はじめに

【区 間】

 野幌 - 栗山 - 鹿ノ谷 - 夕張本町(53.2km)
【主な駅】
 野幌、北海綱機前、南幌、北長沼、栗山、錦沢、若菜、鹿ノ谷、夕張本町
【沿 革】
 1926.10.14 栗山 - 夕張本町開通
 1930.11.03 野幌 - 栗山開通
 1971.11.15 鹿ノ谷 - 夕張本町廃止、栗山 - 鹿ノ谷旅客廃止
 1975.04.01 全線廃止

 夕張鉄道は、札幌市に隣接する江別市の野幌と夕張市を室蘭本線栗山駅を経由して結んだ鉄道である。それ以前は、盛況だった夕張の炭鉱からの石炭は夕張線(現在の石勝線夕張支線)によって運ばれていたが、その輸送量増強と短縮化とを目的に沿線に、多くの炭鉱を持つ北海道炭礦汽船が中心となって作られた。また、旅客面での札幌方面へのアクセス向上という側面もあり、岩見沢を経由せずに実際に野幌の手前の上江別からは自社運行のバスとの連絡も行われていた。一時は優等列車も運行されていた。
 しかし、当初の目的が運炭であったことから、石炭産業の斜陽化とともに経営が悪化していき、まず、鹿ノ谷 - 夕張本町間が廃止となり、その後、全線廃止となった。

現況

 野幌から栗山にかけては、ほとんどが道路として整備されており、痕跡を探すことは難しい。いくつかあった橋梁も架け替えられてしまっている。野幌周辺についても北海鋼機前では最近まで腕木式信号などが放置されていたが、すでに撤去・移設されてしまった。ただ、北長沼周辺など道路がルートを外れている箇所では、残された町並みなどに当時の雰囲気が残されている。
 一方の栗山から先の区間では残っているものが多く、継立などで駅舎が再利用されており、また、夕張市内の線路跡にはサイクリングロードが作られており、その途中でも当時のものがそのままになっている。但し、99年8 月現在、サイクリングロードの栗山側の入り口から平和にかけての区間は通行止めになっているようで、その跡を辿ることができなくなっている。


解説

【野幌】(のっぽろ:野中の川を意味するアイヌ語「ヌポロペッ」が変化したもの)
 函館本線の駅として現役。かつて夕張鉄道で使われていた3番ホーム跡が使われずに残っているが、路盤跡には芝生が植えられ、当時はなかった駅南口が作られている。


【北海綱機前】(ほっかいこうきまえ:近くに北海綱機の工場があり引き込み線も設けられたことから)
 比較的最近までホームや腕木式信号機が残っていたが、パチンコ店とその駐車場として再開発されたため、跡形もなく撤去されてしまった。ただ、腕木式信号機は駅名にある北海鋼機前の道路脇に移され、記念碑的なかたちで保存されている。
 かつては、ここから北海綱機への引き込み線があった。北海綱機は現在でも操業中。


 夕張鉄道廃止後も、北海鋼機につながる専用線は引き続き使用されていたこともあって、線路跡は近年まで再利用されることなく放置されいたが、現在では上江別付近から先の線路跡を利用してつくられた広域農道「きらら街道」に接続する道路として整備された。北海鋼機への分岐点もわからなくなっている。ただ、付近に建つ倉庫の脇には夕張鉄道の貨車などが野ざらし状態ながら残っており、未確認ではあるが、その倉庫内にもいくつかの車両が保存されているとのことだ。


【上江別】(かみえべつ:江別より千歳川の上流にあるため)
 駅跡周辺の様子は大きく変わり、線路跡は広域農道、付近は住宅街となっていて、痕跡は残っていない。

 上江別付近から始まる広域農道は栗山の手前まで、ほぼ夕張鉄道の跡をなぞる形で続いており、線路跡はすっかり消えてしまった。いくつかあったはずの橋梁の跡も確認できていない。途中にあった駅跡も一部を除いてはほとんどは全く消えてしまっているが、設置されている表示板などでその存在が示されている。

【晩翠】(ばんすい)
 バス停付近に駅があったはずだが、線路跡は道路となっており痕跡はまったく残っていない。跡地には南幌町による案内板がひっそりと建てられており、かろうじてその存在を知ることができる。また、当時からのものと思われるレンガ倉庫が残っている。

【南幌】(みなみほろ→なんぽろ:当初は南幌向。幌向の南の意味で、のちに町名にあわせて変更された)
 晩翠と同様、跡地に案内板が建てられている。町の中心部に近く、公共施設の敷地や住宅街として整備されているため、残っているものはない。ただ、その手前には、道路に対して斜めに並ぶ倉庫群が残っており、これがかつての線路の位置と向きを示している。

 区画整理された部分を過ぎると、再び線路跡は広域農道となり、北長沼の手前まで続いている。途中にあった小さな橋が比較的最近まで残っていたが、現在ではまったく痕跡がない。

【北長沼】(きたながぬま:当初は長沼。長沼市街地より北に設けられたため)
 駅構内は広い空き地となっているが、目立った痕跡は残っていない。空き地の片隅に建てられた案内板にはその歴史が簡潔に記されている。また、南幌と同様、周辺の倉庫群は道路区画と向きが異なっており、線路がこの倉庫群に平行する形で通っていたことがわかる

