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一の影

影とは闇であり、すなわち「謎」の部分である

一の影

 かって花札は非常に流行したものだった。花札の前身である種々のカルタ類も含めて何回も禁令が出されたし、それでいて流行が下火になるというようなことは無かった。時の為政者は労働者や軍人の娯楽を生産力や戦闘力の低下を理由に好まず、数々の禁令の対象とした。

 歴史上でも、古くは1195年に源頼朝が賭博全般の禁令を出しているし、禁令の中にカルタという文字が初めて登場するのは1597年のことである。また、江戸時代には享保や寛政などの改革案が出される度に禁令を伴った。花札および花合わせが禁令の中に字句として登場するのは1831年(天保2年)である。禁令が何度も出されたことは、それらがあらゆる階層で親しまれていたという証明であろう。言い換えれば花札の流行は権力者への一般民衆のエネルギーの発露であったと言っても過言ではない。

 また、特に花札による『花合わせ』の遊び方が一般受けし、家庭の中に入り込み明治新政府の禁令解除によって爆発的に全国で流行した。そのことは新政府が花札に理解があったり、国民に対する温情があった訳ではなく、鹿鳴館時代の外国力ブレの風潮の中でトランプ(カード)が認められたことに対応していたにすぎない。その証拠に骨牌(カルタ)税なる悪法を作り販売価格とほぼ同額の税金を科するのである。これによって花札が高価になり零細製造業者は激減し、もともと本場であった京都以外には見られなくなってしまったという。しかし、零細製造業者が壊滅しただけで民衆の悪癖を駆逐しようとした新政府の目論見は効果がなかったらしい。あるいは単に税収入を意図したものだとしたら、それなりの効果はあったのだろう。

 江戸時代の厳しい禁令の中でも滅びることを知らなかった花札が、何故これほどに衰退してしまったのか?これは大いなる謎として残っている。現在トランプのある家庭と花札のある家庭を比較すると、トランプのある家庭の方が多い。また、子供を交えて『ばばぬき』をするように、子供を交えて花札をしている家庭は稀有である。

 それには、花札の持つ良からぬイメージが影響しているようだ。現在でもある程度の年齢に達している人々は「花札=悪のイメージ」を持ち、それは麻雀・パチンコを凌駕している。また、新聞の賭博法違反で検挙の報道は必ず「花札賭博」である。「手本引き」(1から6までの数を当てる遊び、花札は使用しない)をやっていても、コイコイの「あとさき」(花札を用いる「おいちょかぶ」系統の遊び、ある数に近ければ良い)をやっていても、「バッタマキ」(花札を使いやはり「おいちょかぶ」系統の遊びだが、丁半ばくちの変形)をやっていても、すべて「花札賭博」なのである。これらの偏見から堅気の家から花札が消えていったようだ。

 その理由は明治政府の富国強兵政策に求められるかもしれない。江戸時代の禁令は上部からの圧力であったが、新政府は修身を中心とした精神主義的教育によって家庭内の享楽を罪悪視する環境を作っていった。それは大正、昭和という時代に連続し「愛国いろはカルタ」のような「教育的」かるたを見出すに致る。致命的な出来事は1940年(昭和15年)に出された「奢侈品製造販売制限規則」であり、戦意高揚に効果のない遊興道具は事実上消滅することになる。後に残ったのは好戦的な一部のスポーツと洗脳にすり変えられた「教育的遊技具」だった。ファシズムと遊興は相容れない間柄にあるのだ。

 花札はまだ歴史の厳しい洗礼から回復できずにいるのだろうか?

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