
「……突然で悪いが、今日からお前は最終兵器だ」
ひしゃげた祖父の眼鏡が、遠い蒼穹に飲み込まれていく。
彼女のはその行方を哀しみに満ちた双眸で見送り、濃紺の吐息を漏らした。短い黒髪は陽光を照り返し、頭上で天使の光輪をたたえる。日に焼けた小麦色の肌はうなじへ近づくに従って白さを増し、制服の間から見える肩越しは白磁のような肌が見え隠れする。本人は日焼けを気にしているようだったが、少なくとも魅力を減損させるものではない。年齢の割に小柄な体格も、大きめの瞳と合わせて幼く見せる容姿も、彼女の魅力だった。
南中した太陽から降り注ぐ日差しが、やけに強く感じる。六月に入ったばかりの今日は、平年よりも涼しい気温だったのに。風はなく、ともすれば朝凪に立ち会ったような錯覚さえ受ける。額には汗がにじみ、頬を辿ろうとしていた。
こぼれかけた虹色の汗を甲で拭い、肺に溜まった熱気をすべてはき出す。
「はぁ……ふぅ……」
二回。それだけで身体が軽くなった気がする。突然の祖父の言葉に興奮していたため、体感気温が上がっていたのだ。深呼吸をし幾分冷静になったおかげで、今はだいぶ涼しく感じられる。と同時に、筆舌にしがたい感情が生まれていることに、彼女は気づいた。
祖父は言った。自分は今、最終兵器なのだと。もう、ひとでなくなったのだと。冷たい、プログラムされた動作を延々と繰り返す、ソレになったのだと。すべてが……失われた気がした。
全身の感覚を確認し、彼女はゆっくりと右手を動かした。祖父を吹き飛ばした右手は、一見すれば今まで通りの右手。しかし、先ほどやったようなことが出来る腕は、もう今までと同じではない。
その右腕に付いている細い五本の指で、彼女は左腕をなぞった。くすぐったい感覚が脳に伝わる。小麦色に焼かれた道筋を辿るたび、僅かな血流が感じられた。ひとの温もりが、残っていた。
そのことに安堵し、再び吐息。眼を閉じて、今度は両手で頬を覆った。
感じられる喜び。有ることの幸せ。残っている過去。失われる未来。十何年をともにした存在が、たった一昼夜で失われる悲しさ、苦しみ、憤り――そして、絶望感。
胸が苦しくなる。心拍数が激しい。肺が圧迫される感覚――無意識のうちに胸を押さえる。
そして
彼女は
愕然とした。
確かにあったはずの、ふたつの膨らみがない。
まるで男の胸板のように堅い堅い皮。骨すらあたる。昨日までは確かにあったのに。確かに、あったのに……。
「なんで」
薄く紅い口唇が、言葉を紡ぐ。
あまりに悲劇的な現実。この世界には希望すらないのか、と彼女は思った。もし神がいたとすれば、今、彼女は確実に滅ぼしていただろう。
「こんなのって、こんなのってっ!」
何がいけなかったのだろう? 少なくとも、目立ちはしなかったが平凡な生活を送っていただけだった。時々恨みを持つことはあったが、持たれることはしていないはずだ……たぶん。それが、突然。兵器にされるなんて。
不条理な現実に哀しみを覚えた。怒りは、不思議と浮かび上がってこなかった。どん底に突き落とされたせいで、そこにあったのは哀しみだけだったせいで。
「ないよ、こんなのって!」
彼女は叫んだ。
伝えたかった。
何かを、胸で暴れる何かを、誰かに。
だから
「って言うかお前、前から胸なんて―――」
「ばかああああああああっ!」
腕をふるった。
彼は星になった。
彼女は確実に、甲子園を目指せる。
“サプリンレモン”
〜はじまりの悪寒〜
室内に、三人の人間。
ひとりは不機嫌な表情で椅子に腰掛け、腕と脚を組んでいた。リズム良く叩く足先で、床はこんこんと悲鳴を上げてる。彼女は三十分前から、ずっと不機嫌なままだった。
残りのふたりは、重体だった。うちひとりは死にかけていたが、持ち前の生命力で何とか命を繋いでいた。全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、まるでマミーのように見える。おかげで熱気がこもり、汗が噴き出して不快なにおいを発している。これでエアコンがなかったら、初夏の日差しの元で早々と腐っていただろう。
本来なら地べたにひれ伏せさせたり土下座なりさせたかったが、彼女はそこまで冷酷ではない。今は学校にあるような椅子に座らせている。
「……で?」
