超弩級ラーメン・天下一品

天下一品・公認Webサイト



 京都市原産のラーメンである。「ラーメンである」とは云いながら、その実態は中華ソバとも中華料理とも判じ得ないカテゴリー不明の無国籍食品である。常に「コテコテ」、「ドロドロ」、「ギトギト」などの枕詞をもって語られる超弩級濃厚食品であり、いかなる麺類とも異なる超個性的かつ衝撃的な風味を最大の特徴とする。その非日常的な味わいゆえに、天下一品にはたいへん強力な習慣性・麻薬性・依存性が存在し、今日までに数多くの悲劇的中毒者を生み出し続けてきた。以下は、30年以上にわたり「天下一品」を食べ続けた、ある中毒者の手記である。



独断と偏愛による「天下一品」概論
Photo and Text by Xylocopal

初稿掲載日:1995/05/15
最終更新日:2010/11/04



1. 序論:文化麺類学的考察

【天下一品】:
通称「天一(てんいち)」
京都市北部原産の超弩級無国籍ラーメン


 そもそも「天下一品」とは何であろうか?ひとくちに言えば「ラーメン」である。しかしながら、それは日本で通常語られるところの「ラーメン」・「中華ソバ」の範疇からは大きく逸脱したラーメンである。決して通常のラーメンの延長線上で「天下一品」を考えてはならない。
 極論すれば、それは「ラーメン」でも「中華料理」でもない。いわゆる普通の「醤油味のラーメン」と「天下一品」の間には、「そば」と「ソーキソバ」、「うどん」と「伊勢ウドン」の如く、相当の距離があると考えてよい。形而上的には「天下一品」とは「カウンターカルチャー」そのものである。

 また、「天下一品」を考える場合、よりグローバルな視点から捉えることが不可欠である。すなわち、東アジア一帯に広く分布する多種多様な「麺」のひとつであるという認識である。久留米ラーメン、荻窪ラーメン、喜多方ラーメンなどのドメスティック種と同列に考えてはいけない。「天下一品」はコスモポリタン料理なのである。タイの「バーミー・ナム」、マレーシアの「ラクサ」などと並べるのが正しい。
 したがって「天下一品は美味い」といっても、必ずしも「ラーメンとして美味い」のではなく、「世界にあまたある麺料理のひとつとして美味い」と捉えなければ、大きな勘違いを引き起こす。

 なお、京都発祥のラーメンであり、府下数十店舗をかかえる人気店であるにもかかわらず、府外一般の「京都ファン」「京都マニア」からの評価は不当に低い。低いどころか、存在自体を知られていない、あるいは徹底的に無視されているフシがある。「天下一品」とは、古都・京都の持つ雅なイメージから、果てしなく掛け離れた食品と考えて間違いない。


2. 構成要素

 中華料理でもなくラーメンでもない「天下一品」とは、いったい何ものであろうか?
 まず、麺であるが、小麦粉を原料とする黄色い鹹水麺であるという点においては「ラーメン」の仲間であることは間違いない。しかし、その「麺」はヘナヘナクタクタの極軟麺であり、いわゆる「コシ」は全く無い。それは、「コシ」、「歯ごたえ」をもって尊しとする日本の麺類の常識から遠くかけれた特殊な麺である。
 「硬めに茹でてくれ」と頼めば茹でてくれないこともないが、これはおすすめしない。天下一品はヘナヘナ麺でこそ本来の美味さが味わえると筆者は考える。硬めが好みの方も、ぜひ一度デフォルトの「極軟麺」を試していただきたいのである。

