
《八街へ》の未来は?
| ここ八街は、佐倉に隣接し、近くに成田空港があり、千葉への往来は多いのですが、のどかな田園地帯を守り続け、プラネタリウムの世界を魅了させてくれます。この街に惹きつけられる反面、いつも"後追い"の焦燥感が漂います。(私個人の問題だと思いますので念のため) ところでサブタイトルの「《八街へ》の未来は?」ですが、どうもこの住居表示が気になって仕方ありません。 八街へ、といったら、八街発展の拠り所となっている「八街神社」がありますし、八街特産で全国的に有名な落花生を研究する「千葉県農業総合研究センター・落花生研究室」があります。 今年(2001年)、日本初と言われる狂牛病の牛が白井市で確認されましたが、同じ牛舎で飼っていた牛39頭からの試料摘出を行った「千葉県畜産総合研究センター」もあります。 市街地と比べれば耕地の比率が多い地域ですが、商店や住宅はどんどん増えています。 八街へ、にお住まいの皆さんはどう感じておられるか...
この説明で時間を使いますよね。私は「に」に住んでますが「いろはに の に です。」と言っても、間違えて「2」を書いてくる人もいます。(それとは事情が違いますけど) 「へ」は恥ずかしい...と思うのは失礼でしょうか。 江戸の火消しは い組 ろ組 は組..と付けられたけど「へ組」「し組」は無かったそうです。
全国郵便番号簿(電子版)でみると、いろは..を枝番として現在でも残っている地域は(郵便番号と関係する地域は)、次の通りです。
このように かなの「へ」まであるのは八街市だけです。 山武郡では「平」の字を充てています。 私の調べ方がまずかったのか、全国の郵便番号に関係する地名の中で、ひらがな/カタカナの い・ろ・は が付いた地名は、千葉県の他は見当たりませんでした。 八街の「へ」は単に連番として採用した「いろはにほへ」です。東北地方に見られる一戸〜九戸のように古来より地形を表す「へ」ではありません。 現在、八街市では 一二三四五六七区、大東区、真井原区...など市内全域をカバーする区の名前と、もう一つは戸籍で使われる住居表示 八街いろはにほへ などを自由に混在して使っています。これには愛着がありますが、反面とても煩雑に感じます。 大谷流、小谷流、用草、勢田、文違などの区は、区を付ければ区名となり、外せばそのまま住居表示の大字(おおあざ)となるので分かり易いです。 しかし 一〜七区 と 八街い〜へ は境界が異なり、まず共通性はありません。 市役所発行の地図では区割を強調して印刷されています。各区名が大きな文字であり、色分けも区ごとになされています。市役所に地域の問題等で相談すると「区長に話して下さい。区で相談して下さい。」と言われます。お祭りは区ごとに行います。 ところが、市販の地図では「八街い(ろはにほへ)」などの住居表示を強調して印刷されています。「八街い(ろはにほへ)」が大きな文字であり、色分けも「いろはにほへ」の別になされています。当然ですが郵便物の宛名は住居表示の通りであり、戸籍や免許証も同じです。 そうなると日常生活に関わるすべてが、この二通りを併用しないとやっていけないことになります。 では、区番はいつから付いたのでしょう。「八街町史」(現市)には次のように書かれています。(抜粋) 明治22年の町村合併の時に出来た 新「八街村」では、開墾会社の番号のまま、八街村 柳沢地区 一番〜六番となっていたそうです。 その後 大正7年、行政区画を整理した時に 一〜五番が 一〜五区になり、笹引/駒返/二軒家をまとめて六区と定めたそうです。 六番は夕日丘/西林になりました。 いろはにほへ の連番はいつから付いたか ですが、「八街市史研究」創刊号「八街市内「字名」研究」(竹内 繁 著)に次のように書かれています。(抜粋) 明治9年の地租改正 事前調査のとき、八街村に いろはにほ番地 を付け、小間子牧村に へ番地を付けたのではないか と書かれています。 明治22年の町村合併の時に出来た 新「八街村」では、八街村 八街 い(ろはにほへ) のように、現在と同じであったそうです。 