インスリン物語

2001/05/28 月曜日

インスリン自己注射への長い道のり

東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのインタビュー記事
インスリン自己注射の保険適用から十五周年を迎えて…」より抜粋と要約

インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんでした。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省からは、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答が繰り返されました。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年、各種の努力によりインスリンの自己注射が公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだということが公認された、医療史上最初の出来事です。

 

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉の策。
患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受けることで、電話再診料として保険請求した。
新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、という言い逃れ。

来院時に400単位を一度に注射したことにして、1〜2週間は効いているかたちにした。

ヒトインスリンと動物インスリン

東京女子医科大学糖尿病センター 岩本 安彦

ヒトインスリンは1980年、遺伝子工学で作られた最初の医薬品として華々しく登場しました。

1921年、インスリンが発見され、糖尿病の治療薬として使われ始めてから今日まで70有余年が経ちましたヒトインスリンの開発は、この長いインスリンの歴史の中でも極めて画期的な出来事として受け止められてきました。
ところが、考えてみると、インスリンと言えば、これまでウシやブタの膵臓から採ったインスリンしかありませんでした。しかし、この動物インスリンこそ糖尿病患者の特効薬として多くの生命を救ってきたわけです。動物インスリンの中には、どう手を加えても治療効果が全くないものもあり、随分と幸運であったと思われます。

ヒトインスリンは、私たちの膵臓から自然に分泌されるインスリンと同じ構造をしています。しかし、ウシインスリンと比べるとアミノ酸が3個、ブタインスリンとではアミノ酸1個がヒトインスリンの構造と異なっています。こうしたヒトインスリンと動物インスリンの構造の違いにより、ヒトインスリンは動物インスリンと比べて生体内に抗体をつくりにくい、皮下注射をした場合、ウシあるいはブタインスリンに比べ、吸収がやや速い、などの特徴を持っています。

ヒトインスリンが登場した当初、「ヒトインスリンを使えば、インスリン注射の副作用は解消されるのではないか?」と大いに期待されたものでした。しかし、残念ながらヒトインスリンに切り替えてもなお抗体ができることが明らかになってきました。それでも、副作用の程度は、動物インスリンに比べてより軽いことが確認されており、インスリンによるアレルギーや抗体の副作用(注射部位の皮下脂肪が萎縮し、へこんでしまうリポアトロフィーという現象も副作用の1つとされています)が起きる頻度はかなり減少しました。

ヒトインスリンを作るには、ヒトインスリンの前駆体(ヒトインスリンができる一歩手前の物質)の遺伝子を酵母や大腸菌に組み込んでヒトインスリンを生産します。このような遺伝子工学の技術によって、現在では大量にヒトインスリンが生産されています。遺伝子組み換え技術によってヒトインスリンが生産開始された当初は、酵母や大腸菌に由来する不純物の混入やそれらに対する抗体産生の可能性があるのではないかと心配されましたが、現在ではそのような心配はないとされています。

ヒトインスリンと動物インスリンの構造上の相違点

構造上の相違点 A鎖8番 A鎖10番 B鎖30番
ヒトインスリン スレオニン イソロイシン スレオニン
ブタインスリン スレオニン イソロイシン アラニン
ウシインスリン アラニン バリン アラニン