不快なエナジー満載の声質で、彼女は聞いた。
半眼となった双眸が、夏の日差しより厳しく、片方の人間に向けられている。彼は――包帯で巻かれているが、ふたりは男――小さく首肯し、立ち上がろうとしたが腰が砕けた。がしゃーっん、と盛大な音を立てて後頭部を椅子に強打する。
「痛い……」僅かにつぶやく。その声に生命力は感じられなかった「どうして若者は、老人を……」
「その言葉、反転させてそのままぶつけ返してやるわっ」
元々強かった眼光がさらに強くなる。何気ないつぶやきだったそれは、彼女の心に刃をたてたのだ。彼女は感受性が強い。だから些細な一言で容易く傷つく。
言葉遣いが悪いのは、その裏返しだった。強気な発言を繰り返すことで、自分の心に防壁を建てる。口より先に手を出すのは、“口撃”より直接の攻撃を受けた方が、傷の治りが早いからだった。すべては脆すぎる心を持ったがための、あまりに陳腐な防衛行動。それに起因している。
「が、わしは話を最後まで聞くぞイ」
腰を支えながら立ち上がり、ごほっごほっと、危ない咳をたてる。
「ふぅ〜ん?」
疑いの視線。
「ま、まあ、なんじゃ? 今からすべてを話そうではないか」
殺気の入り交じった視線を受け、全身に悪寒を感じた彼は話を元に戻す。彼は椅子に座り直した。「準備はええかい?」
彼女は頷きで返す。
「それじゃあまず……お前の能力じゃが」
彼はそこまで言って、どこにあったのか、ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「ええと、力を意識下で使うことは出来んそうじゃ」読みながら続ける。「基本的に、力は他者が発する波動を受信し、内部に埋め込まれた増幅コンバーターでHWエネルギーになる。それが力の源じゃ。HWエネルギーが生まれると、身体能力から五感、第六感、勘すら精鋭化される。一般人と比べて、二倍から理論上は無限大まで可能」
そこまで言って、彼はいったん言葉を切った。彼女の反応を待つためだ。長い話の場合、相手が説明を理解できないうちに話を進めても、意味をなさない。時折話を切って質問をし、しっかりと理解しているか確認する必要がある。
「簡単に言えば――相手から来る何かを受け取って、それがエネルギーになって、んで、凄い力が使えるようになると?」
「その通り。最近の若者は物覚えが良いのゥ」
「はいはい。で、説明はそれだけ?」
「いやいや、まだ続く。……HWエネルギーがすべての源だと話したな? では、そのHWエネルギーとは何か、と言う話だ。基本的にひとは、欲望で動く。金銭欲はもちろん、性欲、食欲、物欲、相手から認められたい、相手を求めたい、相手より上になりたい……等々。HWエネルギーと言うのは、そんな欲望を変換したモノのことじゃ。だから、理論上では上限がない。無限大と言うのはそのためじゃヨ」
「ふーん」
「だがHWエネルギーは、すべての欲望を変換したモノと言うわけではない。確かに欲望は強大なものじゃ。理論上で無限に達するのも判る……だが、そんなモノは扱えない。無限を扱える技術を、ひとはまだ持っていないからナ」うんうん、と彼は二回頷く。思い当たる節があるらしい。
理論とは、現実を構成する微細な事象を無視して成り立っている。どんなに緻密に計算され、導き出された理論も、それはあくまで机上のモノに過ぎない。夢想よりも現実に近い、と言うだけ。ラプラスの魔は存在しないのだ。
「では質問」いつの間にか彼の体力は全快していた。「HWエネルギーは何の欲望を変換しているのか?」
包帯でぐるぐる巻きの彼は、隣に座る同じぐるぐる巻きの彼を見て、彼女へ視線を移す。ポストの投函口ほどに開かれた場所から見た彼女は、難しい表情をしていた。眉を中央に寄せ、口唇を尖らせてなにやらつぶやいている。耳も包帯で覆われているため、彼の元には届いてこない。
エアコンがはき出す冷気が、包帯の上から彼の熱を奪い去っていく。夏の日差しはカーテンで遮られ、不快でない程度に差し込んでいた。床はフローリングで、傷が幾つかある。子供の頃の彼女がつけたモノだ。その時の可愛さを、彼はまだ覚えていた。
今も十分――と思ったところで、彼女は言った。
「物欲、かな?」
「ふむ……おぬしは?」彼は隣の包帯に聞く。