ネギテンコモリの図超濃厚スープと唐辛子味噌

 さて、問題のスープである。おそらく誰しも最もカルチャーショックを受ける部分であろう。
 まず、スープの量が異様に少ない。麺に対してヒタヒタといった感じであろうか、冷やし中華よりやや多い程度である。初めて天一を食するものは、このスープの少なさに違和感を覚えるにちがいない。
 量にくわえ、質のほうはさらに異様である。それは一見、九州系ラーメンの豚骨白濁スープに見える。しかし白濁というよりはどんよりと薄茶色に濁って透明度皆無の上、何やら得体の知れない細片が浮遊し、一般の豚骨スープに比べて怪しさ数等倍の趣を呈している。
 実際に食べてみると、その濃厚さと粘度の高さに衝撃を受けることは必至である。なにしろ箸で麺をすくうと、汁まで一緒にズルズルと上がってくるのである。九州系豚骨ラーメンではそのようなことはまずない。むしろ九州系豚骨ラーメンは比較的粘度が低いものが多いように思われる。
 一般のラーメンの場合は「麺=固体」、「スープ=液体」という区分けが明瞭であるが、天下一品の「極軟麺+超濃厚スープ」の場合、固体と液体の区別がまことに曖昧である。すなわち、麺とスープが渾然一体となっており、どこからが麺でどこからがスープか?という境界線を引くことはなかなかに難しい。いわば「麺・スープ相互アイデンティティ不在の食品」ともいえるわけだが、この「曖昧さ」が他のラーメンにはない天下一品ならではのオリジナリティを支えていると言って良い。単なる「美味いラーメン」と異なるのはこの点である。

 しかしながら、この「個体液体混在コロイドらーめん」は全く普遍性を持っていない。「好きだ」という者は週に7回〜21回食べると言うし、「嫌いだ」という者は店の前を通ることさえ拒むという。これほど好き嫌いが極端に分かれる食品も少ない。
 たしかに、このスープは独特の臭気を伴っている。中毒者にとっては食欲を刺激する芳しい香りであるが、非中毒者にとっては鼻が曲がりそうな異臭なのであろう、しばしば拒絶反応を示す者がいる。もちろんニンニクは大量に含有されているのであるが、彼らは「ニンニクの植物的な匂い以上に何やら動物的な臭いに満ちている」と言うのである。いわく「ケモノくさい」、「ブタくさい」、「トリくさい」‥‥、いやはや散々である。
 「天下一品は店が臭いから行かない」とのたまった女性を筆者は過去に何人か知っている。恐ろしいことに、そのうちの一人は配偶者となってしまった。彼女は「天下一品は動物園の匂いがするから嫌だ。」などと非論理的かつ核心的なことをのたまい、断じて天下一品に同行しようとしなかった。そして、結婚後も天一断固拒否の姿勢は決して変わることはない。このように天一を身体で拒絶する者も多いのである。

 さて、この超弩級濃厚スープの正体とはいったい何であろうか。
 その類を見ない異様さから、かつては「大量の卵が入っている」、「片栗粉が入っている」、「豚骨の一種である」など様々な憶測がなされたが、今日ではオフィシャル情報も含め、次のようなものであろうというのが定説となっている。
天下一品のスープとは、鶏骨/鶏皮をゼラチンが出るまで長時間炊き出したベースに野菜等を加え濃厚に煮込んだものであり、脂肪分がスープに乳化することにより非常に粘度が高くなったものである。
 筆者の学生時代(1976年〜1980年頃)、天下一品のスープの粘度を計る基準として「糊の代わりになるか?」というものがあった。比較対象は「糊」だったのである。
 天下一品を頼むとレシートが付いてくるが、これをテーブルの上にこぼれたスープの上に置いておく。もし、そのスープの濃度が充分であれば、十数分後、勘定のためレシートを拾おうとすると、それはテーブルに強固に貼り付き「ベリベリ」と音を発しながら剥がれてくる。レシートが張り付く、すなわち「糊の代わりになる」スープこそ、愛好家を唸らせる粘度充分の濃いスープであるとしたのである。もし、レシートが張り付かなければ、悲しいかな、そのスープの濃度は低いと云わざるを得なかった。
 この「糊式検査法」により、天下一品のスープとは極めて多量の「膠(ニカワ)質」を含むものではないか?と筆者たちは推理していた。膠(ニカワ)は動物の皮や骨などのコラーゲンを煮沸して作られるゼラチン質で、古くから接着剤として使用されてきた物質である。充分な濃度を持った天下一品を食べ終わった後、ドンブリ鉢の縁を撫でてみると、指先が痛くなるほどザラザラとした手触りを感じるとることができる。これはニカワやアラビア糊などが乾燥した状態に酷似している。
 同時に、こうしたゼラチン質・ニカワ質の料理への応用は「煮こごり」として古くから知られてきたものでもある。天下一品のスープは、単なるスープというよりは「煮こごり」に近いもの、極論すればニカワの親戚であるから「糊」として利用できるのは当然、というのが当時の筆者たちが抱いていた天下一品の姿であった。

