中津歴史民俗資料館

中津歴史民俗資料館は入場無料です、何故か分館の村上医家史料館 大江医家史料館は有料です。
中津を訪問された時は是非 本館をご覧ください。


甕などを除けば、昔の小幡記念中津図書館そのままです。
帰省時 一回は訪問するようにしています。

偶然か幼馴染の藤原 重輔さんが休日には留守番?しているので、更にありがたいです。



中津城の発掘現場で見つかった基石。
梵字が墨書きされているそうです。


大分合同新聞の記事(2006年2月16日 コピー)
中津市教委は十五日、発掘調査中の中津城本丸跡の地中から、仏教の梵字(ぼんじ)などを墨で記した石が見つかったと発表した。
近くで寺院建築に用いる礎石も出土。
この場所に寺院があった可能性が高く、同教委は「黒田氏が藩主の時代、寺院が本丸内に建つ珍しい形態をしていた」と推測している。
石は直径約一メートル、厚さ約四十二センチ。中央に直径約十二センチの穴(深さ約十七センチ)が開いている。
穴の周りに、方角や仏を意味すると考えられる文字「キリーク(西、阿弥陀(あみだ)如来)」「ウン(東、阿しゅく如来)」などが残っていた。
中央の穴が貫通していないことから市教委は「礎石ではなく、穴に水晶などを入れ、寺を建てる際の地鎮用として使った」と推測している。
藩主が細川氏になった十七世紀半ばの絵図には寺の姿がなく、黒田時代までで取り壊された可能性が高いという。
市教委によると、本丸内に寺院が建つ例は、織田信長が築城した滋賀県の安土城だけで、江戸以降の城郭では見つかっていない。
同教委は「中津城から出土した初めての文字資料で、中津城の初期の姿を知る貴重な手掛かり」として、近く歴史民俗資料館で公開する。




一階の展示室。


展示品。
時代別に順展示されています。


これは中津南高の校内から発掘されたものだそうです。

中津南高と大江八幡神社の間は昔 山国川(大家川)が流れていました。
恐らく 大昔の人は川の近くに住居を構えていたのでしょう。

高校時代 恩師の話によると、運動場の拡張工事か、体育館の建設工事の時に発掘されたらしいです。
当時はあまり興味が無かったので、忘れましたが・・。
なおここで言う体育館は校地の西側 山国川に近い位置にありました。
現在の体育館(昔の講堂に近い位置)とは違いますので念のため。














ここから二階の展示室になります。


城下町中津の古い地図も展示されています。


昔の掛屋(現在の銀行)の店頭を再現したもの。


京町の祇園祭りに使われた茶弁当。


説明を見落としましたが、祇園祭り関係のものではと思います。
次回帰省時確認してみます。


江戸時代の中津城下町図。
中津駅は地図の右下付近(堀を右側に延長した)になります。

大正時代の中津町地図
江戸時代の面影を残しています。
島田口付近が埋め立てられ江見竹町になり、外堀の跡に鉄道が敷かれています。
更に古い地図もあります。
この地図は資料館にも同じようなものがありますが、自分のものです。







子供の玩具







生活用具の展示。


漁業関係。


農業関係。

中津水道

中津の水道は九州最初の近代水道と思われます。




発掘された水道の遺構も展示されています。




石樋も展示されています、右側より撮影した写真は下側をごらんください。

中津御水道の石樋。

向こう側に細いものが見える。


展示してある御水道の城下町内配水系統図と井戸。
上記説明図にある京町3丁目の井戸枠云々は大手門入り口の角のものではと思います(未確認)。


展示してある蓬莱観の舞台の写真。
桟敷席はなんとなく記憶にありますが、舞台や外観の記憶はありません。

場所は自分が通学していた時代の城南中学の正門前(正確には斜め前)になります。
公園地(中津神社)の大鳥居の南側になります。

地図


小幡記念中津図書館の新築時の写真。
なお小幡記念中津図書館は慶応義塾の塾長だった小幡の遺志で中津に図書館をと明治時代に設立されたもので、
この時期に発足したのではありません。
恐らく2代目の建物と思われます。
高校時代まで図書館としてずいぶん利用させていだきました。
昭和24年の天皇陛下巡幸時の休憩所にもなりました。


新築時の記念絵葉書。

平成18年7月の中津歴史民俗資料館。

livedoor地図

2006年8月16日
2006年8月17日

2006年8月29日

2007年4月7日 写真追加。

ご意見ご希望は城下町中津の掲示板にどうぞ


城下町中津

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