中津城下町 島田口



なお竜王町との境の外堀には橋がかけられていて、
一番橋 二番橋 三番橋が存在した。
現在堀も狭くなり、特に三番橋付近の堀は埋め立てられて橋そのものは存在しない。
@ 一番橋
A 二番橋
B 三番橋


A 小倉口
B 広津口(渡守口)
C 金谷口
D 島田口

E 蛎瀬口
F 大塚口
 


空色の部分は堀や川。
中津市の公式ホームページに中津城下町 町名 木戸口説明が新しく掲載されています。
城下町の町名、木戸口の説明があります、ご覧ください。

島田口の外側から城下町方向を見る。
江戸時代の勢溜写真後方で、現在は家屋が建っている部分も広場だったらしい。

注)
島田口の位置について
18年7月帰省時写真を撮影していて、新しい事が判明した。
写真 前方左側の建物に上博多町の表示がありました。
と言う事はその部分は島田口の外を意味すると思われます。
現在「勢溜」と言われている広場部分までが城下町内だった可能性が高い。
江見竹町はお囲い山を壊し堀を埋めた跡、上博多町は島田口の外と考えた方が良さそうです。
町名は歴史を現すので大事にしましょう。


上博多町は島田口の外にあり、新博多町の商人が小屋がけで店を出していたので、「出小屋」と呼ばれていた。

livedoor地図による

上記とほぼ同じ位置から


逆方向(東側)を見る。
高架の先は中津駅です。





最近この付近が改装されました。
以前は線路側にも商店が立ち並んでいましたが、
取り壊されて片側だけの商店街に戻りました。

と言うのは終戦直前まで、この通りは片側だけだったのです。
戦後道路部分にもバラックのマーケットが出来、そのまま半世紀以上続いていたのですが、
解消されたことになります。


昔の外堀の跡に相当すると思われます。

水路も気のせいか狭くなっているように思われます。

子供の頃には道路の向こう側、川の左側にお風呂さん(松の湯?)があったと思います。
ご存知の方教えてください。

その後大同館という旅館になったらしいですが、
この大同館が昔(明治時代) 福沢通り、福岡銀行の位置にあった同名の旅館と関係あるかどうかも不明です。

余談
中津駅前に竹内旅館がありましたが、終戦直前の強制疎開で京町(南部小学校の前)に移転、
現在は夢タウンの近くで営業しています、老舗旅館は凄いです。



勢溜から上博多町を見る(勢溜から南側を写す)。
前方突き当たりの付近で西堀端 東堀端への道につながる。
右に行けば、この位置に到達します。 

この部分は島田口の外側(城下町から見て)になります。




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大部分の写真は黒瀬 戦一さん提供です。
江戸時代の地図は片端町吉本さん保管のもの。

「城下町中津」は黒瀬さんの協力を戴き内尾の責任で作成しています。


2006年2月9日

2006年8月16日

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