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| 続・八街祭礼のしおり 2004年から開催日が変更になります。 |
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| 2001年10月に「八街祭礼2001年のしおり」をウェブにUPしましたが、その後
見たり聞いたりした話や、その後 出版された冊子を参考に続編を書かせていただきます。 2003年、図書館に行った時、「八街市三区の祭り」という冊子を偶然見つけ、「あったのか!」と驚きました。いままで八街祭礼の解説書が見当たらなかったのです。 この冊子は発行日が2002年10月8日ですので、昨年の祭礼約1カ月前に発行されています。
八街祭礼の沿革 三区の冊子は祭礼経験者約8人が年代別に筆をとっています。冊子を元に祭礼の移り変わりを年表形式にまとめてみました。区の項に「三」と記したのは三区のみの出来事です。年表は他の書籍冊子と伝聞も参考にしました。
冊子の内容は三区について書かれています。三区には八街開祖の邸があり、区全体も「宮元」として八街神社と関係が深かったようです。率先して祭礼の発展に努めた様子が読み取れます。従って八街祭礼を三区から類推することになります。 八街祭礼の変革点として次が挙げられます。(年表と重複)
このように歴史は明治初期から始まり、山車、屋台、神輿の使用は、かなり後になってからです。七つの区が足並みを揃えたのは競演会の誕生以降と想像されます。 祭礼の根拠は、明治5年11月2日、字(あざ)八街が八街村に格上げ独立した記念と、無事に収穫が終わった感謝の秋祭りの意味があります。 各区に縁が深い近郷で行なわれていた秋祭りを参考に、各区が別々の様式を採り入れ、競い合ったと考えられます。 比較的新しいお祭りですから、八街祭礼は保存するものでなく、現在進行形で発展の余地がありそうです。 八街祭礼の日程と時間
山車と屋台、神輿の巡行渡御の時刻とルートは年によって異なるようです。 祭礼の準備期間中、主催する各区では巡行路と時刻表を印刷して参加者に配布します。見学者は、これを入手するのが一番分かりやすいです。各区ごとに異なり、計7枚あるので揃えるのは大変ですから、観たい区だけの入手をおすすめします。 祭礼期間中、主催する神社の境内や区の集会所に祭礼実行委員がおられるので、時刻表を見せてもらったり、入手を試みて下さい。 祭礼全体の参考にはなりませんが、三区の時刻表の抜粋を以下に記させて頂きます。リーフレットでは更に詳しい場所と時刻のリストがあり、巡路図と一緒になっています。(平成12年分は冊子に複写されています。平成14年分は祭礼時に戴いたものです) 三区の巡行時刻表 (例)
第2日目の競演会には七つの区が集います。毎年ほぼ同じ時間割のようです。
八街祭礼の楽しみ方 第1日目 (開催日は年毎に変わる) 各区内を山車や屋台が巡行しています。午前中から回っている所もありますが、午後から見に行ったほうが確実のようです。(午前中は各区の神社などを見るのもよいでしょう。露天商が出ている神社もあります) 七年に一度の大年番(おおねんばん)にあたる区は八街神社の神輿をかつぎます。 それとは別に独自の神輿を持つ区もあります。 通常、神輿は山車や屋台の後方について渡御します。神輿だけ別ルートを行く時もあります。 屋台の前方には踊り子が大勢おり、区内の各所で止まって踊りを披露します。(1日に約10回) 踊り子は区内の娘さんや子供たちです。区内で踊る時はリラックスしていたり、恥かしがったりして、競演会とは別の表情があります。 祭行列の見つけ方ですが、各区で巡行路図と時刻表を見せてもらうと良いです。 図表が手元にない時は、次のように祭行列を見つけています。 主催区内を車で走っていると急に渋滞が始まります。 その前方を屋台が巡行しています。 渋滞が始まると30分は続くので抜けられません。 渋滞しそうになったら、早めに近くのコンビニ等の駐車場にとめて、 (コンビニ等で買い物をして)、歩いて渋滞の前方に向かいます。 歩道の無いところが多いので、車に要注意です。 JR八街駅南側の「けやきの森公園」沿いに露天商が沢山立ち並びます。 子供連れだと、ここで長く時間を使えます。 祭礼当日は公園の駐車場が利用できません。 どの区も夜9時に巡行を終えるようです。