117.衰退する経済大国日本  (2009年6月27日記載)

 麻生首相の「迷走」が止まらない。北朝鮮情勢やイラク、アフガニスタンといった「防衛問題」、地球温暖化にどう対処するのかといった「環境問題」、さらには、100年に一度の大不況という割には決定打を欠く「経済問題」、そしてそして、以前から指摘されている少子高齢化に伴う医療・介護・年金といった「社会保障問題」等々。日本はまさに、明治維新前夜を思わせる「大波」に襲われている。それなのに、政府は完全に機能マヒしており、このままでは、日本は「脳死状態」になりかねない。
 そこで、今回は、まず最初に、日本が世界でどのような位置を占めているのか、その、過去からの変遷と未来への展望を試みた。そして、次に、日本の状況を見てみよう。

Ⅰ.世界の中の日本

 日本が世界の中でどのような位置にあるのかを、人口とGDP、一人当たりGDPといった側面から分析する。 
 今回のコラムで用いたデータは、社会実情データ図録で紹介されている国際比較データと、そこで紹介されているアンガス・マディソン氏のデータに基づいている。

 注: アンガス・マディソン氏とは、世界各国の経済水準・所得水準(1人当たり実質GDP)を超長期的に推計していることで著名な経済学者である。

1.人口について

 まず最初に、人口の推移について検討しよう。

1-1.日本と世界の人口推移

 アンガス・マディソン氏のデータから、西暦1000年から2030年までの人口推移データを下の図1-1に示す。なお、図1-1に示された2050年のデータは、国立社会保障・人口問題研究所の予測データである。

図1-1 世界と日本の人口推移


(1)日本の人口の推移(図1-1の青の実線

 上の図1-1を見ればわかるとおり、日本の人口は、西暦1000年の750万人から2000年まで増加し続けた。そして、図には示していないが、2005年の1億2770万人でピークとなった。

 その後、日本の人口は減少に転じ、2030年には、1億1350万人となり、さらに、2050年には1億人を割り込んで、9510万人になる、と予測されている。

(2)世界の人口の推移(図1-1の赤の実線

 一方、世界の人口は、西暦1000年の2億6700万人から、ひたすら増加している。
 そして、2000年には60億人台を突破して、60億8500万人、2030年には83億9300万人、2050年には91億5000万人まで増加すると予測されている。

(3)日本対世界の人口比率の推移(図1-1の黒の実線

 日本の人口が、世界の人口に占める比率は、西暦1000年の2.81%から、1700年には4.47%まで上昇する。
 その後、比率は1870年の2.70%まで低下するが、それから、いったんは1950年の3.31%へと上昇する。
 しかし、その時をピークとして、比率は低下し続ける。2000年には、2.08%となったが、2030年にはさらに低下して1.35%となり、2050年には1.04%まで下がると予測されている。
 ④このように、日本の人口規模は今後は減少の一途となり、世界の人口に占める比率もどんどん低下していく

1-2.主要諸国の人口比率の推移

 他の主要諸国の人口が、世界の人口に占める比率の推移を下の図1-2に示す。主要諸国としては、人口大国としての中国とインド、および、西欧先進諸国から、アメリカ、フランス、イギリス、イタリアの4カ国をピックアップした。
表での表示は、2030年での比率の順位となっている。

図1-2 主要国の人口比率の推移


 中国とインド
  ⅰ)この両国は、世界で1・2位を占める人口大国であり、この両国だけで、年度によってバラツキはあるが、世界の人口の4割前後から5割前後を占めている。
  ⅱ)1820年以降、世界一の人口大国は中国であった。しかし、世界の人口に占める割合は徐々に低下し、2030年にはインドに抜かれて世界第2位になると予測されている。
  ⅲ)1一方、インドは1820年以来世界第2位であり続けたが、1950年以降は徐々に比率を上げ、2030年には、中国を抜いて世界トップの人口大国となる、というのが アンガス・マディソン氏の予測である。

 アメリカ
  ⅰ)1492年、コロンブスがアメリカ大陸に到達してからも、アメリカの人口は増えなかったし、さらに、1620年にメイフラワー号でイギリスから移民が流入するようになってからも、アメリカの人口はなかなか増えなかった。
  ⅱ)メイフラワー号から200年後の1820年のデータで、アメリカの人口は世界の0.96%となったが、その後は急速に人口が増えていった。
  ⅲ)そして、1950年には、アメリカの人口が世界の人口に占める比率は6%を超えて、6.02%まで上昇した。
  ⅳ)その後は、比率は減少に向かったが、他の先進諸国と比べると、5%前後という高い水準を維持している。これは、アメリカが「人種のるつぼ」とも呼ばれるように、世界各国からの移民の受け入れに寛容だからである。
  ⅴ)しかし、「9.11同時多発テロ」以来、アメリカは移民の受入れに消極的になっており、2030年でも、比率が4.45%に留まる、という予測が当てはまるか否か、疑問ではある。
 フランス、イギリス、イタリア 西欧先進諸国としてこの3カ国をピックアップし、人口比率の推移を眺めてみよう。
  ⅰ)西暦1000年から1820年までは、フランス、イタリア、イギリス、アメリカの順位であったが、1870年のデータで順位が変わってきた。(フランスとイタリアは、人口比率は、ほぼ横ばいであったが、イギリスとアメリカが人口比率を上げてきたのである)。
  ⅱ)1900年以降、前述のごとく、アメリカの人口比率は上昇したが、残りの3カ国(フランス、イギリス、イタリア)は、ほぼ同じ人口比率となって、次第にその値を低下していった。
  ⅲ)そして、2000年には3カ国の人口比率がすべて1.0%を下回るようになり、2030年には0.8%以下になると予測されている。
 ここでの分析でもわかるように、先進諸国は、アメリカを除いて、日本と同じように、人口比率は将来にわたって低下していく、というのが現時点での予測である。

2.GDP

 次に、GDPについて分析する。

 注: GDPの指標には、現地通貨ベースのGDPをその時の為替レートで米国ドルに換算したものと、購買力平価(PPP)、すなわち一定の種類と量の財・サービスを購買するために各国の通貨がどのくらい必要かのレートで換算したものとがある。ここでは、購買力平価(PPP)を用いた。

