中津城 修復工事

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平成16年10月9日撮影。


平成16年10月9日撮影。


平成16年10月9日撮影。
当時の石割の仕組みと道具。


この地図(中津市設置)の方位は右上が北です。


三ノ丁駐車場の隣が西側の堀、その下側が東側の堀です。
天守閣の下の堀は薬研掘。

西側(蓬莱園側)の堀復元(この堀には正式な名称は無いようです。)



昭和37年撮影の堀跡。
左側は蓬莱観跡。

忠魂碑の近くに枝振りのよい松ノ木が見える。


工事開始前に黒瀬さんが撮影。
  

完成した様子、平成20年4月4日撮影。


反対側(汐湯側)から見た堀跡。
工事前の写真。


完成した様子、平成20年4月5日撮影。


城壁が堀側にせり出した部分から撮影。
工事前の写真。

昭和20年代末までは手前側は水が残っていた。
その後埋め立てたらしい。


平成14年7月28日撮影。



完成した様子、平成20年4月4日撮影。


平成17年1月28日撮影。
一旦 埋め戻したようです。

これは下の写真のように反対側の側壁を作成するためのようです。



平成17年2月19日撮影。
左側は明治15年に出来た「蓬莱観」の跡地。
この劇場は終戦直前に取り壊された。

写真先方奥は汐湯。
完成した様子、平成20年4月4日撮影。

東側(昭和20年代創立時の旧城南中学校舎跡、この堀には正式な名称は無いようです。)の堀復元



昭和28年頃の東側 城南中学の校舎があった。



左前方に小幡英之助の銅像が見える。
旧城南中学(創立時)の跡地。
左側に独立自尊の碑がある(写真には無い)。

大鳥居 前の道路から写す。


発掘調査中。


復元が進みつつある石垣。

平成17年2月19日撮影。


平成17年2月19日撮影。


平成17年12月17日撮影。


平成17年12月17日撮影。
平成17年12月24日撮影。



平成17年12月17日撮影。


平成17年12月24日撮影。

平成17年12月24日撮影。



平成17年12月17日撮影。
昭和20年頃には石垣がありました。
その後城南中学の校舎を建設するために破壊したと思われます。



平成17年12月17日撮影。
創立時の城南中学の校庭の相当します。



旧城南中学の跡地も堀に戻されている。
ほぼ旧校門の位置から撮影。


撮影場所を90度ほど角度を変えて。


2つ上の写真の反対側から撮影。



完成した様子、平成20年4月4日撮影。




その他の場所での工事中の様子



平成17年12月17日撮影。

三斎池の近く 独立自尊の碑前で井戸を掘っているそうです。
この池は1622年開通の中津御水道の終点です。
最近は水道水を使っているので、あるいは節水の為か?。

堀に入れる水の確保が目的かも。

中津城の堀復元工事完成間近
黒瀬さんから最新の写真を送っていただきましたので、掲載します。
2008年2月19日


小祝側から見た中津城と水門


水門(海水取入れ口)


水門の城内側(海水取入れ口)


薬研掘 (本丸と2の丸間の堀)



薬研掘に海水が満ちている状態。


薬研掘の水位が下がっている状態。




この部分から暗渠で他の堀と結ぶらしい。


裁判所側の鳥居下を通って独立自尊の碑前の暗渠工事。




逆方向から見た写真。


大鳥居前で左折して(南側に)道路中央に暗渠を作っている。
おそらくここで左右の堀とつなぐことになるのでしょう。
(昭和25年頃は 写真右側の位置に城南中学の校門がありました。)


大手門石垣の修復


中津市立南部小学校 生田門
昭和35年撮影の三ノ丁。

中津城 大手門石垣
平成14年7月撮影の大手門石垣。
樹木が大きくなって、石垣がはみ出し、
危険と言う事でその後伐採されたようです。

livedoor地図

中津城 大手門石垣
石垣の上の桜は卒業記念樹だったそうです。



大手門跡と南部小学校。
平成16年5月撮影。


中津城 大手門石垣

中津城 大手門石垣
無残に伐採されています。
時期は不明ですが、平成16年の桜の開花後〜11月の間と思われます。



平成16年11月11日撮影。

中津城 大手門石垣平成17年一月には復元済。

大手門石垣の反対側。
昭和22年。
後方は中津警察署。


記念撮影した場所はこのようになっていました。
斜面に簡単に登れた記憶があるので、
校舎建設時石垣の厚さを薄くした可能性があります。

お囲い山


自性寺に残るお囲い山

江戸時代は中津城下町の周りに防御の為外郭に土塁をめぐらせてあった。
現在は自性寺の付近 日豊線線路際金谷口付近 片端町に一部が残存している。
金谷口付近から江三竹町 島田神社 寺町にかけて江戸時代はお囲い山が連続して存在したようだ。
江戸時代の城下地図を参照ください。


なお大正時代の中津町地図にはお囲い山の痕跡と思われるものが自性寺付近から江三竹町にかけて残っている。
城下町と島田(豊田町)との境のお囲い山は取り除かれている。



自性寺に残るお囲い山


自性寺に残るお囲い山


自性寺に残るお囲い山

なお 3ノ丁に昔住んでいたからの情報では南部小学校の校庭に昔残っていた小山(石垣)の延長が現サーパス中津(マンション)付近の敷地内にも昭和10年代には残っていたそうです。

城下町中津のゲストブックの書き込みより抜粋)
写真のサーパス中津城内側の各屋敷内後背地に連続した土陵があり、おそらく南部幼稚園内にあった小山(城壁跡)につながっていたのでしょう。

南部小学校の西側に昔 職業安定所があり、その裏付近に昭和20年代まで土塁が有ったのは記憶しています。
恐らくお城の西門付近から南部小学校の敷地まで連続して石垣(あるいは土塁)が有ったのでしょう。
現講堂の付近から直角にまがり、大手門石垣(上記写真参照)に続いていたはずです。

黒田時代中津城本丸内に寺院? 墨書のある石発見

http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000000602160003

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/oita/news/20060216ddlk44040561000c.html

http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2006=02=16=210864=chokan
↓に移転
http://kiji.i-bunbun.com/read/read.cgi?1140015600=210864=1

歴史民俗資料館

2005年1月29日
2005年12月19日 12月17日撮影の写真は全て黒瀬 戦一さんの提供です(その他も黒瀬さんの写真が多い)。
2005年12月26日
2005年12月27日

2008年2月19日:1339 黒瀬さんから堀を暗渠で結ぶ工事の写真を送っていただきましたので掲載しました。

2008年4月13日:1427 写真を追加するなど、大幅に変更しました。

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