「まったく」両手を上げて降参の意を表した。
「そうか、やはり難しかったかノぅ」
誰も答えられなかったことに満足したようで、彼は何度か首肯する。彼女はその行動に不快感と殺気を募らせたが、なんとか我慢した。
「で?」
なるべく平穏なまま聞く。
「ああ、答えじゃったな。……答えは――」
彼女と、包帯の視線が彼を向けられる。それからとても気持ちよさそうに笑いながら、彼は言った。
「――妄想じゃっ!」
「もう――」
「そう?」
ふたりは同時に首を傾けた。
「そうじゃ、妄想じゃ! 妄想こと生命の真理、妄想こと人類の楽園、妄想こそカナン! ――HWエネルギーとはつまり、“HiWaiエネルギー”の略称なのじゃあ!!」
衝撃だった。
豆腐の角に頭をぶつけて死者が出たときより衝撃だった。
こんなのありかよ、と彼女はつぶやく。だが言葉にはならなかった。開いた口がふさがらなかった。今まで積み上げていた怒りや不満が、一瞬にして吹き飛んでしまうほどに。
HWエネルギーの正式名称が衝撃だったわけではない。確かにショックを受けたが、吹き飛んでしまうほどではない。そんな力を組み込まれたと言うことが衝撃的だった。
彼女は泣きそうになる。こう言う時泣けないで、いつ泣くんだと思うほど、泣きたかった。
「それでは実践じゃ!」
ずばぁっ、と彼は包帯を脱ぎ捨てた。複雑に絡み合っていたそれも、彼にかかれば服を脱ぐより容易く捨てられる。包帯の下にあったのは、純白の白衣に、白髪と白髭。顔に刻まれたしわの多さが、彼の年齢を物語っていた。
「実践……?」
呆然としていた彼女は、鸚鵡返しに首を傾ける。
「そうじゃ、実践あるのみ! だから彼を呼んだのだよ」
と、彼は包帯を指さす。
「今こそ目覚めの時ぃぃぃぃぃぃっ!」
「え、え? ちょっとタン―――」
背中にのびていた包帯のあまりを掴み、彼は包帯を思い切り引いた。
ぐわん、と視界が回転する。無数に与えられる横Gで三半規管が混乱。鳩尾から吐き気に似た不快感がせり上がってきた。口を押さえようにも、高速回転しているためそれは出来ない。歯を食いしばって吐き気が引くのを待つのだが、いっこうに衰えない。
「さぁさぁ、目覚めよ少年」
彼は嬉々として遊んでいた。
一度やってみたかったんだよなあ、みたいな。
「うげぇ、気持ち悪ィ……」
やがて回転が終わると、十代半ばの少年が現れた。顔が真っ青なのは、生まれつきではなく彼女の祖父が彼を回転させたからだ。吐き気を治めるため、椅子に座ったまま動かない。時折、苦しそうなうめき声を漏らすだけ。
「コイツが、何か?」彼女は不思議そうに聞く。
「さっきも言ったように、HWエネルギーとは妄想を変換して得られるエネルギーじゃ。きっと話しただけでは判らんかったろ? だから、実践なんじゃ。実際にエネルギーを充填してみれば、何となく判る」
「へぇ」
何が判るのか、彼女はあえて聞かなかった。聞いても答えてくれないだろうと思った。ハイテンションになった彼を止めることなど不可能だと、彼女は知っていた。彼女は彼の孫娘だった。
やがて嘔吐感が過ぎ去った少年を立たせ、彼はこほんと咳を吐く。腰に手を当て、残った右手で少年の肩を掴んでいる。彼女はふたりの前に立って、事態の推移を見守っている。
彼は言った。
「さて――妄想と一言で言っても、幾つもの種類がある。HWエネルギーは、妄想の中でも卑猥な妄想を主な源としているのだ……と、書いてある。もちろん卑猥でなくとも構わないが、変換率が極端に落ちるのでお薦め出来ない。人間じゃからな」
「まあ、いいわ。もう」
彼女は何かを諦めたようだった。そして何かを受け入れる準備を整えた。
嘆息。結局わたしに選択権はないのね。
「そこで、このわしが開発した着せ替えフラッシュの出番なのじゃ」
「うわ、あぶない」と少年。
彼は白衣のポケットから携帯電話大の機械を取り出した。その先端を、おもむろに彼女へ向ける。「それでは、実践開始」
天井部に付いていた紅いスイッチを押した途端、目に見える光が稲妻状に飛び出る。直進し、彼女の胸に突き刺さって閃光する。叫び声を上げる暇もなく、全身が黄色い閃光に包まれた。
「うわっ!」
ほとばしる閃光に、少年は顔を覆った。
光が音を発し、耳朶で弾ける錯覚。
