鶴市花傘鉾祭り


今から870年前〔平安時代〕ほど前 山国川の水害が続いたためたまりかねた名主達が治水工事に取り組んだが難航。
お鶴とその子・市太郎の母子が堰〔せき〕を築くために人柱になりその後 水害はなくなつた。 
沖代平野は豊かな穀倉地帯となり母子の供養と五豊穣を願って祭りが始まった。
 
 ※ この名主達の石碑が 市内湯屋の瑞泉寺にあります。

 

 鶴市花傘鉾祭り 

 お鶴・市太郎入水前の図 〔絵葉書は800年前と書かれてありますから昭和10年頃の印刷と思われる〕 後方の山は八面山。
 加来さん提供の絵葉書。

A  現在の三口の堰〔最近改築〕 後方の山は八面山。 前手の森は鶴市神社。

B  鶴市神社、 本殿は階段の上にあります。

C  神社の横手にある お鶴、市太郎 腰かけの石。

D  鶴市二霊人柱記念碑。
平成17年8月撮影
E  鶴市神社で神事があり 各地から繰り出した十九基の花傘鉾とみこしは
   水田沿いなどを約30キロを巡行 

F


H

I  行列は中津市内を通り 神社へ戻る
   翌日は神社近くの山国川河川敷で花火大会やみこしの川渡りなどがあります。
 

平成18年8月撮影


平成18年8月撮影


平成18年8月撮影



このページは黒瀬 戦一さんに原稿を作成いただきました。

2005年8月31日

2006年8月29日

ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ

Counter