食後のドンブリの「縁」である。
御覧のとおり、ニカワ質がギタギタとこびりついている。天下一品、かくあれかし。
食後のドンブリの「底」である。
散見される赤い破片は、唐辛子味噌の主成分「鷹の爪」である。

 現在、天下一品のスープの正体は「鶏ガラベースに数種類の野菜を煮込んだもの」ということで落ち着いている。通販版天下一品パッケージの「原材料」欄に「鶏骨/鶏皮」と記されていることからも明らかである。しかしながら、天下一品の黎明期には様々な開発バージョンのスープが存在したことも、また事実のようである。
 当節こそ、天下一品は「当店のスープは豚骨にあらず」を標榜しているが、1970年代後半当時、筆者がしばしば目撃したのはカウンターの内側で黙々と獣骨を削っているオヤジの姿であった。この獣骨は、そのサイズから、おそらく豚であろうと思われた。このエピソードは天下一品の源流が「豚骨スープ」と無縁ではないことを物語っている。
 天下一品創業者・木村勉社長の弁によると、創業当時は多くの種類のスープを試作し、いかに美味いラーメンを客に食べてもらうかに腐心したという。現在に至るまでの道程には、様々なスープが作られ、その中には豚骨添加バージョンも当然ながら存在したのだろう。伝え聞くところによれば、牛骨添加版、帆立貝添加版などもあったといわれ、時代が下るとともに現代の「鶏骨/鶏皮版」に収斂していったように思われる。

 なお、「具」についてであるが、天下一品の場合、特記すべきものは何も無い。標準で乗ってくるのは、焼豚1〜2枚、メンマ数枚、若干の刻みネギのみである。
九州系豚骨ラーメンにしばしば見受けられる「紅しょうが」、「高菜」、「キクラゲ」などの特殊なトッピングは全くない。


3. 食べかた

 天下一品は様々な副添加物によって、さらに美味無双の超弩級食品となる。これらの副添加物は天下一品の道を究めるためには必須といって良い。天下一品においては「味の個人主義」が何よりも尊重されており、最終的な味の微調整は食する当人の主観・嗜好などの自由意志に委ねられている。これらの「副添加物」群は「味の個人主義」の実現に大きく寄与する大変大切なものである。これらを用いずして天下一品を語ることは不可能といってよい。

 まず、注文する時に「ニンニクを入れるか否か」を問われるが、これは当然入れる。「否」と答えても相当量が入ってくるから、「入れない」というのは無駄な抵抗である。どうせ入れるなら多めに入れた方がよい。

上左:副添加物の一群

上右:唐辛子味噌

下左:
中央の容器が「ラーメンのタレ」である。「天一」をいかに美味く食するかは、このタレの添加量調節如何に関わってくる。
容器を間違えて「餃子のタレ」などを投入すると、たいへん悲惨なことになるので、ドンブリに投入する前には充分注意しよう。

 次は「唐辛子味噌」である。これはテーブル上の壷に入っており、好きな量だけ入れることが可能である。中身は中華料理に使われる「豆板醤(とうばんじゃん)」に似ているが、より一層、唐辛子とニンニクの含有率が高いものと思われる。通常、親指の先ほどを入れるが、辛いものが好みであれば、いくらでも増量してよろしい。ただし、肛門疾患を患っている者の場合、数時間後に地獄の苦しみを味わう場合があるので、充分注意されたい。

 そして「刻みネギ」である。「唐辛子味噌」同様、テーブル上のボウルに盛られており、好きな量だけ入れることが可能である。ネギは麺が見えなくなるほど「てんこもり」に盛るのが正しい。
 ところで、何時の頃からか、ネギを有料とする店が現れ始めた。「当店のネギは京ネギを使用しており追加については有料とする」などの能書きをメニューに記す店が存在するのである。残念なことである。そのような店を訪れたとしても決してケチってはいけない。経済事情が許す範囲で、できるだけ大量にネギは使用したいものである。

