

5.最後に

 今回はNHKの経営体制を政治との関連で分析した。そして、その分析を通じて、シマゲジとかエビジョンイルとか、政府与党と取引をすることにより、自己の立身出世を図りながら、NHKを巨大化する事にのみ、専念するような人物が、NHKを駄目にしてきた、という事情を眺める事が出来た。

 NHKにとって悲劇だった事は、インターネットが急成長し、放送と通信の融合が言われるような時代になったにも関わらず、トップが、旧態依然として放送とか通信とかのビジョンとはまったく関係のない政治力のみで、のし上がってきた、という事であろう。

 BBCをお手本に、新しいNHKに生まれ変わる事を切望してやまない。

 次回は、NHKも含め、テレビの視聴者がどのように変化しているのかを分析してみたい。


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参考文献: 1.「マスゴミ崩壊」、三橋 貴明、扶桑社
        2.「図説 日本のマスメディア」(第二版)、藤竹 暁、NHK Books
        3.「最新 放送メディア入門」、稲田 植輝、社会評論社
        4.NHK業務報告書
        5.
「放送業界の動向とカラクリがよくわかる本」、中野 明、秀和システム
        6.「視聴者が動いた 巨大NHKがなくなる」、田原 茂行、草思社 
        7.「NHK 問われる公共放送」、松田 浩、岩波新書
         8.「電波利権」、池田信夫」、新潮新書
        9.「日本の組織ジャーナリズム-NHKと朝日新聞」、川崎 泰資、柴田 鉄治、岩波書店
        10.「組織ジャーナリズムの敗北-続・NHKと朝日新聞」、川崎 泰資、柴田 鉄治、岩波書店



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