二の虹

虹は龍の「化身」であるという

二の虹

 花札の変態の特徴に12スーツ各4枚合計48枚という構成がある。南蛮カルタからの模倣の歴史のなかで、本来の4スーツに手を加えたのは「うんすんカルタ」の5スーツぐらいのもので(「うんすんカルタ」の後期バリエーションに「すんくんカルタ」というのがあり、「うんすんカルタ」より1スーツ多く6スーツ97枚の物があったが、どれほど流通したかは不明)、それを12スーツにする発想は数多くの物を花札にもたらした。前述の和歌の配置も12スーツであったから容易であったと思われる。つまりバリエーションはスーツ単位にされることがゲームシステムに悪影響を及ぼさないため、12スーツという構造はその可能性を増大させていると言える。また、その他の色々な遊技具からの影響を受け入れやすくした。その結果、本来花札が持つ機能美がより昇華するのである。

 1月の光札の「松に丹頂鶴に旭」の意匠は、江戸時代の蒔絵などの工芸品によく見られるが、1700年代後期に作られた「花鳥合わせカルタ」に同じものがあり、花札より先にできたと思われるので影響があっただろうことは想像がつく。武家や公家の平安の教育用に薬物の名や形などを覚えるために種々のカルタがつくられ、前述した「歌カルタ」以外に職業や野菜や調度品などの「合わせカルタ」もあった。「花鳥合わせカルタ」が教育用に作られたとするなら、「松に鶴」の意匠はそれへの擬装であったかもしれないが1スーツ4枚編成であるため賭博に使われたのではないかという研究家の村井省三氏の意見もあり断言することはできない。また、南蛮カルタのスーツのイス(剣)の1をピンと言い、ものごとの初めなどを表す言葉にもなったので、1月の象徴に剣の形を留めている松をもってきたのかもしれない。

 鶴だけに限っていえば「道才カルタ」(「むへ山」とほぼ同時期に登場したもの)にも同様の意匠が見られる。「道才カルタ」は「たとえ五十句カルタ」の後を受け継いてできたもので、いろはカルタの原形となる物である。おもに町人の間で文字を覚えたり、ことわざや教訓を覚えるのに使用されたのが「たとえカルタ」の類であり、ことわざを2つに分け読み札と取り札とした。文字が読めない人のために、あるいは文字を覚えるためにそのことわざに相応しい絵を描いたが、「道才カルタ」はそれを進化?させ取り札を絵だけにしたものである。鶴の読み札は「鶴のひとこえ」となっている。「たとえカルタ」も、その進化形の「道才カルタ」も本来識字教育と教養育成が目的であったので(実は「道才カルタ」は少々怪しい)禁制品にはなりにくく、擬装の対象としたのかもしれない。しかし、後に「道才カルタ」は賭博に使われるようになり禁令の中に含まれるようになったので断言はできない(「道才カルタ」は先に述べた「むべ山」と共通点がある。「是に懲りよ道才坊」という格言の札が高得点のためそう坪ばれた。ちなみにこの格言の意味は不明であって、語呂合わせではないかと言われている)。

 2月の種札の「梅に鴬」の意匠は、鴬が青柳の糸で梅の花を縫って笠をつくる、という擬人的な言い伝えが元になっている。1月2月3月でできる役を菅原といが、これは歌舞伎の「菅原伝授手習鏡」からきている。1月の光札、2月の種札、3月の光札でできる役を「表菅原」、それらの短冊札でできる役を「裏菅原」という。「裏菅原」は現在の赤短という役だが、名称を省略して「うらす」と今でも言われている。「めくりカルタ」でいう「下も三」という役がそれである。現在多く遊ばれている「ばかっ花」や「八八」に「表菅原」の役はなく、関西で多く遊ばれている「むし」でいうところの「三光」「八百間」(あるいは三百間」もしくは「チャンガ」)の「大三」(おおざん)、「八」や「松桐坊主」の「一二三」などの出来役が「表菅原」と同じである。このことは「梅に鴬」の札に特殊な役割があったことを想像させるが、それは「めくりカルタ」のスーツのひとつのオウルが本来「スベタ」といって無点でありながら、その2が「太鼓の2」(オウルの形が太鼓に見えるための呼び名)といって特例的に最高点が与えられていることに関係があるかも知れない。また、先に説明した「よみカルタ」系の地方札の2の多くが金銀で装飾されていたり、ちょっと異なった意匠になっていたりすることも関係しているのかもしれない。それに花札でする「よみカルタ」系の「いすり」「ポカ」「ひよこ」などのゲームではこの札が鬼札になっていてそのこととも関係があるのだろう。

