岐阜市の山車のすべて
☆写真にマウスを置いて下さい。もう一枚別の写真が見られます。
更新日:2015年12月16日
山車(やま)鞍馬車

加納天満宮にある山車(やま)。屋根は大唐破風造りで鏡天井には金地極彩色の鳳凰を描いている。名古屋形といわれる構造で三層からなり、素木造り。中段は、後山へいくにつれ美しい曲線を描いてせり上がる珍しい造りです。山車各所の彫刻も変化に富んで楽しい。
 
現在の山車は加納本町5丁目のもので、江戸時代からの山車「蟻通山車(やま)」は1802年蟻通玉のからくりがあり、その後、1852年には「鬼塁師車」(かいらいししゃ)と呼び名が変わっています。所謂、からくりを扱う人のことを、こう呼んでいた様で、この呼び名に変わったのかも、知れません。この山車は1802年から1891年までで濃尾震災で崩壊しました。その後地元の復活の声が出て天満宮の一千年回にあわせ、明治35年に「鞍馬車」として新調されたものです。
 
山車の構造も「安宅車」と合い通づるものがあり長野県諏訪の名工、立川流の宮大工の作で、山車特有の解体は出来ない強固な構造になっている。
 空襲前、本町5丁目から戦争で「鞍馬車」を維持できないとして天満宮に保存を願い出て境内に倉を作り保存された。その結果、岐阜空襲の火災から免れ現在一台のみが残った。他の町内の山車(やま)は焼失した。
 ★からくり人形は名古屋市矢場町の人形師浅野秀之さんの作で、各人形のかしら内部に筆書きと花押と焼印があり、2006年10月18日糸替えで発見しました。そして、2007年9月16日人形師の住所が「名古屋市矢場町」と分かりました。
 さがさんの調べで、人形師の浅野は後、「浅野屋」雛人形店を経営していたのではないかと想像されるが、現在はその店は無いようです。
 ◆采振り人形・・・[明治34年辛丑<かのとうし・1901年>11月1日作人・名古屋市・浅野秀之]
 ◆牛若丸・・・明治34年9月1日浅野新蔵・秀之
 ◆大天狗・・・辛丑(かのとうし・1901年)[明治34年9月造之 作人・名古屋市矢場町・浅野新蔵・秀之 花押(書き印)と焼印あり。
●浅野新蔵さんは、愛知県岩倉町の「乱杭渡り」人形・大垣伝馬町松竹山車「龍神人形」など制作している。
 
 
★加納の山車は昔から[やま]と呼ばれて漢字も山へんに車(山車)と書いていた。
(「昔の山車」写真コーナーの記録文字に注目・ホームページにはこの文字が表現できません)
「鞍馬車」は[くらまやま]ではないかと思われたが、どの山車も車と書かれ「くらましゃ」と呼ぶのが正しいのではないかと思われる。
 
★2007年10月山車車輪修理の折、蔵の隅にあった箱から、藍染で格子模様の当時の楫方(かじかた)半纏が発見された。
襟元には「五鞍馬車」と書かれ背中にはよく読めないが鞍の字が図案化されているのではないかと思われます。皆さん何と読みますか?ぜひ、この衣裳を復元したいものです。
 
○嵯峨さんが、2009年(今年)その文字をコピー。そしてなぞってみると、ハッキリ「鞍」の文字が浮かび上がってきました。半被の写真にマウスを載せて下さい。そのなぞった文字の写真がみられます。
 
★2014年は、初めて独自の力で山車(やま)を動かしました。復活以来、後藤先生に迷惑をかけ、なかなか自立する力が出てきませんでした。昨年は、今まで育った子どもたちが、指導者となって新しい参加者の指導にあたりました。みな戸惑いながら必死で、締め太鼓の打ち方の見本を示し、なんとか祭本番に打てるようになりました。からくり方も締め太鼓から卒業した若者が参加し、なんとか牛若丸が動きました。こうして、自立の第一歩を踏み出した年になりました。
 
◆2015年10年余の使用した「からくり人形」の糸の動きが悪くなってきた。
大天狗の頭が上下が動かなくなった。頭を外し、糸を通すした。ゼンマイバネの先端が欠けていた。
 頭の中は、人形師の浅野さんの達筆が伺えた。今年は、上手く動くか。
天晴れ牛若丸

山車の彫刻の中で人形を操る「からくり方」の姿も見て下さい。
提灯を付けた山車(やま)の姿(マウス置いて下さい)
 
昨年の「写真・天神祭」を見てください。
2008年から、地元企業(ラブリクイン)から伝統を継承するという方向で若い社員が参加してくれました。新しい芽が伸びはじめました。
 