 最後に最も重要な添加剤「ラーメンのタレ」を好みに応じて追加する。「ラーメンのタレ」は天一の風味を左右する、味の核ともなるべき大切な調味材である。
 昨今の天下一品のスープはパック式と聞くが、かつての天下一品では一般的なラーメン同様、「タレダシ混合法」によりスープが作られていた。すなわち、ドンブリの底に少量の「タレ」を取り、その上に大量の白濁ダシ汁をかけてスープを作っていたのである。卓上用「ラーメンのタレ」は上記工程で使用される「タレ」と同様のもの、あるいは強化版と想像される。ラーメン用タレとしては相当濃厚で、ベトナムの「ニョクマム」、タイの「ナムプラー」、中国の「蛎油」の如きアミノ酸のかたまりである。茶匙1杯ほど入れると「くどさ」倍増、中毒者にとっては、まさにこの世の極楽法悦境となる。
 とはいえ、味の根幹を左右するものだけに、ラーメンのタレの使用法はクリティカルである。用法を誤るとせっかくのうまいラーメンを台無しにしてしまうことがある。少しづつ増量して、自分にとってベストと思える量に調整していただきたい。
 ところで、最近はこの貴重な「ラーメンのタレ」を置かない店が増えているという。まことに残念なことである。天下一品の魅力のひとつ「味の個人主義」が楽しめないからである。また、チェーン店の中には、たいへん寝ぼけた味の「天下一品」を提供する店があるが、「ラーメンのタレ」がなければ、こうした味を正しい味に修正することができない。たいへん困ったことである。

 ことほど左様にエキセントリックな食品のため、天下一品は初心者にとって決して優しくない。特に、濃厚な食品が苦手な者にとっては「悪夢」以外の何物でもないから、無理強いは禁物である。胃腸の弱い者の中には下痢をする者までいる。
 初体験の時には不気味さが先行するためか、最初から「美味い」とは思えないのが普通である。筆者の経験では、最初から「美味い」と感じた者は中毒となることは少いようで、逆に「まずい」と感じたの方が後に中毒者となる傾向が高いようである。
 最も中毒者になりやすいタイプは「何が何だか良く分からなかった」という印象を持った者である。この手の者は「一体あれは何だったのか?」と日々悶々とするあまり、再三「天下一品」を訪れることとなり、あわれ中毒者と成り果てるのである。筆者などはその典型的な例である。

 なお、メニューには「スタミナスープ」と「あっさりスープ」が併記されているが、天下一品といえば「スタミナスープ」のことである。「あっさりスープ」とは、無理矢理連れて来られた同伴者のために設けられた「緊急避難メニュー」であるから、「天下一品の道」を究めようと志す者は断じて注文してはならない。


4. 歴史的考察


1970〜1980年代のドンブリ
(現代のものとはロゴが異なる)


 このような濃厚で癖の強い食品が「薄味」で知られる京都で生まれたのは、一体いかなる経緯からであったのであろうか?
 現在、その答えは定かではない。今後の研究者に課せられた大きな課題のひとつであろう。ただ、天下一品が京都在住の学生たちの大きな支持を集めて発展したことは間違いない。ひと昔前、京都は学生の町であった。学生の中には関西圏以外の出身の下宿生が多くいた。彼らが薄味の京料理に食傷して天下一品に救いを求めたことは容易に想像できる。
 また、天下一品が誕生した1970年代初期〜中期といえば全共闘世代終末期にあたり、世の中は「カウンターカルチャー/サブカルチャー」成熟期であった。そうした時代に、従来の概念を覆す新しいラーメンが好意をもって迎え入れられたことは容易に想像されうる。京都は古都であると同時に、ニュージェネレーション文化の発信拠点でもあったのである。