2-1.日本と世界のGDPの推移

 アンガス・マディソン氏のデータから、西暦1000年から2030年までの人口推移データを下の図2-1に示す。

図2-1 世界と日本のGDPの推移

(1)日本のGDPの推移(図2-1の青の実線

 ①西暦1000年の32億ドルから、1870年の254億ドルまで緩やかに上昇したが、その後、上昇テンポは速まり、1940年には2,097億ドルとなった。これは、明治維新とその後の「富国強兵」政策が奏功した結果であろう。
 しかし、軍国主義の結果、引き起こされた太平洋戦争により、日本経済は荒廃し、戦後5年たった1950年でも、1,610億ドルで、1940年のレベルの8割弱(76.8%)に過ぎない。
 その後、朝鮮戦争特需、所得倍増計画、等により、日本経済は順調に回復し、高度経済成長時代に突入した。その結果、1960年には3,751億ドル(1950年の2.33倍)、1970年には1兆136億ドル(1960年の2.70倍)、となって、経済規模は、ここでの10年間毎に、2.33倍、2.70倍と続けて2倍以上で拡大し、20年間でみると6.3倍の経済規模となった。
 それ以降は、1980年には1兆,5,685億ドル(1970年の1.55倍)、1990年には2兆3,212億ドル(1980年の1.48倍)、というように、成長率は低下したが、それでも、まだ、10年間毎の成長率は5割前後を維持している。
 1990年初頭にバブル経済が崩壊してから、日本経済は長い低迷期に入ったが、それでも、購買力平価でみたときのGDPは緩やかに上昇している。(2000年には2兆6,281億ドル(1990年の1.13倍)、2006年には2兆8,643億ドル(2000年の1.09倍)。
 2030年に予測されているGDPは、3兆9,750億ドルで、2000年の1.51倍増である。この30年間の倍率を、1970年から2000年までの30年間の倍率(2.59倍)と比べると半分以下に下がってしまってはいるが、それでも、2000年から2030年にかけて5割以上成長する、と予測されている。この予測は、去年秋のリーマン・ショックに始まる未曽有の経済危機の前に行われたものであり、はたして、それだけ成長できるのか、疑問ではある。

(2)世界のGDPの推移(図2-1の赤の実線

 西暦1000年の1200億ドルから緩やかではあるが、成長を続け、1870年には、1兆円を突破して1兆1100億ドルとなった。その後も、成長は持続し、第一次、第二次、という二つの大戦をはさんでも、経済規模は拡大の一途をたどっている。

表1 世界のGDPの増加倍率
1950~
1960

1960~
1970

1970~
1980

1980~
1990

1990~
2000

2000~
2030

1970~
2000

倍率 1.58 1.63 1.46 1.35 1.35 2.44 2.66

 とくに、第二次大戦以降、10年ごとの増加倍率は、右の表1のごとく極めて順調である。
  ⅰ)1950年から1960年にかけては1.58倍、1960年から1970年にかけては1.63倍の増加であり、成長率でいえば、60%前後の順調な成長である。
  ⅱ)1970年から1980年にかけては1.46倍、1980年から1990年にかけては1.35倍とやや増加率は鈍ったが、それでも、1990年から2000年にかけても1.35倍であり、まだまだ順調な伸びを示していると言える。
  ⅲ)2000年から2030年までの30年間の増加倍率は2.44倍と予測されている。これは、1970年から2000年までの30年間の増加倍率(2.66倍)よりは低いが、それでも、かなりの増加倍率である。この予測も、日本経済に対する予測と同じく、去年秋のリーマン・ショックに始まる未曽有の経済危機の前に行われたものであり、はたして、この予測通りに成長できるのか、疑問ではある。

(3)日本対世界のGDP比率の推移(図2-1の黒の実線

 日本のGDPが世界のGDPに対して、どれほどの比重を占めているのかを、図1-1の黒の実線が示している。

 図2-1を見ると、西暦1000年から1940年まで、日本のGDPが世界のGDPの4%以上を占めるようになった時が2回ある事がわかる。
  ⅰ)最初は1700年、将軍徳川綱吉が君臨していた「元禄時代」であり、日本はこの頃は「繁栄」していたのである。
  ⅱ)2回目は1940年、日本は太平洋戦争前夜の騒然たる時代であった。斉藤隆夫の粛軍演説が問題となり、大政翼賛会が創立された年でもある。日本政府は、その後、折角蓄えた経済力を誤った方向(戦争)に使って、経済を疲弊させ、国民を窮乏のどん底に突き落とした。
 1950年以降、1990年まで、日本経済は世界経済の発展を上回るテンポで順調に成長した。その結果、世界のGDPに占める比率も、1990年には8.55%となり、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国の地位を不動のものとしたように思えた。
 しかし、1990年代初頭にバブル経済が崩壊して以来、日本経済は長い低迷期に入り、世界経済に占める比率も徐々に低下し、2006年には、6.06%まで低下した。
 アンガス・マディソン氏によれば、2030年には4.44%まで低下すると予測されているが、このレベルでも、それなりの経済的地位は確保できるものと思われるが、そのようになるかどうか、今後の政府のかじ取りが重要なポイントとなるであろう。

2-2.「主要国のGDP」対「世界のGDP」の比率の推移

 第一項で取り上げた主要諸国のGDPが世界のGDPに占める比率の推移を下の図2-2に示す。
 1940年の中国のデータはない。戦乱のさなかであり、データが得られなかったのであろうか。
 また、2030年のデータは、アメリカ、日本、中国、インドの4カ国のみが予測されている。イギリス、フランス、イタリアの3カ国については予測データはない。