☆お囃子復活秘話
  「鞍馬車」のお囃子復活に一番力をいれたのは、当時のお囃子を再現する事。
天満宮に昭和20年頃、加納本町4丁目の後藤(葬儀屋)さんが戦後初めて上本町まで曳き出された当時の「車切囃子」の録音テープを天満宮に寄贈されていた。このお囃子は本町5丁目の鞍馬車のものではないかと、想像されます。現在唯一残る加納のお囃子です。
復活に際し、能楽師の後藤嘉津幸先生は、「道行」は「安宅車」のものをアレンジして使い、「車切」はこのテープを中心に、笛・締太鼓の演奏しやすいように少し手を加えて復活したと、話されました。(07年10月4日稽古終了後)そのなかで、特に、お囃子の魅力は「生演奏にあり、締太鼓一つとっても、太鼓の紐の締め方で、音が違う。3個の中で、一番調子の悪い太鼓の音を出し、その音に合わせて2個の太鼓を締め、音を合わせる。その作業が一番大切。その為に40分の時間をかけて太鼓を締める」と語りました。それによって、気持ちの良い高い調子の響きが山車から流れる。
笛の林先生は、「車切」のテンポから言っても、山車の構造から見ても、「山車」の回転はゆっくりと回転するようになっていて、速く回転させると山車そのものに負担がかかり、壊れる心配がある。と語っていました。
「鞍馬車」のお囃子に注目して、昔懐かしい「車切」を楽しんで下さい。
 
☆牛若丸が舞う鏡天井の絵の作者
  「鳳凰図」 牧田種麿作です。
 (今小町の石原美術館の叔父さんだそうです)
 
☆山車の水引幕の刺繍した「鳳凰図」
 2008年の「天神祭」で宵宮の山車に飾る提灯を出していた時、「古い山車の幕」と書いた保存箱が出てきた。中を見てみると「薔薇・鳳凰図・岩に花図」の刺繍織の水引幕が出てきました。長さを計ると「鞍馬車」の寸法には足らない。是は「鞍馬車」の前身「蟻通山車」かとも思ったが、イメージに合わない。どこか他の山車のものか。古い写真を見ると水引幕をした山車があることが確認できます。「鞍馬車」の古い写真では、確認できませんが、この幕復活して、「鞍馬車」に飾りたいものです。鏡天井に鳳凰図があるので、「鞍馬車」に飾っても違和感はありません。この写真で楽しみましょう。そして、この保存箱の「山車」の文字は「車山」と書いてあります。愛知県の犬山ではこのように書きますが、どちらが本当だろう。
[下に写真入れました][昔の山車]に詳細載せています。見て下さい。
 
☆陣羽織できる
 今年(2010年)は、「さが」さんが、陣羽織を作ってくれました。紅い下地に「鞍」の文字が背で光ります。目立ちますので、注目して見てくださいね。
(写真にマウス置いて下さい・横向き・着た姿見られます)
 
☆鞍馬車の入る、「山車蔵」が新しくなります。その工事が終り、全容が姿を現しました。白い壁面に鞍馬車の絵が大きく描かれる予定です。ご期待下さい。(下に蔵の画像があります)
 
☆5月14日(土)いよいよ、山車が仮小屋から新しい「山車蔵」に引越ししました。新しい山車蔵に「鞍馬車」の写真も掲載され、昨年の天神祭の仮小屋から、引越し、新しい「蔵」に納まりました。屋根部分を上げたままで、収納できる高さ。雨天の時は、この蔵でからくり人形の上演が出来るようになりました。(下に写真あり)
 
☆5月22日完成した山車蔵の「竣功祭」が行われました。美しく飾られた鞍馬車にお供えされ、氏子・山車蔵の出資者も集まって盛大に執り行われました。下に3枚の写真を残しました。
 
☆山車彫刻の秘話
山車には、彫刻がほどこされています。
中段から後山へ優美な曲線でせり上がっています。そこに、上段に蝙蝠下段に川に遊ぶ蟹の彫刻があります。
蝙蝠は古来から100年以上長生きしたとして、長寿につながる動物であり、川を守る(カワモリ)がその語源であるといわれています。
は川に遊ぶ姿が彫られています。水辺の動物が火事などの災害から守る意味があり、「鞍馬車」を何時までも町中を曳き、火災などの災害を守ってくれることを願っての彫刻ではないかと言われています。
竹と雀は竹は節目ごとに伸び、雀は厄をついばむ。
は群れを成すところから、幸運が訪れる。
いずれも民間信仰からきている縁起の良いところから彫刻されているのだろう。
 
この彫刻の作者は不明ですが、川口為次郎(竹鼻町)の作風に類似しているので、この人の作ではないかと想像されます。
 
 
 
 
 
 
 
 


山車と屋根の彫 山車曲線美と鏡天井画 山車彫刻と人形方 からくり方
からくり方5人衆と衣裳付け からくり方 牛若丸舞う 長刀持つ手首・笛方衆
牛若丸動く ロボフェステバルに参加したからくり・囃子方 大勢の観客の前で舞う 人形舞の囃子方
05年加納西文化祭で公演 05年加納西文化祭で公演 大天狗(山伏)のかしら内部 大天狗かしらの人形師名
楫方半纏、襟に「五鞍馬車」と書かれている 「鞍」の文字が図案化されている 襟元の文字アップ 背の文字アップ(鞍の図案文字)
2007年加西文化祭で上演 謡・笛の皆さん 牛若丸動き始める お囃子を聴く沢山の参加者
人形舞囃子を打つ 長刀を回転させる牛若丸に大天狗天晴れ。 鞍馬車と楫方半纏 水引幕「鳳凰図」
昔の幕保存箱 水引幕「鳳凰図」全図 08年文化祭 08年文化祭
後ろ姿の陣羽織 陣羽織の前と横から見た感じ
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