Kyoto Map「天下一品」発祥地 北白川総本店

京都市左京区白川通北大路下る、叡電「茶山」あるいは「一乗寺」駅から徒歩10分くらいである。
Photo of 20002000年4月の北白川総本店。
場所・建物こそ同じとはいえ、店の外観は、私が頻繁に通った1970年代のものから大きく変貌していた。
Photo of 2000 1970年代の天下一品総本店は、味のみが「ギンギンギラギラ夕陽が沈む」なのであって、店舗自体はさしたる派手さは感じられぬ質素なものであった。しかるに、2000年代の総本店はその外観までも「ギンギンギラギラ」となっていた。

また、名物の誇大広告「焼豚鉢一面入・中華そば専門店」と大書きされた巨大な赤提灯は撤去され、屋外飲食コーナーというようなものに様変わりしていた。時の流れは風車、時代とともに食文化も変貌するのである。
Photo of 2000 外観の変貌とは裏腹に、店舗内部は昔日とあまり変わらぬ印象であった。
赤を基調とした配色、カウンターとテーブル席の配置、湯煙もうもうたる厨房など、おおむね記憶のとおりである。

店の兄ちゃんに「並!」と頼むと、「コッテリですか?アッサリですか?」と問われるのは昨今の天下一品では当り前のことであるが、総本店でこのような質問をされるとさすがに違和感がある。

 さて、発祥当時の天下一品を振り返ってみたい。筆者が初めて天下一品を食べたのは1976年4月のことであった。大学軽音楽部の新入生歓迎コンパ三次会においてである。当時、天下一品は京都市左京区の北白川総本店しか無かった。場所は白川通りに北大路通りが突き当たる交差点の南西角のマンションの1階。あたりは閑静な住宅街で、天下一品の味には凡そ似つかわしくない場所であった。
 ある先輩は、「この店が出来る前、この場所で屋台営業をしていたのが天下一品の始まりなのである」と語った。別の先輩は「ここではない。屋台を引いていたのは銀閣寺の近所であった」と言った。発祥から数年にしてこの混乱ぶりである。この時期のこととなると当時から神話伝説の領域であった。
 北白川店の前には大きな赤提灯がぶらさがり、麗々しく「焼豚鉢一面入り・中華そば専門店」と記されていた。提灯の能書きとは裏腹に、チャーシュー麺を注文しても決して「鉢一面入り」とはならなかったし、提供されるラーメンは「中華そば」とは似ても似つかない過激なしろものであった。初めて食べたときの衝撃は今も忘れられない。

Chochin of the shop 名古屋・下前津店の赤提灯

北白川総本店にあったものと全く同様のものである。
かつては「赤提灯」だったのであろうが、今や、何色とも判別しがたい色に退色している。しかし、「中華そば専門店」&「焼豚鉢一面入り」の謳い文句は健在である。そして、決して「鉢一面入り」にはならないのも相変わらずである。

註記(1)
その後、天下一品公式ページ情報によれば、天下一品創業者・木村勉社長が1971年から屋台を引かれていたこと、4年目にして現在の味が完成したことなどが明らかにされた。
また、最近ある先輩から得た情報によると、屋台を出していたのは北白川で、親父さん一人で営業していたこと、1974年当時すでに「スープに箸がささるほどドロドロ」であったことなどが判明した。

 1970年代後半、北白川店しかなかった当時、メニューは「並」、「大盛り」、「並叉焼麺」、「大盛り叉焼麺」、「飯」の5種類しかなかった。当時学生であった筆者は、バイト代などが入ると「大盛り叉焼麺」+「飯」を注文し、これを称して「豪遊」と呼んでいた。これ以上豪華なメニューはなかったのである。
 また、この頃は「あっさりスープ」などという親切なメニューはなかった。来店した者は否応なしに「超弩級濃厚スープ」を食べさせられたのである。麺はもちろんヘロヘロの超軟麺であった。壁には「硬めの麺を希望の者は申し出るように」と記された札が出されていたが、「硬め」を頼むには相当の覚悟が必要な雰囲気が漂っていた。
 唐辛子味噌、ラーメンのタレ、刻みネギなどの必須アイテムは当時からテーブル上に用意され、自由に利用することができた。また、当初は「れんげ」が付属していなかった。そのため、食べ終わった後、残った汁をドンブリごとズルズルとすする必要があったが、これは無上の楽しみであった。ただし、「唐辛子味噌」を入れすぎた場合にはスープの底に「鷹の爪」がたまり、そのまま飲み込むとむせ返ることがしばしばあった。それゆえ、前歯をフィルターにして「鷹の爪」を食い止めながら、最後の一滴まで飲み干すことが高等技術とされていた。