このように明治時代から併用してきた訳で、先住者の苦労が偲ばれます。 しかし外部の人から見ればずっと煩雑なので、内部者だけが共有できる情報のメリットがあったのではないかと想像します。 でも「へ」を採用した理由になりますと、これも想像ですが、明治のお役人が安直に付けたのでしょうか。当時の地元住民はどのように考えていたのでしょう。 その後、昭和30年代の新住居表示ブームの嵐に揺らぎもせず、昭和後期/平成のニュータウン時代でも、天然の"地名博物館"を守り続ける努力に頭が下がります。 「八街市史研究」創刊号によると、へ番地の付いた小間子牧村は、当初、印旛県が仮に名付けたもので立村の実態はなかったそうです。 「八街町史」のなかの「新八街村確立までの過程表」によると、明治11年11月、郡区町村編成法施行のとき八街村の戸長役場を実住においた頃に、小間子(牧)村は八街村に合併したように表で書かれています。そして注釈として「小間子(牧)村合併年月不詳」となっています。(2001/11/16追加) 戸籍や運転免許証に記載できる法的に有効な「住居表示変更」をお薦めいたします。もう「へ」で悩まなくなります。 新しい地名を決めるのは、居住者の皆様の 夢の出し合い 一番楽しめるシーンだと思います。たとえば... 番地表示の頭文字を変更 前掲「八街市史研究」創刊号には、明治に採用したとき、いろはにほへ は字(あざ)ではなく、番地表示の頭文字として使った、と書かれています。 ですから、連番を表す別の文字や数字に置き換えることが出来そうです。
へ → 小字(こあざ)名に変更 どうせなら へ を別の地名にしてしまいましょう。 八街市 (大字)八街 (小字)○○ 123番地 の、 ○○ の部分を新しく作ります。
住民の意思の現れで住居表示変更が叶わなければ、仕方ありません、なんとか誤魔化しましょう。 郵便物の差出人欄、名刺、広告チラシなど(場合によりけりですが)法的には拘束力がなかったと思います。 ただし必ず郵便番号を併記しましょう。郵便配達の方のご迷惑にならないように。 案1) 八街 部 123番地のように、かな 「いろはにほへ」の元になった漢字「以呂波仁保部 (または伊呂八二保部)」を充てましょう。または「へ」と読み易い漢字 経、戸 を充てます。八街_経_123 のように字間をあけて見やすくしておきましょう。 (この項 2002/4/9 変更。それまで「へ」は「辺」から来ていると勘違いしていました(冷)。) 案2) 八街 123番地のように「へ」をはずしておきます。〒289-1113 で「八街へ」までを表しますから、極端な話 郵便番号を併記すれば 123番地だけで届くはずです。でも誤配を避けるため出来るだけ「八街市〜」から書きましょう。 案3) 八街 え 123番地のように、うっかり へ→え と書いてしまいます。もちろん郵便番号を併記です。 案4) 八街六区 駒返 123番地のように、区名と小字(こあざ)名を利用してはいかがでしょうか。「八街へ」には 六区、四木区、滝台区があり、それぞれに小字が付いていますから、それと番地を並べれば住居を特定出来ます。郵便番号を併記します。 ご注意: これらは郵便物/宅配便の配達や訪問者に迷惑がかかりますから、あくまでも仮定の話であります。実際の使用は個々人の判断と責任によります。法的に有効な文書へは適用できません。 文面からご理解いただけると存じますが、私は当地に愛着があるからこそ、あえて提起させていただきました。 八街へ に隣接して「東金市極楽寺」「山武町武勝」など、住んでみたくなる地名が並んでいます。 八街へ を通れば、深淵な森や静かな住宅地、立派な社、すがすがしい野菜の畑が多く、素晴らしい場所だと誰でも感じ入ります。 もし当該地定住者の皆様がこのページを不快に感じられましたら、深くお詫び申し上げます。 八街町史 昭和49年7月31日 八街町史編纂委員会 編集 八街町(現市) 発行 八街市史研究 創刊号 平成6年11月2日 八街市史研究会 編集 八街市 発行 このページ制作: 2001年11月 |