八街祭礼の しおり
(八街祭礼 2001年のしおり 改訂版)

2004年から開催日が変更になります。

イラストは FAT HomePage の素材集を使わせていただきました。
イラストの神輿と担ぎ手の姿は実際の八街祭礼とは異なります。


 毎年11月に行われる八街神社の秋祭り「八街祭礼」 (八街神社大祭) について書かせていただきます。

●呼称の変更: 市内では2002年から「八街秋祭り」と呼び方を変えました。


八街神社


 八街市役所発行「八街市マップ」(平成10年7月版)のなかに「八街アラカルト」という項があり、八街祭礼について次のように掲載されています。

 『明治5年5月、西村家の氏神 氷川さまを実住(みすみ)区住民の氏神とし、明治6年と13年に八街神社として遷座、明治27年 現在地に遷宮、村独立の11月2日を祭礼の日としました。2日・3日と行われる祭礼で、駅周辺には出店が並び、山車は各地区独自のおはやしで市内をねり歩き賑わいます。特に3日は市役所で山車の競演が行われます。』 (引用) 遷座(せんざ)とは 氷川神社の本社から御霊を八街神社に移したことを言い、遷宮(せんぐう)とは 八街神社の場所を移したことを言います。

 また、八街市発行の市勢要覧「やちまた魅力探検・Human Field マイタウン八街」には次のように掲載されています。

 『(八街神社は) 埼玉県大宮市の氷川神社より分霊したもので、毎年11月2・3日には市内7地区から屋台が繰り出し、3日には市役所前の広場でお囃子や踊りの競演が行われます。』 (引用)

 「八街町史」(現市)には更に詳しく次のように書かれています。(要約)

  • 明治5年(1872年) 5月、西村家が、家の氏神である 武蔵野国 足立郡 高鼻村 (現 大宮市)の 官幣大社氷川神社の分霊を乞い、八街村 実住 字 氷川台ほ 215番地 (現在の四区)に 祠(ほこら)をつくり、氷川様(ひかわさま)をまつった。
  • 明治6年11月23日、国に許可をもらって 産土神八街神社とし、個人の社から地元の社にかわった。
  • 明治13年11月2日、氷川神社の本社より改めて遷座を行った。本社の宮司が八街で遷座式祭儀を行う。この後、実住、東実住、住野、西林、夕日丘、真井原、小間子の鎮守となった。
  • 明治27年、八街村 八街へ 217番地 (六区) に遷宮。現在に至る。場所は西村家が提供。当時 国内は町村合併の時期であり、八街村も明治22年に近隣の村々と合併しているが、『新八街村全域を考慮に入れて神社の位置を再考』 (引用) した結果らしい。
  • その後、一〜七区のそれぞれの稲荷神社と、夕日丘、坂江、西林、真井原のそれぞれの氷川神社が 八街神社の遥拝所 (ようはいじょ・遠く離れて拝む場所) となっている。これらの神社は八街神社の祭礼日と同時に祭礼をおこなっている。

 このように、家の氏神であった「ひかわさま」が、時代とともに段々と周囲の信頼を集め、氏子の地域を拡大していく様子が読み取れます。

●開催日の変更: 2003年までは毎年11月2〜3日に行なわれました。2004年以降は日程が変更になるようです。たとえば2004年は11月6〜7日に行なわれます。観覧の際は事前にご確認願います。