 1976年当時、この北白川総本店は非常に繁盛していた。昼食時や夕食時、そして夜中にいたるまで行列ができるほどの盛況ぶりであった。ガラガラに空いている時間帯というのは少なかったように記憶している。筆者が「豚骨削り」の現場を目撃したのは、その数少ないガラ空きの時間帯であった。最近のスープはパック式になっていると聞くが、当時は当然のことながら「手作り」であり、仕込み作業を見ることができたのである。「手作り」ゆえに、毎日微妙にスープ濃度が上下し、中毒者の仲間内では「今日は濃厚で大変よろしい」、「今日は薄いようだ。けしからん」などの論評が盛んに行われたものである。

 各支店へのスープの供給は「一斗缶」で行われており、大鍋に「一斗缶」からスープを注ぎ足す光景をしばしば目撃した。そうした光景を目にするたびに中毒者たちは、「薄くなる。頼むから足すのは止めてくれ」と念じたものである。彼らは鍋の底に残るドロドロに煮詰まったスープが飲みたかったのである。
 最初に出来た支店は、「銀閣寺店」であったように記憶している。1977〜78年頃のことである。続いて「烏丸今出川店」ができた頃から本格的にチェーン店展開が始まったように思われる。「北白川総本店に比べると味が薄い、粘度が足りない」などと文句を言いながら、中毒者たちはぞろぞろと各支店に出かけたものであった。

今出川店2002年7月の今出川店

表通りから少々奥まったところにあり、初めての場合は入りにくい印象。今も昔も変わらず。

肝心のラーメンであるが、濃度粘度充分、タレ追加の必要性は全くなかった。麺は昔ながらの腰なしヘナヘナ麺でスープとのマッチングは最高。全盛期の北白川総本店の味を髣髴とさせる実力であった。
銀閣寺店2002年7月の銀閣寺店

以前はもう少し銀閣寺道交差点寄り、疎水沿いに位置していたような‥‥、いまひとつ記憶が曖昧である。

味の方は、残念ながら一般人仕様の寝呆けた味。20年来の愛好者にとっては少々物足りない味であった。ラーメンのタレ増量によるドーピングを行い、本来の味に戻して食したことは言うまでもない。
メニュー2002年7月の今出川店のメニュー(抜粋)

1970年代後半は並280円〜350円ぐらいだったように記憶している。また、当時は学割は無かったように思う。いちいち申告したり学生証を見せた覚えが無いからである。

 そうした中、エポックメーキングであったのは、三条河原町「木屋町店」開店の時であった。それまでの5種類メニューに「餃子」と「唐揚げ」が加わったのである。この新メニューについては、天下一品中毒者の間で賛否両論が沸騰した。「賛否両論」と書いたが、実際には賛成者はほとんどおらず、多くの者は新メニューが加わることで本来の超弩級濃厚ラーメンの味が変わるのではないかと本気で心配したのである。
 追い打ちをかけるように木屋町店には「あっさりスープ」が登場した。経営戦略を考えれば当然のことであるが、当時筆者たちは何しろ若かった。「木屋町店は天下一品ではない」と言い切る者さえ現れはじめたのである。
 しかし、この新戦略が成功したことは後世の歴史が証明している。天下一品は関西地区を中心に全国各地に支店を開店し、着実に中毒者を増やし続けていったのである。もはや草創期の5種類メニューでは対応しきれない時代であった。世の中は「多品種選択」の時代にパラダイムシフトしていたのである。
 とはいえ、1970年代後半に京都で青春時代を過ごした者の中には、未だ発祥当時の5種類メニュー以外を「外道」と呼び、決して食べようとしない偏屈者が多いのも事実である。彼らの中には、マスプロ化のために味が落ちた天下一品を嫌い、現在は中毒者を卒業して仙人になってしまったものもいるという。