ぐわんぐわんと、脳内で警笛が鳴った。
十数秒の間光は続き、やがてさざ波のように静かに光は引いていく。少年は何度か瞬きしながら眼を見開いた。視神経の混乱がまだ解けず、少し揺れている印象を受ける。だがそれも、時間の経過とともに慣れていくだろう。
「あれ……?」
彼女の声が聞こえた。
光が彼女を中心にまだ強かったが、徐々に消えていく。やがて―――
「うわわわっ、何よこれぇ!?」
何か怯える声。
少年は首をかしげたが、光が収まってその理由が判明する。
頬が瞬間、桜色に染まる。閉じようと意識した瞳は、反して大きく見開かれてその状況を克明に脳へ焼き付けた。これからしばらく、少年はこの画を利用することになるだろう。
彼女は、スクール水着を着ていた。……ただし、サイズは一回り小さい。細い身体のラインが、はっきりと浮かび上がっていた。少年の視線の先にある繊維が、肉体に食い込んでいた。胸は、変わっていなかった。何ともいやらしい、マニアックな光景だった。
「どうじゃ、わしの発明した着せ替えフラッシュの威力はっ!」
自慢げな彼の雄叫びに、少年は内心で賞賛した。今までどうしようもない老人だと思っていたが、今日のこの一件で、評価値は反転した。
「どうじゃ、じゃないわよぉっ!」
恥ずかしさに貌を真っ赤にさせて、彼女は叫ぶ。局所を隠そうと腕を伸ばしているが、そのことが却って事態を悪化させていた。ヒップのラインが上へずれ、日に焼けていない白い部分を露出させる。
「こんなのって、こんなのってぇ……!」
同年代の異性に肌を見られるほど、恥ずかしいことはない。腕や脚の一部なら構わないが、いつも隠している場所を見られるのは耐えられない。彼女は耐性を持っていなかった。
彼女の中で、熱いどろどろしたものが渦巻いていく。鳩尾辺りにあったのが、頭の方へ上昇を開始する。もう何がなんだか、判らなくなる。恥ずかしさと怒りと、良く判らない感情が渾然一体となったその時、機械を見つめていた彼が突然叫ぶ。
「……む、HWエネルギー充填完了。今じゃ、変身せよっ!!」
「へ、変身!?」
「そうじゃ」彼は頷いた。「青少年の健全な成長を護るため、変身じゃ――!」
その言葉を聞いた、瞬間。
再び光。
自分であって自分ではない誰かが、身体を勝手に突き動かす。全身に漲る力を、彼女は冷静な視点で感じていた。怖いとは思わなかった。自分の意識を離れてしまった肉体は、けれど彼女のモノだったから。誰に使われても、自分のモノだと断言できる自身があった。と同時に、頭の中で誰かが囁きかける。
――変身するのよ、サプリンレモン。
……へんしん?
――そうよ。青少年の健全な成長を護るために、卑猥な妄想を更正させるために、それがあなたの力。
……わたしの、ちから。
その中で、彼女は今までの自分に別れを告げ、青少年の健全な成長を護るサプリンレモンへと変身していた。今までにない開放感と義務感が彼女の中で満ちていく。自分の意志が、誰かの無意識が、サプリンレモンを必要としていた。
それを受け入れた瞬間、光は突然収まる。彼女はもう、そこにはいない。
少年と彼はその姿を探した。
上に気配。
見上げる。
ひとの影。
空中で一回転し、膝を曲げて着地の衝撃を吸収。髪の長い少女が舞い降りた。
呆然とする少年の前で、少女はゆっくりと立ち上がる。瞳が少年を捉える。白く細い腕が持ち上がり、顔を指した。紅い口紅の塗られた口唇が動く。
「青少年の健全な成長を護るため、サプリンレモンここに参上っ。……えっちなのはいけないですよ?」
挑戦的な笑みを浮かべ、彼女――サプリンレモンは宣言した。
少年は唖然とした。目の前でひとりの人間が、光球の中で変身したのだ。驚くのも無理はない。目を大きく見開き、口を開けたまま、急速に変化し始めた現実を受け入れようと躍起になっているように見える。だが、彼は環境適応能力に優れていなかった。枕ひとつ変わっただけで、数日は寝付きが悪くなるほど適応能力が低い。変身するという、常軌を逸した――彼にとっては――出来事に対応しろと言うのは酷と言うものだ。
それとは対照的に、老人は冷静そのものだった。事実を事前に知っていたと言うこともあるだろうが、長年培った経験や貫禄が、些細な出来事――彼にとっては――では動じない精神を作り上げていた。