 
なお、表での表示は、2006年での比率の順位となっている。

図2-2 主要国のGDP比率の推移

 中国とインド 
  ⅰ)図2-2を見ると、この両国は、11世紀から17世紀までは、世界を代表する経済大国であった事がわかる。しかし、1820年のデータをみると、中国の比率がインドの2倍となって、ダントツの経済大国になったが、逆に、インドは経済大国から没落し始めた事がわかる。これは、中国は清帝国がまだ国内を掌握していたが、インドのムガール帝国は滅亡一歩手前まで衰退していた状況が反映されたものであろう。
  ⅱ)1870年以降、この両国の経済的地位は急速に低下し始めた。これは、インドはイギリスの植民地とされ、中国は日本や西欧列強に食い荒らされるようになったためである。  ⅲ)中国が、経済的立場を回復するのは、改革開放政策が軌道に乗り始めた1990年以降であるが、2000年には、日本を抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった。そして、2030年には、アメリカをも抜き去って世界一の経済大国に返り咲くと予測されている。
  ⅳ)一方、インドの回復は中国よりも10年以上遅れるが、2006年には、日本を抜いて、中国に次いで世界第3位の経済大国となった。そして、2030年には、第3位の地位が不動のもとなる、というのがアンガス・マディソン氏の予測である。
 アメリカと中国
  ⅰ)アメリカが世界史に登場するのは、1776年7月4日の独立宣言以降であり、1783年の「パリ条約」と「ヴェルサイユ条約」で国家として国際的に承認された。したがって、図2-2からもわかるように、1700年までは、アメリカのGDPは無視できるくらいすくない。
  ⅱ)1820年には、比率はわずか1.81%であったが、その後は急速に上昇し、1900年に15.83%でトップに躍り出た。この年の第2位は中国であり、清帝国がまだ余力を持っていた頃である。
  ⅲ)第一次世界大戦が勃発する前年の1913年になると、アメリカはダントツのトップとなり、中国(1912年には、孫文が指揮した辛亥革命によって清帝国が崩壊し、中華民国が成立)はさらに衰退した。
  ⅳ)アメリカのトップとしての地位は、第一次・第二次という二つの大戦を経て不動のものとなったが、世界経済に占める比率は1950年の27.28%をピークに減少に向かっている。一方、中国は、鄧小平が始めた改革開放政策の成功により、1980年以降、経済規模が拡大し、2000年には、日本を抜いて世界第2位に躍り出た。
  ⅴ)そして、アンガス・マディソン氏によれば、2030年には、わずかではあるが、中国がアメリカを抜いて世界一の経済大国になる、と予測されている。
 イギリス、フランス、イタリア この3ヶ国を比べてみると、以下の特徴が言える。
  ⅰ)イギリスは、1588年にスペインの無敵艦隊を破って、世界の覇権国として名乗りを上げるようになった。世界経済に占める比率も徐々に上昇し、1900年には9.37%とピークを記録した。しかし、その後は低下に向かい、とくに、2度の大戦で国力を疲弊させ、海外の植民地も失って、次第に経済的地位を低下させている。
  ⅱ)フランスは、ブルボン王朝(1589年~1830年)で最盛期を迎えたが、世界経済に占める比率はそれほど大きくはなかった。フランスの比率が最大になったのは、フランス革命後の第二帝政時代の1870年であったが、値そのものは6.49%にすぎず、それほど大きいとはいえない。その後、第二次大戦にかけて低下を続け、その後も、若干の上下動を繰り返しながら低落傾向は続いている。
  ⅲ)イタリアの場合、14世から16世紀にかけて勃興した「ルネサンス」の時代に最盛期を迎えた。したがって、世界経済に占める比率も1500年のデータが最大で、その後は、若干の上下動はあるが、長期的には低落傾向である。

3.一人当たりGDP

 最後に一人当たりGDPについて分析する。

 注: ここでも、購買力平価(PPP)を用いている。

3-1.世界平均と日本の一人当たりGDPの推移

 アンガス・マディソン氏のデータから、西暦1000年から2030年までの、世界平均と日本の一人当たりGDPの推移データを下の図3-1に示す。

図3-1 世界と日本の一人当たりGDPの推移

(1)日本の一人当たりGDPの推移(図3-1の青の実線

 ①西暦1000年の425ドルから、1870年の737ドルまで緩やかに上昇したが、その後、上昇テンポは速まり、1940年には2,874ドルとなって、いったんはピークを迎えた。これは、前述のごとく、明治維新とその後の「富国強兵」政策の成果であろう。
 しかし、「富国強兵政策」が、引き起こした太平洋戦争により、日本経済は荒廃し、戦後5年たった1950年でも、1,921ドルで、1940年のレベルの3分の2まで低下した。
 その後、前述のごとく、日本経済は順調に回復し、高度経済成長時代に入り、1960年には3,986ドル(1950年の2.07倍)、1970年には9,714ドル(1960年の2.44倍)、となって、一人当たりGDPは、ここでの10年間毎に、2倍以上に拡大した。
 それ以降は、1980年には13,428ドル(1970年の1.38倍)、1990年には18,789ドル(1980年の1.40倍)、というように、増加レベルは低下したが、それでも、まだ、10年間毎の成長率は40%前後を維持している。
 1990年初頭にバブル経済が崩壊してから、日本経済は長い低迷期に入ったが、それでも、一人当たりGDPは緩やかに上昇している。(2000年には21,051ドル(1990年の1.12倍)、2006年には22,976ドル(2000年の1.09倍)。
 2030年に予測されているGDPは、32,774ドルで、2000年の56%増である。この30年間の増加率を、1970年から2000年までの30年間の増加率(117%)と比べると半分以下に下がってしまっている。

(2)世界平均の一人当たりGDPの推移(図3-1の赤の実線

 図2-2をみると、世界平均の一人当たりGDPも、世界のGDPと同じように、順調に増加している事がわかる。

表2 世界平均の一人当たりGDPの増加倍率
1950~
1960

1960~
1970

1970~
1980

1980~
1990

1990~
2000

2000~
2030

1970~
2000

倍率 1.31 1.35 1.21 1.14 1.17 1.62 1.94

 GDPと同じように、第二次大戦後の10年ごとの増加倍率をまとめて、右の表2に示す。
  ⅰ)1950年から1960年の10年間、および、1960年から1970年の10年間には、それぞれ、30%以上の成長率であった。
  ⅱ)しかし、その後の成長率はやや鈍化し、1990年から2000年の10年間での成長率は17%となって、ほぼ半減している。
  ⅲ)2000年から2030年までの30年間の成長率は、アンガス・マディソン氏の予測で62%、これは、1970年から2000年までの30年間の成長率(94%)と比べると、やく3分の2に鈍化している。