 上江別の手前から続いていた広域農道は途中から道々と合流するが、その周辺からは線路跡とは別のルートを通っている。線路跡は畑となって消えてしまっており、跡をたどることは難しい。

夕張川を渡っていた鉄橋の跡も北長沼側ではまったく残っていない。ただい、対岸の栗山側には橋台が残っており、そしてその先栗山までの路盤跡も築堤や空き地などとして確認することができる。

【栗山】(くりやま:アイヌ語地名「ヤム・ニ・ウシ」が栗の木の繁茂しているところであることから)
 現在は室蘭本線の中間駅だが、空き地となった広い構内跡と長い跨線橋がかつて接続駅として多くの石炭列車が行き交っていたことを示している。また、当時から使われていた駅舎は近年公共施設との複合型に改築され、雰囲気は一変している。

 栗山から角田へは途中まで室蘭本線と平行して進み、その後室蘭本線と道路を跨いで方向を変えていた。その部分では、栗山側には橋台とそれに続いていた築堤、角田側にも一部切り崩された築堤が残っている。

 室蘭本線から離れたあとは、農地に取り込まれつつも部分的に路盤跡が明瞭になっており、それは角田まで続いている。途中の国道と交差地点では跨線橋もそのままになっており、橋には「角田跨線橋」「夕張鉄道」の銘板も残っている。

【角田】(かくた:開拓者の出身地である宮城県の地名から)
 開業時から一度駅の場所が変わっているが、駅舎などの遺構はすでにない。ただ、付近の畑の中には、保線小屋らしきものがあり、内部には点呼の手順が書かれた紙が貼られたままだ。またその脇にある木製の電柱には夕鉄の社紋が描かれていた。

 このあたりは多くが農地で、路盤跡もほとんどが消えてしまっている。道々の跨線橋には銘板が残っているが、それ以外では継立の手前にあったはずの橋梁にも、明確な痕跡はない。

【継立】(つぎたて)
 構内跡にはアスファルトが敷かれているが、駅舎はほぼ昔のまま、会社事務所に転用されて現存している。建物裏側にはより駅らしさが残っている。

【新二岐】(しんふたまた)
 継立と同様、駅舎が残っているが、構内跡は広い空き地となっている。ホームなどの痕跡もすでにない。かつては付近から角田炭礦への電車線が伸びていて、その専用の駅も設けられていたが、その場所は特定できない。近くにある夕鉄バスの停留所名は、駅名と同じく「新二岐」となっている。

 新二岐のすぐ先の阿野呂川には橋台が両側とも残っており、前後の築堤も確認できる。その先は途中から夕張本町までサイクリングロードとして、夕張鉄道の跡をたどることができるよう整備された。

【錦沢】(にしきざわ)
 駅の遺構はほとんど残っていないが、整備されたサイクリングロードは、3段スイッチバックの跡が活かされており、かつて列車が通ったルートを自転車でたどることができる。

【平和】(へいわ:付近の石炭の積み出しも行われた炭鉱の名前から)
 サイクリングロードの休憩所が建つあたりが駅跡。ここからは平和坑への専用線が分岐していたため、短い跨道橋は幅が広く堅牢なつくりだが、今では、その上には自転車が走る。

 有名なΩ(オメガ)カーブは、サイクリングロード化に際して若干形が変わったようで、きれいなΩにはなっていない。夕張線と道路を渡る鉄橋はサイクリングロードの橋として今も使われている。

【若菜】(わかな:当初は若菜辺。冷水の流れるところ意のアイヌ語ワッカ・ナム・ベツから)
 草むらの中にホームが放置されており、駅舎があったと思われるところは空き地になっている。上には廃材などが置かれていた。

【営林署前】(えいりんしょまえ:近くにある営林署への利便を図るために作られたため)
 踏切のすぐ脇にある建物が駅舎だったようだ。サイクリングロードに面しているホームの跡もかろうじて確認することができる。

【鹿ノ谷】(しかのたに:以前は鹿が群れをなして住んでいたことから名付けたもの)
 石勝線の駅として現存だが、広い草原と長い跨線橋が残っている。また、機関庫の建物は工場として使われている。

 機関庫のすぐ裏には川と道路を渡った橋の橋台も片側のみ残っている。そこからは木が生えており、廃止から25年という年月が感じられる。

【末広】(すえひろ)
 現在のJR夕張駅近くだが、それとわかるものはない。

 サイクリングロード脇に路盤跡らしきものが続いているが、それは夕張線の短縮部分。まだバラストが残るところもある。夕張鉄道の遺構は見つけることはできない。

【夕張本町】(ゆうばりほんちょう:当初は新夕張。夕張の市街地である地名からついた)
 市役所隣の市民会館の1階が駅という形態だったが、現在もその建物は健在。裏側にその跡をみることができる。構内跡は廃止後も夕張線が通っていたためか、現在も空き地として残っているが、他には何も見当たらない。本町という名の通り夕張の中心地で、一時はこの場所にJR夕張駅が設けられたが、現在では南方のホテル前に移されてしまった。

1998.9
一部修正:2010.11