 3月の桜の短冊に書かれている「みよしの」は、もちろん奈良の吉野地方の美称だが、1月と2月の短冊に書かれている「あかよろし」よりかなり古い時代から入っている。これは、前述の「道才カルタ」に見られる意匠である。その中に読み札の「花はみよしの」に対応する取り札が花札の桜の短冊札とほぼ同じ図柄となっている。

 4月の藤と5月の菖蒲はまさに「和歌カルタ」であり、教養を育むものに見える。藤の種札には時鳥が描かれている。時鳥は夏の訪れを鳴き声で告げる鳥といわれていて、夜に鳴くのだが和歌などをよくする人たちはそれを聞きに出かけたという。藤原実定の歌に「時鳥鳴きつるかたをながむればただありあけの月ぞ残れる」とあるが、種札を見ると時鳥の背後に確かに暁が描かれているものがある。5月の種札を見ると杜若(菖蒲)と八ツ橋が描かれているが、これは伊勢物語の一節を出典としている。主人公が旅の途中の三河の八橋という所で、杜若の見事に咲く様を目の当たりにし旅の心を歌にしたのだが、川にかかる八ヅ橋のことも記している。和歌は前述したので繰返さないが音の頭をとると「かきつばた」となるように作られている。5月の種札はまさしくその光景である。歌を読み札にして絵札を取り札にすれば雅びな「和歌カルタ」になるのだが、そうは簡単に推理を成り立たせない所が花札の化身たる由縁であって、素札に読まれている4月の時鳥の歌は実定の歌ではなく別の歌なのである。

 7月の種札の猪も「道才カルタ」にある。読み札は「向かうシシに矢立たず」となっている。猪を和歌の中に探すのは歌材になりにくいのであろうか非常に困難である。よって萩の歌が多くあるにもかかわらず素札に読まれていないのは猪のせいかもしれない。役札を作らんがために楮を「道才カルタ」から借用し、配置しやすい萩に描いたと想像するのはたくましすぎるであろうか。文様で萩と対になるのはほとんどが鹿で猪は冷遇されていると言えるが、庶民にとっては食肉の方で「ぼたん」「山くじら」と称して親しみはあったはずである。江戸川柳に「五段目を蛇の目で包む麹町」とある。麹町とは江戸の平河町にあった「山奥屋」という獣肉店のことで単に麹町というだけで通ったほど有名であった。蛇の目とは油紙のことでこれで肉を包んだ。五段目というのは前述した仮名手本忠臣蔵の、山崎街道の場のことである。おかるの父から金を盗んだ定九郎は猪に間違われて勘平に撃たれ果ててしまうが、そこから猪のことを五段目といったのである。それはおおっびらに肉食ができなかったことからできた隠語でもある。

 「山奥屋」の記録は明昭8年(1771年)のものにみられるので、中村仲蔵が定九郎で大当たりをとった時期と同じであることが分かり、「めくりカルタ」にも影響を与えたと考えられなくもないが、「道才カルタ」からの借用と考えた方が自然かもしれない。  8月の満月に薄の意匠は「花鳥合わせカルタ」にある。「ばかっ花」の出来役にこの札と「菊に盃」(10月の種札)の札でできる、「のみ」あるいは「月見酒」と呼ばれる役があり、これは江戸中頃の廓の風習からきている。8月14日から16日に「月見盃」と称して馴染みに盃を贈った。

