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旧国道121号線
山王峠


福島県南会津町〜栃木県日光市
平成21年11月8日 来訪





福島側の下見を終え大崩落前で引き返す。
改めてあの障害の凶悪さを再確認。
とてもぢゃないがあんな所は一人では行きたくはない。
濡れる落ち葉に気を付けながら峠を下りていく。

さて、話はこの時より一年ほど前に遡る。
2008年の大峠攻略戦
難攻不落の廃道を突破し、お互いの健闘を称え合いながら、喜多方ラーメン店「れんが亭」で昼食を取っていた時の事だった。
たしか自分が「いやーこの前、山王峠行ったんですけど散々でしたねー」と話を切り出したんたど思う。
そしたら熊五郎氏も山王峠を訪れていたのだが、福島側から栃木側へはまだ抜けていなかったそうだ。
「ぢゃ今度、一緒に山王峠攻めません?」と熊五郎氏。
コレで山王峠合同アタックが決まったと言う訳だ。
しかしながら、あの大崩落での恐怖心が蘇る。
「そうか、またあそこへ行くのか・・・」








「道の駅たじま」にて熊五郎氏と合流。
熊五郎氏の愛車「DT200WR」は相も変わらず、心地よい2stサウンドを響かせる。
今回は栃木側から入る事とし、いったん現道で峠を越える。
冬季のチェーン取り付け場などにされる駐車場の脇が旧道分岐点だ。
駐車場を取り巻くような形の旧道。
九十九折れで高度を上げた道のガードレールがまるで山肌に巻かれた白い帯のようだ。












旧道の入り口だがガードレールで完全に塞がれる。
・・・のに何故か封鎖向こうにせろーさん。

まあ細かい事は気にするな。

ちなみにこの画像は夏に訪れたファーストアタックの時の物なのでちょっと緑が濃い















熊五郎氏も旧道へ侵入。
行きはよいよい、帰りは怖い。
実は初回攻略の際にブレーキレバーをへし折ったのは『此処の出入り』であった
入れないはずの場所に入ってしまうのは、当然それなりのリスクが伴う。
出来ればここには戻ってきたくは無い。
しかし、戻らずに向こうへ行くには『アレ』を超えねばならない。
















そんな凶悪なブツがあるとは思えないほど長閑な雰囲気の旧道。
福島側が日陰に覆われ陰鬱な印象だったのに対し、栃木側は日に照らされ爽やかな秋の世界。
廃道探索において最も適した季節としてあげられる秋季だが、最も廃道が美しい季節でもあると思う。



















とか思ったらこんなのが現れるから、やはり廃道は油断ならぬ。
路肩がごッそり逝ってガードレールが宙ぶらりん。
てかガードレールの支柱って結構深く突き刺さっているのね。
まあ簡単に引っこ抜けられるような深さぢゃ、いざ事故等で車がぶつかった時に転落を防げないしな。
意外な所で縁の下の力持ちを知る。


















時系列的には逆になるが熊五郎氏撮影によるあづさ2号の貴重でもない通過シーン。
アスファルトの厚さはそこそこあるあたり、さすがは元国道。
薄くアスファルトを敷いただけですぐボコボコになる『なんちゃって舗装』とは一線を画す。
でもまあ崩れちゃってるんだけど。
















とあるカーブで路肩の法面の種類が違っている事に気付く。
右側が大小様々の石を使った野石積み。こちらは開通当初に築かれたものか?
それに対し左側は均等に整形された石を使った谷積みである。
谷積み部分は後年に改修、もしくは災害復旧時に改められたものであろう。





















一部路肩が崩れているが全般的に穏やかな雰囲気の栃木側。
晩秋と言う事もあるが、障害物がなく見通しも良いのでかなり順当なペースで峠の道のりを消化して行く事ができた。


















そしてあっさり峠へと到着。
峠は標識・看板天国。













画像は共に熊五郎氏
県境看板と「田島・会津若松」方面への白看板。
取り合えずは福島県へと入りました。
でも田島まで抜けれらるかは、まだ謎。


さてこの山王峠。
建設指揮を取ったの言わずもがな、われらの鬼県令『三島通庸』。
「悪名高き」会津三方道路の一つとして造られ、山王峠はその南の基点であった。
しかし開通当初、峠まで車道を造ったは良いが、なんと栃木側には道が(少なくとも車道が)無かったのである。
当初の予定であれば同時に栃木側も開削される筈だったのが栃木県議会で予算の承認が下りず、
工事を行う事が出来なかったのである。
ただ峠の一方に上がってそこで終わってしまう道。
意味なっしんぐ。

だが、当然ここで終わらぬのが我等が三島閣下。
明治16年に閣下自らが県令として栃木県に殴りこむ。
議会総スルーで工事予算ムリヤリねじ込むという荒業を行う。
これにて、山王峠の栃木側が着工される訳だが話はそれだけに終わらない。
山王峠を超えた後、麓の上三依から分岐する塩原新道・尾頭峠を経由して塩原を抜け、
陸羽街道に合流するルートが検討されていたが、尾頭峠が余りに険しく車道化に適していない事が判明。

しかし三島はこんな事では諦めない。
「今までの道が駄目なら新しい道を造ってしまえばイイぢゃない。」
板谷峠に対する万世大路、桧原峠に対する大峠
今まで自身が行ってきたパターンをここでも踏襲する。
山王峠から道を分岐させ桃ノ木峠を経由し善知鳥沢に沿って塩原へと抜ける新ルートをぶち上げた。

で、これが超大雑把ではあるが赤いラインが三島が描いたルート。
もっと詳しいルートはこちらのリンクから

うん、無茶なルートだwww
何も無い山間部に強引に引かれた道。
いやね、県都・宇都宮や東京方面のショートカットルートとしてはこの上なく良く出来ているんだが、それしたって厳しすぎる道のりだろ。
田島〜塩原の間にまっとうに人が住んでいる所が無いってどういうことよ。
現代の車社会ならまだしも、まだ基本的に徒歩がメイン、早くてせいぜい馬と行った時代では、この長距離の無人区間は無理があるのではないか。
三島ってホント「最短距離で目的地を結ぶルート」を見つける天才であるけど、かなり突拍子も無い所に道を造るもんだから、完成後の維持管理が凄まじくハードになってしまうケースが多い気がする。
その際たるは清水峠。

結局 塩原新道もまた、栃木から三島が去った途端「こんな維持費がかかる道はいらねぇ!」と即効で放棄される。
その代替として尾頭峠が整備される事のだが、車道化されるのは1988年(昭和63年)尾頭トンネル開通まで待たねばならない。
三島街道が荷馬車OKだった辺りはさすがではあったのだが・・・

ちなみに三島街道は峠の画像の背部、丁度蛇行標識のある場所から分岐をしている。
また桃ノ木峠に関しては『日本の廃道No.33No.35にてヨッキれん氏がレポートしている。








歴史が違えば「山王峠交差点」と言う信号が立っていたかもしれない峠。
だが今は使われていない道が交わるのみ。

峠の福島側には『危険!急カーブ多し 命を大切に』と書かれた看板。
そう、命は大切にせねばならん。





















落石注意の標識。
アレは注意ってレベルぢゃねーぞ。























嵐の前の静けさ。
紅葉に彩られた枯葉道。
思わず油断してしまいそうな気持ちの良い雰囲気。
でも騙されない。

カーブの向こうには『破壊』が待ち受けている















戻って参りました。
あづさ2号と崩落を比較してみてね♪

さあどうしてくれようか。











あっ。
続く

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