山国橋(国道橋)

この橋に山国橋という名前があることを知ったのは高校生になった頃かもしれない。
それまでは皆 通称の国道橋と呼んでいた。
この道路は子供の頃国道3号線、その後10号線と呼ばれたいた。
昭和30年代中頃 新山国大橋が開通、そちらが国道になった。
明治時代に作られた レンガ造りの橋脚が現在も現役で活躍しているとは珍しいのでは。
文化財になってもおかしくないのではと思います。
それにしても 大分県側の橋の袂の汚さは嘆かわしい。

こちらに移転しました

山国橋 (国道橋とも云う)
満ち潮の為、橋桁の下方にあるアーチがほんの少ししか見えないが、
アーチがある部分は福岡県側の工事らしい。
手前の方が大分県側。
(平成17年7月23日撮影)

livedoor地図

山国橋 (国道橋とも云う)
橋の下流側に歩行者用の橋が新設されている。
(平成17年7月23日撮影)


明治37年に完成した山国橋で、この写真は大分合同新聞社の「写真で見る大分の100年」より。
上の写真と逆方向から撮影したもの。
下記国土交通省のホームページにもこの写真と同じ時期の写真があります。
手前が現福岡県吉冨町、対岸が中津市。
上部は木製の橋。

山国橋の歴史は「国土交通省の道の歴史探訪」をご覧ください。
九州の橋「山国橋」にも写真と解説があります。
なお山国橋は昭和9年に架け替えられた、橋脚を海側に継ぎ足し、上部をコンクリート舗装にした。

橋脚部にアーチ状の穴が開いている部分は福岡県側で工事をしたことを意味するらしい(写真集中津より)。

山国橋 (国道橋とも云う)
上の写真の下流側に橋脚を増設、道幅を広げ、コンクリート橋に架け替えたのが昭和9年。
写真で見ても増設分がはっきり判る。
左(上流)が明治、右側(下流)が昭和の橋脚。


戦後 自分の子供時代にはこの橋の下に水道管と電話線が通っていた。
当時吉冨町は中津市の水道と電話を利用していたらしい。
吉冨製薬に供給する為かもしれない。

今回確認してみたら、水道管は撤去されていた、跡形も無いので、あるいは橋桁部分も交換された可能性がある。
(平成17年7月23日撮影)



(平成19年4月19日撮影)


明治の面影を残す、名橋と管理人は思っているのですが、
橋の袂は汚いです、何とかなりませんか。
レンガつくりの橋脚の味わいはなんともいえません。

それと橋の親柱には戦時中まで電飾がありました、ぜひ復活してほしいです。
戦時中の金属供出で新博多町のスズラン灯と同様に無くなったままです。
(平成19年4月19日撮影)

山国橋 (国道橋とも云う)
平成18年7月29日6:45撮影。


最近は便利になりました、東京に住んでいても、
山国川の水位が時々刻々分かるのです。
(国土交通省のホームページの一部)

なお降雨量はここ大分県中津市外馬場2599−24

中津魚市場の賑わい。
山国橋の袂には中津魚市場があります。
平成18年4月29日(土曜日)6:37撮影


山国橋 と祇園車
この写真は加来 和彦様よりいただいたものです。
古博多町祇園車で昭和10年頃の写真だそうです。
祇園車が山国橋を渡るのは記憶がありません。
橋の完成(昭和9年竣工)を祝ったのではと想像されます。

福岡県側の橋のたもと近くでの撮影です。



山国橋の歩道部分(比較的最近の完成)から撮影した福岡県側です。
上の写真のバックの家屋と良く似ているので、同じお宅の可能性が高い。

(平成17年7月23日撮影)


2005年7月18日
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