西村家


 では西村家と八街はどのような関係なのでしょう。「八街町史」から要約すると次のようないきさつとなります。

  • 西村郡司氏は武蔵野国北足立郡に生まれる。
  • 18歳で江戸に出て、のち結婚、深川に居住。
  • 横浜開港に際し、リスクの大きな時代にも関わらず、店舗を横浜に設け、貿易を行う。
  • 明治維新では新政府のために奔走。軍資金一万円を献金。富豪たちに新政府に協力するよう説得。その為、三井氏も十万円の献金をした。これにより政府は三十万円を集めることができた。
  • 明治2年、大蔵省から商社頭取を命ぜられる。
  • 旧江戸の窮民のため、下総に開墾会社設立の話が出ると、率先して 八街、三咲、九美上などの開墾に従事。
  • 明治5年、開墾会社は解散。止むを得ず、独力で財産を投じて開墾の経営を続ける。
  • 明治28年、82歳で病没。生前と没後、政府から数多くの賞/勲位を受ける。
 西村邸の外庭は、明治末〜大正初め頃に実住小学校の仮校舎があり、その後は保育園になり、現在は「けやきの森公園」になっています。
 郡司氏の孫にあたる繁氏は、大正12年に私財を投じて八街農林学園を創設、現在の千葉黎明高等学校になっています。


八街の歴史

 八街神社の興隆と八街の歴史を照らし合わせると、なぜ八街祭礼が地域の大きなよりどころになっているか見えてきます。八街の歴史をざっと思い返してみましょう。(主に市勢要覧を参照しました)
  • 江戸時代まで千葉県の北総地域は広大な馬の放牧場・「牧(まき)」だった。
  • 明治になり、東京から窮民が開墾のためこの地に移り住みはじめた。
     その8番目の入植地という意味で「八街」(やちまた)と命名された。
  • 開墾の事業は苦難を極め、多くの人が定住を諦めて村から出ていった。
  • 明治3年から入植が始まり、明治5年に開墾会社は解散した。
  • 明治5年11月2日、「八街村」が誕生した。
  • 明治22年には隣接した村々と合併して大きくなっていった。
  • 明治30年、総武鉄道が開通して、農産物の流通拠点として発展しはじめた。
  • その後も新天地を求める人達が次々と越してきて、村→町→市 と時代を超えて規模を拡大し続けている。
  • 現在でも市の農業粗生産額は千葉県内で2位を誇る。(2001年の時点)
  • この地から千葉市、東京都に通う人達もおり、都心への通勤圏ともなっている。

 このように明治初期の入植者のコロニー「八街」から発展してきた訳ですが、八街神社の祭礼は地域をつなぐ証しとして時代を超えて続けられているようです。


八街市の秋祭り

 ところで市勢要覧には、八街市内の 旧川上村の十カ村 (東吉田、吉倉、砂、上砂、勢田、大谷流、小谷流、用草、岡田、根古谷)と、文違、大木、木原、沖渡 は江戸時代に入る頃すでに村落が形成されており、榎戸、大関、雁丸 は江戸初期の村落であり、これらの村は稲作中心だったと書かれています。
 八街市発行「八街市史研究」第3号のなかで「村の年中行事」(瀬尾 年勇 著)には、岡田区の行事が詳しく掲載されていますが、秋祭りについては次のように書かれています。
 『十月半ばになると五穀豊穣を感謝してどこの村でも秋祭りが行なわれる。』 (引用)

 八街市のなかで市街地付近は、明治初期から畑作を中心とした入植者のコロニーや農産物の集散拠点として発展してきたようです。その1〜6区と大東区が執り行う秋祭りが「八街祭礼」というわけです。

 つまり毎年秋には市内の各場所で、小規模ながらも伝統ある秋祭りが行われているのです。
 たとえば 山車・だんじり悉皆調査 でみると、11月2〜3日 1〜6区 大東区の八街神社「八街祭礼」の他に、11月2〜3日 八街は 住野神社、11月8日 沖 烏森稲荷神社 の祭礼が見つかります。
 また「八街町史」(現市)では、すべての神社を一社ずつ詳細に解説されていますが、祭礼の日程が書かれた神社だけを表にまとめると次のようになります。

