中津城下町 金谷口と金谷武家屋敷跡 その1  (その2



金谷辺(下級武士組屋敷跡)の案内図。

線路に沿って外堀が描かれている。
現状は線路部分が拡幅され暗渠になっていると思われます。
地図は西が上に描かれているので、
対比しにくいが江戸時代の金谷口付近の地図も参照ください。


上の地図と方向が90度違います、ご注意ください。

地図右下が金谷口です。


大正時代の金谷口付近。

B 広津口
C 金谷口
D 島田口

金谷口の日豊線線路。
山国川鉄橋方向を望む。
中津城の外堀を埋め立てて線路を施設した。

写真 奥の部分には複線になる前は堀が存在した。
手前の道路部分も堀を暗渠にして、多少拡幅された可能性がある。


写真左側は金谷武家屋敷跡になる。
道路は 江戸時代の旅人が通った西堀端の道。
この道は山国川まで直線道路ではありません、外堀に沿って作られているので、。
山国川に近い部分の西堀端の道は上記地図のように途中から少し左側(南側)にずれています。

黒瀬さんの思い出話
(子供の頃)西掘端町は川に泳ぎに行く道でよく以前の様子を記憶していますが 中津に(40年ぶりに)帰ってきて完全に様子が変わり、
埋め立てられて 片端町の様に掘りの上に家が建っていました。
金谷口から西堀端方面へ行く最初の細い堀は日豊線の線路になっていますがここは昔は巾の広い蓋の無い溝でした。

其処から先に行くと道はL字に曲がった所から堀が広くなつていますが この堀跡は全部畑でした。
平たい畑では無くて お囲い山に向かってゆるやかに下つており其処に溝があり、
お囲い山の上はすぐに線路でしたが山の斜面はかなり背の高い雑木の林でした。

お願い
この付近の昔の写真お持ちの方 是非提供してください(現物は不要です、複写させてください)。


この部分 建物部分も含め外堀跡です。
地図で南側に堀がはみ出した部分に相当します。


江戸時代より続く西堀端の道。
右側は中津城の外堀跡。
上の地図などで南側に外堀がはみ出している部分に相当します。

旅人はこの道を通り、島田口から城下町に入った。
写真の奥が山国川、手前が金谷口方向になります。





西堀端側から東堀端側を見る。
写真左のガードは金谷口。

江戸時代の旅人はこの道を真っ直ぐに進み、島田口から中津城下町に入ったそうです。


旅人はこの金谷口は利用できなかったようです。

大部分の写真は黒瀬 戦一さん提供です。
江戸時代の地図は片端町吉本さん保管のもの。

「城下町中津」は黒瀬さんの協力を戴き内尾の責任で作成しています。


2006年2月7日移転

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