 9月の菊と盃の意匠は重陽の節供といわれるのは1月7日の人日(じんじつ)、3月3日上巳(じょうし)、5月5日の端午、7月7日の七夕、それに9月9日の重陽である。奇数の陽数が重なることから重陽、重九といい、菊の節供ともいわれている。菊の節供には観菊をし、盃に菊の花弁を浮かべて酒を飲み長命を願う風習があった。これは中国の故事に因っている。皆、中国の南陽の甘谷の上流に大菊があり、その花から滋液が落ちそれを飲んでいた下流の者が長生きした、という「菊水」の故事である。これは花札に教養的側面を持たせたのであろうか、風習が1枚の札に見事に描かれている。そして、札にはちゃんと川が描かれている場合が多い。

 10月の種札の鹿は格好の和歌の対象で、数々の歌に詠み込まれている。鹿は雌雄の結び付きが強く、独りの鹿に別離や悲恋の心を託したのだ。よって、この月の札はまさに新古今カルタといいたい所だが、ほとんど同じ意匠が「花鳥合わせカルタ」にある。

 11月の光札の定九郎については先の述べたが、明治以降にそれに代わったのが現在では、一般的となっている小野道風である。何故、定九郎が小野道風に代わったかはひとつの謎であるが、明治に入り教育思想に影響され道風に代わったとも言われている。しかし、花札が解禁になったのは明治19年のことなので擬装の必要性はなかったように思う。単にイメージの良化のためかもしれない。小野道風は野蹟と後世の人にいわしめた能書家で、蛙が何度も柳に跳びつこうとしているのを見て、勉学に発奮したという逸話はあまりにも有名である。確かに柳に相応しい人物、逸話である。定九郎を札に登場させるために雨を降らし、その雨に似合いの柳を配し、後に最も柳に相応しい人物に入れ代わったという図式が思い浮かぶが、身を持ち崩して山賊になり下がり猪と間違われて撃たれ果ててしまう人物と歴史上の偉大な能書家を入れ替えてしまうのだから、ものすごいエネルギーである。

 また、素札は雷神と稲妻の意匠であるが、それが「よみカルタ」の鬼札から来たものとするなら「鬼」=「雨」の概念がスーツを代表することとなって、実は雨が先で定九郎は雨に配された「風物」だったと考えることができる。現に「八八」などのゲームでは雨札をすべて素札にみなすことができ、「よみカルタ」でいう所の鬼札あるいは化け札としての性格が強いのである。

 また、定九郎の姓が斧(おの)なので音が同じ所から小野道風に入れ替わったという説もありなかなかおもしろい。しかし、11月の札であるにもかかわらず蛙が跳んでいるのである。蛙を見る小野道風よりは、仮名手本忠臣蔵の山崎街道の場の方が季節としては合っている。この月は鬼が棲む如く興味の尽きない月である。

 12月には中国の想像上の動物「鳳風」が登場する。鳳風は前が麒麟、後ろが鹿、首は蛇、顎は燕、口ばしは鶏、背は亀、雄は魚で羽に5色の模様がある鳥となっている。そして、梧桐(ごとう=あおぎりのこと)に宿る所から桐に配されたと思われる。鳳鳳には天下に正しい道が行われていると現われるという故事がある。正しく賭博をしろという意味では多分なく、金を賭けるなという意味かもしれないが、皮肉の効いたユーモアではある。地方札には「金銭無用」と書かれた物がありそれと同じ発想がもしれない。つまり、製造業者の保身で賭博用に作っているのではなく、賭博に使う方が悪いと主張しているのである。実際にはそれほどの意味はないと思われる。

 花札は以上見てきたように札の1枚1枚に意味やいわれがあり、出典や擬装の意図がたどれる興味尽きない遊技具である。意外と「道才カルタ」の影響が強いことに気がつくし、単純に花鳥風月を配した優雅なものではないことにも気がつく。一般民衆の因習や願望さえ窺い知ることができる歴史の鏡であるかもしれない。花札はそれらの化身であり、今後も変態を続けるのであろうか?

〔参考文献〕

日本遊戯史 小高吉三郎著 拓石堂出版

賭博とスリの研究 尾佐竹猛著 総葉社書店

花かるたの遊び 片岡六合雄著 上方屋片岡商店

夜想20 今野裕一編 ペヨトル工房

賭博の日本史 増川宏一著 平凡社選書

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