はじめに

【区 間】

 清水沢 - 大夕張炭山(17.2km)
【主な駅】
 清水沢、遠幌、南大夕張、明石町、大夕張、大夕張炭山
【沿 革】
 1911.06.01 清水沢 - 南大夕張開通
 1929.06.01 南大夕張 - 大夕張炭山開通
 1932.10.20 新清水沢開業
 1939.04.20 旅客開始
 1947.01.16 清水沢(国鉄)乗入れ・新清水沢廃止
 1973.12.16 南大夕張 - 大夕張炭山廃止
 1987.07.22 全線廃止

 その前身は、1911年に始められた清水沢 - 二股(のちの南大夕張)間の大夕張炭礦専用鉄道までさかのぼる。その後、三菱の資本が入り、1929年には南大夕張 - 通洞(のちの大夕張炭山)間が延長された。当時、鉄道が唯一の交通手段であったため、旅客を乗せることは認められていたが、乗車券には人命を保証しないと書かれていた。1939年に三菱鉱業株式会社線として、通常の客貨の扱いを開始したのが、地方鉄道としての始まり。以後、石炭の重要な輸送手段と沿線住民の足として活躍した。
 しかし、時代とともに石炭産業が斜陽化、1973年には大夕張炭坑が閉山となった。それにあわせて南大夕張 - 大夕張炭山が部分廃止。炭鉱の拠点を南大夕張に移して合理化をすすめたが、それも時代の流れには勝てず、残りの部分も廃止となった。

現況

 比較的最近まで、駅舎など多くの施設が残っていたが、新ダム建設による鹿島地区が水没するため、ほとんどが解体・撤去されてしまった。南大夕張以遠ではいくつかのトンネルと鉄橋が残っている程度。そのトンネルもコンクリートで封鎖されており、鉄橋についても今後の保存の方針は定まっていない。この部分の線路跡はサイクリングロードとして整備されていたが、利用者も少なく、ほぼ閉鎖されているに等しかった。また、代表的な遺構として南大夕張駅跡にホームと車両群が残されていたが、近年まで放置されるままで、劣化が激しくなっていた。市側では撤去の方針だったが、有志による保存運動が行われ、現在ではボランティアによって整備・公開されている。

解説

【清水沢】(しみずさわ:付近に清水の湧き出る所があるためについた地名から)
 石勝線夕張支線(旧夕張線)の駅として現役。朽ちた木のホームが放置されている。レールはすでに撤去されていて、かつては石炭列車がひしめいていたであろう構内には数本の線路しか残されていない。
 ここはもとから国鉄の駅として設けられ、大夕張鉄道にはここから350メートルほど離れた新清水沢が旅客営業開始に先駆けて作られていた。石炭列車こそ夕張線に直接乗り入れていたが、旅客と荷物は連絡に不便をしいられていたため、1947年に清水沢を共同使用することになり、新清水沢は廃止された。その新清水沢の跡は正確にはわからないが、痕跡はまったくないようだ。

 清水沢を出た後、すぐに夕張線から離れて東へと向きを変えていたが、駐車場や広場などで寸断され、旧来の道路の形からそれとわかるくらい。その先、清水沢と遠幌の中間ほどには、旧線で使われた葡萄山トンネルが残る。入り口は塞がれて、中にはいることはできない。トンネル崩落と輸送力増強のために切り替えられた新線跡は、国道の下、夕張川沿いに残っている。


【遠幌】(えんほろ:当初は遠幌加別)
 駅跡は判然としない。前後の線路跡は、道路に挟まれた空き地となっている。かつてはここから森林鉄道が伸びていたが、その跡を見つけることはできなかった。付近には北炭の事務所であった建物が残っている。

 すぐ先にある遠幌加別川に架かっていた遠幌加別川橋は、2本のコンクリート製の橋脚が風雪に耐えているが、これは架替前のもので、道路側に残っている橋台が架替後のもの。
その先の線路跡も比較的はっきりと残っており、南大夕張の手前にはレンガの橋台が両側とも残っている。

【南大夕張】(みなみおおゆうばり:当初は二岐)
 駅舎こそすでに撤去されて残っていないが、当時使われていた客車などがホームに横付けされた状態で残っている。客車内部の石炭ストーブもそのままで、当時をしのぶことができる。また、少し離れたところには機関庫が残っており、ユニットハウスの工場か何かとして使われている。広い構内跡はユニットハウスの置場となっていた。
 これらの車両群は、荒れ方もひどく放置されているのみで、雪の重みで車両の一部が傾くなど損傷が進んでいた。そのため、夕張市からは撤去の方針が示されていたが、それに対し三菱大夕張鉄道保存会が発足、保存運動を行った結果、夕張市も方針を転換し復旧作業が行われることとなった。現在では三菱大夕張鉄道保存会を中心としたボランティアによって整備・公開が行われている。さらに、他の空知炭鉱関連施設などとともに北海道遺産にも選定された

 この大夕張からは森林鉄道が作られ、国有林からの木材の運搬に活躍した。その跡は今でもいくつか残っており、中でもシュウパロ湖に架かる三弦トラス橋は、その景観の優雅さは一見の価値がある。

 このあたりからの線路跡はサイクリングロードとして整備されていたが、現在は使われずに放置されているのみだ。ただ、草木が生い茂ってはいるがたどっていくことは容易であり、途中の覆道や封鎖されたトンネルなどを確認することができる。

【シューパロ湖】(しゅーばろこ:)
 国道からサイクリングロードへの坂の上が駅跡だが、わずか7年間しかなかったためか、残っているものはない。名前の通り、自然公園として整備されたシュウパロ湖畔のために作られた駅で、一時設けられていた(第2)農場前臨時乗降場とほぼ同じ場所。
 

【明石町】(あかしちょう:当初は農場前)
 比較的最近まで何かに使われていたのか、駅舎がほぼ完全な形で残っていた。裏手は少し小高くなっており、その上のホームへ行くための地下通路とホームもそのままだった。1945年に設置された(第1)農場前臨時乗降場が人口の増加により駅に昇格したものだが、駅前にはすでに人家はなかった。

 線路跡に作られたサイクリングロードはこのあたりで終わり、その先は草薮となっているが、大夕張鉄道では唯一完全なかたちで残っている旭沢橋を見ることができる。

【千年町】
 山小屋風の駅舎は、かなり前に撤去されてしまったようで、存在がわかるものはない。

【大夕張】(おおゆうばり:)
 廃止後は大夕張診療所に使われていたが、ダム建設にともない最近になって駅舎が撤去されてしまった。土台のみを確認することができた。また、土に埋まった枕木が顔を出していた。
 このあたりは、大夕張炭坑が活況を呈している頃は商店や銀行等が立ち並ぶかなり大きな街だったが、1973年に炭坑が閉山するとともに南大夕張以北の鉄道が廃止。以来、人口は減少、1998年には新ダム建設にともなう立ち退きが完了し、街自体が消滅してしまった。

【大夕張炭山】(おおゆうばりたんざん:当初は通洞)
 草むらの中に、駅舎がほぼ完全な形で残っていて、裏には改札口の跡もあった。開業当初は、石炭などの貨物しか扱っていなかったが、のちに大夕張炭山と改称し、1953年からは旅客も扱うようになった。

 近くには、大夕張炭坑の関連施設も残っていて、閉山後から工場として利用されていたが、すでに操業はされていない。また、1961年までは、さらに奥地にシュウパロ川に沿って森林鉄道が伸びていて、専用の側線や貯木場も設けられていたが、今ではわずかながら橋などの跡が点在しているに過ぎない。

1998.9