「サプリンレモン!」彼は言った。「早速だが、この少年は妄想に囚われている。何たる狼藉か、スクール水着を見て卑猥な妄想を繰り広げ、さらに購入すら決意している……」
「ま、待てぇっ! 購入を決意とか、ンなこと」
「――そこの少年っ」
あらぬ事実を言われ、反論しようとしたがしかし、正義と健全の使者であるサプリンレモンは待ってくれない。細い腕を動かし人差し指を少年に向け、強く睨み付けた。
「あなたのような人間が、日本の景気を引っ張っているのよっ! 健全ではない卑猥な妄想を浮かべ、現実を見ようとせず、二次元の少女に恋心を抱いてそれで良しとする……。そんなことで、この世界で生きていけると思っているの!? 甘い、甘いわ、少年よ」
まるで瀕死の両親に出会ったかのように、彼女は盛大にかぶりを振った。
「このわたし、サプリンレモンがあなたを更生させます!」
「何でですかああああっ!」
「とうっ」
彼女は飛び上がり、胸のポケットからステッキを取り出した。それは妄想を吸収し、HWエネルギーとして自分の活動源にするだけではなく、吸収された分の卑猥なエントロピーを、健全なモノと置き換える役割を持っている。彼女が持つ唯一の武器であり、世界が待ち望んだ最終兵器。サプリンレモンはそれを行使するためのソフトウェアでありハードウェアでもある。ステッキと言う外部デバイスを行使するための――そして、制御するための。
「少年、今からあなたの卑猥な妄想をすべて消去させます。そして失われた部分に、新しい、健全な思考を埋め込みます」
強く、念じる。それだけで、ステッキは反応を返してくる。先端にあるルビーレンズにレーザーが反射し、中央で収束。それはエネルギー発射のための道標となる。同時に、彼女の細腕から光の粒子がレンズに集まっていく。青白い光とルビーから漏れる紅い光が、混ざり合い、躍動し、紫紺の輝きとなって室内に満ちあふれた。
少年は動けなかった。体中が麻痺したように意志が働かない。赤と青の光が連続して発せられているため、脳が混乱しているのだ。
彼女はステッキの先端を彼に合わせ、叫んだ。
「ルナアルテマ(中略)ィーカン・ビィームっ!」
言葉と同時に光線が発射される。光速の五〇パーセントの速度で進んだそれは、少年の眉間部分に命中。粒子が四方八方に撒き散らされる。七色に輝く。頭皮、頭蓋骨、脳漿を貫通した粒子の一部が脳に干渉。少年が思い浮かべていた妄想を一気に消し去る。
とても心地よい感じがした。今まで、とんでもないことを考えていたようだ、と彼は思った。粒子が脳へ直接作用したため、脳内麻薬が分泌されたのだった。それが彼に、今までに感じたことのない快感を与える。
妄想を捨て去ることによって快感が得られる。ならばひとは、快楽を得るために妄想を捨てるだろう。ルナアルテマ(中略)ィーカン・ビィームは、ひとの本能に働きかけ、根本から妄想を消し去る。
やがて閃光が波のように引くと、室内に静寂が戻った。
サプリンレモンは少年の妄想が消えたことを確認し、後ろを振り返る。正義の味方はいつまでも同じ所に留まってはいけない。それは古代ローマ時代から続く不文律だった。
ひとる息を吸い、ステッキをポケットに戻す。そして彼女は、最後の宣言をした。
「更生完了。卑猥な妄想ある限り、戦い続けます、日本を救うまで!」
少年はサプリンレモンのすがたを、献身な教徒が教えを聞くような真摯な態度で見つめていた。
「……うをおおおっ、凄いぞ、すばらしいぞサプリンレモン! これで日本の将来は安泰じゃ!」
今まで黙って見守っていた老人が、感極まり泣き始める。
そんな彼にサプリンレモンは微笑みかけ、自分に与えられた使命の重要さを噛みしめたのだった。
もちろんこれは、すべての始まりに過ぎない。
日本には数百万以上の、卑猥な妄想に囚われた健全な青少年がいるのである。それらすべてを更生させるには、気の遠くなるほどの時間がかかるだろう。その間に、日本と言う国が滅び去ってしまうかもしれない。
だが、諦めてはいけない。
我々には、正義と健全の使者、サンプリンレモンがいるのだから。
行け! 戦え! 我らが正義と健全の使者、サプリンレモン!
日本に蔓延る卑猥な妄想を駆逐し、青少年の健全な成長を護るため―――