屋台は各区の神社に戻ります。 第2日目 (開催日は年毎に変わる) この日は午前中から各区で山車、屋台が巡行しています。 祭礼最大のイベント「競演会」が一番の楽しみです。七つの区がお囃子と踊りをかわるがわる披露します。山車と屋台も集結します。 競演会は午後1時から八街市役所の敷地内で行なわれます。 早めに着けば山車屋台を間近で見られます。(午前11時50分頃から先頭の区の入場が始まります) 午後2時30分頃、競演会が終わると、各区の山車屋台が退場を開始します。これも見どころです。区毎に特徴のあるお囃子と掛け声で退場します。 退場時に市役所正門 (年により保健福祉センター側の門) で、三区は「三光回し」(さんこうまわし)を披露します。六区は屋台の屋根に登って「餅まき」を行ないます。 「三光回し」は、お囃子連を乗せたまま、若連が祭屋台を一気に回転させます。車輪がきしみ、地響きが立ち、勇壮なものです。市役所の他に、JR八街駅前、八街十字路などで行なわれます。(前項参照)
競演会が終わると、また各区に戻って、夜まで区内を巡ります。 祭行列は昼と夜で違った姿を見せてくれます。夜は屋台の提灯に明かりをともして幻想的です。 各区とも、お囃子のレパートリーは多く、巡行のときはゆったりした曲調で、競演会とは違った趣きがあります。
この日も夜9時に山車屋台が各区の神社に戻ります。9時少し前、各区とも、神社か神社の近くの広場で最後の踊りを披露しますが、この時は最後とばかりに熱がこもります。 八街祭礼は七つの区が身内で行なうもので、区外や市外の観客にサービスする種類の祭りではないようです。(競演会は別) エピソード ☆ハッピの背中のマーク「三番」「四番」・・は、それぞれ三区、四区・・を現します。明治初期、八街に入植した人達の開墾会社に番号が付いており、一番会社から六番会社までありました。ほとんどが現在の区域と同じです。(六番だけ異なる) 入植者は各々の会社に属し、競い合うように開拓を進めました。今でもバス停に「二番」「四番」「五番」「六番」の名が残ります。八街は開墾により誕生した地域なので、開墾初期がビッグバンのように大きなインパクトになっています。 ☆六区の屋台はユニークな回転式です。中心に軸があり、下部の台車と上部のお囃子連が乗る部分が別々に動くのです。グルグル回ります。区内の大工さんが制作しました。メリットは、狭い道を行く時、上部と下部を微妙にスライドさせると、電柱や木などをすり抜けられるのだそうです。また、お囃子の響きが場所ごとに最適になるように回転させるそうです。 ☆平成14年(2002年)から「八街秋祭り」と呼び方を変えました。いままでは「八街祭礼」「八街神社大祭」と呼んでおり、正式には「八街神社秋季例大祭」でした。なぜ呼び方を変えたかですが、神社のイメージを少なくして宗教の違いに関わらず参加できるようにと、そして宗教性を取り払えば市からの補助も期待できるからとのことです。ただし現行の方法では、八街神社の神輿を担ぐ神事などの矛盾も生じるので、この先、検討を要するとのことです。 ☆祭礼には多くの経費を使います。1回の祭りで1つの区あたり300万円以上かかり、7年に1度の年番区(ねんばんく)にあたると450〜550万円はかかるそうです。 ☆寄付金は区内の商店や個人から集めます。商店は快く出してくれるけど、個人は年々難しくなっているようです。年番区だけは他区に越境して集めて良い決まりです。年番区の祭行列は他区をまわりますが、その時、白い御幣を持った御祓い役が二人程おられます。この方達が他区から寄付をいただく役です。でも難しいときもあるようです。 参考資料 年代による出来事、巡行時刻表、競演会の時刻、祭行列の模式図は、冊子「八街市三区の祭り」を参考にさせて戴きました。コピーではなく自分なりに理解した上で要約の形をとらせていただいております。
年表で明治期の部分は次の書籍冊子も参照させていただきました。
エピソードは各区、特に五区、六区の皆様にお話をうかがいました。 皆様にあらためて感謝申し上げます。 文中に誤解があればご指摘頂けると幸いです。 また、削除したほうがよい部分はご連絡下さい。 これからもよろしくご指導の程お願い申し上げます。 ご注意
コンテンツ制作: 2003年4月 保地 2004年10月9日 改訂版 |
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