(3)日本対世界平均の一人当たりGDP比率の推移(図3-1の黒の実線

 日本の一人当たりGDPは、西暦1000年から西暦1913年まで、世界平均の一人当たりGDPよりは少ないレベルであった。ただし、1820年(徳川11代将軍家斉の治世で、文化文政時代とも言われ、徳川幕府が落日直前の輝きを示していた頃でもある)には、世界平均と同じレベルに達している。
 1940年には、世界平均を上回ったが、太平洋戦争で国力が疲弊した結果、1950年には再び世界平均以下に転落してしまった。
 しかし、1960年以降、日本の一人当たりGDPは、高度経済成長の波に乗って、世界平均を上回るテンポで成長したので、1990年には、世界平均の3.65倍となってピークに達した。
 その後は、バブル経済の崩壊により、世界平均との差は徐々に縮まり、2006年では3.18倍まで低下した。そして、アンガス・マディソン氏の予測によれば、2030年には、2.80倍まで縮小する、と見込まれている。

3-2.「主要国の一人当たりGDP」と「世界平均の一人当たりGDP」の倍率の推移

 第一項、第二項で取り上げた「主要諸国の一人当たりGDP」と「世界平均の一人当たりGDP」との倍率の推移を下の図3-2に示す。
 1940年の中国のデータは、ここでもないし、2030年のデータについてはは、アメリカ、日本、中国、インドの4カ国のみが予測されており、イギリス、フランス、イタリアの3カ国についての予測データはない。

 
なお、表での表示は、2006年での比率の順位となっている。

図3-2 「主要国の一人当たりGDP」と「世界平均の一人当たりGDP」の倍率の推移


 
西暦1000年のデータをみると、ここで取り上げた7ケ国の一人当たりGDPは、世界平均とほぼ同じで大きな差はない。1500年にはイタリアが一歩抜き出るが、1600年以降はイギリスが躍進し、1700年には、7カ国の中ではイギリスがイタリアを抜いてトップとなる。これは、ルネサンスを経て、大航海時代、そして、大英帝国の誕生といった世界の覇権国の動きを彷彿とさせるものである。
 1820年以降、大きく躍進するのはアメリカである。1913年に、イギリスを抜いて、7カ国の中ではトップとなり、その後もずっとトップであり続ける。しかし、世界平均との差は、2000年をピークとして縮小に向かい、2030年には4倍を下回って3.79倍まで低下する、と予測されている。
 1500年以降2000年まで7カ国の中で、、トップにはならないが、2位または3位の座をキープしているのがフランスである。。
 中国とインドは、西欧列強の植民地状態となる前の1820年までは、世界平均と同じか若干下回る程度であったが、1820年以降は低下の一途をたどる。そして、中国は1970年に、インドは1980年に、それぞれ0.21倍(世界平均の5分の1)まで低下してしまう。
 両国ともにその後、上昇には向かうが、2030年に至るも、世界平均までは届いていない(中国は0.96倍、インドは0.52倍)。つまり、この両国は、人口大国であり、2030年には、経済規模では経済大国となるが、国民一人当たりGDPでは、まだまだ大国とは言えぬレベルに留まる、というのがアンガス・マディソン氏の予測である
 %。

3-3.ランキングの推移

 日本の経済的地位は段々に低下し、国民一人当たりGDPも次第に減少する。そこで、日本の国民一人当たりGDPの世界ランキングの推移を次に分析しよう。
 ここでのデータは、社会実情データ図録の中の
「一人当たりGDPランキングの推からの引用であり、そのベースとなっているデータは、WDI Online 2008.2.27 である。
 また、ここで比較の対象としては、今までとは異なる8ヶ国(アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツ、フランス、スウェーデン、ノルウェー、日本)をピックアップした。これは、中国やインドのランキングは極めて低い事と、福祉大国と言われる北欧諸国のランキングを調べたかったからである。また、データも、1975年から2006年までの22年間の年次ランキングとなっている。
 なお、世界ランキングは、購買力平価に基づくものと、為替レートに基づくものとの二通りのデータで分析する。

 注1: 購買力平価と為替レート 同じ所得で世界の商品をどれだけ実際に買えるかという考え方からすれば、為替レート・ベースの比較は大きな意味を持っている。しかし、実際に消費している商品の量が為替レートで大きく変動するわけではないので、豊かさの指標としては為替レート・ベースの比較には限界がある。これを克服しようとして開発されている指標がPPP(purchasing power parity、購買力平価)ベースのGDP比較である。これは一定の商品群を入手するのに各国の通貨でいくらあればよいかを調査して、これをもとにGDPを比較した指標である。

 注2: 為替レートに基づく世界ランキングの場合、2007年の WDI のデータで、中国は107位、インドは132位である。ちなみに、北朝鮮は131位となっており、インドよりもランクが上である。詳細は、社会実情データ図録の中の一人当たりGDPの世界ランキング」を参照ください。

(1)購買力平価に基づく世界ランキングの推移

 まず、購買力平価に基づく一人当たりGDPの世界ランキングの、1975年から2006年までの推移を下の図3-3-1に示す。

図3-3-1 購買力平価に基づく世界ランキングの推移

 日本(赤の実線
  ⅰ)1975年の19位から1989年の14位まで、日本は高度経済成長の結果、GDPでは世界第2位の経済大国とはなったが、一人当たりGDPでは、まだまだ、二桁の順位に留まっていた。
  ⅱ)バブル崩壊直前の1990年から、崩壊後の1997年までの8年間、日本のランキングは一桁に急上昇した。
  ⅲ)しかし、その後は、二桁台に急降下し、2006年でも17位となって、20年前のランキングに戻ってしまった。
 アメリカ(
紫の実線 世界一の経済大国アメリカは、購買力平価に基づく国民一人当たりGDPの世界ランキングでは、1975年から2006年にかけて、常に2位か3位であり、トップ3の地位をキープし続けている。
 注: ちなみに、ランキングの1位は、1975年から1985年まではスイス、1986年以降2006年まではルクセンブルグである。なお、スイスは1986年以降、じりじりと順位を下げ、2006年には6位となっている(詳細は、社会実情データ図録の中の「一人当たりGDPランキングの推
を参照ください)。
 スウェーデン(黒の実線) 福祉大国として著名なスウェーデンは、日本とは対照的に、1980年代までは10位前後であったが、1990年代に入って、じりじりと順位を下げ、1998年には18位まで下がってしまった。しかし、2000年台に入ってからは、順位を上げ始め、2006年には12位まで回復している。
 ノルウェー(
赤の点線 福祉大国として著名なもう一つの国、ノルウェーの場合、1975年には9位であったが、その後順位を上げ、1995年以降はアメリカと2・3位を争っている。
 フランス、イギリス、イタリア、ドイツ これらの西欧4カ国の場合、10位台を変動している。

