はじめに

【区 間】

 美唄 - 常盤台
【主な駅】
 美唄、東明、盤の沢、我路、常盤台
【沿 革】
 1914.11.05 美唄 - 沼貝(美唄炭山)開通[美唄軽便鉄道]
 1915.09.29 鉄道施設を譲り受け、美唄鉄道となる
 1924.12.15 美唄炭山 - 常盤台開通
 1950.04.25 三菱鉱業に吸収合併、三菱美唄鉄道となる
 1972.06.01 全線廃止

 石狩石炭により美唄炭坑が開かれたが、その石炭を輸送するために設けられた軽便鉄道が前身。
 当初は美唄から美唄炭山までの路線で、美唄鉄道に経営が移った後、既設の三菱鉱業の専用線美唄炭山〜常盤台を買収し、総延長10.6kmの路線となった。その後、1950年には三菱鉱業に吸収合併されて、名称は三菱鉱業美唄鉄道と変わった。
 しかし、かつては活況を呈していた炭坑も時代の流れには逆らえず、また他の運炭路線と同様、それにあわせて鉄道利用も減少、1972には全線廃止となった。

現況

 一部がサイクリングロードになっていることもあり、線路跡は追跡していくことは比較的簡単だが、美唄市街では不分明だ。駅舎と蒸気機関車が東明駅跡に保存されているほかは、あまり目立ったものはない。終点であった常盤台駅跡は一帯が森林公園となり、炭坑跡もなくなっている。ただ、巻上機などごく一部の施設はシンボル的に残されていて、かつてはそこが炭鉱であったことを知ることができる。また、我路駅跡周辺の住宅街はかなりの賑やかさだったというが、現在では廃虚が目立ち、当時のような人の行き来は見られない。

解説

【美唄】(びばい:鳥貝の多い所を意味するアイヌ語「ピパ・オ・イ」が変化したもの)
 函館本線の駅。広い構内を持っていたが、現在は側線などはほとんど撤去され、跡地には、スーパーや公園が造られている。


 美唄市街の線路跡はほとんどない。緩いカーブの道路沿いの跡地に美鉄バスの車庫がある。新しく造成された公園の脇に跡があるが、それも市営住宅によって消されている。高速道路を越えたあとは、 草地となって残っている。

【東明】(とうめい:)
 沿線で唯一、 駅舎が残っている。定期的に手入れがなされているようで、状態は良好に保たれている。改札口や軒先を支える柱もそのままになっており、裏には少し離れた場所に一面のホームもそのままになっている。



 また、実際に使われた蒸気機関車の2号機も展示保存されている。冬期間はシートで覆い、風雪にさらされないようにしているため、訪れた時には、見ることができなかった。

 ここから先の線路跡はサイクリングロードとなっていて、美唄炭山駅跡近くに造られた我路ファミリー公園まで自転車で行くことができるようになっている。自転車の貸出はここでおこなっている。

【盤の沢】(ばんのさわ:)
 駅舎はすでにないが、草木に覆われた長大なホームが残っていて、その上には石炭屑がいくつもの山となっている。その他の遺構は見つけることができない。近くの 変電所跡は、油関係の工場として使われているようだ。

 途中で美唄川を渡っているサイクリングロードの鉄橋は美唄鉄道で使われていた使われていたもののようだ。サイクリングロードは舗装され、すっかり整備されているため、その他に遺構らしきものはない。

【我路】(がろ:)
 ここも ホームのみが残っている。建物の土台なども見られるが、そこが駅舎であったのかは不明。かつては繁華街もあるかなり大きな街だったというが、そのにぎわいはすでにない。周辺に住宅が密集しているが、ほとんどは 廃墟と化している。

 我路を出てすぐの鉄橋はサイクリングロードとして使われていたものの、数年前に崩れ落ちて放置されていたが、道路拡幅にあわせて撤去されたようだ。サイクリングロードは、美唄炭山駅手前で終るが、その辺りはキャンプもできる我路ファミリー公園として整備されている。また、この公園の一角には、美唄鉄道と美唄炭坑についての三菱美唄資料館が建てられている。我路の沢川には、忘れられたかのように石積みのアーチ橋と隣のガーダー橋がともに残っていた。

【美唄炭山】(びばいたんざん:)
 駅跡には整粒炭工場ができ、遺構の存在を確認することができないしない。かろうじて、道路脇の駅跡と思しきところにに枕木など残骸が放置されているのと、工場敷地内にある物置き代わりの 貨車で、鉄道の存在を確認できる。

 美唄炭山手前で並行する道路との位置関係が逆になり、その先の線路跡は山すそを進んでいくが、途中には赤いガーダー橋が放置されている。その前後の築堤も比較的明瞭に残っており、また、さらに常盤台方向には、かつて存在した谷間の炭住街へ向かう道路橋が残るが、美唄鉄道を跨ぐ交差部分は木材で塞がれている。その橋の上には、補強のためか、何本ものレールが敷かれている。当時の地図からは、美唄鉄道沿線はもとより先の谷間の炭住街などに多くの家屋が密集していたことがうかがえるが、すでに自然に還りつつあり、人の存在自体消え去っている。
 さらに先に進むと、常盤台の手前にあった2カ所の踏切では、その痕跡が確認できる。

【常盤台】(ときわだい:)
 踏切跡の先にある草薮が駅跡で、当時の面影はない。周辺も、炭坑メモリアル公園として整備され、風景は一変している。シンボルとして残された二つの 巻上機が、かつてここが炭坑で賑わっていたことを主張しているよう。


1998.9