5. 個人的な想い出

 「天下一品」初体験から25年あまり‥‥。思えば長い年月である。学生時代の日記を調べてみると、「天下一品」に対する記述があまりにも多いことに、今さらながら驚かされる。いわく、
『今日も昼食は天一。
 世の中にこんな美味いものがあるとは!と感動しながら食べる。』

『起きてみたら、すでに夜だった。
 しょうがないので天一を食いに出かける。
 相変わらず美味い。しばし至福の時間を過ごす』

『最近、烏丸今出川店の味が少し薄くなったようだ。
 早急に北白川総本店に行って確かめてみる必要がある』

『ゼミの後、皆で今出川店に出かける。
 濃度は戻ってきたようだ。まことに喜ばしい』

エトセトラ、エトセトラ‥‥。
 数えてみると、1週間に3〜4回は食べているようである。我ながら呆れ返る。実家の名古屋に帰省中も、わざわざ名神高速道路を使って京都まで食べに行っている。まったく御苦労なことである。
『麻雀中、急に天一が食べたくなった。時刻は午前0時。
 今ならまだ間に合うということで名神高速にて北白川に向かう。
 総本店着午前2時。
 久々の天一は相変わらず尋常ならざる美味で、一同感涙にむせぶ』
 当時、ゼミでもクラブでも天下一品をこよなく愛する一団(中毒者)が存在した。昼飯になると天一を食べ、ゼミが休講になると天一に出かけ、クラブが終わると天一に行き、理由がなくても天一を食べに行った。そうした仲間でよく議論したのが「これは、はたして中華料理であろうか?いや、それ以前にラーメンと呼んで良いのだろうか?」という命題であった。喧々囂々の議論の末、たどりついたのが以下の結論である。

 天下一品は断じてラーメンではない。いわんや中華料理でもない。そうした従来の麺類の枠をはるかに超えた超弩級無国籍料理である。赤提灯に記された「中華そば専門店」という記述は、まことに出来の良い冗談である。

 その仲間も卒業と同時に全国各地に散り、今や年賀状のやりとりだけになってしまった者も多い。しかし、その年賀状に「某所の天下一品は、最近味が薄くなったようだ。実にけしからん」と書いてくるあたりはさすがである。
 天下一品‥‥。それは、筆者たちにとって単なる料理の枠を超えた、ひとつの時代を象徴する「文化」そのものであった。


6. 蛇足 天下一品の通信販売

 さて、天下一品は主だった都市に出店を果たしたが、未だ未体験の方も多いことと思う。あるいは転居、就職などのため、手軽に天下一品が食べられなくなった方もいるかもしれない。そうした方にお勧めしたいのが「通信販売」である。
 1987年あたりと記憶しているが、天下一品は郵便局の「ふるさと小包」に選ばれた。大学卒業後、名古屋在住となった筆者は「通信販売で天下一品が入手できるようになった!」とこれに飛びつき、何度も利用させていただいた。この特殊な食品を「ふるさと小包」に選んだ京都・一乗寺郵便局の英断、そして通販パッケージを開発した天下一品本部の努力には頭が下がる思いである。
 そして、1997年7月22日、株式会社・天下一品 オフィシャルホームページがインターネット上に開設された。これに伴い、Web上で「天下一品」の通信販売購入が可能となった。オンラインで注文し代引きで支払う、遠隔地にいても「ふるさと小包」以上の簡便さで天下一品が入手できるのである。何とも便利な世の中になったものである。

 通販版天下一品には生麺・スープはもちろん、必須アイテムである唐辛子味噌も同梱されている。スープはレトルトパックに入っており、まずまずの濃厚度である。麺も伝統のしょっぱい麺が付いてくる。麺のコシがくだけるほどグズグズに煮て、湯通しなどせずそのままスープに投入すれば、京都・北白川総本店の味にかなり近くなることであろう。その上に刻みネギを山ほど乗せれば言うことはない。


独断と偏愛による「天下一品」概論 【了】


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