(2)為替レートに基づく世界ランキングの推移

 次に、為替レートに基づく一人当たりGDPの世界ランキングの、1975年から2006年までの推移を下の図3-3-2に示す。
 購買力平価の場合(図3-3-1)と比べると、かなり違った結果になっているのがわかる。

図3-3-2 為替レートに基づく世界ランキングの推移

 日本(赤の実線
  ⅰ)1975年の16位から1985年の11位まで、二桁の順位であったが、1986年に7位に上昇して以来、2002年の7位まで17年間にわたって、一桁台にランキングを維持し続けた。  ⅱ)この間、1987年から2000年までは、1998年を除き、日本はアメリカよりも上位にあった。さらに、1992年から2000年まで、1998年を除き、トップ3に入っている。つまり、バブル経済が崩壊し、「失われた10年」と言われた頃が、絶頂期だったわけである。
  ⅲ)2001年以降、日本のランクは、まさに「つるべ落とし」で落ち込み、6年後の2006年には19位まで一気に下落した。
  ⅳ)為替レートに基づく世界ランキングが変動した一つの理由は、1972年以降変動相場制に移行した外国為替相場における円ドル相場の変動の影響があげられる。為替レートの変動については、次項で説明する。
 アメリカ(紫の実線 図3-2-2からわかるように、1975年から2006年の22年間では、1位から11位までかなりの乱高下が見られる。これま、やはり、変動相場制の影響が考えられる。
 スウェーデン(黒の実線) 1980年までは、トップ3に入っていたが、1981年以降は若干順位を下げた。それでも、2006年まで、2回10位になった事はあるが(1995年と2001年)、それ以外は、一桁台のランキングである。
 ノルウェー(赤の点線 為替レートでみた場合でも、ノルウェーのランキングは高く、2位から5位の間で推移している。とくに、2000年以降はずっと世界第2位である。
  注: ちなみに、1978年以降のトップは、次の通り: 1978年~1983年および1986年~1990年はスイス、1991年以降は2006年までルクセンブルグ。
 フランス、イギリス、イタリア、ドイツ
 
 ⅰ)為替レートでみた場合、この4カ国の中では、イタリアが順位が最も低いと言えるであろう。
  ⅱ)ドイツの場合は、1990年の東西ドイツの統一以降、1995年までは順位を上げたが、その後は、ほぼ一貫して順位を下げ、2006年には17位となった。
  ⅲ)フランスは、8位から17位の間を変動しているが、2000年以降は順位を下げており、2006年には16位となっている。
  ⅳ)イギリスは、1995年までは16位から18位の間をいききしていたが、1996年以降は少しづつ順位を上げ、2006年には12位となっている。

(3)為替レートの推移

 ここで、参考までに、1975年から2006年までの円ドル相場と円ユーロ相場の推移を下の図3-3-3に示す。図3-3-3では、日本銀行の月ごとの裁定相場の1年間の単純平均をその年の為替レートとして表示している。

 注: 裁定相場とは、市場で実際に取引が行われた相場ではなく、共通の通貨に対する為替相場から、2つの通貨の為替相場を計算して求めたものである。ここでは、月末営業日の各通貨の対ドル・レートと、当該月末営業日のドル/円中心相場で計算したものを表示している。
 詳しくは、右をクリック: 「外国為替相場状況」の解説

図3-3-3 為替レートの推移

 固定相場制の頃は1ドル360円であったが、1971年8月のニクソン・ショックを契機に円高への圧力が強まり、1971年末のスミソニアン合意により、1ドル308円に切り上げられた。しかし、それでも外国為替相場の動揺は収まらず、1972年6月に英国が固定相場制を放棄し変動相場制に移行すると、1973年3月までに主要国は変動相場制に移行した。
 変動相場制に移行して以来、1977年までは、スポット相場では変動があったが、日銀の裁定相場では1ドルが308円の状態が続いた。しかし、アメリカの継続する大幅な経常赤字の結果、ドルが急落し、1978年11月に時のアメリカ大統領カーターがドル防衛策を打ち出し、1979年には、1ドル206円まで円高ドル安が進んだ。。
 その後も、アメリカの経常収支の赤字傾向は続いたが、円ドル相場は210円から240円の間を行き来する小幅な変動であった。しかし、アメリカは、永続する貿易赤字と財政赤字と言う双子の赤字に耐えきれなくなり、時のレーガン大統領は、1985年11月、プラザ合意によって、一気にドル安政策に舵を切った。
 このプラザ合意の影響はすさまじく、1985年には1ドル254円であったのが、3年後の1988年には半分の127円まで、円高ドル安が進んだ。その結果、ドルの国際基軸通貨としての地位に揺らぎがうまれ、1989年に、EU諸国は結束して「ユーロ」という新しい通貨を創設した。
 円ドル相場は、1991年以降、再び円高ドル安の流れとなり、1995年には、1ドル93円という、「超円高」となり、輸出に依存していた日本企業は大打撃を受けた。
 その後は再び、円安傾向であったが、1998年の130円/ドルまで下がってから、また、円高となり、2006年までは、数年ごとに110円以下から120円以上の間をいききする変動状態が続いている。

Ⅱ.日本の過去・現在・未来

 次に、日本の状況を、所得格差とか、人口動態といった側面から分析しよう。
 ここでは、「社会実情データ図録」、「
国税庁の民間給与実態統計調査」、「国立社会保障・人口問題研究所」、のデータを用いている。