地区名 神社名 創建年 むかしの祭礼日程 昭和49年頃の祭礼日程  ※1
六区 八街神社 明治5年   11月1〜3日 ※2
一区 嬬恋稲荷神社 明治7年   八街神社と同じ
二区 女化稲荷神社 明治12年   八街神社と同じ
三区 三光稲荷神社 明治初年   八街神社と同じ
四区 豊川稲荷神社 明治初年   八街神社と同じ
五区 熊谷稲荷神社 明治10年   八街神社と同じ
大木 大宮神社 不詳   旧八街町と合併後、八街神社と同じ
文違 子の神神社 不詳(宝永以前) 旧暦 9月18日 昭和35年から八街神社にあわせて11月3日
雁丸 大宮神社 延宝2年(1674) 9月15日 昭和20年から八街神社と同じ
文違 文違神社 明治26年   昭和36年から八街神社と同じ
住野 住野神社 明治初期・八街神社を分霊   八街神社と同じ
榎戸 大宮神社 寛文元年(1661)   10月18〜20日 (7月15日 夏祭り)
小谷流 神明社 不詳(かなり古いらしい)   10月16〜18日
東吉田 客人神社 元禄元年(1688)   10月19〜21日
吉倉 稲荷神社 長享2年(1488)   昭和40年頃から八街神社と同じ
日枝神社 天正19年(1591)   2月の初の申の日に「大びしゃ」
上砂 熊野神社 宝永5年(1708)   2月12日「おこもり」

※1  「八街町史」の発行年。
※2  1日からと書かれている。


 更に、「八街市史研究」創刊号のなかで 「谷津田の村の生活と風習」(瀬尾 年勇 著)があり、開墾以前からあった稲作中心の地域の秋祭りの様子を詳細に解説されています。その抜粋を次に掲載させていただきます。

  • 秋祭りは、よいまち、ほんまち、あがりまち、(後片付け) の 3(4)日間行う。
  • お祭りの費用は各戸から「灯明料」として集める。
  • よいまち に、神社を清掃し、幟を立て、絵を描いた半紙を行灯に貼る。夜は おこもり を行う。あずきがゆを炊き、酒肴をもって夜半過ぎまで太鼓を打ち鳴らす。
  • ほんまち は、明治以前は僧侶の読経により祭りが行われた。明治以降は神主による。親類等をよんでご馳走する。
  • あがりまち は、休養に充てる。
  • 翌、後片付けの日は、幟をおろし、行灯をしまい、清掃を行う。
  • 秋祭りは10月に行い、ほんまちの日は次の通り。
    • 17日 用草、小谷流、勢田、吉倉
    • 18日 岡田
    • 19日 大谷流、砂、上砂
    • 20日 東吉田
    • 25日 根古谷

 この書の解説は、私が2001年に 真井原区、夕日丘区で地元の人達にうかがった話と符合します。両区は上掲の古村の地域と異なりますが、夕日丘区の神田神社では本年も続けられており、真井原区の氷川神社では昔の話としてうかがいました。両区は八街祭礼の共催区ですが、八街神社の遥拝所であっても古来からの風習を伝えているようです。八街祭礼は、地域の歴史の重みを残しつつ、新しい様式を取り入れながら地域の融和につなげているのだと思います。


八街祭礼の様式


 さて八街祭礼の実演の様子ですが、私は残念ながら区外に住んでいるので、実演についての細かな取り決めは知りません。
 現在、唯一インターネットのWebページで知ることが出来るのは、飯出さんが主催する IIDE's HOME Page です。二区の実演に参加して詳しく取材されています。
 飯出さんのWebページを参考にさせていただいて、祭礼全体のルールを推し量ると、ほぼ次のようになります。

  • 八街祭礼は、毎年11月2日と3日(新暦)におこなう。(2003年まで)
  • 八街一、二、三、四、五、六区 と 大東区 が執り行う。
  • 各区は、それぞれ区内に鎮守(ちんじゅ)(神社)をもっている。
  • 各区は1年ずつ順番に「大年番(おおねんばん)」となり、八街神社の神輿(みこし)をかつぐ。(1999年 二区、2000年 三区、2001年 四区...)
  • 神輿は「大年番」の区の鎮守から出て、各区の鎮守と八街神社を巡行する。
  • 各区は、それぞれ山車(だし)をもっており、全ての山車が 各区の鎮守と八街神社を巡行する。
  • 11月3日、市役所 (年により総合保健福祉センター) の広場 (駐車場) で「競演会」を催す。山車が一同に並び、その前で各区がお囃子(おはやし)と踊りを競い合う。(2003年まで)