 結論を先に言うと、日本の将来は、経済的には貧しくなりながら、格差は拡大し、しかも、一人暮らしの高齢者が増えてゆく、という極めて厳しいものである。

4.日本の経済的地位の低下と格差の拡大

図4-1 世帯の所得格差の推移
図4-2 低所得世帯と高所得世帯の所得水準指数の推移

 ここまでの分析でわかるように、日本の経済的地位は1980年から1990年半ばにかけては、アメリカに次ぐ地位を占め、国民一人当たりGDPも世界のトップクラスであった。しかし、1990年初頭のバブル経済の崩壊以降、日本の経済的地位はどんどん低下している。そして、「日本の国民一人当たりGDPの伸び率」が「世界平均の一人当たりGDPの伸び率」を下回るようになり、両者の倍率は、2030年には3倍を下回って2.80倍となると予測されている。
 日本の問題点は、このように経済的地位が低下する中で、経済的格差が拡大していることである。そこで、この項では、日本における所得格差の推移をみてみよう。
 なお、この分析は、すでに「
53.所得格差と国際比較」(2007年2月10日記載)で行ったが、それを改定するものである。

4-1.世帯の所得格差の推移

 最初に総理府統計局でまとめている「家計調査の資料により、1963年から2008年までの低所得世帯と高所得世帯の所得倍率の推移を、右の図4-1に示す。なお、右の図4-1と図4-2は、「社会実情データ図録」からの引用である。

 注1:「低所得世帯」とは、所得の少ない順に世帯を並べていった時、下の20%を占める世帯の事。
 注2:「高所得世帯」とは、所得の少ない順に世帯を並べていった時、上の20%を占める世帯の事。

 高度成長期 1960年代に始まった高度成長と共に、経済格差は、1963年の5.65倍から1972年の4.00倍まで、大きく縮小した。
 安定成長期からバブルの崩壊まで その後、1972年の4.00倍から1999年の4.85倍へと、経済格差は徐々に拡大していった。とくに、1980年代後半以降のバブル経済の時期には、格差が大きく拡大したことがわかる。
 バブル崩壊から構造改革の時期 2001年4月以降の小泉政権下では、国民の格差意識の高まりとは裏腹に、むしろ所得格差は縮小に転じた。しかし、2005年以降再び上昇に転じたいる。これは、どういうことか、次に分析してみよう。

4-2.高所得世帯と低所得世帯の所得水準指数の推移

  低所得世帯と高所得世帯の所得格差が拡大したり縮小したりするのは、低所得層の所得水準の変化と高所得層のそれとが、同期していないから起きるわけである。そこで、1970年の低所得世帯、高所得世帯の所得水準をそれぞれ100とした時の、所得水準指数の推移を右の図4-2に示す

 ①高度成長期: 右図を見ると、1960年代は高所得層の所得上昇より、低所得層の所得上昇がより大きかったために、格差が縮小した、ということがわかる。この時代は、工業が発展し、低所得層が「正社員」として安定的に企業に雇用されていった効果であると考えられる。
 つまり、この時代は、貧乏人が豊かになる速さのほうが、金持ちがより豊かになる速さよりも早かったために、格差が縮小する、という極めて良い時代であった、ということである。
 ②安定成長期 1970年代から1980年代前半にかけては、低所得層・高所得層が同じようなテンポで、所得が上昇したので、それほど、格差が拡大しなかった、という事である。
 バブル経済の崩壊まで 1980年代後半から、徐々にバブル経済へと進む中で、高所得層の所得上昇率が、低所得層の所得上昇率を上回るようなり、格差が拡大していった。つまり、この時代は、貧乏人も豊かにはなったが、金持ちがより豊かになるテンポよりは遅かったので、格差が拡大した、ということである。

 ④バブル経済崩壊後 1990年代に入って、バブル経済が崩壊すると、低所得層・高所得層ともに、所得が減少していったが、同じような比率で減少したので、格差はあまり変わらなかった。つまり、この頃から、貧乏人も金持ちも同じようなテンポで貧しくなる、という嫌な時代が始まったわけである。
 ⑤2001年以降の状況 2001年以降、低所得層の所得低下のペースは低下したが、高所得層の所得は前と同じようなペースで低下し続けた。この低下ペースが異なったために、所得格差は縮小していったわけである。しかし、2006年、2007年と「プチバブル」の状態が生まれると、高所得世帯だけがより豊かになったために、再び、格差は拡大した。2008年のリーマンショックでは、金持ちほど大きな損失を被ったので、所得水準は低下し、若干ではあるが格差は縮小した。

 図4-1と図4-2のデータは、図4-2の注記の通り、二人以上の世帯を対象としたものである。ところが、現代では、後で分析するように、単身世帯が徐々に増加しており、しかも、単身世帯は低所得層が多い事がわかっている。したがって、2000年以降、低所得層の所得水準がほぼ横ばいに推移しているとはいっても、単身世帯も加味すると、低所得層の所得水準は低下していると言えるのではなかろうか。
 つまり、現代は、
金持ちも貧乏人も同じように貧しくなりながら、その格差が拡大している(なぜなら、貧乏人がより貧しくなるテンポが、金持ちが貧しくなるテンポよりもはやいため)、という最も嫌な時代になってしまった、と言えるのではなかろうか。

4-3.給与所得者の平均年収の推移

 給与所得者の平均年収の推移をまず、見てみよう。
 国税庁の民間給与実態統計調査に基づき、1年を通じて勤務した給与所得者の平均年収の推移(1992年から2007年まで)を下の図4-3に示す。

図4-3 給与所得者の平均年収の推移


(1)男性給与所得者の平均年収の推移(黒の実線で左目盛

 1992年にバブル経済が崩壊した結果、1993年には平均年収が若干減少した(557万8千円から555万1千円へ、2万7千円減)が、その後は上昇に転じ、1997年に577万円でピークとなった。
 しかし、経済の不振が長引くにつれ、平均年収も減少に転じ、2005年で538万4千円で底を打つまで、8年間連続して減少した(この8年間で38万6千円減少)。
 その後、2006年、2007年と引き続き上昇したが、2008年秋のリーマンショックで、未曽有の不況に突入した事を考えると、今後の平均年収が増えるとは思えないのだが・・・。

(2)女性給与所得者の平均年収の推移(赤の実線で右目盛

 図4-3をみればすぐに気がつくように、女性の平均年収は、男性の5割前後である。日本では、男女による年収の差は2倍だということであり、それだけ、男女格差が大きいということである。
 女性の場合の平均年収の推移は若干異なる。男性の平均年収が減少した1993年でもやはり上昇し続け、ピーク年も1998年で、男性の場合よりも1年遅く、そして、2年後の2000年までほぼ横ばいで推移している。
 2001年以降、女性の平均年収も減少に転じ、2006年に271万円で底を打つまで、6年間連続して下がり続けた(この6年間で9万円減少)。その後、2007年には2千円だけ、平均年収が増えたが、2008年以降も増えるのか否か、男性の場合と同じく、リーマンショックの影響が懸念される。

4-4.年収階層別構成比率の推移

 次に、給与所tく社の年収階層別構成比率の推移を分析してみよう。

4-4-1.男性給与所得者の年収階層別構成比率の推移

 4-3.と同じく、国税庁の民間給与実態統計調査に基づき、1年を通じて勤務した給与所得者のうち、男性について、年収階層別構成比率の推移(1992年から2007年まで)を下の図4-4-1に示す。
 国税庁のデータでは、年収階層は100万円刻みになっているが、図4-4-1では、200万円刻みで表示した。

図4-4-1 男性給与所得者の年収階層別構成比率の推移

 200万円以下の層 バブルが崩壊した1992年には6.1%であったが、その後、若干の上下動を繰り返しながら、2002年の6.9%までは6%台を維持していた。しかし、2003年以降は、じりじりと上昇を続け、2007年には1割目前の9.5%となっている。つまり、男性給与所得者(サラリーマン)の場合、最下層が不気味に増加しているのだ。
 200万円~400万円の層 1992年の27.3%から1997年の23.8%まで、一旦は減少した。しかし、その後、じりじりと上昇し、2007年には3割目前の29.2まで増えている。男性サラリーマンの場合には最下層に次ぐ階層でも、割合が増えているのである。
 400万円~600万円の層 1992年には33.7%と全体の3分の1であったが、この比率は徐々に低下している。そして、2007年には3割を切る寸前の30.1%まで減少している。
 600万円~800万円の層 1992年の17.4%から1997年の18.8%まで徐々に増加したが、その後は減少に転じ、2007年には15.9%となって、1992年のレベルを1.5%下回ってしまった。

図4-4-1-1 男性給与所得者の3階層別構成比率の比較

 800万円~1000万円の層 1992年の7.5%から1997年の9.1%まで増加した後、減少傾向となり、2007年には7.6%となって、1992年とほぼ同じレベルに戻ってしまった。
 1000万円~1500万円の層 この階層も、1992年(6.1%)から1997年(6.9%)までは上昇傾向であったが、その後はやはり、減少傾向となり、2007年には1992年を下回る5.8%となってしまった。
 1500万円超の層 最上層の比率は1.7%~2.0%の間で小幅な変動で推移している。

 上中下の3階層に分けた場合 平均年収階層を、低所得(400万円以下)、中所得(400~800万円)、高所得(800万円超)の3階層に分けて、1992年と2007年、ならびに、平均給与がピークとなった1997年のデータで比較したものを右の図4-1-1-1に示す。
  ⅰ)低所得者層(400万円以下) 1992年の33.4%から、1997年には30.3%まで、減少したのちに、2007年には38.7%まで大きく増えた。
  ⅱ)中所得者層(400~800万円) 1992年の51.1%から、1997年の51.8%まで小幅に増加した後、2007年には46.0%まで落ち込んだ。
  ⅲ)高所得者層(800万円超) 1992年の15.5%から、1997年の17.9%まで増加した後、2007年には15.4%まで減少し、1992年のレベルより低下した。
 上記の分析から、男性サラリーマンの場合には、以下の事が言える。
  ⅰ)平均年収がピークとなった1997年は、低所得者が減って、中所得者と高所得者が増える、という形で平均年収が上がったわけであり、サラリーマンにとっては、望ましい上昇であった、と言える。
  ⅱ)一方、2007年には、低所得者層が大幅に増える一方、中所得者層が大幅に落ち込んでおり、中流階層が没落した結果、平均年収が低下したわけであり、それだけ、格差も拡大したわけであり、男性サラリーマンには厳しい時代が到来した、という事を示すものである。

4-4-2.女性給与所得者の年収階層別構成比率の推移

 4-4-1.と同じく、国税庁の民間給与実態統計調査に基づき、1年を通じて勤務した給与所得者のうち、女性について、年収階層別構成比率の推移(1992年から2007年まで)を下の図4-4-2に示す。
 国税庁のデータでは、年収階層は100万円刻みになっているが、図4-4-1では、200万円刻みで表示した。

図4-4-2 女性給与所得者の年収階層別構成比率の推移

 図4-4-2を一瞥すると、女性給与所得者(サラリーウーマン)の場合、男性と比べて、年収の低い階層が圧倒的に多い、という事がすぐにわかる。

 200万円以下の層 1992年には37.5%(男性の比率の6.1倍)であったが、この比率は、若干の上下動を繰り返しながら、不気味に上昇し、2007年には43.7%となっている。つまり、サラリーウーマンは、年収が200万人に満たない人達が着実に(?)増え続けて、間もなく半数に達しようとしているのである。しかし、サラリーマンでも年収200万円に満たない人が増え続けているので、2007年の男女比では4.6倍であり、1992年よりは少なくなった。ただ、これは、女性の比率が減ったわけではなく、男女ともに増えたが、男性の増加率が大きいがために倍率が下がった、というだけであり、あまり、喜ばしい事ではない。
 200万円~400万円の層 この層の比率は、1992年の47.4%(男性の比率の1.7倍)から若干の上下動を繰り返しながら、減少している(2007年には37.9%で、男性の比率の1.3倍)。この階層の減少は、200万円以下と、400万円超とに分散したものと思われるので、それだけ、格差が拡大していったものと思われる。
 400万円~600万円の層 この層の比率は、1992年の10.9%(男性の比率の32.3%)から、若干の上下動を繰り返しながら、徐々に上昇し、2007年には13.3%(男性の比率の44.2%)となっている。
 600万円~800万円の層 サラリーウーマンの場合、サラリーマンと比べると、平均年収が600万円を超える階層の人は極めて少ない。1992年には2.6%(サラリーマンの比率と比べると、わずか14.9%)であったが、その後。若干の上下変動はあるものの緩やかな上昇傾向となり、2007年には3.2%となっている(サラリーマンの14.9%)。