 なお、私はすべて山車だと思っていましたが、山車・だんじり悉皆調査 でみると 1区は山車1台、2〜6区と大東区は屋台6台と書かれています。山車(だし)と屋台(やたい)の解説は 祭りだ!屋台だ! に詳しいです。別に区別しなくてよいとも書かれています。

 お囃子(おはやし)の流儀ですが、江戸まさり 佐原の大祭 に、書物「佐原囃子集成」の抜粋として、平成10年頃の様子が書かれています。
 それによると 4、6、大東区は 佐原囃子、1区は 旭静山流、2区は 江戸囃子、3区は 八街囃子旭静山流 が合わさったものとして書かれています。5区は 八日市場砂原流 だそうです。
 有名な大祭の開かれる佐原周辺の広い範囲には、佐原囃子 を演奏する「下座連」という集団があり、それぞれの村/街のお祭りで佐原の風情を伝えているようです。八街にも 30 の下座連が存在すると書かれています。
 IIDE's HOME Page では「1998年八街秋祭り」→「お囃子を担当しているみなさんへのインタビュー」で、この辺の事情を取材されています。

 八街町教育委員会(現市)発行「写真で見る八街の歴史」には次のように書かれています。
 『八街神社のみこしは、年番の区の人たちによって担がれ、町内をねり歩く。年番に当たるのは、一区〜六区、大東区の七つの区である。みこしのほか、各区で山車(だし)をくり出し、最近では、おはやしの競演が行われるようになった。』(引用)
 この書籍は昭和62年(1987年)発行ですから、お囃子や踊りの競演は比較的新しいようです。
 八街神社と各区の鎮守を山車が巡るときに、若衆の奉納の踊りがありますし、お稚児さんたちの行列や踊りも入ります。若衆の踊りは「競演会」で華やかです。


八街祭礼の見どころ

 第1日目は見物客も少なく静かに楽しめます。地区の祭りですから、私達 外部の人は そっと見ていたいものですね。
 第2日目の「競演会」には多くの人達が見物に集まります。毎年、市役所の駐車場で午後1〜3時半頃に開かれるようです。(2000年は市役所に隣接した総合保健福祉センターの駐車場でした) 一番盛り上がるのは この「競演会」でしょうか。
 そして第2日目の夜、各区に山車が戻って最後のまとめを行う時も盛り上がるようです。でも第2日目の夜は区内の人達だけで見守るような雰囲気があります。
 お祭りの場所が市街地ですから交通規制をおこなっています。この期間はどの道路も渋滞します。
 日時の詳細や巡行ルート等は、事前に関係者からお聞きになることをお薦めします。


八街祭礼を主催する神社

 八街町教育委員会(現市)発行「写真で見る八街の歴史」に市内の神社一覧が掲載されています。その中で八街祭礼の区内の神社をここに引用させていただきます。

区名 神社名 祭神 所在地 創建年月
六区 八街神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街へ217 明治5年5月 (明治27年遷宮)
一区 妻恋稲荷神社 倉稲魂命・保食大神 八街ほ109−3 明治7年
二区 女化稲荷神社 倉稲魂命 八街に105 明治12年9月4日
三区 三光稲荷神社 倉稲魂命 八街ほ376−2 明治初年
四区 豊川稲荷神社 咤枳尼真天 八街ほ551 明治初年
五区 熊谷稲荷神社 倉稲魂命 八街ほ944 明治10年
大東区 大宮神社 大己貴命 大木638−1 (昭和9年11月改築)

 六区と大東区の祭神 大己貴命は 大国主命(おおくにぬしのみこと)。
 四区 豊川稲荷神社の祭神 ダキニ真天のダの字は、引用元の書籍では右側のウ冠がとれた字となっていますが、ワープロに入ってなかったので、他神社で採用している字を充てました。なお、他神社では、荼吉尼天、茶枳尼天 とも書かれています。また「八街町史」(現市)では、四区の豊川稲荷神社の祭神を倉稲魂命としています。


八街祭礼に共催する神社

 前掲 八街神社 の解説の中で「八街町史」の要約として、明治27年の遷宮後、周辺の広い地域の稲荷神社と氷川神社が 八街神社の遥拝所になり、同期日に祭礼を行っている と書きました。
 主催する一〜六区と大東区以外の区域が、2001年八街神社大祭のポスターに『共催 真井原区、七区、夕日丘区、西林区』と印刷されています。
 区内の神社を「写真で見る八街の歴史」の神社一覧から引用させていただきます。

区名 神社名 祭神 所在地 創建年
七区 笠間稲荷神社 倉稲魂命 八街に291 明治中期
真井原区 氷川神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街ろ167−9 (前原) 明治初年
西林区 氷川神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街ろ59−5 (西林) 明治初年
夕日丘区 氷川神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街い207−1 (松林) 明治20年頃
夕日丘区 氷川神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街い55−5 (猿ヶ久保) 明治20年頃
夕日丘区 氷川神社 大己貴命・須佐之男命・稲田姫命 八街い114−41 (向台)→坂江 明治20年頃

  2001年の様子は別ページ もう一つの八街祭礼 をご覧ください。


八街祭礼と同時開催する神社

 八街神社と直接の関係はなくても、古くは祭礼を別の日に行っていた神社も、八街神社と同じ日に行うようになってきたようです。これを想像しますと、市街地を中心に街全体が一つにまとまろうとする意思の表れだったり、また 年間の忙しい社会リズムの中での効率化とも受け取れます。
 前掲 八街市の秋祭り の表中、同時開催の神社は5社を数えます。
 主催、共催、同時開催を合わせると、かなりの神社の数にのぼります。


八街祭礼リンク

水郷山車まつり探訪>祭事リンク集 (水郷地域を中心に各地の祭礼を体系的に解説。祭事リンク集が充実)

江戸まさり 佐原の大祭
>佐原囃子>下座連について (お囃子の流儀)

祭りだ!屋台だ!>ガイダンス (山車と屋台の解説)

山車・だんじり悉皆調査>千葉県 (県内の祭礼一覧)

笑顔・祭・スナップの写真館>八街 (1999年 八街神社祭礼 写真集)

成田タウンナビ★ナリタウェブ>郷土の祭>八街のお祭り (解説と写真)

岩間一家のHPにようこそ!!>もうすぐはじまる秋まつり (1998年 八街祭禮 山車の競演 写真集)

ジャングルランド>八街商工会議所青年部での活動2000年 (八街祭礼のポスター作成や、祭礼当日の模様が紹介されている)

IIDE's HOME Page>地域情報 八街のページ (1997〜2000年〜 八街神社大祭 各区の山車とお囃子の比較を、豊富な画像と録音で紹介している)


参考書籍/冊子

八街町史 昭和49年7月31日 八街町史編纂委員会 編集 八街町(現市) 発行

写真で見る八街の歴史 昭和62年3月31日 八街町史研究会 編集 八街町教育委員会 発行

八街市史研究 創刊号 平成6年11月2日 八街市史研究会 編集 八街市 発行

八街市史研究 第3号
 平成9年3月31日 八街市史編さん委員会 編集  八街市 発行

八街市マップ 平成10年7月 八街市役所総務部企画課 発行

八街市勢要覧「やちまた魅力探検・Human Field マイタウン八街」 平成12年3月 八街市 発行 → 冊子の内容の殆どは八街市役所>市勢要覧 でご覧になれます。

2001年八街神社大祭ポスター 平成13年 八街商工会議所青年部 制作


最後に

 「八街祭礼 2001年の しおり」は、文中に掲載したWebページ、並びに上掲の書籍/冊子等を参考にさせていただきました。ここに厚くお礼申し上げます。
 そして、リンクさせて頂いたWebページの主催者の皆様に感謝いたします。

 文中に誤解もあるかと存じます。ご指摘、ご教示いただければ幸いです。


制作: 2001年10月 (11月一部修正/追加)  保地
     2002年1月 リンク一部追加
     2004年10月9日 改訂版


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