図4-4-2-1 女性給与所得者の3階層別構成比率の比較

 800万円~1000万円の層 1992年の0.79%から2007年の1.03%までわずかに増加したが、サラリーマンと比べると、極めて少ない。
 1000万円~1500万円の層 この階層も、1992年の0.561%2007年の0.64%)までわずかに上昇したが、サラリーマンと比べると、極めて少ない。
 1500万円超の層 最上層の比率もまた、1992年の0.72%から、2007年の0.94%までわずかながら上昇した。これは、サラリーマンの半分以下の比率である。

 上中下の3階層に分けた場合 サラリーウーマンの平均年収階層を、低所得(400万円以下)、中所得(400~800万円)、高所得(800万円超)の3階層に分けて、1992年と2007年、ならびに、平均給与がピークとなった1998年のデータで比較したものを右の図4-1-1-2に示す。
  ⅰ)低所得者層(400万円以下) 1992年の85.0%から、1998年には82.0%まで、減少し、2007年にはさらに81.6%まで減少した。
  ⅱ)中所得者層(400~800万円) 1992年の13.5%から、1998年の16.1%まで増加した後、2007年にも16.5%までわずかながら上昇した。
  ⅲ)高所得者層(800万円超) 1992年の2.1%から、1998年の2.6%まで増加した後、2007年にもそのまま横ばいで推移した。
 上記の分析から、女性給与所得者(サラリーウーマン)の場合には、以下の事が言える。
  ⅰ)全体の8割以上が低所得者であり、高所得者は、2%強に過ぎない。
  ⅱ)低所得者は着実に減ってはいるが、図4-2-2と比べると、最下層(200万円以下)が増えて(つまり、底抜けが起きている)、その次のレベル(200~400万円)が減り、その合計として低所得者層が減っているということであり、望ましい傾向ではない。
  ⅲ)一方、中所得者層の構成比率をみると、1992年の13.5%から2007年の16.5%まで3%上昇した。そして、上層階級も、1992年から2007年までわずか0.5%ではあるが、上昇している。
 上記の結果をまとめると、サラリーウーマンの場合には、平均年収が「200~400万円」の層が、上下に分かれて、その結果、最下層(200万円以下)は増えたが、低所得者層(400万円以下)は減少した。そして、中所得者層と高所得者層も増えた。これは、一見、格差が解消したようにも思えるが、最下層が増えている事を考えると、必ずしもそうとは言い切れない。

 第4-3項と第4-4項の分析からも、
サラリーマン(とサラリーウーマン)の平均年収は減少し、かつ、格差は拡大してゆく、という現実が透けて見えてくる

6.最後に

 今回は、日本の将来を探るために、人口とGDP、一人当たりGDPとを取り上げ、国際比較を試みた。その結果、以下の事が言える。

 世界の人口は今後ますます増加する事が予測されているが、日本の人口は、少子高齢化の進行に伴い2005年を境にに減少傾向に入る。その結果、ピーク時には、日本の人口は世界の人口の4.5%を占めていたのが、2050年には1.0%にまで低下する。
 人口の構成比率が低下するだけではなく、日本のGDPが世界のGDPに占める比率も将来的には低下し、経済大国の地位から転落してしまう。日本に代わって経済大国となるのが、中国、インドといった人口大国である。
 さらに、一人当たりGDPも、1980年代には世界のトップクラスに躍り出たが、1990年代以降はずるずると後退し、2006年で世界17位(購買力平価で比較した場合)、または、世界18位(為替レートで比較した場合)、となってしまった。

 さらに、日本の国内に目を転じて、所得格差と平均年収の推移とを分析した結果、以下の事が言える。

 1980年代までは、順風満帆とも言える状態であったが、バブル経済の崩壊につれて、金持ちも貧乏人も貧しくなりながら、かつ、格差は拡大する、という嫌な世の中になってしまった。つまり、貧乏人は、金持ちが貧しくなるテンポを上回って、ますます貧乏になってしまったのである。
 また、平均年収も、バブル経済崩壊後は下がる一方となり、さらには、サラリ-マンのばあい、高所得者層の構成比率はそれほど減っていないのに、中所得者層が減って、低所得者層の構成比率が増える、ということで格差が拡大している。つまり、1980年代まで日本を覆っていた「一億総中流」という幻想が、バブル経済の崩壊とともに、完全に消え去ってしまった、と言える。

 この後、人口動態の状況を調べれば、日本の今後はもっと明らかになるが、スペースの関係で、今回の分析は中断し、人口動態の分析は次回に行うこととする。


このコラムに対する感想、ご意見等は右へメールください: メール

コラム作成者のプロフィール等は右をクリックしてください: 作者 山川 紘 のプロフィール


参考文献: 1.社会実情データ図録
         2.アンガス・マディソン氏のデータ
         3.国立社会保障・人口問題研究所の予測データ
         4.総理府統計局でまとめている「家計調査
         5.国税庁の民間給与実態統計調査


格差に関するコラムは以下の通り

33.データから見る格差 34.新しい階級社会の誕生 35.様々な格差
36.老人格差 44.ワーキング・プア 53.所得格差と国際比較
56.格差社会はいいことか 59.教育格差と格差の世襲 60.教育格差の現状
61.教育格差と国際比較 62.教育格差と大学格差(1) 63.教育格差と大学格差(2)
64.団塊の世代と団塊格差  65.団塊ジュニアとその格差 
66.団塊ジュニアの結婚格差と少子化問題 79.所得格差と格差拡大税制
80.国民負担率と国際比較 87.格差大国アメリカの貧困 103.格差社会と世襲エリート
104.親の経済力で決まる子供の将来
105.年収格差と格差の拡大 106.生涯賃金格差
107.職業別賃金格差 108.「格差はつくられた」を読む(1)
109.「格差はつくられた」を読む(2)
110.都道府県格差(1):財政の状況
111.都道府県格差(2):所得の状況
112.都道府県格差(3):食料品価格  
113.都道府県格差(4):エネルギー価格等  
114.都道府県格差(5):土地バブルと家賃等
115.都道府県格差(6):教育環境等
116.子供貧困大国日本


   独り言の目次に戻る

   全体の目次に戻る